22話 勇気
破砕音が鳴り響く。
それを聞いたユーリがびくり、と身を固くした。
続いてドスドスと荒い足音が複数。
おそらく今のは玄関のドアを破った音だろう。
ユーリは震えそうになる手を抑えながら、自分の体を抱きしめた。
異変が起こったのは少し前だ。
外壁の方から大きな音と振動が伝わってきたその時ユーリは孤児院の掃除をしていた。慌てて外を見てみると、外壁の方向から大きな煙が上がっており、空には魔物――飛竜の姿が見えた。とっさに孤児院の中へ飛び込むのと、外をドラゴンレイスがうろつき始めるのにはほとんど差がなかった。
逃げ出すこともできず、孤児院内に隠れるしかなかった。
埃っぽい空気を、震えそうになるのを抑えながら吸い込む。
逃げ込んだのは、屋根裏部屋だった。使っていない家具が幾つか積み上げられており、そのほとんどは埃を被っているのが明り取りの窓から差し込むわずかな光で見て取れる。二階の廊下の天井に作られた折り畳み式の階段から入れるこの屋根裏部屋は、階段を降ろさない限り中に入ることはできない。それゆえにここを隠れ場所に選んだのだ。
再び、階下から家具が破壊される音が聞こえてくる。
ユーリはごくりと唾を飲み込み、いつの間にか喉がカラカラに乾いていることに気が付いた。
(リゼ姉……!)
ゆっくりと、深く息を吸い込んで、吐く。
リゼットは今朝仕事に行くと言って孤児院を出ている。
帰るのは夕方になると言っていた。街の異変に気が付いて、孤児院まで戻ってきてくれるとしても果たしてそれまで隠れていられるか。
階下からの物音は依然として続いている。
奴らが上まで上がってくるのは時間の問題だろう。そしてその時、この部屋が見つけられないという保証はない。
(どうにかして、逃げるしかないしかない)
決意とともに、慎重に腰を浮かせかけるユーリ。
しかしそれと同時に孤児院全体を揺らすような、ひときわ大きな破砕音が響く。
「っ……!」
怖い。
足もとから冷気の様に恐怖が自分の体を包み込んでくるのを感じる。
小さくうずくまった体が震える。
目じりに涙を溜めながらここに隠れていたら見つからないんじゃないか、と言う根拠のない希望が首をもたげる。
(そうだ、ここに隠れていれば、きっと誰か助けに来てくれる……)
そんな淡い期待に縋りつくユーリだったが、不意に奇妙な匂いを感じ取る。
(こげ臭い!)
微かな匂い。
だが間違いない。
この孤児院か、近くの家が燃やされている。
(もし、ここに火をつけられてたら、隠れていいられない……!)
どうしたらいい?
心の中で自分に問いかける。
隠れていてもだめ。
見つからずに逃げるしかない?
(でも、そんなことできっこないよ……)
諦めが、心の中を支配していく。
そんな時にふと思い出したのは昨日のお客さんだった。
(あの人たちだったら、どうするかな)
一人は神官様でリゼ姉を助けてくれたすごい人。
もう一人はボロボロの服を着て、浮浪者みたいな男の人だったけどなんだかとても優しい人に見えた。
朝には物置にとってあった古い服を渡してあげて、とても感謝されたのだ。
『リゼ姉、あのシュウさんってなんであんな恰好だったのかな』
『んー? あれか? あれはな、リットを守ってあんな恰好になったんだってさ』
『え!? 嘘だよー。だっておっきい穴とか開いてたよ?』
『傷はリットが直したんだってさ。間違いなく、すごい奴だよ』
『そう、なんだ……』
ボロボロの服を着たシュウの姿を思い出して思わずくすりと笑いをこぼす。
リゼットの様に戦いが得意な人には見えなかった。
会話をしたのはほとんどリットが治療してくれている間のわずかな時間だったけれど、大丈夫だと安心させてくれるような言葉をかけてくれた。
そのことを思い出すと、自然と体のこわばりがほどけていく気がした。
足もとからいばらの様に体を覆っていた恐怖感が薄れている。
だが、反対に焦げ臭いにおいは濃さを増していた。
「……行こう」
微かな震え声で、そうつぶやく。
逃げるなら、チャンスは今しかない。
音をたてないようにそっと床にある扉を開く。
薄暗い屋根裏に階下の明かりが差し込んできた。
ユーリはそっと顔だけを2階の廊下へと突き出す。さかさまに見える廊下には誰もいなかった。変わらず音は1階から聞こえてきており、あの魔物たちはまだ2階へあがってきてはいないと思われた。
音をたてないように慎重に梯子を廊下へと下ろす。
合間に下で暴れている物音が何度もユーリの心臓を跳ね上げさせる。
もし、今いきなりあの魔物たちが上に上がってきたら?
孤児院内に駆け込んだ直後、窓越しに見たドラゴンレイスの金色の目を思い出して背筋が粟立つのを感じた。
あれは、この世界にいていい生き物の目じゃない。
自然とそう感じさせるものだった。
ようやく、梯子が廊下に降り立つ。
ほっと息をついたのも束の間、ユーリは梯子を猫の様にしなやかに降りる。足を着けた廊下は、いつもの廊下なのに背筋に嫌な汗をかくほどに緊張するものだった。
ユーリは廊下の突き当りへと視線を向けた。
突き当りには窓があり、昼の陽光を廊下へと差し込んでいる。
(階段から降りればあの魔物と鉢合わせするかもしれない……)
ユーリは一度外へ出て、物音を立てるなどして注意を惹き、孤児院内から魔物を引き離すつもりだった。
(そのためには一度外に出なきゃ……)
そろりそろり、と窓へと近づく。
一瞬背後をうかがうも、未だ階段を上がってくる気配はない。
ユーリは窓の外から見つからないようにそっと、外を覗き。
とっさに転がりながら窓から飛び離れた。
次いで感じたのは孤児院全体を揺るがすような轟音と衝撃だった。
そして咆哮。
「GISYUUUUUUUUUUU!」
ドラゴンレイスが窓を壁ごと破って飛び込んできたのだ、と理解した時には目の前にそれが立っていた。
手に持った剣と盾を掲げ、ぎらつく眼光でユーリを見下ろしている。
その威容に震え上がりながら、ユーリは悲鳴を出すこともできなかった。
ただ、体を絶望感が支配していく。
「HUSYURURURURURURU」
ぱきぱき、と足裏で自分が砕いた壁や窓を踏みながら、ドラゴンレイスが何の躊躇もなく近寄ってくる。
頭の中に警鐘が鳴り響く。
焦りが頭の中を充満し、けれど足はろくに動いてくれなかった。
ただ転がったまま、地面に這いつくばってドラゴンレイスの恐ろしい眼光を見ていることしかできなかった。
悠然と歩み寄ってきた竜の姿をした魔物は、見るからに重たそうな剣を持ち上げる。肉厚のその剣は、振り下ろされれば確実に一撃でユーリの頭をカチ割ることだろう。
(ごめん、リゼ姉……)
剣が振り下ろされた時、浮かんだのはリゼットの顔だった。死んだ自分を見て、リゼットが短気を起こさなければいいなと。
だが、剣がユーリへと届くよりも早く、一陣の風となって何かが間に割って入った。
「よかった、間に合った」
そう言って、2本の剣でドラゴンレイスの剣を受け止めた人物が振り返って笑顔を見せる。
「もう大丈夫だ。俺が守る」
一際大きく力をこめられた夫婦剣がドラゴンレイスの巨躯を押し返す。
すかさず追撃したシュウの剣が同時に振り下ろされ、受け止めようとしたドラゴンレイスの剣ごと切り裂いた。
「GISYURURURURURURU!」
体を深く切り裂かれたドラゴンレイスが悲鳴を上げ、床にどうと倒れ伏した。
シュウはその死を確認すると、ユーリにゆっくりと歩み寄って手を差し出してきた。
「助けに来たよ」
リゼットは言っていた。『すごい奴』だって。
「……ありがとう」
涙をにじませながらそう言って、ユーリはシュウの手を取った。
本当に、すごい人だった。