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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第四部:学院、森、空
68/74

(一六)(六八)

 「君らは今日も図書館に赴くつもりなのか?」ロイがリウェルとフィオリナの顔色を窺うかのように顔を幾分俯け、上目遣いに見た。噛み切るのにも苦労していた麺麭に、ロイは何でもないとばかりに歯を立てて食いちぎり、噛み砕いて腹に収めていたが、半ばまで食べ進んだところでロイはリウェルとフィオリナに訊ねた。

 「これといった予定はないから、そのつもりだけど、どうして?」リウェルは麺麭を口元に持っていったまま、ロイに訊ね返した。

 「それはだな――」ロイはリウェルから顔を逸らし、傍らに腰を下ろした従者の少女を見た。

 テナはロイの顔を見ると、咀嚼していた麺麭を飲み込み、姿勢を正した。「ロイ様が言い出されたことなのですから、ロイ様からお伝えしませんと。」テナは励ますかのようにロイを見、左右の耳を幾度か上下させた。

 「何かあるのかしら?」フィオリナがロイとテナとを見比べた。

 ロイは、テナの視線からもリウェルとフィオリナの視線からも逃れるかのように顔を逸らすと、学院の建物や敷地内を歩く人影へと次々に視線を走らせた。学院の敷地では、四人と同じように木陰の草地に腰を下ろし、食事をしている学生たちの姿があちらこちらに見られた。一人だけで、あるいは数人で集まって、それそれが昼の一時(ひととき)を過ごしており、時折かすかな笑い声が上がるのも聞かれた。従者であるテナと、リウェルとフィオリナとから見つめられ、ロイは諦めた様子で前を向き、三人の視線を受け止めた。

 「町の通りを歩いてみたいのだ、」ロイはリウェルとフィオリナを見た。「二人が学院に入学する前に歩いたという道を。私が町を歩く際にはテナと共に行くのだが、歩くのは表通りばかりなのだ。裏通りに進むのは、この優秀な従者が許そうとしないのでな。」ロイはテナを見、再びリウェルとフィオリナを見た。「私の身を思えばこそのことなのではあるが。」

 「従者として当然のことでございます。」テナは胸を張り、澄ました表情を浮かべ、左右の耳を一振りし、腰から伸びたふさふさの尻尾を左右に二度三度と振った。「(あるじ)であるロイ様を、わざわざ害を及ぼすかもしれないところへ行かせるわけにはまいりません。今のところ、力は私のほうがありますが、ロイ様をお守りするのはそれなりにたいへんなことですので避けたいところです。まずは学問を修めることを第一に考えていただきませんと。」

 「そうは言うが、店の品を前にして目を輝かせていたではないか。」ロイが仕返しとばかりに指摘した。「私が声を掛けなければ、店の前で岩のように動かなかったではないか。店を離れたかと思えば、すぐに別の店の前に座り込んで、同じことを繰り返しおって。まったく、売り物をあれほど眺めるだけで、何がそれほど楽しいのか。」

 「仰ることに対しては言い訳のしようもありませんが、ロイ様は堅物で朴念仁の分からず屋ですから、おわかりになりません、きっと。」テナはつんと澄まして言い放った。「将来の妻たる私に贈り物の一つもしてくださらないのですから。今までにくださったのは、私の生まれた日を祝うときだけではないですか。」

 「そなたが喜ぶものなど、今の私に買えるわけがなかろうが。」ロイは棘のある声音で答えた。「そなたが喜ぶのは高価なものばかりではないか。故郷から離れたこの町で、そこまで出せるはずもない。」

 「高いものだから喜ぶわけではありません。」テナは頬を膨らませた。「ロイ様がくださるのであれば、ロイ様が私のためにお選びになったものであれば、高かろうが安かろうが変わりはないのです。ロイ様が私のためにお考えになって、お悩みになって、その結果、お選びになったものであれば。」テナはロイに目を合わせた。

 ロイはテナの視線を受け止めつつも、(あと)退(ずさ)りするかのように体を引いた。

 リウェルとフィオリナは、無言のまま向き合うロイとテナを前に、顔を見合わせた。

 〈二人の様子からして、〉リウェルは念話で語りかけた。〈仲が良い、ということかな?〉

 〈そうね。〉フィオリナも念話で答えた。〈でも、リウェルが私のために木の実を探し出して、私の口に入れるような、そういうことはしていないようね。〉

 〈鴉の姿のときのこと? 確かに、ロイとテナはヒト族と獣人族だから、僕らがするようなことはしないと思う。親が子に食べ物を与えることはあるはずだけど。〉

 〈(つがい)であることを続けるには贈り物が必要なのかしら。〉

 〈そうかもしれない。それを言ったら、僕らの種族でもあまり変わらないと思う。ものを買うわけではないけど、狩りの獲物を分けるのも或る意味贈り物と言えなくもない。〉

 〈そうね。そうかもしれないわね。……そろそろ、二人に声を掛ける? 私たちが居ることも忘れているように見えるわ。〉

 〈そうしよう。放っておいたら、いつまでも睨み合いを続けそうだ。〉

 リウェルとフィオリナは、睨み合いを続けるロイとテナに向き直った。

 「ロイとテナの仲が良いのはわかったから、」リウェルが言った。「そろそろ、話を先に進めてもいいかな。町を歩くのはかまわないよ。さっきも言ったとおり、特に予定はないから。」

 ロイとテナは弾かれたかのように、リウェルに顔を向けた。

 「私たちには、ヒト族や獣人族のように贈り物をする習わしはないけど、」フィオリナが言った。「二人で選んだ同じものを食べるのはどうかしら? お互いのために作ったり買ったりしたものなら、それはそれで、贈り物と言えなくもないと思うけど。」フィオリナは、(あるじ)である少年と従者である少女とを交互に見た。

 ロイとテナはわずかに顔を俯け、視線だけを互いに向けた。上目遣いに見つめ合う二人は、顔色を窺っているようにも恥ずかしがっているようにも見えた。ロイはなおもテナを見つめつつも顔を上げ、背筋を伸ばして姿勢を正した。テナはロイの顔を見つめながら、片方の耳を伏せては立てるのを繰り返し、もう片方の耳を前後に動かすのを繰り返し、耳の動きに合わせるかのようにふさふさの尻尾を左右に振った。(あるじ)の少年と従者の少女のとの無言の見つめ合いは暫し続いたが、先に目を逸らしたのはロイだった。ロイはテナの視線から逃れるかのように、碧い空に浮かぶ白い雲を見上げた。

 「フィオリナの案であれば、かまわぬぞ。」ロイはぶっきらぼうともとれる口調で言った。腕を体の前で組んだまま空を見上げる姿は降参の意を示しているかに見えた。

 「約束ですよ。」テナは顔を上げ、ロイを見つめた。耳をぴんと立てて前に向け、腰から伸びる尻尾を大きく左右に振った。「もちろん、高価なものではないのは当然ですが、その点は弁えておりますので。」テナは尻尾を振るのを止め、背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いた。

 「わかっておる。」ロイは恐る恐るといった様子で顔をテナに向けた。「贅沢をできる身ではないのだからな、テナも私も。その中で、そなたを喜ばせられるものを選べるのか、少々不安ではあるが、そこは気に留めておくように。」

 「承知いたしました。」テナは目を輝かせ、笑顔で答えた。

 「二人の意見が一致を見たところで、」リウェルはロイとテナを見ながら言った。「食べ終えたら町に行く、ということでいいかな? 食べかけのまま歩き回るのは、ヒト族や獣人族の礼儀に反することだと思うから。」

 「そうだ。リウェルの言うとおりだ。」ロイがまじめな口調で答えた。

 四人は中断していた食事を再開した。

 食事を終えた四人は、町へと足を向けた。学院の敷地内に張り巡らされた、白い小石の敷き詰められた道を進み、学院と町とを隔てる木立の中を木漏れ日に照らされながら通り抜け、四人はやがて町の建物が軒を連ねる一角に至った。リウェルとフィオリナが前を進み、ロイとテナがその後ろにつき、四人は隊列を組んだ兵士のごとく、曲がりくねった路地を進んだ。建物の陰からは住人たちが交わす声が流れ、時に声は四人の頭上――上階の住人たちが窓越しに世間話に興じていた――を行き交った。リウェルとフィオリナは背筋を伸ばし、堂々としているとも見える様子で歩き、後に続くロイとテナは、前を行く二人に気圧されたかのように背を丸め、左右を頻りに見回した。

 「リウェル、どこに向かっているのだ?」ロイが、前を行くリウェルの背に向かって訊ねた。

 一行は路地を進む中で幾つかの角を曲がり、道幅の広い通りの一つに達していた。既に行き交う人やものの数も増え、町の喧騒が四人の耳に届いた。

 「広場の一つに向かっている。」リウェルは肩越しに後ろを振り返り、ロイに答えた。「僕らがよく行く広場の一つ。いや、『行っていた』と言うべきか。最近はあまり――学院に入ってからはあまり――足を運んでいなかったから。」リウェルは前を見た。

 「その広場には何か見るべきものがあるのか?」ロイは怪訝そうな表情を浮かべながら、リウェルの背に向かって問い掛けた。

 「どうだろう……。」リウェルは前を向いたまま、わずかに首を傾げた。「僕らにとっては――フィオリナと僕にとってはということだけど――、町の住人たちが広場を行き交う姿を見ているだけでも興味深いけど、ヒト族であるロイや獣人族であるテナにとってはどうかな。二人にとっては、何の変哲もない見慣れた光景かもしれない。」

 ロイとテナは顔を見合わせるも、すぐに前を向いた。

 「私たちにとっては、見慣れた光景ではあるな。」ロイが答えた。「この町は、私たちの故郷の町とはずいぶんと趣も異なるが、町であることには変わらん。その点からすれば、変わりはないとも言える。ヒト族も居て、獣人族も居て、銘々が暮らしを営む姿は、故郷の町とそれほど変わらん。」ロイは傍らのテナを見た。「テナはどう思う?」

 「私もロイ様と同じ考えです。」テナは片耳を幾度か振りながら答えた。「建物も町並みも、そこに住むひとたちが纏っている服も食べる物も、故郷の町とは異なりますが、町であることには変わりありません。」テナは背筋を伸ばし、前を見た。

 「私たちが棲んでいたところには、こんなに大きな町はなかったから、」フィオリナが肩越しに後ろを見た。「一つ所でこれだけの住人が居るということだけでも驚きだったわ。私たちが通っていた学び舎があるのは、あれは村だったわよね。」フィオリナはリウェルを見た。

 「村だったね。」リウェルは首を縦に振った。「この町に比べれば、何分の一――何十分の一――だろうかというくらい小さな村だった。その分、学べることも少なかったからね。この町に来たのも、大きな町のほうがいろいろ学べるかもしれないと思ったからでもあるしね。」

 「そうか。」ロイは独り言のように呟いた。「そうであれば、私たちが見慣れたものであっても、君らにとっては違って見えるかもしれぬな。私たちにとっては難しいかもしれぬが。」ロイは傍らを進むテナをちらりと見た。

 「そうですね。」テナもロイに目を向けるもすぐに前を見た。「町の中に居るのでしたら、難しいかもしれませんね。」テナは耳を伏せるも再び立てた。

 四人はさらに幾つかの角を曲がり、より幅の広い道へと進み、ついには広場の入口に至った。四人は広場の入口で立ち止まり、中を見渡した。(ひる)を既に過ぎた広場には人混みもなく、長椅子に腰を下ろして会話に興じる者たちの姿や、売れるものを売り尽くした屋台の主たちが後片付けをしている姿や、広場の中をこれといった目的もなさそうに歩く者たちの姿などが見られた。鳩たちは、広場を行き交う住人たちを避けるようにして歩き回り、数歩進んでは嘴で何かを啄み、また数歩進んでは啄むといったことを繰り返しており、鴉たちは、既に商いを終えた屋台の傍に集まり、屋台の主が食べ物の残りを投げ捨てるのを待ち構えるかのように、闇色の頭を同じ方向に向けた。子どもたちは、広場の中を縦横無尽に駆け回りながら、時に鳩たちを追いかけ、時に鴉たちに近づき、そのたびに鳥たちが広場を取り囲む建物へと飛び去る姿を見上げる羽目になっていた。

 「見慣れた広場の光景だな。」ロイが独り言を言うかのように呟いた。

 「そうだね。」リウェルが答えた。「僕らがいつも目にしていた広場の光景だね。今も変わっていないように見える。」

 「私には、君らがこの光景のどこを気に入ったのかはっきりとはわからぬが、」ロイはリウェルを見た。「今、目の前にある、この光景が、このまま続いてほしいという思いはある。」

 「それは、どういうこと?」リウェルは意外だとばかりにロイを見た。

 「町の子らが笑いながら駆け回る姿を見られるということは、」ロイは広場へと視線を向けた。「少なくとも、争い事の心配はなさそうだということだ。おとなたちも皆、走るでもなく、広場を行き交っている。鎧を身につけた者の姿も、ほとんど見られない。今のところは、何も差し迫ったものはないということだ。」ロイはテナを見ると、再び広場へと顔を向けた。

 テナはロイに寄り添い、腕を取ると、(あるじ)の見つめる先に目を遣った。

 「ヒト族や獣人族は縄張り争いばかりしているようね。」フィオリナがロイとテナを見ながら言った。「図書館で読んだ歴史の本には、争い事の話ばかり。もちろん、書かれていたのはそればかりではないけど。争い事を繰り返して、そのたびに大勢が命を落として。」

 「住める地と住みやすい地とは限られていますので。」テナが振り返った。「争いに負ければ、負けた側は住む土地を追われるか、殺されるか……、どちらにしても生きていけませんから。」テナは両の耳を振り、フィオリナを見つめた。「リウェルさんとフィオリナさんの種族では、住む土地を巡る争い事はないのですか、それこそ『縄張り争い』は?」

 「あると言えば、ある。」リウェルが答えた。

 「ないと言えば、ないわ。」フィオリナが続けた。

 「それでは、なぞなぞのような答えだな。」ロイが振り返った。「どういうことだ?」

 「僕らも、生きていくためには――いや、子育てするためには――、縄張りを構える必要がある。当然、縄張りに相応しい地は――他の種族が近寄れないような地は――限られている。子育てしようとする(つがい)が二つ以上いれば、少しでもよい場所を縄張りにしようとして争いになる。でも、殺し合いまではしない。」

 「それは、何故なのですか?」テナが耳を倒しながら訊ねた。

 「戦う前に互いの力がわかってしまうからよ。」フィオリナが答えた。

 ロイとテナはフィオリナを見た。

 「私たちの種族は、実際に戦わなくても、相手の力のことがだいたいわかってしまうの。」フィオリナは言った。「だから、戦う前にどちらが勝つか負けるかわかってしまうから、戦いそのものはならないことが多いわ。本当の戦いになるのは、互いにほとんど変わらない力を持っているときよ。」

 「そのようなときは、どのように戦うのですか?」テナが耳を伏せたまま訊ねた。

 「殴り合いにはならないから安心して。」フィオリナは笑みを浮かべた。「どのようにするかというと、相手を睨み付けるの。」フィオリナはテナの顔を見た。「いつでも飛び掛かれるぞとばかりに、相手の目を見るの。」フィオリナは金色の瞳を、テナの茶色の瞳に向けた。

 「勝負の付け方は、」テナは、引き攣ったように耳を振りながら言った。「予想はつきましたけど、どうするのですか?」

 「簡単よ。」フィオリナは口角を引き、鋭い歯を見せた。

 テナはフィオリナから目を逸らし、ロイのほうを向いた。

 「目を逸らしたほうが負け。逸らさなかったほうが勝ち。」フィオリナは得意気に言った。

 「今の勝負は――勝負と言えるのかはわからぬが――、フィオリナの勝ち、テナの負け、ということか。」ロイは感心したかのように頷いた。「ただ……、こう言っては何だが、町で目にする犬や猫の喧嘩と変わらぬようにも思えるが。」

 「ロイ様、お二人に向かってそれはないと思いますが。」テナが憤慨した様子でロイを見た。「お二人に失礼かと。」テナは鼻息も荒く、(あるじ)に向かって抗議の声を上げた。

 「いや、ロイの言うとおりかもしれない。」リウェルは肩を竦めた。「町に住むヒト族や獣人族からすれば、僕らの種族は野に棲む獣と変わりないだろうから。」

 「そうね。そうなるわ。」フィオリナがゆっくりと首を縦に振った。「町に居るからにはそれらしく振る舞っているつもりだけど、町の外だったらそうでもないわよ。もちろん、誰かが一緒であれば私たちがその誰かを、野に棲む獣から守ることにはなりそうだけどね。」

 「君らの住む世界も実に興味深いのだが、」ロイが思案顔で言った。「私には見ることも叶わぬのかもしれぬな。ヒト族の身では、町の外に暮らす君らにはいろいろと敵わぬことがありそうだ。」ロイはテナを見た。「私の従者に心配を掛けるわけにもいかないのでな。」

 「ロイ様、くれぐれも、お一人で町の外に出られることのないようお願いいたします。」テナは両の耳を立て、ロイに向けた。「ロイ様の身をお守りするのが私の務めですので。ロイ様の身に何かありましたら……。」テナは片耳を逸らした。

 「わかっておる。」ロイはテナの手を取った。「我が妻を独り置き去りにするようなことはせぬ。……『将来の』妻、ではあるが。」

 「はい。」テナは空いている手をロイの手に重ねた。

 「正式な(つがい)になるときは知らせてね。」「お祝いに行くわ。」リウェルとフィオリナは、ヒト族の少年と獣人族の少女とを交互に見た。

 ロイとテナは弾かれたかのように手を離し、互いにあらぬ方向を見た。暫し後、ロイがわざとらしく咳払いしながら、リウェルとフィオリナに向き直った。テナは顔を俯けながらも耳を立て、腰から伸びる尻尾を大きく左右に振った。

 「ところで、」ロイは広場を見た。「先ほどから、広場の中を走り回っていた町の子らが、私たちのほうに近づいてきているようなのだが……。」

 リウェルとフィオリナ、テナは、ロイの視線の先を見遣った。四人が目にしたのは、数歩離れた先で押し合い()し合いしながら笑みを浮かべた子どもたちの姿だった。ヒト族も獣人族も年齢も性別もそれぞれの子どもたちは、広場の入口に立つ四人を見ながら、互いにじゃれ合うようにして塊になり、誰が声をかけるのかを譲り合っているかにも見えた。子どもたちの中には、リウェルとフィオリナが見知った顔も見られた。

 ロイとテナはリウェルとフィオリナを振り返った。ヒト族の少年の緑色の瞳と獣人族の少女の茶色の瞳とが、白銀色の髪の少年少女の金色の瞳と交差した。

 「あの子たちの目当ては、私ではないであろうな。」ロイはテナを見、再びリウェルとフィオリナを見た。「顔を合わせたこともない町の子らに笑いかけられる心当たりは、私にはないのでな。テナであれば、まだしも……。」ロイはテナを見た。

 テナは無言のままロイを見ると、両の耳を二度三度と振り、ゆっくりと首を横に振った。

 ロイとテナはリウェルとフィオリナに向き直った。

 「あの子らを放っておいてもよいのだが、気が引けるのも正直なところだ。」ロイが言った。

 リウェルはフィオリナを見た。〈フィオリナ、どうしたらいいかな。このままロイとテナと町歩きをするか、それとも、あの子たちの相手をするか。〉リウェルは念話で訊ねた。

 〈あの子たちの相手にしたほうが……、〉フィオリナは顔を上げ、数歩の距離に迫る子どもたちを見た。〈よさそうね。私たちが町歩きに出たら、後を追ってくるかもしれないわ。〉フィオリナはリウェルを見た。〈でも、何故、念話を使うの?〉

 〈特に深い意味はない。〉リウェルはわずかに顎を引いて見せた。〈ともかく、あの子たちの相手をしよう。ロイとテナには悪いけど。〉

 〈少し間が空くかもしれないけど、しかたないわね。〉フィオリナも頷いた。

 リウェルとフィオリナはロイとテナを見た。

 「町歩きは、次の機会にということでいいかな?」リウェルはわずかに首を傾げた。白銀色の髪がさらさらと揺れた。

 「ああ、かまわん。」ロイは気安い様子で答えた。「町歩きはいつでもてきるであろうし、それに、」ロイは後ろを振り返り、すぐに前を向いた。「町の子らを相手にするのも興味深い。」

 「テナも、それでいいの?」フィオリナが訊ねた。

 「はい、かまいません。」テナは耳を一振りした。「私はロイ様の従者ですので、ロイ様のご意向に従います。それに、」テナは何かを期待するかのような上目遣いでロイを見た。「ロイ様とご一緒に遊ぶのは久しぶりですので。」テナは尻尾を左右に一振りした。

 「主役は私たちではないのだぞ。」ロイは呆れた様子でテナを見た。「主役は、あの子らと、リウェルとフィオリナだ。テナと私はあくまで脇役であろうが。」

 「たとえそうだとしても、です。」テナは耳をぴんと立て、尻尾を大きく左右に振った。

 「二人とも、いいかな?」リウェルは、遣り取りに割り込むかのようにロイとテナを見た。

 (あるじ)とその従者はリウェルを見、首を縦に振った。

 「フィオリナも、いい?」リウェルは傍らの少女を見た。

 フィオリナもリウェルを見、首を縦に振った。

 四人は広場へと顔を向け、リウェルがはじめの一歩を踏み出した。

 「お待たせ。今日は何をして遊ぼうか。」リウェルは笑みを浮かべると、なおも塊になってじゃれ合う子どもたちに語りかけた。

 子どもたちはリウェルの笑顔を目にすると弾けるような歓声を上げ、四人に走り寄った。


    ◇


 リウェルとフィオリナ、ロイとテナの四人は、町の子どもたちに交じって遊びに興じた。何の遊びをするかを子どもたちと相談した結果、人数が多くとも皆で遊べるとして候補に挙がったのが追いかけっこだった。追いかけ役の一人を(くじ)で決め、逃げ回る場所の範囲を決め――広場の中の誰からも見えるところだけということになった――、いつまで続けるかを決め――ひととおり追いかけ役を全員が担当するまでとなった――、追いかけっこは開始された。最初の追いかけ役はリウェルだった。子どもたちと追いかけっこで遊ぶ際には半ば当然となっていたそのままに、リウェルは(おど)けた仕草で子どもたちに声を掛け、その声を受けて子どもたちは歓声を上げて広場のあちらこちらに散っていった。ロイとテナ、フィオリナも子どもたちに交じり、リウェルから距離を取った。三人は、広場を行き交う住人たちの間を縫うようにして右に進み左に折れ、時に散らばり、時に子どもたちの幾人かと合流し、ということを繰り返した。広場の中を逃げ回る子どもたちと、ロイとテナ、フィオリナの三人を追いかけていたリウェルは、最も近くを小走りに進んでいた子どもたちの一団に狙いを定めると、脇目も振らず、足取りも軽く、その場から動き出し、距離を詰めた。子どもたちが驚きの表情を浮かべるも、笑いながら逃げようとしたそのとき、リウェルは子どもたちの一人の肩に触れた。それが追いかけ役交代の合図だった。リウェルは追いかけられる側となり、周囲に目を配りつつも子どもたちの一団から距離を取った。追いかけられる側の子どもたちも新たな追いかけ役から逃れ、遊びは続けられた。

 途中何度かの休憩を挟み、子どもたちと、リウェルとフィオリナ、ロイとテナの全員に追いかけ役が回った頃には、広場の中に建物の長い影が落ちるまでになっていた。広場の景色がくすみ始めた頃、子どもたちは親に呼ばれて、あるいは、呼ばれる前に自ら、それぞれの家路に就いた。名残惜しそうに振り返りながら広場の外に向かう子どもたちを、リウェルとフィオリナ、ロイとテナは広場の中から見送った。子どもたちの中の最後の一人が広場から続く道の向こうに姿を消すと、四人は誰からともなく互いの顔を見た。ロイの髪は走り回って風を受けたためかあちらこちら乱れ、それは身に着けている服も同様だった。襟を開け、袖をまくり上げた姿は、追いかけっこに夢中になっていたことを窺わせた。テナと、リウェルとフィオリナはロイ以上に走り回ったにもかかわらず、髪も服も普段と変わらないようにも見えた。

 「私たちも帰るとするか。」ロイが三人の顔を見ながら言った。

 「そうしよう。」リウェルが答えた。

 テナとフィオリナも首を縦に振った。

 テナが耳を幾度も振りながら、西の空を見上げた。建物の間から見える空には雲が漂い、陽の光を受けて紅く輝きを放った。

 「どうした、テナ?」ロイが怪訝そうに訊ねた。

 「いえ。」テナは両の耳を振り、頭を下ろすとロイを見た。「少々、気になることがありましたので。」テナは広場から続く道の一つを見遣った。「あの子たちの一人が言っていたのですが、西の森に入った家族の一人がなかなか帰ってこない、と。」テナはロイに向き直った。

 「どういうことだ?」ロイは怪訝そうに訊ねた。

 「その子の話では、」テナは主の少年に答えた。「その(かた)は、昨日の朝に森に向かったそうです。普段でしたら、朝に出掛けて日の入り前には戻るはずなのに、今朝になっても帰らない、と。森に入ったのは、その子のお兄様だそうで、もうおとなと変わらないくらいの体つきなのだそうです。力もお父様と同じか、さらに上だそうで、その子はそのお兄様のことを慕っているそうです。ご両親は心配ないと笑っていたそうですが、目だけは笑っていなかったとのことで、早く遊びに行けと半ば家から追い出されて、ここに来たとのこと。今から家に帰るのは気が重い、とも言っていました。」テナは両の耳を伏せ、顔を俯けた。

 「無事に帰るとよいが……、」ロイはテナを見、心配そうに寄り添った。

 テナは顔を上げると、ロイの腕に自身の腕を絡めた。

 リウェルとフィオリナは、消沈した様子のテナと不器用ながらも慰めようとするかのロイを前に、顔を見合わせた。二人が目にしたのは、眉間の皺とその下の細められた瞳だった。

 〈テナの話が本当だとすると、〉リウェルは念話でフィオリナに話しかけた。〈町の子の話が本当だとすると、あの連中がすぐ近くまで来ているということは考えられないかな。〉

 〈西にずっと進んだ、森の中に村を造っていた、あの連中のこと?〉フィオリナも念話でリウェルに訊ねた。フィオリナの眉間の皺はさらに深くなった。

 〈そう。〉リウェルはかすかに頷いた。〈あの連中が東に向かったとしたら……。〉

 〈私たちが様子を見に行ってから何日も経っていないわ。〉フィオリナは首を横に振った。〈私たちであれば、空を進めば一日もかからないけど、ヒト族の足で森の中を進むとなると、この近くまで来るのにどれだけかかるかしら。薄暗い森の中を真っ直ぐに進むのだってたいへんなのに。〉フィオリナは両手で自身の体を抱き、身震いした。〈それに、もし仮に、あの連中が近くまで来たとして、町の住人をどうするの? 捕えて帰さない……。〉フィオリナはリウェルを見た。

 〈あまり考えたくないことだけど、〉リウェルはリウェルは顔をわずかに俯け、上目遣いにフィオリナを見た。〈よからぬことを……、考えていたとしてもおかしくはない。〉

 〈『よからぬこと』って?〉フィオリナは恐る恐るといった様子で訊ねた。

 〈さあ、ね。〉リウェルは目を逸らした。

 〈『さあ、ね』って――〉フィオリナはリウェルの視線を追った。

 リウェルとフィオリナが目にしたのは、棒立ちの少年と、少年の腕を掴みながら寄り添う少女の姿だった。ロイとテナは呆れたかのような、あるいは、心配するかのような表情を浮かべ、白銀色の髪の少年少女を見つめていた。リウェルとフィオリナは無言のまま、ロイとテナと目を合わせること暫し、ぎこちない所作で目を逸らした。

 「何と言うか……、」ロイは気を取り直すかのように咳払いした。「君らは無言のまま会話しているかのように見えるときがある。」ロイはリウェルとフィオリナとを見比べた。「まあ、種族が異なる(ゆえ)、もし本当にそうだとしても、()もありなんといったところではあるが。」ロイは傍らに寄り添うテナを見た。

 テナはロイを見、ゆっくりと首を縦に振った。

 ロイとテナは揃ってリウェルとフィオリナに顔を向けた。

 「そろそろ帰ろう。」リウェルは広場の中を見渡した。

 建物の影がすっかり落ちた広場は夕闇に包まれ、行き交う住人たちの姿も減り、昼間の賑やかさはすっかり影を潜めていた。鳩や鴉をはじめとした鳥たちも広場を飛び立ち、それぞれの(ねぐら)に向かう姿も見られた。

 「わかった。」ロイは傍らのテナを見た。

 テナはロイの腕から手を離し、半歩下がった。

 「では、帰るとするか。」

 ロイの言葉を合図にしたかのように、四人は広場を後にした。


    ◇


 暖炉に()べられた薪は紅い炎に包まれ、時折火の粉を巻き上げながら小屋の中を照らし出した。うずたかく積まれた本の山や聳え立つ本の塔、両側の壁に設えられた棚とそこに置かれた書籍や何かの容れ物などの雑多なもの、椅子に腰掛けた三人が、暖炉の炎に照らされ、揺らめいた。セレーヌは暖炉のすぐ横、火に掛けた鍋にすぐ手の届くところに置いた椅子に、リウェルとフィオリナは暖炉の正面に並べて置いた椅子に、それぞれ腰を下ろし、皿に盛った粥を匙で口に運んでいた。

 「森に入った者が帰らないのは珍しいことではないわ。」セレーヌは手を止め、リウェルとフィオリナを見た。「森の中には、ヒト族や獣人族には手に負えない獣も棲んでいるわ、もちろん、森の民でも、ね。双方が出会わないように気を遣っているはずでしょうけど、何かの拍子に――あまり考えたくないことではあるけど――双方が顔を合わせてしまうこともあるはずよ。もし、そうなったら……、どうなるかしらね。互いが互いのことを恐ろしいと思って、正気を失ってしまったとしたら?」セレーヌは目を閉じ、首を横に幾度か振った。

 「そうかもしれません。」リウェルは皿を膝の上に置き、セレーヌを見た。「仰るとおりかもしれません。」リウェルは暖炉へと目を向けた。揺らめく炎がリウェルの髪を夕刻の空の色に染めた。

 セレーヌは目を開き、暖炉を見つめる少年を見た。「何か気になることでもあるのかしら?」セレーヌは少年と傍らの少女を見た。

 「考えすぎでしたらよいのですが、」フィオリナも手を止め、皿を膝の上に置き、セレーヌを見た。「西の森を切り開いている連中と何かしら関係があるのかもしれない、と。この町からはずいぶん離れていますので、ヒト族や獣人族の足では容易に帰れないと思いますが、それでも森の中を進もうと思えば進めるはずです。もし、西の森を切り開いている連中が縄張りを広げようとして、この町を目指しているとしたら……と。」フィオリナはリウェルを見た。

 リウェルもフィオリナを見た。

 彫像のように向かい合った二人の顔には暖炉の炎の揺らめきが映り、金色の瞳が時折輝きを放った。薪の爆ぜる音が響く中、暫し見つめ合った二人はどちらからともなく暖炉に向き直り、その横に座るセレーヌを見た。

 「考えすぎでしたらよいのですが……。」リウェルはかすかに首を傾げた。白銀竜の髪が揺らめく炎の色を纏った。

 セレーヌは、暖炉の前に置かれた椅子に腰を下ろした少年少女をゆっくり見遣ると、火に掛けられた鍋へと目を向けた。「考えすぎだったらいいのだけどね。」セレーヌは独り言のように言った。「あなたたちと似たようなことを考える者も町には居るわ。(まつりごと)(つかさど)る者たちの中にもね。その者たちが手を打ち始めているわ。いずれ、あなたたちも知ることになるはずよ。町の暮らしも少し息苦しくなるかもしれないわね。」セレーヌは少年少女に向き直った。「あなたたちはあなたたちの暮らしを続けなさい。何かしら守りたいものがあるのでしょう?」セレーヌはリウェルとフィオリナに弱々しい笑みを向けた。「それが何なのか私にはわからないけど、あなたたちにとって大切なものなら、何としても守りなさい。それがどのような結果に繋がろうとも、その結果を受け入れる覚悟で、ね。」

 リウェルとフィオリナはゆっくりと顔を見合わせた。姿見の内と外とのような二人の顔には何の表情も浮かんでいないかに見えた。暖炉に()べられた薪が火の粉を巻き上げながら紅い炎を揺らめかせ、二人の顔を照らし出した。二人は意を決したかのようにセレーヌに向き直った。

 「『どのような結果に繋がろうとも』、ですね。」リウェルが念を押すかのように言った。

 「『その結果を受け入れる覚悟で』、ですね。」フィオリナもセレーヌの言葉を繰り返した。

 「ええ。」セレーヌは柔和な笑みを浮かべ、リウェルとフィオリナに目を合わせた。

 リウェルとフィオリナは無言のままセレーヌの瞳を見つめた。

 一人と二人とは黙したまま見つめ合っていたが、先に顔を逸らしたのはセレーヌだった。セレーヌは暖炉を見、杓子を手に取り、暖炉の火に掛けた鍋の中身をかき混ぜた。「あなたたち、まだ食べるかしら?」セレーヌは鍋を見つめたまま訊ねた。

 リウェルとフィオリナは思い出したかのように膝の上に置かれた皿を持ち上げた。

 「いえ。ありがとうございます。」「既に十分いただきました。」リウェルとフィオリナは皿に残る粥を匙で掬い、口に運んだ。

 「そう?」セレーヌは二人を見た。「わかったわ。」セレーヌは杓子に掬い取った粥を自身の皿によそった。

 その後、食事を終えたリウェルとフィオリナはセレーヌの小屋を辞し、離れ家へと向かった。


    ◇


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