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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第一部:旅立つ前の故郷での日々
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(六)

 東の空が白み始めるにはまだ間がある頃、空を埋め尽くす数多(あまた)の星は互いに競い合うかのように輝き、岩に覆われた山々を照らし出した。星々の光は山々の一つ、二頭の白銀竜たちが体を丸める岩山の中腹にも降り注ぎ、飛竜たちの体を地上の星のようにも映し出した。荒れ果てた地とも見える岩山にあって、二頭の白銀竜たちの胸は規則正しく上下を繰り返し、かすかな寝息を闇夜に響かせた。

 寝息を立てる二頭の白銀竜たちに動きが見られた。小柄な一頭の背に畳まれた翼の片方が内側から押し上げられるようにして持ち上がった。翼はそれ自体が別の生き物であるかのように幾度か上下を繰り返し、やがて、翼の陰から小さな白銀竜が顔を覗かせた。その小さな白銀竜――リウェル――は、長いこと水に深く潜り、ようやく水面(みなも)に顔を出したかのように大きく息をつくと、両の目を開き、口を開け、大きく息を吸い込んだ。数瞬の後、森に積もった落ち葉を吹き飛ばさんばかりに勢いよく息を吐き出すと、体を捻り、母リラの翼の陰から自身の体を引っ張り出した。

 リウェルは首を巡らせて周囲を見渡すと、他に見るものはあるだろうかと言わんばかりに空を見上げた。リウェルの見上げた先、夜明けにはまだ遠い空には一面に星々が鏤められ、闇に沈んだ山々の頂にまでこぼれ落ちんばかりに迫っていた。暫し空を見上げていたリウェルは顔を下ろし、両の翼を大きく広げた。広げた翼を羽ばたかせるでもなく、リウェルの体は宙に浮き上がり、そのまま滑るかのように横に進み、両親から少し離れた地面に降り立った。四肢の鉤爪が石を捉え、かちかちと音を立てたが、リウェルは気にする素振りを見せることもなく、眠っている間に固まった体を(ほぐ)すかのように伸びをした。前肢と首、背の翼、後肢と尾を順に伸ばしていくと、最後に仕上げとばかりに大きな欠伸を一つした。口を閉じたリウェルは何かを咀嚼するかのように幾度か口を動かすと、首を回して自身の体を見詰めた。尾の先から後肢へ、体と翼と、顔を動かすたびに体を覆う鱗は輝きを増し、闇の中に白銀色の体がかすかに浮かび上がった。一頻り自身の体を見回したリウェルは鱗の輝きに満足したかのように頷くと、(いま)だ体を丸め寝息を立てる両親に向き直り、居住まいを正した。

 両親が目覚めるのを待つリウェルの姿は、寺院の入口に設えられた守護獣の彫像を思い起こさせたが、それも長くは続かなかった。背の翼は畳まれたままそわそわと動き出し、翼の動きにつられるかのように尾の先が上下に動き始めた。翼と尾は次第に動きを合わせ、程なくして調子を合わせるかのように同じ動きを始めた。翼と尾が忙しく上下する中、リウェルの顔は両親の間を行ったり来たりした。カレルを見上げながら目を(しばたた)くも、小山のように聳えるカレルは胸を上下させるばかりだった。次にリラを見上げながら目を瞬くも、カレルに寄り添うリラは体を丸めたまま規則正しい寝息を立てるばかりだった。カレルもリラも、両親が目を覚ますのを今か今かと待ちわびる様子のリウェルのことなど知る由もなく、目を閉じたまま眠りに就いていた。リウェルは口を開くも、すぐに思い直したかのように口を閉じ、項垂(うなだ)れた。リウェルの口からは声も咆哮も出ることはなく、ただ力無い溜め息が漏れ出た。

 姿勢を正したまま両親を見上げていたリウェルは、意を決したかのようにその場に立ち上がった。四肢を伸ばし、指を大きく広げ、鉤爪を地面に突き立てた。指の下の石が不平を鳴らすかのように軋んだが、リウェルは気に留める様子もなく、背の翼を大きく広げた。顔を上げ、星々の(またた)く空を見詰めたリウェルだったが、その体は宙に浮き上がることはなかった。今にも空に向かって飛び立たんばかりだったリウェルは、広げた翼を力無く下ろし、何かを諦めたかのように俯いた。背中から伸びる翼は半ばから畳まれ、翼の先は地面に触れるか触れないかまで垂れ下がった。リウェルは再び顔を上げ、その場から歩き始めた。力無く広げられた翼はそのままに、リウェルは(ねぐら)の隅まで到達すると向きを変えた。そこから先は塒としている山の中腹の縁をなぞり、一歩一歩確かめるようにして歩き出した。

 一家が塒と定めた山の中腹は、二頭のおとなの飛竜たちが丸くなるのに十分な広さがあるとはいえ、子竜の足で一周するのに造作もなかった。リウェルは両親の横を通り過ぎ、降り立った場所とは反対側で立ち止まると、そこから両親を見上げた。見上げること暫し、リウェルは足を進め、再び横を通り過ぎ、歩き始めた場所に戻るとそこで立ち止まり、空を見上げた。空に浮かぶ星々は塒を一周する前と変わらないかに見えた。しかし、ごくわずかではあるが闇は薄まり、星々の光も輝きを減じつつあった。リウェルはその場で東へと顔を向けた。地平線を見ることは叶わなかったが、(すが)るかのような目で山々を見上げた。見上げること暫し、リウェルは顔を下ろすと再び行進を開始した。

 その後、両親の周りを行進すること十数周、途中から逆回りに進んだリウェルだったが、その頃には背の翼も行儀よく畳まれ、足取りも軽く落ち着いたものとなっていた。音を立てるのもかまわず下ろしていた足も次の一歩を確かめるほどの慎重さを窺わせるほどになり、その歩みは水面を滑る蟲を思い起こさせた。リウェルは行進を続けながらもちらちらと空を見上げた。リウェルが見上げる先の空で星々は徐々に数を減らし、闇の中に碧が見え始めた空は夜明けが近いことを告げた。両親の周りを行進し始めてから数十周、リウェルは、カレルとリラの体が動き始めたのを認めた。リウェルはなおも音を立てないように足を運びながら両親の前まで戻ると、四肢を揃えて立ち、長い首と長い尾とを伸ばし、居住まいを正した。

 リウェルの目の前でカレルとリラが目を開いた。二頭は体に巻き付けていた首と尾とを伸ばし、その場に立ち上がると互いに距離を取った。背の翼を大きく広げ、四肢を伸ばして伸びをし、次いで、大きな欠伸を一つすると自身の体を見詰めた。二頭の見詰める先で体を覆う白銀色の鱗は輝きを取り戻した。そのことに満足したのか二頭は頷くと背の翼を畳んで互いに歩み寄り、リウェルに向かい合った。

 〈おはようございます、ちちうえ、ははうえ。〉リウェルはカレルとリラとそれぞれ鼻先を触れ合わせ、頬を擦りつけ合わせた。

 〈おはよう、リウェル。〉〈リウェル、おはよう。早起きね。〉カレルとリラはリウェルにされるがままに、念話で答えた。

 〈今日は湖に赴く日であったかの?〉カレルは息子の顔を見ながら言った。

 〈はい。〉リウェルは大きく頷いた。

 〈一頭で出掛けるのであるから、気をつけるのだぞ。常に周囲に気を配り――〉

 〈では、いってまいります、ちちうえ。〉リウェルはカレルの言葉を遮った。目を丸くし言葉を失うカレルをよそに、リウェルはリラの顔を見た。〈ははうえ、いってまいります。〉

 〈はい、いってらっしゃい。気をつけてね。〉リラはリウェルを見下ろし、笑みを浮かべた。

 リウェルはリラに頷いてみせると、その場で背の翼を大きく広げ、上昇を開始した。山頂を超えるまでに到ったリウェルはそこで静止し、体の向きを南西へと変えた。地上で見守るカレルとリラに目を落とすこともなく、リウェルは全速力といった様子で飛行を開始した。


    ◇


 カレルは目を見開いたまま口を半ばまで開き、片方の翼を力無く垂らし、リウェルが飛び去った南西の方角を見遣った。普段よりも幅を増した金色の瞳は何も映していないかのように虚ろだった。呆然としたまま空を見上げるカレルの姿は、時を閉じ込めた彫像のようにも見えた。

 〈あなた、どうしたの?〉リラはおかしなものを見たと言わんばかりに、伴侶に問い掛けた。

 リラの言葉で我に返ったかのようにカレルは体を震わせると、半ばまで開いていた口を閉じ、垂れ下がっていた片方の翼をゆっくりと持ち上げて畳み込み、傍らのリラの顔を見た。〈リウェルが……、〉カレルの言葉は胸の奥から絞り出すかのようだった。〈あのリウェルが、我の言葉を遮りおった……。これまで、我の言葉に最後まで耳を傾けていたリウェルが……。〉

 〈あら、そういえばそうね。〉リラは意外だと言わんばかりだった。〈普段だったら、目を閉じてでもあなたの言葉を聞いているのにね。〉リラは南西の空を見上げた。〈よほどフィオリナちゃんに早く会いたかったのね。今朝もずいぶんと早起きしていたみたいだったから。〉

 〈リウェルが……、父親たる我の言葉を遮るなど……。〉カレルは、鼻先が地面に触れんばかりに項垂れ、大小様々な小石に目を落とした。

 〈何を落ち込んでいるの? カレルったら。〉リラは励ますかのように言った。〈あの子も雄らしくなってきたということでしょ? そこは喜ぶべきところでしょうに。〉

 〈それは、そうなのだが……、〉カレルは顔を上げ、首を巡らせてリラを見た。〈それはわかっているのだが、昨日まで子竜だと思っていたリウェルが先ほどのように……。〉

 〈リウェルは私たちの子です。それは何も変わらないわ。〉リラは呆れたかのようにカレルを見た。〈あの子が旅に出て、縄張りを見つけて、フィオリナちゃんと(つがい)になって、子を()したとしても、リウェルが私たちの子だというのは変わらないわ。それとも、あなたは、リウェルがおとなになっても私たちの縄張りに縛り付けるつもりなの?〉

 〈いや、それはない。〉カレルはリラに目を合わせ、決然と言い放った。〈リウェルが一頭だけで生きていくための(すべ)を身につけさせるのが親たる我らの役目ぞ。この広い世界で生きていくための術を。〉カレルはリラから目を逸らすと、再び力無く項垂れた。〈とはいえ、かわいいリウェルが我らの(もと)を離れるのは、それはそれで寂しくはあるが。〉

 〈あの子が旅に出るときには、笑顔で送りましょう。〉リラは空を見上げた。空を覆い尽くしていた星々は既に消え去り、空は昼の碧さを増しつつあった。〈さあ、私たちは私たちの役目を果たしましょう。今日はこれから縄張りの見張りでしょ? 早いこと出掛けましょう。〉リラはカレルを促すかのように言った。〈そのついでというわけではないけど、フィオリナちゃんとリウェルの姿を見かけたとしても、それは偶然でしょ?〉

 カレルは顔を上げ、言葉の意図を理解できないと言わんばかりの表情を浮かべながらリラを見た。〈『偶然』……、〉カレルは独り言のようにリラの言葉を繰り返した。〈『偶然』か。そうであるな。〉砂に水が染みこむように、カレルの顔に表情が戻っていった。〈我らが縄張りの見回りをしている中で、フィオリナちゃんとリウェルの姿を見かけたとしても……、それは……、それは全くの『偶然』であるな。〉カレルは笑みを浮かべ、自身に言い聞かせるかのように繰り返した。

 〈そう。〉リラは笑みを浮かべるも、すぐに表情を改めた。〈でも、『見かける』だけよ。あの子たちの前に姿を見せるのもだめね。悟られるのもだめ。それは、いいわね?〉

 〈(あい)わかった。〉カレルは自信満々といった様子で答えた。〈そこは心配するでない。我とて、リウェルが我らを驚かそうとしていることを楽しみにしておるからの。〉

 暫し見詰め合ったカレルとリラは互いに距離を取ると背の翼を大きく広げた。二頭の体は音もなく上昇を開始し、すぐに山々の頂を超えるまでの高さに達すると、空中で静止した。

 〈今日は北から見るかの。〉カレルは傍らのリラに顔を向けた。

 〈あなたの望むままに。〉リラは芝居がかった台詞を返した。

 二頭は北へと体を向けると、滑るように飛行を開始した。


    ◇


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