102話 審判
「ああああああああぁぁぁぁぁ!」
セレナが叫ぶのと同時、遠くにそびえていた巨大樹から無数に枝が蛇の様に伸びて来る。枝はそのままセレナに絡みつき、繭を形成。巨大な繭が形成されると、空を突き破ろうかという高さまで伸びていた巨大樹は姿を消していた。
シュウが油断なく鞭を構えている前で、繭に大きなひび割れが生じた。
卵が割れるかのようにしてあらわれたセレナの姿は一変していた。
純白だった羽は緑色となり、柔らかさが失われ樹木のようなものになっている。
それだけではない。
腕も、脚も、髪も緑がかったものになり、ドレスの裾からは尻尾の様に長い根が水面にだらりと伸びる。黒目もまた、深緑へと変貌していた。
すでに天使のような見た目はどこにも存在していない。
「それがあんたの本当の姿か」
「うるさいッ!」
咆哮と共に尻尾の根が一気にシュウへと迫って来る。
数十本からなるそれは、シュウを突き、叩きつけようとしていた。
シュウはとっさに鞭を操作して、7本の先端で攻撃を相殺しようと試みる。
いや、本当は鞭に纏わせた雷で焼き切りながら本体に攻撃するつもりだったのだ。
だが攻撃は受け止められた。
「どうしたのです、この程度ですか?」
7本の鞭が、それぞれ何本もの根が絡みつくように押さえつけられていた。
シュウは鞭を引っ張って解放を試みたがびくともしない。
「仕方ない」
そう言って、鞭を消す。
しめたとばかりに根が俊敏に動いた。
地を這う蛇の如き動きでシュウへと迫る。
水面を駆けながらシュウは新たな武器を探す。
頭の中を駆け巡る痛みを無視して、同時に視界を埋め尽くすように伸びて来る根の鞭を避けながら。
「さぁ、どうしたのですか!」
挑発してくるセレナの目には明らかな勝利の確信が映っている。
よほど今の自分に自信があると見える。
今の鞭以上の武器となると実はほとんど数えるほどしか存在しない。
鞭による雷はある程度あの樹木のような体を焼くことは出来ると思われたが、おそらく再生速度はそれに勝るように感じられた。
だからあれを倒すにはそれ以上の破壊力か、存在自体を殺せるようなものが必要だった。
幸い両方とも喚ぶことは出来る。
だが――
「迷っている時間はない、な」
追いすがる根の鞭を躱し、覚悟を決める。
「来い」
言葉と共に手の中に一本の剣を喚び出す。
ぐるん、と視界が暗転した。
「うっぐ……!」
気が付けばシュウは喚び出した剣を杖代わりにして水面に膝をついていた。
意識を失ったのは本当に一瞬だったようだ。
頬をどろりとした液体が流れていく。
掬って見れば、それは目尻から流れ出た血だった。
「くっくっく、ずいぶんと苦しそうだな」
セレナの嫌味な微笑み。
けれどそれを見てもシュウの心は動かない。
頭痛も、体の痛みもない。
自分の体が、ある一線を越えた感覚があった。
目からこぼれた血を拭う。
「……余計なお世話だ」
立ち上がり、聖剣と共に長剣を左手で構える。
白銀に、紫紺の意匠が施された美しい剣だ。決して華美というわけではないが、見る者を惹きつける美しさがそこにはある。
だがセレナはその剣を見て微かに嗤笑する。
「そのような細い剣、すぐにでも折ってやろう」
「やれるものならやってみな」
水面に垂れる根がセレナの両腕に集まり絡みつく。
根は巨大な爪を持つ両腕となった。
「ハアァッ」
セレナが上空から一気に下降して右の腕を外側から大振りに振りかぶる。
下降と爪の鋭さが合わさった攻撃は危険だった。
シュウは背面ジャンプの要領で躱すが、一瞬前までいた水面がかなり深く抉られている。もし直撃すれば体がバラバラになることは間違いないだろう。
「死ねぇっ!」
続くセレナの左による第二撃。
シュウは空中の身動きしにくい状況から左手の長剣を体のひねりに合わせながら振り下ろす。
リィン――
鈴が鳴るような清澄な音が二人の間で鳴る。
明らかに打ち合いによる音ではない。
セレナもそれに気が付いたのだろう。長剣が持つ何らかの能力を警戒した色を見せるが、すぐに殺せばいいと考え直したのだろう。両手の爪を連続で繰り出してくる。
セレナの拳は巨大な風圧を伴うほどに鋭く、爪を用いれば斬撃が、拳を握れば打撃が飛んでくる。
両手に握るそれぞれの剣で受け止めながらシュウは機をうかがっていた。
打ち合うたびに鈴が鳴るような音と聖剣がセレナの拳と鉄を打ち合うような音を立てる。どちらも拳と打ち合っているような音ではない。
お互い致命的な一撃に達することが出来ず、かといって小さな傷はそれぞれすぐに治る。終わりの見えない剣戟と斬撃の応酬。
そして変化が訪れる。
シュウが喚び出した剣は白銀の刀身だったはずなのだが、徐々にその色を失って透明度を増していくのだ。
セレナもそれに気が付いたのだろう。
何らかの準備だとしたら、それより前に蹴りを付ける!
その決意と共に、
「カァッ!」
「!?」
深緑の瞳が怪しく煌めいたかと思うと、光が一気に収束し一直線に放たれた。
その光線はシュウの脇腹を貫通して地平線の彼方へと消え去っていく。
水面をバウンドしながら吹き飛ばされるシュウ。
「終りね。見なさい」
どれだけ無様に転がっても手を放さなかった聖剣を鋭い爪のまま、セレナが指さす。
純白の荘厳な印象があった聖剣は既に見る影もなかった。
あちこちに罅がはいり、今にも壊れてしまいそうだ。
「それ以上使えばその剣は折れるでしょう。そもそも、それだけの能力を行使することなど出来るはずがなかったのよ。よくやったと誉めてあげるわ」
セレナの不遜な声。
だがそれは事実だ。
聖剣――リットもまた、自身の耐久限界を超えて戦った。
あと一度でも治癒の能力を行使すれば、限界を超えて粉々に砕けてしまうに違いない。
ごぷ、とシュウの口から血が溢れ出る。腹に空いた風穴からも血がどめどなく流れ出ていた。
「諦めなさい。今すぐに私に殺されると言うのなら、その剣だけはあの世界へ返してあげてもいいわ。あなたもこの世界でその剣を朽ちさせたくはないでしょう?」
最後通告。
勝利を確信した言葉だ。
だがセレナは、何もわかっていない。
「終わり? 何を言っているんだ」
シュウはどうにか体を起こして立ち上がる。
「終わったのはお前の方だ」
「何?」
右手に握った聖剣を見下ろす。
本当にボロボロだった。
ここまで一緒に戦ってくれたことに本当に感謝した。
そして初めて、聖剣を手放して水面に横たえる。
自分の回復手段を手放したことにいぶかしげな視線を向けるセレナ。
「もう、いいんだよ」
立ち上がったシュウの体に空いた穴を見て、セレナは驚愕した。
徐々にであるが傷口がふさがっていく。
服こそそのまま穴が開いているものの、傷口が逆再生の様に戻っているのだった。
それはまるでセレナが今まで自分の体を再生させていたそれに似ている。
聖剣なしで行われた行為に、セレナが何も言えないでいると、シュウがほとんど透明になった剣を構える。その目にはっきりとした闘志を感じて、両腕の爪を慌てて構える。
「この剣はさ、秤なんだよ」
唐突な言葉に一瞬セレナは戸惑った。
「……秤?」
「ああ、『審判者』って知ってるか?」
「っっ!?」
審判者。
その言葉を聞いた瞬間にセレナの顔色が一気に変わる。
「貴様ッ!? まさかソレは!?」
「そう、これはお前ら神を裁く神の剣だ」
刀剣召喚で色々な剣を探して分かった。
どうやら思っていた以上に世界は無数に存在し、神という存在は多いらしい。
そして中には目の前のセレナの様に自分の管理する世界を好き勝手する奴もいる。そんな奴らを取り締まっているのが『審判者』というらしい。
この審判者の剣は、相手を量り罪の重さによっては神を完全に消滅させることもあるという。
「だから、お前はもう終わりなんだよ」
「ま、待て! そんなことをしてどうする! 私を殺せばその剣となった娘はそのままだぞ、お前自身も……もうすでにほとんど人間ではないだろう!?」
「気づいていたのか」
審判者の剣は人間には使えない。
神が神を量るための武器が審判者の剣。
神にしか使うことは出来ない。
それが使えると言うことはシュウもすでに人ではないということ。
「欠損した体を無理に再生させ続けたせいだろうな。俺の体はもうすでにほとんどこの世界に満ちるお前の神気を使って修復したものになっている。もう普通の人間としては生きられないだろうな」
寿命があるのか、無いのか。
セレナが爪を使い始めたあたりから、シュウはリットに回復魔法を使わせていない。自動で体が空気中の神気を吸収して回復していたからだ。腹にあいた傷がふさがったのも、そのためだ。
「私なら、二人とも戻せるっ! だからっ!」
「そんな言葉を信用すると思うなよ」
審判者の剣を大上段に掲げ一気に振り下ろす。
彼我の距離は数メートル。剣が届く距離ではない。
だが、切り裂いた空間を上下に割り裂いて現れた物がある。
眼だ。
巨大な瞳。
それがセレナを捉えると、黒く細い蛇のような腕が無数にセレナへ向かって伸び出した。
「い、いやだっ! ヤメロ! 来るな!」
泣きわめきながらセレナが羽を羽ばたかせ全力で後退する。
しかしそれよりも黒い墨で描いたような腕が羽を掴むのが早い。
樹木のような羽は触れられた瞬間に粘土細工の様に崩壊した。
「嫌だ……」
翼をもがれたセレナが水面に転がる。
そこへ無数の腕が伸びてひたひたとその体を崩壊させていく。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」
体中を掴まれながらもセレナが必死で水面を掻きながら逃れようとあがく。
「私はっ! まだやりたいことが!」
「お前の身勝手の結果だろ。受け入れろ」
「嫌だああああああああああああああああああ!」
セレナの喉から絶叫が迸る。
だがその喉すらもすぐに分解されて、水面を這うセレナの体は黒い手によって覆い尽くされてしまった。
指先まで完全に分解が終わったのだろう。
黒い手が次元の裂け目に戻っていく。
セレナが横たわっていた場所にはその姿はなく。
ただ一本小さな葉を数枚付けただけの苗木があるだけだった。
「これがセレナの本当の姿なのか?」
審判者の剣は神を原型まで戻してしまうことがあるらしい。
それはつまり対象を殺す必要がないと判断されたということ。
審判者の剣では、セレナを殺せない。
次元の裂け目が完全に閉じた。手に握った審判者の剣は、既に白銀の色を取り戻している。
「仕方ない」
審判者の剣を消して、別の武器を喚ぶ。
手に握ったのは長大な柄をもつ大鎌だ。
ゲルヒ=メルドの大鎌。
刃の部分を黒いオーラがまとわりつき、おどろどろしい雰囲気を放つ武器だ。
リットがセレナよりも高次元に存在する彼の神について語ってくれたのはいつの事だったか。
死者の魂を司るゲルヒ=メルドの鎌は、神をも殺す。
ゲルヒ=メルドこそが審判者達の長だからだ。
最後までこの鎌を召喚しなかったのはこの体になってもなおシュウの命を吸い上げるから。今まで喚んだ武器の比ではない高次元の神だからだ。
「これで、本当に、終わりだ」
鎌の切先を苗木に当てる。
これであとは引くだけで苗木は切断される。
それで終。
だと言うのに、手が動かない。
何一つためらう理由などないはずなのに。
「あー、やっべ。ギリギリ間に合ったよ」
そんな声が背後から聞こえてきたのはその時だった。
ハスキーな、若い女の声
「はーい、ストップ。さすがに殺されちゃ困るんだわ。しかもその鎌さぁ――」
すっ、と程よく引き締まった褐色肌の腕が鎌を握るシュウの右手に添えられる。
何故かそれだけでシュウの腕は全く動かなくなった。
シュウは背後から感じるプレッシャーに振り向くのに多大な精神力を必要とした。
「アタシの鎌だかんね?」