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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第四部:学院、森、空
55/74

(三)(五五)

 リウェルとフィオリナはそれまでと変わらず図書館と離れ家とを往復する日々を過ごしていた。東の空が白み始める頃、離れ家の中で目を覚ました二羽の鴉たちはその姿のまま外に向かい、食べ物を求めて樹々の根元を歩き回った。苦労して探し出した蟲や木の実を腹に収めた二羽は、ヒト族の姿へと変じ、身支度を調(ととの)え、図書館に赴いた。二人は書架に収められた本を次から次へと手に取り、頁を捲っていった。やがて、(ひる)を過ぎた頃に図書館を後にすると、木立の中で鴉の姿へと変じて食事を済ませ、その後、再びヒト族の姿で図書館に赴き、書架の森の中で頁を捲り続けた。

 木立の間を進む二人の息もさらに白さを増した。足許ではからからに乾いた落ち葉が二人に抗議するかのように騒ぎ立て、陽の光は空一面を薄らと覆う雲に遮られどこかぼんやりと地上を照らした。静かにしかし確実に忍び寄る凍てつくような風を二人は気にする様子も見せず、図書館と離れ家とを行き来した。やがて、入学試問当日の朝を迎えた。

 リウェルとフィオリナはヒト族の姿へと変じるとセレーヌの小屋を訪れた。

 「今日は試問の日ね。」セレーヌは二人を交互に見た。

 「はい。」二人は揃って頷いた。

 「最善を尽くすように。」セレーヌは柔らかな笑みを浮かべた。「正々堂々とね。」

 「この町に着いてから試問に備えていましたので――」「いつ試問を受けても大丈夫という思いはあります。」二人はセレーヌと目を合わせた。

 「よろしい。」セレーヌは満足そうにゆっくりと首を縦に振った。「でも、驕ってはだめよ。これ以上は言わないでおくわ。親御さんたちから散々聞かされたでしょうし。」

 二人はセレーヌから目を逸らすことなく挨拶すると、小屋を辞した。

 リウェルとフィオリナは後ろを振り返ることもなく、学院へと向かった。普段よりも大きな歩幅で、普段よりも足取りも軽く、普段よりも速く、二人は木立の間を進んでいった。

 〈ねえ、リウェル、〉フィオリナは前を向いたまま念話で語りかけた。

 〈なに?〉リウェルも道の先に目を遣ったまま念話で答えた。

 〈試問の間は念話を使わないほうがいいのかしらね。〉フィオリナは自身に言い聞かせるかのように訊ねた。

 〈念話か……、〉リウェルは頭巾の奥でわずかに俯いた。〈そうだね、念話は使わないほうがいい。念話を使えば、誰にも知られずに僕らだけで相談もできるし答えも教え合える。〉

 〈『正々堂々』にはほど遠いわね。〉フィオリナはすかさず続けた。〈ヒト族も獣人族も念話を使えないわ。試問の間だけは使わないようにしましょう。〉

 〈わかった、そうしよう。〉リウェルは顔を上げた。

 木立を抜けた二人は道を左に折れ、小石の敷き詰められた道を進んだ。前を見つつも、右手に聳える建物にも気を配る二人は、或る一つの建物の周りに集まる少年少女の姿を目にした。

 〈試問を受けるのは、〉リウェルは右を向き、独り言のように呟いた。〈あの建物だったか……。この前見たのはこの辺りだったはず。〉

 〈そのはずよ。〉フィオリナも右を向いた。〈この間も――申し込みのときのことだけれど――見かけた顔が何人か……、居るみたいだから。〉

 〈確かに。〉リウェルはゆっくりと頷くと、前を向いた。〈迷うこともなかった。〉

 〈いいことよ。〉フィオリナも前を向いた。〈迷って不安に駆られるより、よほどいいわ。〉

 〈違いない。〉リウェルは頭巾の奥で微笑むも、すぐに表情を改めた。〈僕らも列に並ぼう。〉

 〈ええ。〉

 歩みを緩めることもなく早めることもなく道を進んだ二人は、目指す建物から伸びる少年少女たちの列の最後尾に並んだ。そこで二人は頭巾越しに、前へと視線を向けた。

 〈リウェル、〉フィオリナが念話で語りかけた。

 〈どうしたの?〉リウェルは首を傾げ、フィオリナに顔を近づけた。

 〈私たちの前に並ぶ二人は――〉フィオリナはリウェルの服の袖に指で触れた。

 〈この前の二人……、らしい。〉リウェルは前を向いたまま答えた。

 リウェルとフィオリナの前に並んでいたのは、夕刻を思い起こさせる赤毛の所々に寝癖を残したままのヒト族の少年と、灰色の毛並みに覆われた三角形の大きな耳と、耳と同じ毛並みに覆われた尻尾を持つ、獣人族の少女だった。赤毛の少年は列の前のほうに目を遣り、列がわずかに進むたびにそれに合わせて歩みを進めたが、列が止まるとすぐに彫像のような不動の姿勢を取った。傍らの灰色髪の獣人族の少女は姿勢こそ少年と同じように見えたものの、三角形の両の耳を前後左右に細かく震わせ、時折ぺたりと伏せた。伏せられること暫し、両の耳は弾かれたかのように跳ね起き、再び細かく震え始めた。腰から伸びるふさふさの尻尾も左右に振られたかと思うと上下に振られ、再び左右に振られた。幾度か振られた末に落ち着いたかのように見えたのも束の間、引き攣ったかのように跳ね上げられた。列が次第に進む中、少女は血の気の失せた蒼白い顔を少年に向けると、片手を伸ばし、少年の服の袖に触れた。少年も横を向き少女の顔を覗き込むと、少女の手に自身の手を重ねた。そのまま見詰め合う中で少女の耳の震えは次第に収まり、尻尾の揺れも穏やかになり、頬も赤みを取り戻した。少年が笑みを浮かべ、少女の手を握った。少女は目を見開き、自身の手に目を落とすと、少年の視線から逃れようとするかのように列の後ろのほうへと顔を向けたが、そこで動きを止めた。三角形の耳はぴんと立ち、尻尾も伸びたまま固まった。少女の様子を前に怪訝そうな表情を浮かべた少年だったが、つられるようにして後ろを向くと、そこで少女と同じように動きを止めた。

 リウェルとフィオリナ、赤毛の少年と灰色髪の少女は、向かい合ったまま立ち尽くした。ヒト族の少年と獣人族の少女は目を見開き、それぞれ緑色の瞳と茶色の瞳でリウェルとフィオリナの金色の瞳を見詰めた。列がわずかに進んだのを合図にしたかのように、赤毛の少年ははっと息を呑むと片手を顎まで持ち上げ、芝居がかった所作で咳払いを一つした。

 「失礼。」少年はわずかに目を伏せるもすぐに視線を彷徨(さまよ)わせ、どことなくぎこちない動きとともに前を向いた。

 灰色髪の少女も我に返ったかのように、口をわずかに開き、息を飲み込むと、姿勢を正し、リウェルとフィオリナに向かって黙礼した。次いで前を向くと、赤毛の少年の傍らに寄り添った。少年は再び不動の姿勢を取ったが両の耳は次第に赤みを増し、それを隠そうとするかのように俯いた。傍らの少女はじっと列の前のほうを見詰めるも、三角形の両の耳は前後左右に忙しなく動き回り、ふさふさの尻尾は少年に触れんばかりに大きく左右に振られた。

 リウェルとフィオリナはすぐ前に並ぶ少年と少女を目で捉えたまま、列の動きに従った。

 〈前の二人は……、〉リウェルは念話で語りかけた。〈どうしたのだろうね。〉

 〈私たちと目が合って、気まずかったのかしらね。〉フィオリナは、獣人族の少女の左右に動く尻尾を目で追いながら答えた。〈でも機嫌はよさそうよ。少し前とは大違い。〉

 〈少し前までは何か思い詰めたような様子だったから、〉リウェルは二人を見比べた。〈今のほうがまだ()()かもしれない。駆られる前の獣みたいだったさっきよりはよほどいい。〉

 〈そうね。〉フィオリナはゆっくりと頷いた。〈少し浮かれ過ぎのような気もするけれど、沈んでいるよりはいいと思うわ。〉

 手続きを待つ列は徐々に進み、すぐ前に並ぶ少年と少女も手続きを終え、やがてリウェルとフィオリナの番となった。二人は窓口の係員に言われるままに書類を提示し手続きを済ませると、係員の指示されたとおりに試問会場へと向かった。学院の建物の中へと進み、長い廊下を進んだ末に二人が辿り着いたのは、或る一つの部屋だった。二人は入口で立ち止まると中を見渡した。二人が居るのは部屋の後ろにある入口だった。部屋の中には長机と長椅子とが整然と並べられ、既に何人もの少年少女たちが席に着いているのが見て取れた。誰一人として声を発することもなかったが、誰一人として落ち着いた様子を見せることもなかった。席に着いてはいるものの、手にした帳面の頁を捲ったり、どこか遠くを見詰めるかのように虚空を見上げたり、横向きに座り荷物の中身を確認したりと、皆が皆それぞれにすぐそこまでに迫った試問に備えているかに見えた。

 幾度か部屋の中を見渡したリウェルとフィオリナは揃って中へと歩みを進めた。二人の足音が部屋の中に響くとともに、何人かが二人に顔を向け、驚きの表情を浮かべるもすぐに顔を逸らし、その後は二人に目を遣ることもなかった。二人は少年少女たちの動きを気にする様子も見せず、机と手にした書類とを見比べながら進んでいたが、或る長机を前にして歩みを止めた。その場で書類に目を落とした二人は再び机を見下ろすと、互いに顔を見合わせ、頷き合った。そこで頭巾を取った二人は教室を見渡し、落ち着いた様子で長椅子に腰を下ろすも、その視線はすぐ前の席の二人に吸い寄せられた。

 〈前の二人は――〉リウェルは視線を外すことなく、フィオリナに念話で語りかけた。

 〈あのときの二人ね。〉フィオリナが続けた。

 二人の前の席に着いていたのは赤毛の少年と灰色髪の少女だった。少年は斜め左に目を遣ったかと思うと前を見、次いで右のほうに視線を向けた。少女は顔を俯けたまま()(じろ)ぎもせず、両の耳を小刻みに震わせ、時折何かを振り払うかのように大きく振った。

 〈申し込みの順に席を割り当てているらしい。〉リウェルは左右を見渡した。

 〈それが一番簡単だものね。〉フィオリナは前の席の二人を見た。

 〈席の順番はそうだとして、〉リウェルは腰を浮かせた。〈外套は脱いでおこう。邪魔になるし、あらぬ疑いをかけられるかもしれない。〉

 〈それなら、雑嚢も、ね。〉フィオリナも立ち上がった。〈背負ったままだと邪魔になるわ。〉

 二人は外套を脱ぐと小さく畳み込み、机の上に置いた。次いで雑嚢を下ろすと筆記具などの必要なものを取り出し、畳んだ外套を雑嚢にしまい込み、机の下に――自身の足許に――置いた。その後二人は服の乱れを整え、互いの姿を見比べると、再び長椅子に腰を下ろした。

 リウェルとフィオリナの隣と後ろの席にもそれぞれヒト族の少年と少女が腰を下ろし、部屋の中の席は一つまた一つと埋まっていった。幾度か部屋の中を見渡した二人が目にしたのは、ヒト族や獣人族も含め、髪の色も毛並みの色も様々、肌の色も様々、身形(みなり)も様々な少年少女たちだった。その中には、引き攣ったような表情を浮かべている者、そわそわと体を揺らす者、頻りに耳を震わせる者、背筋を伸ばして目を閉じる者、どこか遠くを見詰めるかのように虚ろな目をした者、首をわずかに傾け虚空に目を遣る者も見られた。

 長椅子のほぼ全てが埋まり、重い静けさが満ちた頃、部屋の前の扉が開かれた。その音を合図とするかのように、既に席に着いていた少年少女たちは一斉に入口へと目を向けた。幾つもの瞳が見詰める中、姿を見せたのは二人の係員たちだった。係員たちは、自分たちは試問監督であることを告げ、少年少女たちに向かって激励の言葉を投げかけると、試問に際しての細々とした注意を述べた。一通りの説明を終えた係員は教室の中を見回し、「何か質問は?」と問い掛けた。挙手する者もいないことを確認した係員たちは、問題と解答のための帳面とを部屋の中を配って回り、全員に配り終わったのを確認したところで再度注意すべきことを伝えると、すぐに試問の開始を告げた。少年少女たちは――リウェルとフィオリナも含め――一斉に問題に取り組み始めた。


    ◇


 開始から一刻半が過ぎた頃、係員たちが終了を告げた。少年少女たちは筆記具を机の上に置き、居住まいを正した。満足そうに笑みを浮かべる者、悔しそうに顔を歪める者、血の気を失った顔で呆然と前を向く者、顔を俯け帳面を見詰める者など、それぞれの表情からはそれぞれの思いが窺われた。リウェルとフィオリナは顔を上げ、部屋の前方を見詰めた。二人の顔にはわずかな笑みが見て取れた。試問監督の係員たちは机の間を歩き回り、問題と帳面とを回収していった。係員たちは逐一それぞれの枚数を確認しながら一人ひとりの机の上から回収していき、全員の分の回収を終えたところで試問の本当の終了を告げ、部屋を後にした。少年少女たちは、係員の姿が扉の向こうに消えたのを見届けると、帰り支度を始め、次々と部屋を後にした。飛び跳ねんばかりの軽やかな足取りの者、両手両足に重りをつけられたかのように前屈みのままゆっくりと進む者、今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えるかのように足早に去る者など、試問の出来を容易に窺われる光景だった。リウェルとフィオリナは席を立つと身支度を調(ととの)えた。雑嚢から取り出した外套を纏い、互いの姿を見た二人は、前の席で帰り支度をしている赤毛の少年と灰色髪の少女をちらりと見ると、揃って部屋の出口へと向かった。そのまま他の少年少女たちの流れに乗った二人は長い廊下を抜け、建物の外へと出た。

 〈今日はこれから何をしましょうか。〉フィオリナは念話で訊ねながらリウェルの顔を覗き込んだ。〈これまでどおり図書館に行くか、町の中を歩くか――〉

 〈フィオリナは何をしたい?〉リウェルはフィオリナを上目遣いに見た。

 〈空を……、〉フィオリナはリウェルの肩越しに見上げた。〈空を飛びたいわ。まだ(ひる)になったばかりだから、元の姿では無理だけれど。〉

 〈それなら、〉リウェルもフィオリナの肩越しに空を見上げた。〈鴉の姿で空を駆けよう。木立の中で変化(へんげ)すれば、誰かに見られることもない。〉

 〈いいわ。〉フィオリナは顔を下ろし、セレーヌの小屋へと続く道に目を遣った。〈来た道を戻りましょう。この道なら誰も通らないでしょうから、町に向かう道よりも安心だわ。〉

 〈わかった。行こう。〉リウェルも道の先を見遣った。

 リウェルとフィオリナはその日の朝に通った道を逆に辿り、学院を通り抜け、離れ家へと続く道の伸びる木立の中へと歩みを進めた。頭上を覆う葉の落ちた枝の下、二人はヒト族の姿から鴉の姿へと変じると、地面を蹴り両の翼を羽ばたかせた。枝の間を通り抜けた二羽の鴉たちは木立の上空へと舞い上がり、そのまま円を描くようにして空の高みを目指した。羽ばたきとともに地上は遠ざかり、学院の敷地内を町に向かう少年少女たちの姿も地を這う蟻のようになり、所狭しと立ち並ぶ家々は積み木を積み上げたようにも見え、程なくして一つひとつの建物は形を失い、絵の具で塗りつぶしたかのようにも見えた。町を取り囲む壁の外、作物の植えられた畑と、その先に広がる緑の草原と、さらにその先、眠りに就いているかのような森を見渡せる頃になって、二羽は上昇から滑空に転じた。地上から立ち上る緩やかな風を両の翼で捉えながら、二羽は羽ばたくこともなく滑るように空を進んでいった。

 〈このまま、どこかに行ってしまいたいわ。〉フィオリナは首を巡らせ地上を見下ろした。

 〈今日のところはやめておこう。〉リウェルは円の反対側に位置するフィオリナを目で追いながら語りかけた。〈出掛けるのなら、セレーヌさんに前以てお伝えしておかないと心配させることになる。それに、今日の試問のことも報告しないと。出掛けるなら明日からかな。〉

 〈わかっているわ。言ってみただけ。〉フィオリナは拗ねたように答えながらもリウェルに笑いかけた。〈この姿で――鴉の姿で――、どこまで行けるかしら。風に乗って、自分の翼で羽ばたいて、羽ばたくのに疲れたら、また風に乗って、飛翔魔法は使わないで。〉

 〈空の続く限り、どこまでも進めるよ、きっと。〉リウェルは前を向いた。〈この姿で翼を羽ばたかせて進むのも、元の姿で飛翔魔法を使って進むのも、空を駆けるのには変わらない。その気になれば、白い雲を越えて、碧い空をどこまでも、どこまでも。〉

 〈『世界の果て』まででも?〉フィオリナも前を向いた。〈草原を越えて、森を越えて、山も海も越えて、どこまでも、どこまでも、リウェルと一緒に。〉

 〈いつまでも、どこまでも行こう、フィオリナと一緒に。それこそ『世界の果て』まででも。〉

 二羽の鴉たちはその後も空を舞い続けた。二羽は、一方が追いかける役に、他方が追いかけられる役になり、一方は他方の後を確実に追うという、かつてコルウスが出した条件そのままに、空を駆け巡った。二羽は、翼を半ば畳むことで水平に保っていた体を急降下させ、森の樹々に触れるかというところで翼を広げ、再び上昇に転じた。樹々が形を失うまでに上昇を続けたところで風を捉え、羽ばたきを止めると、そのまま風に乗り、さらに上昇を続けた。やがて、白い雲を越えるまでに達すると、二羽は水平飛行へと転じた。碧い空の下、漂い浮かぶ幾つもの雲は、湖に浮かぶ島々のようにも見えた。二羽は追いかける役と追いかけられる役とを交代しながら、雲の上と森の上とを幾度も往復した。二羽は、或る雲の傍では右に折れ、別の雲の傍では左へと進路を取り、また別の雲の傍ではそのまま突っ切り、さらに別の雲の前では上昇に転じ、飛竜の力を使うことなく空を駆け続けた。

 やがて、南の空を進む陽は中点を通り過ぎ、西の空へと差し掛かった。空を漂う雲もその輝きを減じ、地上に落ちる樹々の陰もその長さを増した。二羽は空の上での追いかけっこをやめ、周囲を見渡した。

 〈そろそろ町に戻ったほうがいいかもしれない。〉リウェルは首を巡らせ、町を見遣った。〈町が僕らの後ろにある。〉

 〈ずいぶん遠くまで来てしまったわね。〉フィオリナも後ろを振り返り、目を細めた。〈このまま進んだら、別の町に着いてしまいそう。〉

 リウェルとフィオリナは揃って前を向いた。二羽の鴉たちの進む先には、地平線に近づきつつある陽があった。漂う幾つもの雲は陽の光を受けて紅く染まり、同じ色に染まる空に溶け込もうとしているかに見えた。紅い空の下、地上は深緑の緑に覆われ、二羽の目では森の終わりを捉えることは叶わなかった。

 〈町に戻ろう。〉リウェルは、並んで進むフィオリナを見た。

 〈ええ。〉フィオリナもリウェルを見た。

 二羽は体を傾け、大きく右に旋回した。両の翼の羽ばたきとともに二羽は陽の光を左から受けながら森を離れ、草原の中に浮かぶ島を思わせる町へと向かった。滑空と羽ばたきとを繰り返しながら進んだ二羽は、やがて壁に囲まれた町の上空に至り、セレーヌの小屋の建つ木立を見つけ出すと、羽ばたきを止め円を描くようにして降下を開始した。幾度も旋回しながら降下を続けた二羽は、樹々の梢が迫る頃、さらに小さな円を描くようにして地上へと向かった。程なくして二羽は、空地の中に広がる畑のすぐ傍に降り立った。両の翼を畳み込み、羽の乱れを調(ととの)えた二羽は周囲を見回すと、樹々の幹に沿って視線を走らせた。樹々に囲まれた空地から臨む空は、未だに昼の世界を思わせる輝きを保っていたものの、二羽の立つ地面と周囲の樹々との間に夕刻を思い起こさせる薄闇が満ち、全てが影の中に取り込まれているかに見えた。

 二羽の鴉たちは顔を下ろし、首を巡らせ、セレーヌの小屋に目を遣った。屋根から伸びる煙突から煙を吐き出すこともなく、小径に面した扉も閉ざされたままの小屋は、静かに(あるじ)の帰りを待っているようにも、束の間の微睡みに落ちているようにも見えた。そのまま暫し見詰めた二羽は申し合わせたかのように前を向き、樹々のほうに向かって歩き出した。足指の爪が土を蹴り、かすかな音を立てた。そのまま土の上を進み続けた二羽は程なくして、落ち葉の厚く積もった、樹々の根元に至った。歩みを進めるたびに、踏みつけられた落ち葉が不満を漏らすようにかさかさと乾いた音を立てる中、二羽は時折立ち止まり、頭を下げ、嘴を落ち葉の下に差し入れた。落ち葉の下や土の中から二羽が見つけ出したのは、皮が半ば朽ちた木の実や、冬の寒さに耐えながら眠りに就いている蟲などだった。二羽は、木の実については足で押さえながら嘴を突き立てて皮を剥き、中身を啄んだ。蟲については頭を嘴で一突きして動きを止め、足で押さえながら蟲の脚や翅を毟り取り、腹に収めた。


    ◇


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