(一一)(六三)
リウェルとフィオリナが学院の学生として過ごす日々は、故郷の山々で両親と過ごした飛竜としての日々と同じく、決まり切ったものでもあった。東の空が白み始め、未だ陽が地平線の上に姿を見せない頃、離れ家の中で目を覚ましたリウェルとフィオリナは、鴉の姿のまま挨拶を交わし、身支度を調え、離れ家の外へと向かった。二羽の鴉たちは薄闇に包まれた畑の畝や周囲に聳える樹々の根元を歩き回り、食べ物探しに勤しんだ。畑に植えられた作物の葉の裏や茎を丹念に見て回り、葉と同じ色をした仔蟲を見つけ出すと、嘴で摘まみ取って地面に落とし、仔蟲の頭を突き、動きを封じた上で丸呑みにした。時折リウェルは獲物をフィオリナに差し出した。フィオリナは腰を落とし、仔蟲を咥えたままのリウェルに向かって口を開くと、リウェルはフィオリナの口の中に恭しく獲物を差し入れ、フィオリナはその仔蟲を飲み下した。その後は次の獲物探しだった。二羽は周囲に目を凝らしながら一歩一歩足を運び、やがてフィオリナが獲物を見つけ出すと嘴で捕え、リウェルに差し出した。リウェルは貴婦人に仕える貴人のように腰を落として口を開き、フィオリナから差し出された獲物を受け取ると、そのまま呑み込んだ。獲物を腹に収めたリウェルはその場に立ち上がるとフィオリナを見つめた。フィオリナも姿勢を正すとリウェルを見た。見つめ合うこと暫し、二羽はどちらともなく互いに近寄ると嘴を触れ合わせ、次いで横顔を擦りつけ合い、再び見つめ合った。夜明け前の薄闇の中、貴石のように輝きを放つ金色の瞳を幾度か瞬かせた二羽は揃って同じ方向を向くと、食べ物探しを再開した。
二羽の鴉たちは、畑の作物にだけでなく降り積もった落ち葉の下にも獲物を探し求めた。二羽は嘴で落ち葉を除け、鋤や鍬さながらに地面を掘り起こし、丸々とした白い仔蟲を探し当てると嘴で頭を突いて蟲の動きを止め、腹に収めた。仔蟲とともに落ち葉の下に隠されている木の実も二羽にとっては貴重な獲物だった。固い皮に覆われた実を足で押さえつけ、嘴を突き立てながら徐々に皮を剥がし、ついには中身を一口ずつ啄んだ。何匹かの仔蟲と幾つかの木の実とを食した頃には、森の中の空地からも夜の闇は追い払われ、新たな一日の始まりを告げる光に満たされた。二羽は食事を終えると嘴を樹の幹や乾いた落ち葉に幾度も擦りつけた。次いで、嘴で羽を梳き、乱れた羽を調えた。二羽は互いの姿に目を遣り、満足そうに頷くと、畑を抜けて小径を進み、セレーヌの小屋へと向かった。扉の前に立った二羽は顔を見合わせるようにして耳を澄ませた。小屋の中から届く軽やかな足音を耳にした二羽は満足そうに頷くと、扉越しにセレーヌに挨拶をした。半ば決まり切った言葉を交わした二羽は出掛ける旨をセレーヌに告げると扉の前を離れ、西に向かって歩き出した。頭を前後にゆっくりと動かしながら歩いていた二羽の鴉たちは、いつしか少年少女へと姿を変じた。丈夫さだけを追求したかのような服を纏い、足には編上靴を履き、肩からは外套を翻し、雑嚢を背負った、旅人そのもののようにも見える二人は、樹々の枝葉が重なり合った木立の中を学院を目指して進んでいった。
幾つもの棟が立ち並ぶ学院の敷地に至ったリウェルとフィオリナは迷う様子も見せずに或る一棟を目指し、白い小石の敷き詰められた道を進んだ。その建物へは西の方角から幾人もの学生たちの向かう姿が――一人だけで、あるいは、二人連れで一つの建物を目指す姿が――見られた。リウェルとフィオリナは他の学生たちと共に建物の中に入り、講義室を目指した。廊下を幾度か曲がり講義室に着いた二人は、入口を少し入ったところで足を止めた。講義室の中を見渡した二人は講義室の中ほどの窓際の席に座る二人連れ――赤毛のヒト族の少年ロイと灰色髪の獣人族の少女テナ――に目を留めると、再び歩みを進め、ロイとテナのすぐ後ろの席へと向かった。四人は挨拶を交わし暫しの会話に興じるも、教師が講義室に姿を見せたことに気づくと会話を止め、席に着き、前を向いた。教師は講義室を見渡し一頻り頷くと徐に話を始めた。ロイとテナは筆記具を片手に教師の言葉を帳面に書き付け、リウェルとフィオリナは顔を教師に向けたまま筆記具を帳面の上で走らせることもほとんどなく、教師の話に聞き入った。四分の三刻ほど経った頃、教師は講義の終了を告げると講義室を後にした。四人をはじめとした学生たちは息を吐く暇もなく次の講義が行われる講義室へと向かった。そこでも、教師と学生たちとの同じ光景が繰り返された。教師は蕩々と持論を述べ立て、学生たちは教師の言葉の中で重要と思われる事柄を帳面に書き付け、時折教師が学生たちに向かって質問を投げかけ、当てられた学生が問いに答え、時には学生が質問し、それに教師が答え、その遣り取りは午まで続いた。
講義を聴き終えた四人は学院の食堂に向かった。多くの学生たちで常に混み合う食堂で四人分の席を見つけるのは難しいとあって、四人はそれぞれ自身の分の食事を買い求め、学院内の草地まで移動し、そこで摂ることが半ば暗黙の取り決めと化していた。食堂で供されるのはいつも同じ硬い麺麭であり、テナとリウェルとフィオリナは普段と変わらない様子で口に運んだが、ロイだけは顔を顰めながら独り格闘を演じた。ヒト族ではない三人はすぐに食べ終えるも、ロイだけは石のように硬い麺麭を齧り付きながらも手の力を以て引き千切り、頬張り、噛み締め、飲み下した。その麺麭を食べ終わる頃には、ロイは長い道程の末に町に辿り着いた旅人を思わせる表情を浮かべた。楽しいはずの食事を終え項垂れるロイに向かって、両の耳をぴんと立てたテナは背筋を伸ばし、教師さながらの口調でロイの頑固さを指摘した。曰く、節約のために体を壊しては本末転倒であること、町に行けば少しは柔らかい麺麭を手に入れられること、従者として主の言葉に従っているが将来の妻としては将来の夫の身が心配であること、云々。ロイが顔を上げテナを睨みつけるも、テナはロイの視線なぞどこ吹く風とばかりに左右の耳をそれぞれ別の方向に向け、澄まし顔をしてみせた。リウェルとフィオリナがロイとテナをからかい、ロイが苦いものを口に含んだかのように顔を歪めて溜め息を吐き、テナはロイから顔を逸らしながらも尻尾を大きく振った。リウェルとフィオリナは笑みを浮かべ、赤毛の少年と灰色髪の少女を見つめた。
食事を済ませた四人は、その後、学院の図書館へと向かった。館内では二手に分かれ――ロイとテナ、リウェルとフィオリナの二手に分かれ――、それぞれ書架の森へと足を踏み入れた。ロイとテナは講義に関する書物を見つけ出すと閲覧室に向かい、隣り合った席に腰を下ろし、帳面を広げ、筆記具を手に持ち、講義のおさらいに取り掛かった。一冊の本を二人の間に置き、時に小声で話し合いながらも、二人は帳面に筆記具を走らせた。リウェルとフィオリナは書棚から抜き出した本を二人で持ちながら頁に目を走らせた。金色の瞳も薄暗い書架の森の中では幾分輝きを増し、煌めきを放った。頁を捲る手は早く続きを読みたいと言わんばかりに読み終える前から頁の下へと差し入れられた。獣を思い起こさせる鉤爪はその見た目にもかかわらず滑らかな動きを見せながら頁を捲った。ヒト族や獣人族も及ばないほどの速さで頁を捲り、二人はすぐに一冊を読み終えると書棚に戻し、次の本を手に取った。二人と二人とは午後一杯を図書館で過ごし、夕刻を迎える頃には図書館を辞した。四人は図書館の前で別れ、それぞれ――ロイとテナは学生たちのための寄宿舎へと向かい、リウェルとフィオリナはセレーヌの小屋の建つ空地へと向かい――帰途に就いた。
◇
ある日の午過ぎ、リウェルとフィオリナは図書館に赴いた。二人はロイとテナと別れると書架の森の中に入り込み、森に積もった落ち葉のような本を一冊一冊手に取っては頁の端から端まで目を走らせるということを繰り返した。そのまま二人は或る書棚に収められた本に目を通し終え、次の書棚の前へと移り、端から一冊の本を取り出した。収められた他の本と同じ装飾の施された背表紙を持つその本は、頁の上の部分に薄らと埃が積もっていたが、表紙と裏表紙は製本されたときそのままを思わせる色彩を保っており、何年もの間書架の森の中で眠りに就いていたことを窺わせた。取り出した本を開こうとした二人は、何かが倒れるような音が目の前の書棚から発せられたのを耳にした。二人は本を手にしたまま動きを止め、少ししてゆっくりと顔を見合わせた。
〈何だろう。〉リウェルはフィオリナの目を見ながら念話で語りかけた。
〈何かしらね。〉フィオリナは、リウェルと共に手にした本に目を落とした。本の表紙には一面に草を模した装飾が施されていた。〈この本が壊れたわけではないわね。〉
〈それはない、と思う。〉リウェルは独りで本を手に持つと、草を模した装飾が施された裏表紙を上にした。〈どこも壊れていない。ということは――〉リウェルは書棚に目を向けた。
〈書棚の中ね。〉フィオリナは、目の前に聳える書棚にできた洞のような隙間を覗き込んだ。〈何かあるわ。その本はお願いね。〉フィオリナは手を伸ばし、隙間の中から別の一冊の本を取り出した。〈ずいぶん古いものようね。表紙も……、裏表紙も、ぼろぼろよ。〉フィオリナは本をそっと両手に持ち、リウェルの傍らに立った。
〈造りが他の本とは違うし、何だろう。〉リウェルも、フィオリナの手の中の本を見つめた。〈まるで、誰かがここに隠したようにも思える。〉
〈それとも、誰かがここに置き忘れたのかもしれないわ。〉フィオリナが言った。〈何年も、何十年も前に。〉フィオリナは顔を上げ、リウェルを見た。〈読んでみる?〉
〈そうしよう。〉リウェルはフィオリナを見ながら頷いた。〈でも、その前に、〉リウェルは手にしていた本を元の書棚に収めた。
二人は本を手に取った。書棚に収められた他の本よりも一回りも小さいその本は、表紙と裏表紙はあるものの背表紙はつけられておらず、紐で綴じられただけの簡素な造りだった。その紐も辛うじて元の形を保っていると思しき状態であり、力を込めて引っ張ればすぐに切れるかと見えた。二人は表紙に目を凝らした。二人の目は、埃とも色褪せとも見分けのつかない中に記された、かすかな文字の跡を見出した。
〈『断章』……。〉リウェルとフィオリナは揃って呟いた。
〈『断章』そのものは『詩文の欠片、何か別の大きなものの断片、何か別の文章から抜き出したもの』というような意味のはずだけど……、〉リウェルはフィオリナを見た。
〈見てみましょう。〉フィオリナもリウェルを見た。〈仮に何かの断片だったとしても、見てみないことには何が書かれているのかわからないわ。〉
二人は本に目を落とし、慎重とも取れる手つきで表紙を開いた。二人が目にしたのは、既に劣化が進み、端がぼろぼろに崩れ、今にも塵芥と成り果てんばかりの頁だった。二人が表紙を開いたことで頁には新たな亀裂が走り、捲るのも困難かと見えた。二人は頁の上の端から目を走らせ、頁の上から三分の一ほどのところに記された文字を認めた。
〈閑かなる眠りに沈みたる森の目醒むるとき――〉リウェルは読むのを止めると顔を上げ、傍らに立つフィオリナを勢いよく見た。
フィオリナも答えるかのようにリウェルを見た。
二人は互いの顔を見つめた。書架の森の薄闇の中で二人の金色の瞳が空に輝く星々のように光を放ち、縦長の瞳は普段よりも幅を増した。姿見の内と外とのように暫し見つめ合った二人は再び頁に目を落とした。
〈『閑かなる眠りに沈みたる森の目醒むるとき、』〉リウェルは頁に記された文字を読み進めた。〈『森、その身を揺りつつ這ひ歩き、緑に覆はれたる大野、地震のごとく揺り動き、穏やかなる水を湛ふる河、その水面を波立て、碧き空、白き雷の刃を地に向ひ放たん。』〉リウェルは息を吐いた。
〈『ヒト、ケモノビト、森の民、か黒き森に蝕まれ、』〉フィオリナが続きを読み進めた。〈『河の面に漂ひ、或は、雷の餌食とならん。命の燈、大方は消え失せ、果ては、生きとし生けるもの、大地の面より拭ひ去られん。』――読み取れるのはここまでね、続きがあるみたいだけど。〉
二人は黙したまま頁の上から下まで幾度も目を走らせた。
念話を発することなく頁に目を落としていたリウェルとフィオリナは、どちらからともなく顔を上げると無言のまま互いの顔を見つめ、眉間に皺を寄せた。かすかに傾げた首につられるかのように白銀色の髪はさらさらと揺れながら二人の顔にかかり、薄闇の中で揺れる髪と二人の瞳だけが光を放った。二人は先を読み進めるのを控えた。既に頁の端は形を失いつつあり、先ほどの亀裂と相俟って、捲ることによって頁そのものを崩しかねなかった。
〈誰がこれを書いたのかしら。〉フィオリナは独り言のように呟き、頁に目を落とした。
〈本が塵に返るくらい昔としか言いようがない。〉リウェルも手にした本に目を落とした。
〈十年前、それとも、五十年前……、いえ、百年以上前のことかもしれないわね。〉フィオリナが言った。〈もしかしたら、私たちが生まれる前に書かれたものかもしれないわ。〉
〈そうかもしれない。でも、これだけでは何とも言えない。〉リウェルは頁に手を触れた。〈この本はこのまま戻そう。このまま見ていたら本当にばらばらになってしまう。〉
〈そうね。そのほうがいいわね。でも、もう元のように縦には置けないわ。〉
〈縦に置いたら頁が粉々になってしまう。横にしたまま戻すよりほかになさそうだ。〉
二人はゆっくりと表紙を閉じ、横にしたまま、書棚に収められた他の本の上に置いた。
〈後で受付の係員に伝えよう。〉リウェルは本を見ながら呟いた。〈然るべき心得のあるヒト族や獣人族の手で正しく扱えば、この本も今以上に痛むことはないと思う。〉
〈私たちの爪では無理ね。〉フィオリナは両手を持ち上げ、指先に伸びる鉤爪を見た。〈元の姿のときに比べれば弱々しいものだけど、私たちの爪は獲物を捕えるためのものだもの。〉
〈変化するときに考えることが一つ増えた。〉リウェルも自身の手を見た。〈でも、『森が歩く』というのは、どういう意味だろう。〉リウェルは手を下ろし、書棚に置かれた本を見つめた。〈根を張った樹が動けるはずもないから――〉
〈何か別のことを言っているとしか思えないわ。〉フィオリナも本を見つめた。〈それが何かと言われると……、答えようがないわね。〉フィオリナは首を横に振り、肩を落とした。
〈森そのものでないとしたら、〉リウェルはフィオリナを見た。〈『森のように見える何か』ということかもしれない。〉
〈『何か』って?〉フィオリナは怪訝な眼差しをリウェルに投げかけた。
〈さあ?〉リウェルはおどけた仕草で肩を竦めた。〈その『何か』がわかれば苦労しない。わからないのはフィオリナと同じ。〉
〈それなら、今のところは『わからない』ということがわかっただけね。〉フィオリナは前を向き、自身に言い聞かせるかのように言った。
〈『わからない』と言えば、〉リウェルは顔を書架に向け、どこか遠くを見るかのような表情を浮かべた。〈この前、西の森に行ったときのことを覚えている?〉
〈試問を受けた後に出掛けたときのことよね。〉フィオリナはリウェルを見た。〈覚えているわ。西の森の、さらに先にある町から森の中に道を造って、雄たちだけで森を切り開いて――〉フィオリナは顔を書架に向けると目を見開いた。〈あの連中が何かを企んでいるとでも?〉フィオリナは再びリウェルを振り返った。
〈それも何とも言えないと思う。〉リウェルは傍らに立つフィオリナを見た。〈わからないことが多すぎる。もし仮に、あの連中が何かを企んでいたとしても、僕らにできることは限られている。ヒト族や獣人族のことにはなるべく関わらないようにしないと。地上は僕らの世界ではないからね。〉リウェルはフィオリナの金色の瞳を見つめた。
〈でも、だからと言って、何もせずにただ見ているだけというのもできないわ。〉フィオリナは額に皺を寄せた。〈この町の住人たちにも何かあるかもしれないのは当然として、セレーヌさんにも危険が及ぶかもしれないし、ロイとテナにだって。〉フィオリナは通路に顔を向け、目を細めると、ゆっくりと首を巡らし、再びリウェルを見た。〈それに、この町はカレルおじ様とリラおば様に縁の町なのでしょう?〉
〈何が起こるとも決まったわけではないから。〉リウェルはフィオリナを宥めるかのように言った。〈セレーヌさんにお伝えしよう。『こんなことが書かれた本を図書館で見つけました』って。それに、今僕らが考えたことも。セレーヌさんは僕らよりもいろいろとご存じのはずだから、起こりそうもないことを今僕らが考えることはないと思う。〉
〈そうね、〉フィオリナは書棚に目を遣った。〈そのほうがいいわね。今のところは。〉
リウェルもフィオリナの見つめる先に目を向けた。
二人は互いに寄り添い、互いの手を取った。掌と掌とを合わせ、指と指とを絡ませ、書架の森の中で離れ離れにならないようにと言わんばかりに、しっかりと手を繋いだ。念話を交わすこともなく書棚に目を遣っていた二人は、ゆっくりと首を巡らし、互いの顔を見た。二人が目にしたのは、眉の両端が幾分下がり、眉間に皺を寄せ、金色の瞳を細め、口を引き結んだお互いの顔だった。雪を思わせるほどに肌はさらに色を失い、冬の寒さに凍り付いたかのような表情を浮かべた二人は、どちらからともなくぎこちない笑みを浮かべた。
〈今日は、これからどうしようか。〉リウェルは力ない笑みを浮かべたまま、よく似た表情を浮かべるフィオリナに訊ねた。〈このまま別の本を読むか、それとも――〉
〈本を読みましょう。〉フィオリナはリウェルの念話を遮った。〈さっき読もうとしていた本を読みましょう。今の私たちにできるのはそれくらいよ。〉
〈そうだね……。そうしよう。〉リウェルは自身に言い聞かせるかのように言った。〈他の本を紐解けば何か見つけられるかもしれない。今はわからない『何か』を。〉
〈ええ。〉フィオリナはゆっくりと首を縦に振った。
二人は繋いでいた手を解くと書棚から一冊の本を取り出し、初めの頁から目を通し始めた。
その後、リウェルとフィオリナは書棚一つ分の本に目を通し終えると、書架の森を後にし、閲覧席へと向かった。二人は、閲覧席の一角に赤毛の少年と灰色髪の少女の姿を認めると、席の間を縫うようにして少年少女のほうへと進んだ。二人がすぐ近くまで近づいたところで、席に着いていた少年と少女――ロイとテナ――は揃って顔を上げた。
「やあ、どうした。もう帰るのか?」ロイはリウェルとフィオリナを見ながら小声で訊ねた。
「そのつもり。」リウェルが小声で答えた。「そろそろ、書架の前で本を読むには暗くなってきたからね。」リウェルはフィオリナを見、ロイとテナを見た。
「そうか。」ロイはリウェルの顔を見るなり眉を曇らせた。「リウェル、どうしたのだ? 顔色が優れないようだが……、」ロイはリウェルの傍らに立つフィオリナを見た。「フィオリナも……。何かあったのか?」
「そうかな?」リウェルはロイの視線から逃れるかのようにフィオリナを見た。
フィオリナもわずかに首を傾げながらリウェルを見た。
「お二人とも元々色白でいらっしゃいますが、」テナが気遣うかのように言った。両の耳は前に向けられ、かすかに震えていた。「普段以上にお顔が白いといいますか……。」
リウェルとフィオリナは、閲覧席に着いている赤毛の少年と灰色髪の少女とを見た。
「平気よ。」フィオリナはテナを見、笑みを浮かべた。
「でしたら、よいのですが。」テナはフィオリナを見ながら耳をわずかに伏せた。
「ありがとう。」リウェルも笑みを浮かべながらロイとテナを見た。「僕らはこれで帰るけど、二人はどうする? まだ勉強を続けるの?」
ロイとテナは机に置かれた本に目を落とした。ロイが頁を捲り、テナも頁に目を走らせた。
「今日のところはこれまでとするか。」ロイは傍らのテナを見た。
「そうですね。」テナは耳を一振りした。「初めの予定よりもだいぶ進められましたし、ここで終わりにしてもよいと思います。」
ロイとテナは揃ってリウェルとフィオリナに振り返った。
「私たちも帰ることにする。」ロイが言った。「片付けるまで待ってくれ。」
「わかった。」リウェルが答えた。
ロイとテナは帳面を閉じ、筆記具を片付けると、机の上に開かれていた本を閉じた。テナが席を立ち、本を小脇に抱え、書架の森へと足を向けた。すぐにテナは戻り、ロイとテナは荷物を調え、閲覧席の椅子を元の通りに並べ直した。
「待たせたな。」帰り支度を終えたロイが言った。
「お待たせいたしました。」テナがロイの傍らに寄り添った。
四人は互いの顔を見ると図書館の入口へと向かった。
一階の受付でロイとテナが先に退館の手続きを済ませ、図書館を後にした。後に続いたリウェルとフィオリナは係員の一人に、書架の間で見つけ出した本のことを伝えた。係員は書架のおおよその場所と書棚の位置を控えると後日対処する旨を二人に伝え、自身の業務に戻った。二人は図書館を出ると、ロイとテナに合流した。
「何かあったのか?」ロイが訊ねた。「手続きにずいぶん手間取っていたようだが。」
「大したことではないよ。」リウェルが答えた。「壊れそうな本を見つけたから、係員に知らせていただけ。僕らが触ると壊してしまいそうだったから。」リウェルは自身の手を見た。
「そうか。」ロイは頷いた。「これだけ大きな図書館に、あれだけの蔵書があるとなれば、そういうこともあり得るであろうな。」ロイは図書館の建物を見上げた。
「上を見るなら、」リウェルは顔を上げるとロイを見た。「空を見たほうがいいと思う。」
ロイとテナはリウェルの言葉に促されるかのように図書館の建物の反対側に広がる空を見上げた。二人の視線の先には紅く染まった雲が浮かび、空の高みに吹く風を受けるかのようにゆっくりと流れていた。学院の敷地には夕闇が迫り、行き交う学生たちの姿も既に疎らだった。その学生たちも皆一様に或る建物に向かって歩みを進めていた。
「ロイ様、帰りましょう。」テナは顔を下ろし、ロイを見た。「急ぎませんと、夕食にありつけなくなってしまいます。」
「大袈裟だな。いくら何でも学生全員の分はあるだろうて。」ロイは笑いながらテナを見た。「とはいえ、急ぐに越したことはないであろうな。ゆっくりしていては本当にテナの言うとおりになりかねない。」ロイはリウェルとフィオリナを見た。「では、ここで別れるとしよう。」
「わかった。」「また明日ね。」リウェルとフィオリナは赤毛の少年と灰色髪の少女を見た。
「では、明日。」「本日はこれにて失礼いたします。」ロイとテナは優雅に礼をすると、学院の敷地を西に向かって歩き始めた。
リウェルとフィオリナは、遠ざかる二人の後ろ姿を暫し見送ると、セレーヌの小屋のある東へと向かった。
◇




