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剣の神官と女神の剣  作者: 橘トヲル
39/105

39話 幻視


 徐々に濃い霧があたりに立ち込め始めた頃、ドラゴスケルトンの襲撃はなくなった。

 しかし同時に、霧の濃度は一気に跳ね上がりすぐに数メートル先まで見通せない、まるでミルクの中を泳いでいるような霧に囲まれることになる。


「これじゃほとんど何も見えないぞ……」


 腕を振って霧を払う。

 それだけで水滴がまとわりつき、じめじめした感触が不快だ。

 このままではすぐ後ろを歩くリットとすらはぐれてしまいかねない。


「リット、手をつなごう。転んだら危険だがはぐれるのはもっとマズい」

「分かりました」


 子ども扱いするな、とか言ってくるかと思ったが、危機感を持っていたのはリットも同じだったようで素直に応じる。

 お互いが手を伸ばす。

 伸ばされてきた細い手を見て、シュウの脳裏によぎる光景があった。

 そう、あいつの手も同じように細くて。


「っ!?」


 一瞬の幻視。

 しかし我に返ったときにはリットの姿がなかった。


「リット!?」


 慌てて叫ぶも反応はない。

 前後左右、全方位を見回しても影も形も見えなかった。

 さすがにおかしい。

 意識が跳んだのは本当に一瞬だったはずだ。

 ついさっきまでリットが立っていた場所にいない。

 リットがどこかに行ったのならわかるが、目の前でいなくなるなど迷子上級者過ぎる。


「敵か……?」


 移動の邪魔だったため送り還していたセイジョを喚び出す。

 だが敵意らしき敵意も感じない。

 戦うべき相手が見えなかった。


「リット! どこだ、返事をしてくれ!」


 あたりにむなしくシュウの叫びがこだまする。


「くそっ」


 後退った足が石を踏む。

 生き物の気配もない。

 いったいどこへ消えたんだ。

 手に持ったセイジョで無駄と知りつつも霧を斬り払う。しかし当然なんの抵抗もなく、刀は素通りしていく。

 再び悪態をつきそうになったシュウだったが、さらに目の前の霧が濃くなった気がする。


「まさか、これが……」


 この霧自体が、敵の攻撃!

 そんな予感にとらわれた時にはすでに足元すらも霧に巻かれて見えなくなっていた。

 意識が、真っ白に溶けていく。


   ◆


 悠衣と出会ったのはまだ幼い頃だった。

 家が隣同士でよく一緒に遊んだ。

 小学校に通うようになってからは、お互い同性の友達が増えて回数は減ったが親同士の仲が良かったから家族同然の付き合いだった。

 悠衣は母親を病気で亡くしていたこともあって、よく家に泊まったりもしていた。


「ねぇ、シュウくん。シュウくんはさ、大きくなったら何になりたい?」

「またそれかよ」


 小さな頃から、悠衣はそう訊くのが癖だった。

 夏の暑い日だったことを覚えている。

 縁側に二人並んで座って、狭い庭を眺めながらアイスを食べていた。

 空からは刺さるような日差しが降り注いでいて、青空を背景に入道雲は太陽を避けるようにして流れていた。


「んー、分かんないな。とりあえず普通に中学行って、高校行って、大学出るだろ。あとは就職して……そのうち結婚とかするのかな」


 ほんの数年前までは、この問いに「宇宙ヒーロー」だの「消防車」だの言っていたが、さすがに小学校の卒業が近づいていたこの頃には現実が見え始めていた。

 自分が行きつける、限界と言うものが。

 だけど彼女はそんな現実的なことを言うシュウを見て、いつもの様に優しく微笑むのだった。


「そっかぁ。いい人が見つかるといいね」

「……お前の方こそどうなんだよ」


 最後の「結婚」を言うときはいつも緊張して、少しくらい動揺してくれてもいいのに。だけど悠衣はそんなシュウの心中に気が付くそぶりも見せない。

 それがなんだか悔しくて、ぶっきらぼうに聞き返してしまう。


「私はねー、秘密なんだ」

「何だよそれ」


 むくれながらそう返してやると、ヒマワリが咲くように大輪の笑顔を返してくれる。

 長く伸ばしたつややかな髪と相まって、その姿を見るたびにシュウはいつも絵本の中のお姫様みたいだと思っていた。

 数年前なら言えていたことが、喉につっかえ始めたのはこの頃だったように思う。

 セミの声がやけにうるさい。

 そんな夏を最後に悠衣の体調は悪化していった。

 元々体が弱く、学校を休みがちだった悠衣は中学に上がるころには半分くらいを休むようになり、卒業した後は高校に進学することなく病院に入院していた。

 悠衣の父親は、悠衣の入院費を稼ぐためほとんど家に帰ってこなくなり、悠衣のお見舞いはほとんどシュウとシュウの両親とで行くようになった。


「シュウくんはさ、大人になったら、何になりたい?」


 病室で、窓の外に舞う紅葉をベッドの上から見ていた悠衣が言った。

 来る途中、コンビニで見舞いにと買って来た漫画雑誌を自分で読んでいたシュウは顔を上げる。窓から振り向いた悠衣は、顔色こそあまり良くなかったが楽しそうな笑顔があった。


「さぁな。わかんねえよ」

「そっかぁ。早くやりたいこと、見つかるといいね」


 そう言って笑うのだ。

 小さいころから何一つ変わらない、笑顔で。


「学校、楽しい?」

「別に、普通だよ」

「勉強、つまんない?」

「先生は面白い人多いけどな。成績はそんなに良くない」

「部活は?」

「Eスポーツ部ってのに入った。新設で、部員が俺しかいないからやるやらないが自由で楽だ」

「じゃあ部長さんだ」


 シュウの短い答えを聞いて、悠衣はいつもにこにこ笑っていた。

 いつも大したことのない会話。

 それでも聞けば楽しそうに笑ってくれるのが嬉しくて、次第に弱っていく悠衣を見るのはつらかったが病院へ通うことだけはやめられなかった。

 悠衣が起きている時間すらもほとんどなくなってしまったのは、シュウが大学に入って少し経った頃のことだ。

 窓の外では深々と雪が降っていた。

 この地域でこんなに降るのは珍しく、観測史上最大だそうだ。


「ねえ、シュウ、くん」


 ベッドに横になったまま、悠衣が口を開く。


「将来、何になりたいか、決まった?」


 この頃になるともう喋ることすらもつらい時があるようで、病室に来てもほとんど会話をすることはなくなっていた。

 一方的にシュウが話しかけている、そんな日も珍しくない。

 それでもまだ聞きたがると言うことは、悠衣にとってはとても重要なことだったのだろう。


「……なぁ、悠衣。いつもどうしてそんなこと聞くんだ?」


 この時までシュウはどうしてそんなに聞きたがるのか、理由を尋ねたことはない。

 ずっと、返って来る答えが怖かったからだ。

 昔はただの口癖だと思っていた。

 でも悠衣が入院を繰り返すようになって、しまいには病院から帰ってこなくなったころに何となく理解してしまったのだ。

 怖れを抱きながら尋ねたシュウに、悠衣はいつもと変わらない微笑みを向ける。


「おかあ、さん、がね。死ぬ前に、いつも言ってた。『悠衣はどんな大人になるんだろうね』って」


 苦しそうに、けれど懐かしそうに悠衣が言う。

 悠衣の入院が本格化した頃、悠衣の父親とたまたま病院の廊下で会って話したことがある。悠衣の母親も、同じ病気で亡くなったんだそうだ。

 でも、その時とは状況が違うとも言っていた。医療は進んでいる。きっと悠衣は治る。気丈に話す悠衣の父親にシュウは可能な限り見舞いに行くことを約束した。

 それくらいしか出来なかったからだ。


「私、いっぱい言ったよ。アイドルだとか、お医者さんだとか。きっといつか、何かになれるんだって、ずっと思ってたんだ」


 ひゅっ、とシュウの息が詰まる。


「でも、違ったみたい」


 にっこりと、仕方なさそうな笑みを浮かべるのだ。


「小学校を、卒業する、前には分かってた。きっと、大人にはなれないって」


 でもね、と続ける。


「シュウくんは、違う。なんにでも、なれる、よ。だからシュウくんから、聞くのが楽しかった。想像するのが、楽しかった」


 そう言って目を閉じる悠衣。

 瞼の裏には小さいころからシュウに聞いていた色々な姿が思い浮かんでいるのだろうか。


「ねぇ、シュウくん。将来何になりたいか、決まった?」


 改めて尋ねてくる悠衣。

 卑怯だ、と思った。

 そんなことを言われて、黙っていることなんかできるはずもない。


「……さぁな、何になりたいかなんて、まだわからないよ。だけど、やりたいことはずっと昔からあった」

「そうなん、だ?」


 悠衣が微かに首を傾げる。

 中学に入学して以降、この会話の先はいつだってシュウが適当に言って終わりだった。珍しく話を続ける気になったことに驚いているのだろう。

 シュウは布団の下にある悠衣の手を握る。

 ひんやりとして、今にも折れてしまいそうな細い手だ。


「俺は、悠衣とずっと一緒にいたい。悠衣のことがずっと好きだったから」


 悠衣が目を大きく見開く。

 次いで目尻に小さな涙の粒が集まり、一筋流れ落ちた。


「残念、それは無理、かな。だって、もうすぐ私、死んじゃうもの」


 綺麗な笑顔で、そんなことを言うのだ。

 そんな悠衣に色々言おうとしたシュウだったが、


「でも、嬉しい、な」


 その一言に、口を閉じてしまった。

 窓越しに振り続ける雪を見上げるその姿に、何も言うことが出来なかった。

 外を見上げる顔が、見たこともないほどに満ち足りた笑顔だったからだ。

 そしてそれが最後。

 悠衣は結局、春を迎えることは出来なかった。

 葬式で、久しぶりに会った悠衣の父親は、とてもやつれていた。

 それこそ、最後に会った悠衣と同じように。


「ありがとう。シュウ君。君のおかげで悠衣は幸せだった」


 手を握って、涙を流して彼はそう言った。

 仕事でほとんど見舞いにも行っていないと思っていたが、仕事の合間に短い時間だが顔を出していたらしい。その度に話すことはいつもシュウの事で、悠衣がどれだけシュウに助けられていたのか、悠衣の父親は語ってくれた


「ずっと、君に助けられていたんだ。ありがとう……」

「俺は……」


 結局何もできなかった。

 歯を食いしばって、その言葉を耐える。

 今目の前の人にそのことを言って何になる。

 妻を、娘を失ったこの人を追い込んでしまっても意味はない。

 ただ、黙っていることしかできなかった。

 ほとんど悠衣の父親とシュウの家族だけで行われた葬儀はしめやかに行われ、しばらくたった頃悠衣の父親は引っ越していった。

 彼が自ら命を絶ったと知ったのは、その一月後の事だった。

 もし、あの小学生の夏。

 縁側で二人並んでアイスを食べていたあの頃。


「シュウくんはさ、大きくなったら何になりたい?」


 もし、答えられていたら。

 悠衣の生き方を変えられただろうか。

 生きることを諦めたような笑顔をさせずに済んだだろうか。

 そう思わずにいられなかった。


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