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剣の神官と女神の剣  作者: 橘トヲル
38/105

38話 記憶


「……本当に、よかったのか?」


 ためらいの残る言葉と共に振り返れば、つい先ほどまであんなに高かった外壁がすでに小さくなっている。

 すでに太陽は高く昇っていた。

 二人は今、マルクドーブの街を離れ、北にある森を目指して歩いていた。

 背中には食糧の詰まったリュック、野営道具。そしてシュウは動きやすいが丈夫な素材で作られた新しい服を着ていた。その上から丈の長い黒いコートと、何の金属かはわからなかったが軽い素材でできた胸当てをつけている。

 ここまで露出狂→浮浪者→ごろつきのような服装の変遷を経てきたシュウだが、ようやくまともな服を得られて今朝はかなり機嫌がよかった。

 ちなみに一番シュウが感謝したのは、サイズの合う靴を見つけられたことだ。これまではずっとエルミナの街の詰所から衛士たちのおさがりを使っていたのだが、微妙にサイズが合わず履き心地はよくなかった。

 そして今は、新しい靴で草の生い茂る道なき草原を歩いている。

 つい先ほどまでは、きちんと整備された街道を歩いていたのだが、北の森に近づいたので街道を外れた。

 平原が続いているため、未だに街は見えるものの、先に述べた通りすでに小さなものとなっていた。


「仕方ありませんよ。待っていたところで襲撃があるとも、これで終わりだとも言えないのですから」


 少し先を歩いていたリットも足を止めて振り返る。

 目にはシュウと同様隠し切れない迷いがある。

 彼女もまた、自分が不在の間に戦闘で怪我人が発生することを憂えているのだ。


「私たちは、私たちにしかできない仕事をしましょう」

「……そうだな。できるだけ早く行って戻ってこよう」


 二人は頷き合うと、森へと足を踏み入れた。

 そしてすぐに妙なことに気が付く。


「……動物の気配がありませんね」


 鳥の声も、虫の鳴き声もほとんど聞こえてこない。

 静かな、静かすぎる森だった。

 スレイヤー辺境伯家の以前調査に入った者たちの足跡は見つからなかったが、思ったほど邪魔な草木は多くなかった。


「……少し違うけど、前の森を思い出すな」

「私も同じことを考えていました」


 リットの方を見れば薄く笑っている。

 まだあれから3日しかたっていないというのに、ずいぶんと時間が経ってしまったような気がした。

 この世界に来てからは時間が濃密になった気がする。

 この世界に来るまでの自分の時間が霞んで見えるようだ。

 シュウがこの世界に来てもう4日。

 向こうの世界の家族はどうしているだろうか。

 急に消えてしまった自分を探しているだろうか。

 あるいは引きこもりの厄介者がいなくなって清々しているだろうか。

 ただ、あいつには泣かれているかもな―――。

 そんなことをとりとめなく考えていた。


「……あれ?」


 ふと、気が付く。

 家族に関して、玲斗が考えるのはごく当然なことだ。

 だが―――今までなぜ考えなかった?

 ぞく、と背中に寒気が走る。

 確かにしばらくの間家に引きこもっていたが、家族との仲は別に冷え切ったものではなかった。

 父親はごく普通の会社員だし、母親もだいぶ前からパートを掛け持ちしていつもかなり忙しそうにしていた。ここしばらく二人とあまり多く話をした記憶はないが、会えば普通に会話もしていたし、仲も良かった。

 だというのに内容が思い出せない。

 土を踏みしめる足が止まった。


「シュウさん?」


 シュウの足が止まったことに気が付いて、リットが振り返る。

 だがシュウはそれに気が付くこともできない。

 何か大きな、漠然とした不安があった。

 重要なことを忘れている。

 なんとなくこうだったということは思い出せるのに、細部が記憶にない。

 そもそも玲斗が引きこもったのはなぜだ。

 急に母親がパートを掛け持ちし出したのは?

 あいつは―――


「どうかしましたか、シュウさん」


 シュウの尋常じゃない様子にリットも気が付いたのだろう。

 少し焦ったような声で近づいてくる。

 シュウの顔がこわばり、青白くなっているのが目に入ったのだ。

 だがそれと同時、シュウの背後からある物が現れたことに気が付き足が止まる。

 

 カタカタカタカタ。


 肉のない、骨の顎が何度も鳴らされあたりに大きく響き渡る。

 ドラゴスケルトン。

 その虚ろな眼窩は、まっすぐにリットを見ている。


「しまっ!?」


 気づかれた! リットがそう思った時には遅かった。ドラゴスケルトンがリットへ向けて一直線に駆け出す。シュウが無防備に背中を向けているにもかかわらず、見えてすらいないような動きだ。


「くっ」


 その事実にリットは歯噛みし、しかし今のこのシュウを戦わせずに済むのならという思いが胸中に満ちる。

 一瞬の間に戦う覚悟を決めたリットだったが、その覚悟は無駄に終わる。

 間合いを一気に詰め、とびかかってきたドラゴスケルトンだったが空中でその体が上下に分かれる。胸骨に守られたコアも同様だ。


「シュウ、さん」


 どしゃり、とセイジョを振り切った姿勢のシュウの目の前にドラゴスケルトンの骨が散らばる。


「まずいな」


 言葉には苦々しさが満ちている。

 シュウは目の前のドラゴスケルトンを見て、注意が散漫になっていたことを後悔する。

 リットが見つかってしまったことも失点だった。

 エルミナの時もそうだった。敵は森に潜んでいた。平原の真ん中に立つマルクドーブの街を攻めるなら、当然敵の部隊を隠しておく場所が必要だ。何らかの対策を講じるべきだった。

 おそらくさっきの骨の音は味方を呼ぶ為の物だ。

 このままでは敵が無数に集まって来る。


「チッ、逃げるぞ!」

「あ、シュウさん!」


 リットに告げると、駆け出すシュウ。


「戦わないんですか?」


 走りながら、転ばないように喋るのは少し難しい。

 いたるところに硬い木の根や、草むらが存在するからだ。


「ここじゃ木が邪魔で剛毅丸が使えない!」


 街の中のように開けた場所があれば戦えるが、こう樹木が密集していると、敵に当たるよりも先に木にぶち当たってしまう。

 木自体は剛毅丸でへし折ることもできるが、街での敵の様子を見るにそんな隙をいちいちさらしていては数に圧倒されてしまうだけだ。


「それじゃ、どうするんです?」

「逃げ切るか、もっと開けた場所を探す!」


 言いながら走る間にも、骨が地面を蹴る音を感じてシュウは鋭い視線を向ける。


「来るぞ!」


 後ろの方から数体が襲い掛かって来る。


「足を止めるな!」


 リットを先行させ、その後ろにつく。

 木立の間を駆け抜け、追いかけてくるドラゴスケルトン達は街と同じで骨製の斧やら剣やら槍などを持っている。

 追いついてきた一体がリットに槍を振りかぶったのを見て、脇から一閃し斬り捨てる。続けざまに間合いに入ってきたのは骨の隙間からセイジョをコアめがけて突き刺す。

 力を失ってバラバラになるよりも先に刀を引き抜きリットを追いかけた。

 すでに2体が追いつき、その背中を狙わんとしている状態だ。


「コガラシッ!」


 両手に剣を喚び出し、文字通り風のような速さで駆け抜ける。

 抜け様に斬った2体は地面にバラバラと散った。


「シュウさん、どっちへ向かいますか?」


 息を切らせながら走るリットに並走する。

 森の地形についてはあまり詳しく聞いてはいない。

 元々あまり人の立ち入る森ではないのだそうだ。マルクドーブで集めた情報では、さっき森に入ったときに二人が感じたようなことは当然有名で。そのために森に入る人が極端に少ないのだそうだ。

 続いて現れた一体を再び斬りながら、シュウは悩む。

 このまま森の奥へと進むべきか。

 平原へと戻って迎え撃つべきか。

 後者の場合は、剛毅丸を存分に振るえるようになるため100や200程度ならばいくらでも相手にできるだろう。ただし相手にとっても攻撃を行いやすいことに違いはないので、数が1000や2000だった場合は押し切られかねない。

 森にどの程度の数が潜んでいるかが問題だった。

 そうして悩むシュウだったが、その耳がある音を聞き取る。


「……今、何か言ったか?」

「え? 何ですかっ?」


 すでにリットの息は上がりかけている。

 背中にマルクドーブで手に入れた荷物も背負っているのだ、仕方のないことではあった。


「いや、今」

―――こっちへ。こっちへ来なさい


 また聞こえる。

 間違いない。女性の声だった。

 隣を走るリットの様子を見る。

 やはり一度どこかで休まないといけないだろう。


「リット、こっちだ!」


 シュウは悩んだが、声の主にかけてみることにした。

 その背にリットが続く。

 二人は次第に森の奥へと向かっていった。

 話に聞いていた、人を惑わす霧があたりを包み込み始めたことに気が付くのは、このすぐ後の事である。


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