(二十)(七二)
夜明け前の薄明が空に広がる頃、離れ家の中で目を覚ましたリウェルとフィオリナは、鴉の姿のまま外に向かい、樹々の根元を歩き回った。二羽は蟲や木の実を探し出し、食事を済ませると、嘴の汚れを拭い、羽の乱れを調えた。樹々の梢の先に広がる空が碧く染まる頃、二羽はセレーヌの小屋の前に立ち、挨拶を兼ねて出発する旨を告げると、学院に続く道へと足を向けた。落ち葉を踏み締める軽やかな足音は、いつしかしっかりとしたものへと変わり、それに伴って鴉の姿はヒト族の姿へと変じた。白銀色の髪を揺らしながら、木立の中を西に向かう旅姿の二人は、外套を纏い、雑嚢を肩にかけ、編上靴を履いた足を規則正しく足を前に運んだ。二人の足音は重なり合い、肩も触れんばかりに寄り添っていた二人の手が外套を間に挟んだまま触れた。足並を乱すこともなく、リウェルはフィオリナを見、フィオリナはリウェルを見た。二人は外套から手を出し、しっかり繋ぐと、再び前を向いた。やがて、足許の落ち葉に代わり小石が増すにつれて、樹々は次第に疎らになり、ついには二人は学院の敷地に達した。木立を抜けた二人は、白い小石の敷き詰められた道の手前で足を止め、周囲を見渡した。講義の休みが続いていることもあり、敷地内を行き交う人影はわずかだった。学生と思しき者たちが一人で、あるいは、二人で、連れ立って敷地内に造られた道を進む姿が見て取れた。二人はなおもその場に留まり、周囲を見渡し続けたが、求める姿を見つけることは叶わなかった。二人は顔を見合わせた。
〈図書館に行こうか。〉リウェルは念話で語りかけた。
〈もしかしたら、そこで会えるかもしれないわね。〉フィオリナも念話で答えた。〈食堂が開いているのなら、行ってみるのもいいかもしれないわ。〉
〈学院の中を歩いて回るのもいいかもしれない。〉リウェルは前を見た。〈どこに何の建物があるのか、見て回れば……。〉
〈それもいいわね。〉フィオリナも前を向いた。〈でも、まずは図書館に行きましょう。会えるとしたら、たぶん、そこよ。〉フィオリナはリウェルを見た。
〈わかった。そうしよう。〉リウェルもフィオリナを見た。
互いの金色の瞳を覗き込んだ二人はどちらからともなく鼻先を触れ合わせた。そのまま暫し見つめ合った二人は申し合わせたかのように学院の敷地へと顔を向けた。どことなくぎこちない表情を浮かべた二人は、白い小石の敷き詰められた道を北に向かって進んだ。
◇
午を前にして、リウェルとフィオリナは図書館を後にし、学院の食堂へと向かった。普段ほどでないにしろ食堂の建物の周囲には学生たちの姿が見られたが、二人が探し求める姿はそこにもなかった。二人は食事を買い求め、建物の外へと向かった。
〈買ったのはいいのだけど、どこで食べよう。〉リウェルは手に持った包みに目を落とした。
〈いつものところでいいのではないかしら?〉フィオリナはリウェルを見た。〈いつも四人で食べていた、樹の傍で。〉
〈『いつものところ』……か。〉リウェルは顔を上げると、まぶしそうに目を細めながら前方を見遣った。〈他に行くところも思いつかないし、そこにしよう。もしかしたら、そこで会えるかもしれない。〉
〈ええ。会えるかもしれないわ。〉
二人はゆっくりとした足取りで、図書館の前の広場へと向かった。
道なりに進んでいたリウェルとフィオリナが道を逸れ、短く刈り込まれた草地に足を踏み入れたとき、二人は目指す樹の傍らに先客が居るのを認めた。その先客は、赤毛のヒト族の少年と、黒に近い灰色髪の獣人族の少女だった。その二人は食堂で買い求めたと思しき包みを手にしたまま腰を下ろし、少年のほうは不機嫌そうに少女から顔を逸らし、少女のほうは少年を気遣うかのように耳を伏せ、尻尾を揺らしながら少年を見つめていた。リウェルとフィオリナは歩みを緩めるも再び速めた。樹まで数歩というところまで迫ったとき、二人は先客の少年が顔を上げるのを目にした。少年は息を呑み、目を見開き、口をわずかに開き、二人を見つめた。傍らの少女も、少年の様子に気づいたのか、少年の見つめる先に視線を向けると、少年とそっくりの表情を浮かべ、その場で彫像のように固まった。リウェルとフィオリナは歩みを止め、先客の二人を見た。
「食事を……、ご一緒してもいいかな?」リウェルは躊躇いがちに訊ねた。
「もし、よろしければ……、だけど。」フィオリナが弱々しい笑みを浮かべながら続けた。
「二人とも、無事だったか……。」赤毛の少年――ロイ――は喉から声を絞り出すと、大きく息をつき、肩の力を抜いた。
「リウェルさん、フィオリナさん……?」テナは体を前に向けつつも耳を後ろに倒した。
リウェルとフィオリナは顔を強張らせ、半歩後退った。二人は互いに寄り添い、ヒト族の少年と獣人族の少女とを見つめた。
「テナ。」ロイがテナを見、窘めるかのように小声で言った。「礼を失しておるぞ。」ロイはその場に立ち上がった。
テナもその場に立ち上がり、主の少年に寄り添った。テナの耳はわずかに起こされるも前を向くには到らなかった。
「先ほどの問いだが、」ロイは軽く咳払いすると姿勢を正し、改まった調子で言った。「もちろん、かまわない。私たちも君らに会いたいと思っていたのだ。ここ何日か姿を見ることがなかったのでな、心配していた。」ロイはテナを見た。
テナは半ばロイの陰に隠れるようにして寄り添い、リウェルとフィオリナを見ながら恐る恐る頷いた。
「すぐに戻ればよかったのだけど……、」リウェルは目を逸らした。
「二人とも無事でよかったわ。」フィオリナは力ない笑みを浮かべた。
向かい合った二人と二人の視線は互いの顔を避けるかのように彷徨った。顔を動かすこともなく、視線だけを左右に走らせた四人は言葉を発することもなくその場に立ち尽くした。やがて、意を決したかのようにロイがリウェルとフィオリナを見た。
「まずは食事にしよう。こうして立ったままでは何も進まぬ。」ロイはその場に勢いよく腰を下ろした。
テナは主の少年に目を向けるも、決まり悪そうな表情を浮かべリウェルとフィオリナに顔を向けた。そのまま耳をわずかに震わせると、白銀色の髪の少年少女から目を逸らし、ロイのすぐ傍らに優雅な仕草で腰を下ろした。
リウェルとフィオリナは顔を見合わせると、すぐに前を向き、ロイとテナに近づいた。数歩の距離をゆっくりと縮めた二人は先客二人の正面に――普段どおりの場所に――腰を下ろした。
「まずは腹拵えからだ。」言うが早いか、ロイは包みを開き、麺麭に齧り付いた。
テナとリウェルとフィオリナの三人は互いの顔色を窺うかのように顔を見合わせた。テナは幾分俯き、耳を斜め後ろに向け、探るようにリウェルとフィオリナを見ると、二人の視線から逃げるようにして顔を逸らし、麺麭と格闘を続けるロイを見た。リウェルとフィオリナは困ったような表情を浮かべると、わずかに首を傾げ、顔を見合わせた。そのまま暫し見つめ合った二人は、テナの視線を追うようにしてロイを見た。三人の視線の先のロイは我関せずといった様子で、堅く焼き締められた麺麭を噛み千切ろうと奮闘していた。三人は再び顔を見合わせると、手にしていた包みに目を落とし、意を決したかのように食事を開始した。
リウェルとフィオリナ、ロイとテナの四人は、言葉を交わすこともなく食事を続けた。ヒト族ではない三人は、強靱な顎を以て麺麭を噛み千切り、噛み砕き、飲み込んだ。早々と食べ終えた三人はその後も口を開くこともなく、ロイが食べ終わるのを待ち続けた。ロイが最初に食べ始めたにもかかわらず、食べ終わったのは最後だった。ロイが最後の麺麭の欠片を飲み込んだところで、四人は無言のまま向かい合った。樹の影が落ちた地面を風が走り抜け、リウェルとフィオリナの白銀色の髪を揺らし、テナの耳の毛並みを逆立てた。
「先ほども言ったが、」ロイは手で髪を調えた。「君ら二人が無事でよかった。このまま会えないかもしれないと思い始めていたところだ。テナには叱られたが。」ロイは傍らに寄り添う従者の少女を見た。
「お二人は無事であると信じておりました。」テナは背筋を伸ばし、胸を張り、横目でちらりと主の少年を見ると、リウェルとフィオリナを正面に見つめた。「無事であると……。」テナは両の耳をわずかに後ろに倒した。
「ロイこそ、大丈夫?」リウェルは気遣うかのように訊ねた。「あのあと、頭が痛かったり、気分が悪くなったりすることはなかった?」
フィオリナがテナを見た。「ロイの様子は変わりなかった?」
ロイとテナはリウェルとフィオリナとを交互に見た。
「『大丈夫』とは……、ああ、あのときの『お願い』とやらのことか。」ロイは虚空を見つめ、再びリウェルを見た。「大事ない。あの日は、あのあと、何かしようとすると体が重く感じられたが、明くる日にはそれも消えた。その後も、これといって変わったことはない。」
テナはロイの言葉に同意するかのように、無言のままゆっくりと首を縦に振った。
「よかった……。」リウェルはほっとした様子で息をついた。
フィオリナはロイとテナを見、かすかな笑みを浮かべた。
「君らが私たちの前から去った後のことだが、」ロイは顔を逸らし、草地に目を落とした。「しばらくして、頭の中に『声』が響いたのだ。君らの『声』とは比べものにならないほどの。」ロイは顔を上げ、首を巡らし、テナを見た。「テナも私も、同じ『声』を聞いたのだ。」
テナはロイと目を合わせた。
ヒト族の少年と獣人族の少女は、白銀色の髪を持つ少年少女に向き直った。
「その『声』が響いた後のことだ、」ロイが続けた。「彼らが現れたのは。」ロイはリウェルとフィオリナを射貫くかのように見つめた。
「『彼ら』って?」リウェルは恐る恐るといった様子で訊ねた。
「君らは目にしなかったのか?」ロイは念を押すかのようにリウェルとフィオリナを見た。「町の近くに居たのであれば、目にしたはずだが。」
テナが主の少年を見、両の耳を震わせた。「ロイ様。」テナは小声で呼びかけた。
「『彼ら』は、白い雲の向こうから姿を現した。」ロイはテナの声など聞こえないとばかりに続けた。「いや、『彼ら』ではないかもしれん。『彼と彼女』のほうが相応しいのかもしれぬが、そこはどちらでもよいのでな、『彼ら』で通すことにするか。その『彼ら』は二頭の獣だった。姿を現すなり、町の上の空を飛び回った。どうやら、壁に沿って飛んでいたとみえる。二頭の姿が交互に見えたのでな。飛び回っている間も、私たちの頭の中に『声』が響いていたことからして、『彼ら』が呼びかけていたと考えるのが妥当であろう。」ロイは探るような目をリウェルとフィオリナに向けた。
緑色の瞳に射貫かれたリウェルとフィオリナは表情を変えることもなく、赤毛の少年を見つめ返した。
テナは両の耳を頻りに動かしつつ、主の少年と目の前の少年少女とを見比べ、やがてリウェルとフィオリナ心配そうに見た。
「その『彼ら』は……、」リウェルは掠れ声で訊ねた。
「ああ、『彼ら』か。」ロイは空を見上げた。ロイの視線の先には、白い雲の浮かぶ碧い空が広がっていた。輝く雲は風に流されながらゆっくりと形を変え、空を漂った。「先ほども言ったとおり、君らも目にしているはずだが、」ロイは顔を下ろし、リウェルとフィオリナを見た。「『彼ら』は飛竜だった。それも、北の地に棲むと伝えられる白銀竜だ。『其の体を覆いたる鱗は北の大地に降り積む雪のごとく輝き』――お伽噺の一節だ――、この目で見たのは初めてだ。」ロイは、すぐ目の前に腰を下ろした少年少女を見た。
リウェルとフィオリナは人形のような表情と金色の瞳で、少年の視線を受け止めた。瞬きをするのすら忘れたかのように見える二人の顔からは何の表情も窺えず、ゆっくりと胸が上下するのだけが見て取れた。
「それから……、どうなったの?」フィオリナが訊ねた。フィオリナはロイを見、テナを見、再びロイを見た。
「その後は、」ロイは咳払いした。「その後は、再び『声』が響いた。」
「どのような『声』だったの?」リウェルが訊ねた。
「同じような『声』で、『門を閉じよ』と。」ロイは答えた。「続けて、『町を守れ』とも。その後のことはよくわからん。二頭とも町から離れたようなのでな。私たちが見上げる空には、二頭の姿は見られなくなったのだ。ただ、町の噂では、西に向かった、と。それに、」ロイは傍らのテナを見た。
テナはロイの服の袖を握り、耳を後ろに倒したまま主の少年を見つめた。ロイは、従者の少女の手に自身の手を重ねた。テナは安心した様子で大きく息をつき、両の耳を立てた。
「それに、」ロイは目の前の少年少女に向き直った。「幾度か獣が吠えるような声を聞いた、と。その声で、西の森から溢れ出た獣たちを追い返した、とも。町の噂は不確かなものばかりだが、吠えるような声については私たちも耳にした。まるで……、まるで、喉の奥から絞り出したかのような悲痛な叫びとでも言うべきか、聞いている私たちも胸が締め付けられるかのような、あるいは、どこかに身を隠したくなるような……、そのように感じたのは確かだ。」ロイは傍らのテナを見た。
テナもロイを見、ゆっくりと首を縦に振った。二人は金色の瞳の少年少女に顔を向けた。
「その後は……?」リウェルが先を促すかのように訊ねた。
「わからん。」ロイは首を横に振った。「これも、町の噂によると、二頭の白銀竜たちは雲を越えて去っていった、ということだ。どこに向かったのかもわからん。当然のことながら、何故、町を守るようなことをしたのかも。何やら都合のよいことを考えている輩も居るようだが、当の白銀竜たちに訊ねてみないことには知りようもない。」ロイはリウェルとフィオリナの瞳を覗き込んだ。「何故なのか、是非、訊いてみたいものだ。」ロイは独り言のように呟いた。
テナは、主の少年と、白銀色の髪の少年少女とを見比べた。片方の耳を伏せ、もう片方の耳を立て、数瞬のうちに伏せていた耳を立て、立てていた耳を伏せ、腰から伸びたふさふさの尻尾を痙攣したかのように引き攣らせ、やがて、テナはロイの手を取り、しっかりと握り締めた。
二人と二人は無言のまま向かい合った。二対の金色の瞳は地の底から掘り出された貴石のような輝きを放ち、一対の緑の瞳と一対の茶色の瞳とを見つめた。四人が腰を下ろした広場に雲の影が落ちたが、すぐに明るさを取り戻した。木陰を風が走り抜け、白銀色の髪を揺らし、黒に近い灰色の毛並みをわずかばかり乱れさせた。彫像のように微動だにせず向かい合った四人の中で、最初に動きを見せたのはリウェルだった。リウェルはヒト族の少年と獣人族の少女の視線から逃れるかのように目を逸らし、傍らのフィオリナを見た。次いで動きを見せたのはフィオリナだった。向かい合う二人から逃れるかのように顔を横に向け、リウェルを見た。金色の瞳を持つ少年少女は互いの瞳を覗き込んだ。
〈どうやら、ロイもテナも僕らのことに気づいているらしい。〉リウェルは念話でフィオリナに語りかけた。
〈あれだけ飛竜の力を使ったのだもの。気づかれないはずはないわ。〉フィオリナも念話を使い、溜め息交じりに答えた。〈『念話』に、『お願い』に……、それに、元の姿も見せてしまったもの。〉
〈確かに。これで気づかないわけがない。二人が僕らの正体に気づいているとすると――〉
〈気づかれていない振りをするか、本当のことを話すか、でしょう?〉
〈そう。二人の様子からして、気づかれていない振りをするのは無理かもしれない。特に、ロイに対しては。〉
〈そうね。テナもどことなく怖がっているようにも見えるわ。本当のことを知るのが怖いのか、飛竜かもしれないものが傍に居るのが怖いのか。〉
〈どちらもだと思う。本当のことを伝えたとしても伝えなかったとしても、今と変わらないかもしれない。〉
〈それなら、このまま隠し通すの?〉
〈いや、隠し通すのは無理だと思う。〉
〈それは、何故?〉
〈学び舎に通っていた頃は僕らももっと小さかったし、顔を合わせるのも何日かに一度だった。いろいろとごまかすこともできたけど、今の僕らは? ほとんど毎日、顔を合わせることになるし、ごまかし続けるのも無理がある。ロイのことだから、しつこく訊いてくることはないと思うけど、この先もそうだとは言い切れない。〉
〈それなら、もし本当のことを伝えるとして、ロイとテナが政に関わることになるのだったら? 今は学院の学生だから、関わることはないでしょうけど、将来、二人がおとなになった頃に政に関わるのだったら? 面倒なことになりそうよ。〉
〈そこは、今は何とも言えないかな。二人が番になったときに、どこに縄張りを構えるのかはわからないから。〉
〈二人が『何の仕事に就くか』、ということよね、ヒト族や獣人族だと。〉
〈そう。ロイとテナが学問の道に進むのか、政に関わるのか、それは当人たちに訊いてみないことにはわからない。たとえ政に関わることになるとしても、策がないわけではない。〉
〈どういうこと……、ああ、『お願い』ね。強い力で『お願い』すれば――〉
〈ヒト族や獣人族には解けないはずだから、問題はないはず。他に何か案はある?〉
〈リウェルの案でいいわ。このまま私たちが町を去ることもできるけど、それはしたくないのでしょう?〉
〈考えていなかったわけではないけど、今それを選んだとすると、この先も同じことを繰り返しそうだからね。〉
〈それは言えるわね。町を去るのは、一番簡単な方法だもの。〉
〈本当のことを二人に伝える、ということでいい?〉
〈ええ、いいわ。〉
リウェルとフィオリナは頷き合うと、ロイとテナに向き直った。
「相談事は纏まったのか?」ロイがすかさず訊ねた。
〈既にお見通しのようで。〉リウェルが答えた。
「今更、何を言っておるのだ。」ロイは呆れたかのように言った。「君らの顔を見ていれば、すぐに察しがつく。何を話しているのかはわからぬが、何かを話していることくらいはすぐに思い至る。」
〈今、こうして念話で話しかけているのにも驚かないのね。〉フィオリナが笑みを浮かべながら訊ねた。
「当たりま……、『念話』だと?」ロイはリウェルとフィオリナとを交互に見た。
「ロイ様、」テナが主の少年を見た。「お二人とも、あのときと同じで、声を出されていませんでした。でも、ロイ様は普段と変わらずに話されていたので……、驚かれないことに驚いてしまいました。」テナは領に耳を一振りした。
「言われてみれば、確かに。」ロイは独り言ちた。「あまりに普段どおりだったのでな、気にも留めなかった。」ロイはテナを見、再びリウェルとフィオリナを見た。「ということは、君らの正体は――」
「ロイ、確かめたいことがある。」リウェルはロイの言葉を遮り、赤毛の少年と灰色髪の少女とを見比べた。「ロイとテナは学院を卒業したら、どうするつもり? 僕が言いたいのは、何の仕事に就くつもりなのか、ということだけど。」
「それが何か関係があるのか?」ロイは怪訝そうな表情を浮かべ、リウェルを見、次いで傍らのテナを見た。
テナもロイの顔を見、片耳を倒し、わずかに首を傾げた。暫し見つめ合った二人は、揃ってリウェルとフィオリナを見た。
「ロイ様と私は、故郷に町に戻りましたら婚儀を挙げることになるはずですが……、」テナが言った。「その前に、お仕事を探して、二人で住む家を探して……。お仕事は学院で学んだことを生かせるものであれば、教師でも役所勤めでも他のものでも、できるものであれば、と考えています。それでよろしいですよね、ロイ様?」テナはロイを見た。
「ああ、」ロイはテナを見た。「そなたの言うとおりだ。」
ロイとテナはリウェルとフィオリナを見た。
「働き口を探すのは、それはそれでたいへんなのだが、働かなくては食べていけぬ。」ロイは肩を竦めた。「手当たり次第、探すことになるであろう。」
「その『働き口』の中に、政に関わるものは、あるのかしら?」フィオリナが訊ねた。「町を治めるような仕事のことだけど。」
ロイとテナは顔を見合わせると、再び前を向いた。
「ないことはない。」ロイが答えた。「私の父は領主なのでな。家そのものが政に関わっておる。尤も、私の上には兄が何人もいるのでな。私が家を継ぐことはまずないであろう。兄たちが病に倒れるか、家を出るか、あるいは、勘当されるか……、そのようなことでもない限り、私が家を継ぐことはない。テナにも確か――」
「兄と姉が何人もおりますので、私が家を継ぐこともないと思います。」テナがロイの言葉を引き継いだ。「もし、仮にですが、ロイ様が領主の座を継がれるようなことになりましたら、私は妻として政に関わることになるかもしれませんが、ロイ様が仰ったように、まずないかと。」
「もしかしたら、政に関わるかもしれない、ということでいい?」リウェルは重ねて訊ねた。
「そうだ。」「仰るとおりです。」ロイとテナは首を縦に振った。
〈『お願い』しておいたほうがよさそうだ。〉リウェルは念話でフィオリナに語りかけた。
〈そうね。念のため、そうしておいたほうがいいわ。〉フィオリナも念話で答えた。〈二人がどの道に進むとしても、私たちのことを誰にも話さないように、というお願いはしておいたほうがいいと思うわ。〉
〈確かに。〉
「またしても相談事か?」ロイが笑みを浮かべながら訊ねた。「纏まったのか?」
「纏まったよ。」リウェルも笑みを浮かべた。〈僕らのことだけど、〉リウェルはロイとテナに念話で語りかけた。〈ロイが考えているとおり、僕らはヒト族でも獣人族でもない。僕らは飛竜だ。その中でも『白銀竜』と呼ばれる種族。〉
ロイとテナは目を見張り、勢いよく息を吸い込むと、やがてゆっくりと吐き出した。二人はゆっくりと互いの顔を見、暫し見つめ合うと、再び前を向いた。ロイはわずかに身を乗り出し、テナは両の耳を立て、前に向けた。
「思ったとおりか。」ロイは呟いた。「しかし、あれでは誰でも――私たちでなくとも――気づくであろうな。今のこの……にしても。」ロイはリウェルとフィオリナとを交互に見た。
〈ロイ、テナ、お願いがある。〉リウェルはヒト族の少年と獣人族の少女とを交互に見た。
「何だ?」「何でしょうか?」ロイとテナは戸惑いの表情を浮かべ、リウェルを見た。
〈私たちのことを誰にも話さないでほしいの。〉フィオリナが語りかけた。〈私たちが飛竜種だということを。〉
「それは、もちろん――」ロイはテナを見た。
「承知しておりますが……。」テナもロイを見た。
〈二人を信用しないわけではないけど、〉リウェルは気遣うかのように言った。〈念のため、『お願い』しておく。〉
ロイとテナはリウェルとフィオリナに向き直った。
「リウェル、それは、あのときと同じものなのか?」ロイは体を引いた。
〈そう。でも、あのときよりも強いものになる。〉リウェルはロイとテナを見た。〈あのときの『お願い』は次の日には効き目がなくなる弱いものだったけど。準備はいい?〉
「ああ。いつでもよいぞ。」「かまいません。」ロイは背筋を伸ばし、テナは耳を立てつつも後ろに向けた。
〈僕らの正体については誰にも話さないこと。『お願い』だ。〉リウェルはロイとテナの瞳を覗き込んだ。
ロイは顔を顰め、わずかに顔を逸らした。テナも顔を顰め、両の耳を後ろに倒した。
〈私からも『お願い』ね。〉フィオリナが語りかけながら、少年の緑色の瞳と少女の茶色の瞳に視線を向けた。
ロイとテナはさらに顔を顰めた。
「これは……、いつまで効き目があるのだ?」ロイは眉根を寄せ、片目を瞑りながら訊ねた。「あのときよりも、痛みが強いのだが。」
テナは両の目を瞑り、両の手をこめかみに添え、両の耳を震わせた。
〈ロイとテナがこの世界を旅立つまで。〉リウェルが答えた。
「つまり、生きている間は解けぬということか。」ロイは両の目を開き、リウェルを見た。「ずいぶんと念の入ったことなのだな。」
〈それくらいのことはしておかないとね。〉リウェルは肩を竦めた。〈いつ何時、僕らのことが知られないとも限らない。〉
〈でも、『お願い』が効くのはロイとテナだけだから安心して。〉フィオリナが言った。
「それは、どういうこと――どのような意味――ですか?」テナが両の目を開き、手を下ろしながら訊ねた。
〈二人の子には効かない、ということよ。〉フィオリナが答えた。〈いずれ生まれてくるはずの、ロイとテナの子たちには効かないわ。〉フィオリナは柔和な笑みを浮かべながら、少年と少女とを見た。
テナは顔を赤らめ俯いた。「まだまだ先のことですが、それを聞いて安心しました。」テナは両の耳を幾度か振り、ふさふさの尻尾を左右に揺らした。
「先のことは、今はよい。」ロイは芝居がかった所作で咳払いした。「大事なことを忘れるところだった。」ロイは改まった様子でリウェルを見た。
〈『大事なこと』……?〉リウェルとフィオリナは揃って首を傾げた。
「そうだ。大事なことだ。」ロイは目の前の二人を見つめた。「何故、町を守ったのだ?」
〈何故って……、〉リウェルはフィオリナを見た。
フィオリナもリウェルを見た。〈何故……。〉
二人は姿見の内と外のように首を傾げた。
「君らが町を守らなければならなかったわけではなかろう。」ロイは言った。「種族も暮らしも異なる、地上の民を、空を舞う君らがわざわざ守る必要もないであろうが。」
リウェルとフィオリナはロイを見、次いで傍らのテナを見た。
〈テナもそう思っているの?〉フィオリナが訊ねた。
「わからないと言えばわからないのですが……、」テナが答えた。
「わかると言えばわかる、とでも言い出すのではないのか?」ロイは呆れた様子でテナを見た。「それでは、なぞなぞではないか。」
「ええ、ですから、」テナはロイを見、リウェルとフィオリナを見た。「お二人の答えを伺ったほうがよろしいかと。」テナは背筋を伸ばし、両の耳を立て、前に向けた。
ロイもテナにつられるようにして、目の前の少年少女を見た。
リウェルとフィオリナは顔を見合わせると、すぐに前を向いた。
リウェルは目を瞑り、大きく息をつくと、再び目を開いた。〈町を守ったわけでは、ないんだ。〉リウェルは念話で答えた。
「どういうことだ?」ロイは意外だとばかりに訊ねた。
〈結果として、町を守ることにはなったのだけど。〉フィオリナが補足した。
「リウェルさん、フィオリナさん……、」テナは耳を一振りした。
〈僕らが守りたかったのは……、〉リウェルはロイとテナを交互に見た。〈もう、わかるでしょう?〉リウェルは力ない笑みを浮かべた。
「礼を……、述べなければならぬな。」ロイはぎこちなく、傍らのテナを見た。
「それが今の私たちにできることだと思います。」テナは首を縦に振った。
〈あとは、私たちがお世話になっている方も、よ。〉フィオリナが言った。
ロイとテナは姿勢を正し、リウェルとフィオリナを見た。
「リウェル、フィオリナ、君らに感謝する。」ロイが改まった口調で言った。「どれほど言葉を尽くしても足りないくらいだ。」
「ありがとうございます。」テナが背筋を伸ばしたまま体をわずかに前に傾けた。
〈無事で……よかった。〉〈本当に……無事でよかったわ。〉リウェルとフィオリナはゆっくりと息をついた。
ロイとテナは、ほっとした様子のリウェルとフィオリナを前に笑みを浮かべた。
「ところで、一つ訊いておきたいのだが、」ロイが切り出した。
〈何かな?〉〈何かしら?〉リウェルとフィオリナはロイを見た。
「このまま、私たちの前から姿を消す、ということはないであろうな。」ロイは探るかのような目で、白銀色の髪の二人を見た。
〈何故、そう思ったの?〉リウェルは首を傾げた。
「今にも泣き出しそうな顔をしているからだ。」ロイは鼻息も荒く言い放った。「二人とも、あのときと同じような顔をしておるぞ。まったく……、問うているのは私なのだ。答えるのは私ではない。」
〈町を去ることはしない。〉リウェルはロイを正面に見据えた。〈少なくとも、今は。〉
〈図書館の本を読み終えるまでは、ね。〉フィオリナが冗談めかして付け加えた。
「それを聞いて安心した。」ロイはほっと息をついた。「それだけ言えるのであれば、すぐに町を去ることはあるまい。」
「ロイ様、」テナは主の少年を見た。「図書館の本のことについては、お二人とも本当にそう思っていらっしゃるようです。」
ロイは傍らのテナを見、次いで恐る恐るといった様子でリウェルとフィオリナを見た。「本当なのか?」
〈本については本当。〉リウェルが答えた。〈前にも話したと思うけど。〉
〈二人で図書館にある本全てに目を通そうと話していたことも、いつだったか、話したと思うけど。〉フィオリナが続けた。
「そうか。」ロイは思案顔で腕を組んだ。
「どうかされたのですか?」テナはロイを見、片方の耳を倒した。
ロイは無言のままテナを見ると、ゆっくりと首を巡らし、リウェルを見た。「君らにお願いしたいことがあるのだが、」ロイはフィオリナを見た。
リウェルとフィオリナは揃ってロイを見つめ、先を促すかのように眉を動かした。
「君らの本当の姿を、今一度、この目で見たいのだが、」ロイは怖ず怖ずといった口調で訊ねた。「無理だろうか。」
〈本当の姿……。〉リウェルとフィオリナはあっけに取られた様子でロイを見た。
「ロイ様、それは、あまりにも……。」テナが窘めるかのようにロイを見た。「お二人に対してそんなことは……。」テナは呆れ顔でロイから顔を逸らし、リウェルとフィオリナを見た。
ロイは気まずそうにあらぬ方向を見つめた。
〈あまり強く言わないでね。〉フィオリナがテナを見、気遣うかのように言った。〈テナはどうなの? 私たちの姿、もう一度見たくはないの?〉
「見たくないと言えば見たくないのですが、」ロイは耳を後ろに倒した。「見たいと言えば見たいという思いもあります。」テナは片方の耳を前に向け、ふさふさの尻尾を幾度か引き攣ったよう左右に振った。
〈怖いのかしら?〉フィオリナは、悪戯を成功させた子どものような笑みを浮かべた。〈テナの考えていることは、耳と尻尾をみればすぐにわかるわね。〉
「それは、フィオリナさんと同じです。」テナが抗議した。「お顔を見ていれば、何かを考えているかくらいはすぐにわかります。」
〈あら、それなら、おあいこね。〉フィオリナは声を出さずに笑ってみせた。
〈本当の姿を見せてもいいけど、〉リウェルは周囲を見渡した。〈ここでは無理だから、場所を変える。〉
「よいのか?」ロイがリウェルに向き直った。
〈いいよ。〉リウェルは何でもないとばかりに答えた。〈もう一度、『お願い』すればよいだけのことだから。〉リウェルは口角を引き、牙を見せた。
「そうか。」ロイはリウェルの牙を見ながら身震いした。
〈場所を変えよう。〉リウェルはその場に立ち上がった。
フィオリナと、ロイとテナもその場に立ち上がり、服の乱れを調えた。
〈場所は……、セレーヌさんの小屋の前?〉フィオリナが確認した。
〈そう。他にはないでしょう? あの場所なら、誰も入れない。ロイとテナも二人だけだったら入れないけど、僕らと一緒ならば問題ない。〉
〈そうね。セレーヌさんも仰っていたものね。〉
「二人して何の話をしているのだ?」ロイが不思議そうに訊ねた。
〈一緒に来ればわかる。〉リウェルはロイを見、テナを見た。〈行こう。ついてきて。〉リウェルは東に向かって歩き出した。
ロイとテナはリウェルの後ろ姿を見つつ、顔を見合わせると、フィオリナを見た。
〈リウェルの後を追って。〉フィオリナは、リウェルに視線を向けた。
ロイとテナはフィオリナに言われるままに、リウェルを追って歩き出した。その後にフィオリナが続いた。
リウェルを先頭に、学院の敷地に造られた道を進んだ一行は、やがて学院の東に位置する木立の中へと足を進めた。
◇




