26話 領主
静かになった廊下で、シュウはようやく身を起こした。
未だに痛む鼻を抑えると、血が顎にかけて流れている。骨は折れていないようだったが、鼻血が出ているようだった。
ゆっくりと歩み寄ってきたジルバが「使いな」とハンカチを渡してくれる。礼を言って受け取り、血をぬぐうシュウをジルバはじっと見つめていたが、やがて安堵するようにため息をついた。
「そろそろ頭は冷えたかねぇ。さっきはどうしたんだい? 尋常ではない怒りようじゃったぞ」
「別に……ただ、昔のことを少し思い出しただけ……のはずだ」
心配、と言うよりは呆れたようなジルバの口調にシュウはぶっきらぼうに返す。
人を殺しながら嗤っているあいつらに感じたのは大きな憤り。そして助けられなかった自分自身に対する深い怒りだった。
今度は助けられたはずだ。
「そう思った瞬間、頭の中がカッとなって……」
「危ない奴だねぇお前。とはいえあたしはお前のおかげで助かった、とも言えるかもだねぇ」
「どういう意味だ?」
「あいつらは傭兵のゴーント兄弟だよ。隣国のジルディオ帝国を縄張りにしてる狂犬どもさ」
「狂犬……」
そう言われて思い出すのは最後の軽薄男の言葉。
あれだけの深手を負いながら微塵も闘志が揺らいではいなかった。
「兄のグランデ・ゴーントも大概やばいが、弟のスティーダ・ゴーントは残忍な性格だと聞く。連中はコンビで人を殺せる仕事のみを請け負う戦争のプロだよ」
「戦争の……そんなのがどうしてここに」
「わからんよ。だが、怪しい連中はティアーク神聖国の人間の様だったと聞く。ジルディオ帝国の戦争屋共が一緒にいたことを考えれば……目的は火付けかもしれないねぇ」
ジルバが苦い顔をして言う。
「火付け?」
「戦争を煽ってるのさ。東の神聖国と南の帝国はそれぞれうちの王国をずっと狙ってる。帝国は神聖国とうちの王国を争わせて弱体化したところを狙う寸法なんだろうさ」
「そんな見え見えの手に一国が引っかかるものか?」
「さてね。今の状況じゃあそんな可能性があるとしか言えないさね」
そう言ってジルバが首を竦める。
確かにまだ何もわかってはない。
「ひとまずは、この先に進んでからだな」
「そうだねぇ」
二人で目の前にそびえる大きな扉を見やる。
ゴーント兄弟たちが守っていた部屋の扉だ。
「この先は?」
「謁見の間になってる。おそらく領主はこの先だろうよ。無事ならばよいがね」
「……なんだかあんたあんまり行きたくなさそうだな」
他人事の様に喋るジルバの様子にシュウは違和感を覚えた。
守ろうとしている領主の命が危ないかもしれない割には緩慢な動きに見える。
「ん? まぁ、そうだねぇ。何というか経験則でねぇ、嫌な予感がするのさ。こういう勘は外れたためしがないんだよ」
歯切れ悪く、ジルバが答える。
「この城に入ってからその感じがどんどん強くなってきてるんだ。前に六ツ首ヒュドラが出るっていう湿地に入ったときと同じ感じ……いや、それ以上だねぇ」
よく見れば、ジルバの顔色が青ざめているのがわかる。
それほどまでの相手がこの先にいるということなのだろうか。
「とにかく、開けてみよう。じゃなきゃ何もわからないだろう」
「油断するんじゃないよ?」
「分かってる」
シュウは答えると、右手にセイジョを喚び出す。
扉は大きさの割に、力をこめると軋みすらもたてずに開いた。
◆
「お前達ッ! こんなことをしてタダで済むと思っているのか!」
扉を開けてすぐ、耳に入ってきたのはそんな大声だった。
真っ先に目に入ってきたのは奥まったところに設えられた玉座の前に立つ人物。青い短髪を首元で切りそろえ、白を基調とした服を着ている。ひざ丈のスカートからは肉付きのいい太ももがのぞき、胸元も大きく女性らしさを主張していた。グリーンの瞳は気高さを感じさせるものだが今は怒りに燃え上がっている。年は十代半ばくらいだろうか。
少女がさらに声を上げる。
「ここはお前たちのようなものが踏み込んでいい土地ではない。今すぐに立ち去るがいい!」
「そうは言いますがねぇ、セルジュ・ガーシュイン辺境伯様よ。あなたはどうやらまだご自分の状況をご理解されていないようですなぁ」
対して声を上げたのはその正面に立つ集団、その先頭。
壮年の男性で、ゆったりとした修道服を身にまとっており、いたるところに金色の豪奢な刺繍が施されていた。宗教家としてみるには成金趣味全開に見える。声は低くよく通る声だが、どこか相手を見下した癇に障る声だ。
そしてその背後、シュウたちとの間には情報にあった複数のフードを被った人物たちがいる。服装のせいで性別すらもわからないが、話に夢中になっている領主と成金とは違いシュウたちが謁見の間へと入ってきたのには気が付いているようだ。
そんな大広間のいたるところには、入口からここまで散々見てきた兵士達の死体が無残に転がっていた。
「マルス大司教、どうやら客の様ですよ」
最初にこちらに気が付いていたフードが成金に声をかけた。
若い男の声、と言うよりも少年に近い声だ。
「なんだと―――おやぁ? そちらにいるのは爆炎の魔女様ではありませんかなぁ?」
振り向いた成金の顔が不愉快げに歪むも、シュウの隣に立つジルバを目にとめると表情を一変させる。
カモを見つけた商人のような、欲に濁った眼だ。
「ジルバっ! なぜここに!?」
「一領民として、領主様のピンチは助けないとだからねぇ」
驚きに目を見開く少女に対してジルバが偽悪的に言い放つ。しかし少女を助けるためにここまで来たのはシュウが一番よくわかっていた。
「全く、困ったものですなぁ。扉の前に置いておいたあなたのご自慢の傭兵は役に立たなかったようですよ?」
「すみません、そのようですね」
成金がにやにやしながら厭味たっぷりに言うも、フードはさらりと謝罪しているが大して悪く思っていないのは丸わかりだった。それは成金も理解しているようで、その反応ににやにやとした笑いを一瞬でひっこめた。
「ふん、まぁいいでしょう。元英雄とは言え今じゃタダのババァ一人、我々で十分対処できますよ。行きなさい、神の使徒達よ!」
その言葉と同時、周りにいたほかのフードをを被っていた連中が一斉にフードを脱ぐ。
中から現れたのは全員そろいの白銀の鎧を身にまとった騎士たちだ。
頭のてっぺんからつま先までが鎧に覆われ一部の隙も見えない。手に持つ剣は見ただけで一級の業物とわかった。
「はんっ、聖騎士団をわざわざ連れてくるとは恐れ入ったね。しかし―――」
ジルバはそこで言葉を区切りニヤリと笑って言う。
「ババアだからってババア呼ばわりさせるのは気持ちよくないねぇ、全員燃やしてやるからかかっておいで」
凄みのある声と発せられた魔力に聖騎士たちが一瞬身を固くする。
隣にいて、このばあさんの敵にならなくてよかったと本気で思うシュウだった。
「まぁ待てよばあさん。半分は俺がもらってやる。こいつら敵なんだろ?」
「おや、任せていいのかい? 奴さんたちはお前のことは眼中にない様だがねぇ」
「あっちにはなくてもこっちには戦う理由があるんだよ。おいそこのオッサン!」
そう言って壇上からこちらを見下ろしたままの成金に向かって叫ぶ。
「お、オッサンだとぉ!?」
「そうあんただよ。今回の騒動の魔物共、操っているのはあんたたちで間違いないな?」
「ああ、なるほどなるほど。そうだとも! 我々ティアーク神聖国の技術によって魔物どもは我々が支配している。神よりもたらされた技術によって我々が異教の者どもを改心させるためになぁ!」
「神から……? この世界の創造神は女神セレナなんだろう。あいつらは違う神を信奉してるのか?」
熱が入り始めた成金とは逆に、シュウの方は得られた情報の一つ一つを考えていた。
隣のジルバに尋ねると、
「基本的に崇めてる神は一緒さ。だけど得られる啓示は少ない。解釈によって崇め方は変わってくる。連中とうちの国は派閥が違うのさ」
「なるほど、どこの世界も宗教は一筋縄じゃ行かないってことか」
「何を言ってるんだい?」
「こっちの話さ」
疑問符を浮かべるジルバを適当にはぐらかすと、再び壇上の成金に尋ねる。
「もう一つ聞く、どうやって魔物を生み出してるんだ? 連れがすごく迷惑してるんだよ。また地竜みたいなのに襲われたら迷惑なんだ、教えてくれないか?」
「ほほぅ! なるほど貴様か、我々が数年がかりで用意した地竜を倒してくれた邪魔者は!」
「ああ、そうだよ。とんでもない奴だった」
「そうであろうそうであろう」
「マルス大司教、無駄話はそのくらいでよいでしょう」
シュウの言葉に満足げに頷いていた成金だったが、再び少年声のフードが割り込む。
「別に話したってかまわんだろう、どうせこいつらはここで始末するのだから」
「情報を制する者が勝つ。我々と結ばれた盟約には情報の秘匿も含まれていたはずですよ」
「チッ、わかった。すまないが楽しいおしゃべりはここまでだ。どこの誰かは知らんが、隣のババアもろともここで死んでもらうか」
不承不承と言った体で成金が頷き聖騎士たちに一言「殺せ」と告げる。
すると、騎士たちは無言のままゆっくりとこちらへと向かってきた。
数は8人。
「さすがに教えちゃくれないか」
「まぁ十分なんじゃないかねぇ。あたしゃなんとなく流れが見えたよ」
そう言ってジルバが馬鹿にしたように笑う。
おおむね予想通り、と言ったところである。
扉の前にいたのは少年声のフードの部下、つまり連中はまとめてジルディオ帝国の人間。そいつらが盟約を交わしたのが成金共の国ティアーク神聖国なのだとしたら二国が共同、あるいは帝国からの技術供与で神聖国が魔物の使役を技術化に成功したということなのだろう。
そしてその力を使ってこの国―――デュナーク王国へと侵攻を始めることもジルディオ帝国の目論見通り、ということか。
「まぁ、こいつらを倒せば多少はその目論見も外れるっていうもの、かな?」
魔物がいてはリットの邪魔になる。
油断なく近づいてくる聖騎士たちを見ながら、セイジョを構える。
さりげなく、ジルバの前に一歩出た。
「大いに迷惑するんじゃないかねぇ。せっかくだから盛大に邪魔をしてやろうじゃぁないか」
楽し気なジルバの声が、心強かった。