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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第四部:学院、森、空
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(一九)(七一)

 〈――ここ数日、我と共に空を舞っておるが、学院の講義とやらを聴きに行かずともよいのか?〉コルウスは翼をわずかに傾け、地上から立ち上る風を捉えながら頭を巡らせると、後を追うようにして飛ぶ二羽の若い鴉たちを見た。〈陽が空にある間は我と行動を共にしておるが。〉

 〈あと何日かは、学院はお休みですので。〉リウェルは心ここに在らずといった様子で眼下の草原を見ながら答えた。〈こうして、ご一緒しています。〉リウェルは顔を上げた。

 〈少なくとも十日の間はお休みになるそうです。〉フィオリナが片目で地上を見下ろしながら付け加えた。〈セレーヌさんのお話ですと、学院としても何かしら(まつりごと)に関わることになるそうで、しばらくは講義どころではないそうです。〉

 二羽の若い鴉たちは顔を見合わせると、次いで、前を進む老鴉を見た。

 〈であれば、〉コルウスは前を向いた。〈こうして鴉の姿で空を舞わずに、ヒトの姿で図書館に籠もっておったほうが、よほど意義有る時を過ごせるのではないのか? おまえたちは、図書館に収められた全ての本に目を通すつもりなのであろう? 学院が休みで講義のない今こそ、ふさわしい時ではないか。〉コルウスは頭を下に向け、目を凝らした。

 〈それは……、〉リウェルはコルウスから顔を背け、横を進むフィオリナを見た。

 〈コルウスさんの仰るとおりなのですが……、〉フィオリナもリウェルを見た。

 二羽は翼と尾羽とを傾け、地上から吹き上がる新たな風に乗った。両の翼を広げたままの二羽の体は、風に舞う枯葉のように浮き上がった。

 〈おまえたちらしくもない。〉コルウスは首を巡らせ、呆れた様子でリウェルとフィオリナを見た。〈森に棲む獣たちを(おのれ)の声のみを以て退けるほどの力を持つおまえたちが、いったいぜんたい、何を恐れておるのやら。〉コルウスはゆっくりと前を向いた。〈まったく、今思い出しても首の後ろの羽が逆立つほどであるぞ。我は空の高みで見ておったが、地上の近くで耳にしたとしたら、樹を探し出して枝葉の陰に身を隠したであろう。空の上ではそれも叶わん。地面に叩きつけられないようにと、風を捉えておったぞ。〉コルウスは嘴を開き、笑い声ともとれる声を発した。〈おまえたちの元の姿も初めてこの目で見たが、自身の目を疑ってしまったぞ。あの大きさは、町にある建物ほどもあるではないか。その体が、翼を開いただけで宙に浮いているなぞ、おまえたちに鴉としての飛び方を教えたときにおまえたちが見せたそのままとはいえ、驚かぬわけがない。〉コルウスは再び首を巡らせ、後ろを振り返った。〈(およ)そ敵無しのはずのおまえたちが何を恐れているのだ?〉

 リウェルとフィオリナはコルウスの視線から逃れようとするかのように、それぞれ別の方向に顔を向けた。二羽の体は左右に揺れ、そのたびに尾羽が忙しなく上下に動いた。二羽は顔を前に向け、翼を二度三度と羽ばたかせると、無言のままコルウスを見た。

 〈まあ、よい。〉コルウスは溜め息交じりに二三度目を瞬かせると、前を向いた。〈友誼を結んだ者たちに元の姿を見せたことが気掛かりなのではないか? 飛竜であることを告げずに、ヒトのような姿に変じ、ヒトのような暮らしをしている、そのことを知られるのではないかと。さもなければ、このまま町を去るべきではないか、などと考えているわけではあるまいな。あの者たちに何も告げずに、おまえたちが身を寄せている者だけには告げて町を去る、などと。『正体を知られたのであれば、そのものの前から姿を消さねばならぬ』という『しきたり』でもあるのであれば、町を去るのは致し方ないとしても、そのような『しきたり』がないのであれば、町に()ればよいであろう。たとえ正体を迫られたとしても、知らぬ振りをしておれば、それで済むであろうに。わざわざおまえたちから正体を明かすこともあるまい。その者たちが口の軽い、噂話好きの小鳥のような連中で、信用もできないというのであれば、なおのこと。まあ、そうは見えなんだが。〉コルウスはリウェルとフィオリナを見た。〈いずれにせよ、おまえたちの中では既に答えを導き出しているのではないのか?〉

 三羽の鴉たちはコルウスを先頭にして円を描くように進んだ。頭を傾け、大きく開いた翼に地上から立ち上る風を受け、尾羽を頻りに動かしながら、老鴉と若い鴉たちは緩やかに上昇を続けた。やがて、空を浮かぶ白い雲に迫る高さにまで上昇した三羽は、風を抜け、水平飛行へと転じた。三羽の眼下には絨毯を敷き詰めたかのような草原が広がり、その先のさらに濃い緑に覆われた森と、雲に溶ける地平線までが見て取れた。

 コルウスは草原の一点に嘴を向けた。〈さて、考えすぎるのも考えものである(ゆえ)、〉コルウスはくつくつと笑った。〈食事にするかの。腹に収めるものがなくては考え事も纏まらぬ。先のことを考えるのはおまえたちにとって大事であるかもしれぬが、目の前のことを考えるのもそれはそれで大事なのでな。行くぞ。〉コルウスは降下を開始した。

 リウェルとフィオリナは翼をわずかに曲げ、地上に向かうままに身を任せ、先を行く老鴉の後を追った。

 三羽の鴉たちは程なくして、地上に群がる別の鴉の一団を目にした。その鴉たちは、草を食む獣と思しき死骸に群がり、押し合い圧し合い、互いに(わめ)き散らしながら、我先にといった様子で嘴を突き立てていた。三羽は、鴉たちの一団から離れた草地に降り立ち、翼を畳み込み、羽の乱れを調(ととの)えると、首を伸ばして胸を張り、王侯貴族もかくやといった足取りで歩みを進めた。鴉たちの一団は三羽の姿を目にすると怯えた様子で道を空け、その道を三羽は当然とばかりに進み、さらに鴉たちは道を空け、獣からも飛び退き、結果として三羽は獣の肉を独占するに到った。三羽は、他の鴉たちが物欲しそうに眺めるのを横目に、白い骨にこびりついた肉を啄み、引き千切り、腹に収めた。やがて、腹を満たした三羽は獣を後にし、草原へと戻った。それを待ち兼ねていたかのように鴉たちの一団は再び獣に群がった。

 〈さて、戻るとするかの。〉コルウスは嘴を草に擦りつけた。コルウスの喉は普段の倍ほどの膨らみを見せていた。〈ところで、おまえたちは、食べ物を貯めておくといったことはせぬのか?〉コルウスは顔を上げた。

 〈しません。〉リウェルが嘴を草に擦り付けながら答えた。〈狩った獲物は、狩ったそのときに全て食べてしまいますので。後で食べるために取っておくことはしません。〉

 〈隠したほうが鴉らしいでしょうか?〉フィオリナが顔を上げた。フィオリナの嘴は闇色の輝きを放った。〈もし、そうでしたら、試そうと思いますが。〉

 〈無理に真似せずともかまわぬぞ。〉コルウスは二羽を見た。〈いくら我らを真似たとしても、隠すところを誰かに見られては元も子もないのでな。おまえたちは、誰かに見られたときに怪しまれないようにと、我らのように振る舞おうとしているのであろう? 見られて困ることまで真似する必要はあるまいて。〉

 リウェルとフィオリナは顔を見合わせた。

 〈コルウスさんの仰るとおり……、かな?〉リウェルは首を傾げた。

 〈そうかもしれないわ。〉フィオリナはリウェルと同じ側に首を傾げた。〈でも、食べ物を隠すこともあるというのは知っておいても損はないわ。〉

 〈それは、何故?〉リウェルは反対側に首を傾げながら、怪訝そうに訊ねた。

 〈だって、どうしても狩りに成功しないときには、誰かの食べ物を失敬できるかもしれないわよ。〉フィオリナは姿勢を戻し、当然とばかりに答えた。

 〈それはそうだけど……、〉リウェルは傾げていた首を元に戻した。〈それは最後の手段ということにしておこう。〉

 〈冗談よ。〉フィオリナは笑いながら顔を逸らした。

 〈フィオリナ嬢のほうがよほど鴉らしいの。〉コルウスは笑いながら言った。〈リウェル坊はまだまだのようであるの。〉

 リウェルはコルウスを見ると、ばつが悪そうに横を向いた。

 〈さて、では本当に戻るとしよう。〉コルウスは空を見上げ、飛び立った。

 リウェルとフィオリナはコルウスの姿を目で追うと両の翼を広げ、その場から飛び立った。

 風には乗らずに自身の翼を羽ばたかせて進む三羽の前に、壁に囲まれた町が姿を現したのは、午後も遅く、然りとて、夕刻までには間がある頃だった。三羽の進む空からは、壁に築かれた門を行き交う人々や荷物を満載した幾つもの馬車が見て取れた。それらはまるで地面に列を成して進む蟻の行列のようでもあった。地上を進む人々や荷馬車の列は途切れることなく続き、そのことは町が生きていることを窺わせた。

 〈では、今日のところはこれまでとするかの。〉コルウスは前を向いたまま、二羽の若い鴉たちに念話で語りかけた。〈よくよく考えることだ。〉

 〈はい。いずれ、また。〉〈今日はありがとうございました。〉リウェルとフィオリナは老鴉を見、念話で答えた。

 〈また会おう。〉コルウスはリウェルとフィオリナに目を向けると、すぐに翼を傾け、二羽から遠ざかった。

 リウェルとフィオリナは、遠ざかるコルウスの姿を暫し目で追い、やがて前を向いた。そのまま飛行を続けた二羽の鴉たちは、町の上空に達したところで羽ばたくのを止め、円を描くようして下降へと転じた。積み木のようにも見えた町の建物が次第に形を成し、一つひとつの石組みも、樹々の枝葉も一本一枚を見分けられるほどまでになり、町の喧騒さえも耳に届くかという頃、二羽はセレーヌの小屋が建つ空地の上空へと達した。二羽はさらに円を縮め、樹々の幹を横目に見遣りながら下降を続け、ついにはセレーヌの小屋の屋根の上にかすかな羽音と足音とともに降り立った。二羽は翼を畳み込み、羽の乱れを調えると互いに寄り添った。

 〈セレーヌさんは――〉リウェルは首を傾げ、耳を屋根に向けた。

 〈まだ、お戻りになっていないみたいよ。〉フィオリナは空地の中を見渡すと、かすかに首を傾げた。〈探索魔法からの反応もないわ。〉

 リウェルは顔を上げ、フィオリナを見た。フィオリナもリウェルを見、さらに寄り添うと嘴を触れ合わせた。二羽の鴉たちは一頻り嘴を触れ合わせた。

 〈お戻りになるまで待とう。〉〈ええ。〉二羽はぴたりと寄り添い、その場に蹲った。


    ◇


 「――今日もその姿のままなのね。」セレーヌは暖炉の横に置かれた椅子に腰を下ろし、火に掛けた鍋の中身を杓子でかき混ぜた。「あの日以来、外で食べているようだし。」セレーヌは、暖炉の前に置かれた椅子にとまるリウェルとフィオリナを見た。

 〈セレーヌさんの分が減ってしまいますので。〉リウェルはセレーヌを見ながら答えた。

 〈私たちであれば、探せば見つけられますから。〉フィオリナが続けた。〈それに、セレーヌさんが食べられないものであっても、私たちは食べられますので。〉

 「誰かと食事を共にするというのは、それだけで楽しいものなのよ。」セレーヌは力ない笑みを浮かべた。「それは、あなたたちも知ったでしょう?」

 リウェルとフィオリナは翼を動かすと幾度か嘴で羽を梳き、小屋の壁に目を向けた。闇色の体が炎の揺らめきの中で鈍い光を放った。

 「それに、あの日以来、ヒト族の姿で学院にも行っていないようね。」セレーヌは暖炉に向き直り、鍋の中を見た。「あなたたちに会いたいと思っている者たちがいるのではなくて? それが誰なのか私にはわからないけど、学院が休みとは言っても、学院の中に居ないわけではないのでしょう? それとも、用事があってどこかに出掛けているのかしら?」

 リウェルとフィオリナは、鍋の中身を見つめるセレーヌを見た。二羽は体を起こし、胸を張り、首を伸ばし、金色の瞳を『森の民』の女性に向けた。

 「あなたたちが森の獣たちを追い払ったことは、感謝してもしきれないくらいよ。」セレーヌは鍋の中に目を落としながらかき混ぜた。「それに、西の森を切り開いていた連中がどうなったかを見届けたことについても。(まつりごと)(つかさど)る者たちには、あなたたちの話を聞いてすぐに、それとなく伝えておいたから、いずれ何らかの調査がなされるはずよ。森の中を進んで、あなたたちが目にしたことを確かめるくらいのことはするはず。町の者たちには『何故、そこまで知ることができたのか』と、いろいろ訊かれたけど、こちらはこちらでごまかしておいたから、そこは心配しなくてもいいわ。」セレーヌは振り返ると、二羽の鴉たちを見た。「あれほどの力を見せ付けながら、結果として町を守ったあなたたちが、こうして鴉の姿でここに居るのは、どうしてなのかしらね。」

 リウェルとフィオリナは顔を背けることもなく、目を逸らすこともなく、セレーヌと向かい合った。薪の爆ぜる音が小屋の中に響き渡り、揺らめく炎は二羽の影を小屋の中に映し出した。二羽の鴉たちは彫像のような姿のまま、時折瞬きしつつもセレーヌを見つめた。

 「その様子なら大丈夫そうね。」セレーヌは笑みを浮かべながら、二羽の鴉たちを見た。

 〈何も言っておりませんが……?〉リウェルが首を傾げた。

 〈何かおわかりになったのですか?〉フィオリナがリウェルとは反対側に首を傾げた。

 「長年、学生たちの顔を見ていれば、わかるようにもなるわ。」セレーヌはおかしくてたまらないとばかりに二羽を見た。「あなたたちのその姿だと、顔の表情まではわからないけど、ちょっとした仕草を見ていれば、なんとなくわかるものよ。考えていることの全てがわかるわけではないけど、心配しているのか、気まずいのか、何かを決めたのか、それくらいは見分けがつくようになるわ。あなたたちは気づいていないようだけど。」

 リウェルとフィオリナは顔を見合わせた。姿見の内と外とも見紛うばかりに幾度か首を傾げた二羽は、やがてセレーヌに向き直った。

 〈明日、ヒト族の姿で学院に行きます。〉リウェルが言った。

 〈まだ町を去るわけにはいきませんので。〉フィオリナが言った。

 「ええ、わかったわ。」セレーヌは満足そうにゆっくりと首を縦に振った。「どのような結果になろうとも、最後まで見届けなさい。」

 〈はい。〉リウェルとフィオリナは胸を張り、首を伸ばした。


    ◇


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