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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第四部:学院、森、空
53/74

学院、森、空(一)(五三)

 季節が移り行く中、地上のもの全てを焼き尽くすかのような陽射しが降り注ぐ頃を前にして、リウェルとフィオリナは防壁魔法の改良に勤しんだ。二人は、既に組み上げられている風除けと寒さ除けとに加え、暑さ除けを新たに防壁魔法へと組み込んだ。その後の二人は、頭巾を日除け代わりにすることもなく、草原の中に浮かぶ町に降り注ぐ陽射しを気にすることもなく、額に汗を浮かべることもなく、ヒト族の姿で町の通りを歩き回った。時に二人は鴉の姿へと変じ、両の翼で風を捉え、草原の上空を舞い踊った。二羽だけで、あるいは、コルウスと共に空を駆け、草原に残されているであろう獣の死骸を探し、運良く見つけられたとあれば群がる先客たちを追い払いながら屍肉を啄み、運悪く見つけられなかったとあれば草原と森との境界に降り立ち、落ち葉の下に埋もれた木の実や草の葉の陰に潜んでいるであろう蟲を探して歩いた。

 リウェルとフィオリナにとって夜明け前の一時(ひととき)は食べ物を探し出すのに絶好の機会だった。闇の世界から光の世界へと移り変わる頃、二羽は(ねぐら)としている離れ家を後にすると、畑の広がる空地を通り抜け、周囲に聳える樹々の根元に沿って歩みを進めた。二羽の足の下には何年にも(わた)って降り積もった落ち葉が幾重にも重なり、二羽が歩みを進めるたびにかすかな音を立てた。二羽の目は、それら落ち葉の下から這い出ようとするものの姿を捉えた。それは、地面の下に広がる闇の世界で長い時を過ごし、ようやく陽の光の降り注ぐ世界に姿を現そうとする、蝉の仔蟲だった。地上に顔を出した仔蟲たちは樹の幹へと向かい、空を目指すかのように幹を上へ上へと進みゆく。やがて幹の中程で、あるいは、細い枝先に伸びる葉に至ったところで歩みを止めると、土色の皮を脱ぎ捨て、暫しの時を経て空を舞う成蟲へと姿を変ずる。二羽の鴉たちはそれらの仔蟲や変じたばかりの成蟲を捉え、腹に収めた。仔蟲が地面に顔を出す前や地面を歩いているときや樹の幹を登っているとき、果ては、今にも成蟲へと姿を変じようとするときに、二羽の鴉たちは嘴で捕らえて地面に転がし、足で押さえ付けながら爪を突き立てた。鴉たちは仔蟲の脚を引き抜き、成蟲の翅を引き千切り、嘴を蟲の頭に突き立てて動きを止めると、そのまま丸呑みにした。二羽が毎日のように捕らえても、仔蟲は次から次へと地上に姿を現し、成蟲へと姿を変じ、耳を聾するばかりの歌で昼の世界を満たした。蝉たちの歌が満ちる中、リウェルとフィオリナはヒト族の姿で図書館に通い、時に町を歩き回り、時に鴉の姿で町の上空を舞い、時に枝にとまる蝉を追い立て、空を舞いながらそれらを捕らえるという遊びに興じた。

 陽射しの下に達したことを高らかに歌い上げるようでもあった蝉たちの声はやがて、過ぎゆく季節を惜しむようなか細いものへと移り行き、ついには碧さを減じた空の中へと消え去った。陽射しは日ごとにその力を弱めるも、町はそれまで以上に活気を見せるようになった。町の通りを行き交う者たちは日を追うごとに数を増し、広場を埋め尽くすように開かれた店は道端(みちばた)へと溢れ出した。多くの店の店先に並ぶのは、普段は目にすることのない品々――本物かどうかも怪しい貴石であったり、遠い異国から仕入れてきたという小物であったり、その時期にのみ食すことのできる果実であったり――だった。人々は皆物珍しそうに、あるいは、物欲しそうな表情を浮かべながら、店から店へと歩いて回った。広場では何日かおきに祭りが催され、酒や料理が振る舞われた。住人たちは日々の鬱憤を晴らすかのように夜更けまで――一部の者たちは空が白み始める明け方まで――宴に興じた。既にその由来さえ忘れ去られた祭りもあるにはあったが、住人たちは気に留めることもなかった。住人たちにとっては、飲み食いしながら――その気であれば一晩中でも――騒ぎ通せることのほうが何よりも重要なことだった。リウェルとフィオリナも幾つかの祭りに姿を見せ、屋台で買い求めた料理を口にしながら住人たちと言葉を交わした。その中で、二人は住人たちからいろいろと問い掛けられることになった。ヒト族とも獣人族とも異なる二人の容姿は、住人たちに興味を抱かせるには十分なものだった。二人は、住人たちの問い掛けに対して本当のことを答えるわけにもいかず、種族に伝わるしきたりの旅の途中で町に立ち寄った、ということを話すに留めた。それだけのことであっても、滅多に町を出ることのない住人たちは二人の話に耳を傾けた。さらに聞きたがる住人たちを前にして、二人は本当のことを織り交ぜながらも曖昧な話に終始するより他なかった。商人を始めとして町の外から訪れる者たちがいるとはいえ、面と向かって話を聞く機会も少ないとあって、住人たちは二人の話を酒の肴とばかりに聞き入った。ついには二人のことはそっちのけで酒を酌み交わし、会話に花を咲かせるまでに至った。二人は話題の中心から外れたのを見計らうと、静かに広場を後にした。

 凍てつくような風が北の平原から町へと吹き抜けるようになると、その風に立ち向かうように、住人たちは襟を閉じ、背中を丸め、手に息を吹きかけながら通りを行き交った。リウェルとフィオリナも纏った外套の前を手で押さえ、頭巾を目深に被り、既に習慣となった図書館通いを続けていた。二人が進む道の周囲に伸びる樹々はほとんどが葉を落とし、獣の骨を思わせる枝を残すのみだった。その枝の間からは冬の弱々しい光が降り注ぎ、樹々の根元に厚く積もった落ち葉を照らした。二人が歩みを進めるごとに乾いた落ち葉がかさかさと音を立てた。その音は、眠りに就いたかのような樹々の間に溶け込んでいった。

 〈そろそろ入学試問の申し込みが始まる頃か。〉リウェルは、目の前の地面に積もった落ち葉に目を落としながら、念話で語りかけた。〈もうすぐ(こよみ)も新しくなるはずだ。〉

 〈セレーヌさんに確かめたほうがいいかしらね。〉フィオリナも前を向いたまま念話で答えた。〈申し込むのを忘れたら、次の試問まで、もう一年待たなければならないわ。〉

 〈前にも話したけれど、それは避けたいね。〉リウェルは頭巾の奥で顔を顰めた。〈図書館に通っていればいろいろ知ることはできると思うけれど、誰かと話してみないことにはわからないこともいくらでもあるはずだから。〉

 〈そうね。〉フィオリナは頷いた。〈セレーヌさんとだけではなくて、他のヒト族や獣人族と話してみないとね。セレーヌさんは『森の民』だもの。町の住人たちとは考え方も違うはずよ。もう何年もこの町でお暮らしになっていて、町の様子をご覧になってきたのなら、町の住人たちには見えないものも目にされているはずだから。〉

 〈逆もあるかもしれない。〉リウェルは忍び笑いしながら、わずかに首を傾げた。〈町の住人たちには見えているものが、セレーヌさんにとっては見えていないかもしれない。〉

 〈例えば、身形(みなり)?〉フィオリナは笑いを抑えながら訊ねた。

 〈そう。例えば、身形。〉リウェルは打って変わって真面目腐った口調で答えた。

 〈あり得るわね。〉フィオリナは神妙に頷いた。

 〈あり得るでしょう?〉リウェルはさらに問い掛けた。

 二人は自身の言葉をさらに確かめるように、頭巾の奥で何度も頷いた。

 樹々の間を抜け、小石の敷き詰められた道を辿り、図書館を訪れたリウェルとフィオリナは、そこで(ひる)過ぎまで試問の準備に励むと、その後は町の広場へと足を向けた。陽が中点を過ぎた頃の広場で、二人は町の子どもたちとの遊びに興じた。始めは、無遠慮な視線を向ける子どもたちに向かってリウェルが牙を見せ驚かしていたものが、いつしか、子どもたちが逃げる役、リウェルが追う役という追いかけっこへと変わり、そのうち、追いかけっこの中で追いかける役を交代するようになり、さらには、呆れた様子で見ているだけだったフィオリナもそこに加わり、毎日ではないものの二人が広場に赴いたときは子どもたちを追いかけっこに興じるのが暗黙の決まりと化すまでになっていた。弱々しい陽射しの降り注ぐ冬の昼はすぐに過ぎ去り、子どもたちが薄闇の中をそれぞれの家路に就く頃、リウェルとフィオリナも広場を後にし、セレーヌの小屋のある空地へと向かった。

 樹々の間を進むリウェルとフィオリナの耳が別の一人の足音を捉えた。その足音の(ぬし)は樹々の中を西の方角から空地を目指していた。二人よりも小さな歩幅のその人物は悩む様子も躊躇(ためら)う様子もなく目的地に向かっているかに見えた。

 〈あの足音はセレーヌさんのものだね。〉リウェルは前を見たままフィオリナに語りかけた。

 〈そうね、きっと。〉フィオリナも前を向いたまま答えた。〈学院のほうから小屋に向かっているわ。足を止めることもないみたいだから、セレーヌさんね。他の誰かだったら途中で引き返すことになるはずでしょうから。〉

 〈確かに。〉リウェルはゆっくりと首を縦に振った。〈僕らがこのまま進めば、同じ頃に小屋の前に着くかな。〉

 〈どうかしら。〉フィオリナは首を傾げ、リウェルを見た。〈私たちのほうが少し遅れるかもしれないわ。セレーヌさんはずいぶん早足で進まれているようだから。〉

 〈それならそれで。〉リウェルもフィオリナを見た。〈食事のときに、学院の入学試問のことを訊いてみよう。もしご存じでなくても、どこで調べればいいのかは聞けるだろうから。〉

 〈今さらだけれど、図書館とは別の建物に行けばわかったかもしれないわね。〉フィオリナは前を向いた。〈他には、図書館の係員の誰かに訊ねてもよかったかもしれないわ。〉

 リウェルは肩を竦めると前を向いた。

 そのまま樹々の間を進んだ二人はやがて空地に至ると、そのまま小径を進み、小屋の扉の前に立った。二人は互いに向かい合うようにして耳をそばだてた。二人の耳に届いたのは、小屋の(あるじ)が食事を用意するために動き回るかすかな足音だった。二人は顔を見合わせたまま頷き合うと扉に向き直り、暫し後にリウェルが扉を叩いた。

 「リウェルです。ただいま戻りました。」リウェルは小屋の(あるじ)に呼びかけた。

 「フィオリナも一緒です。」続けてフィオリナが扉を叩いた。

 「はい、おかえりなさい。」セレーヌが小屋の中から答えた。「入っていらっしゃい。食事にしましょう。」声とともに、小屋の中を歩き回るセレーヌの足音が二人に届いた。

 「はい。」二人は扉を開け、小屋に歩み入った。

 「もうすぐできあがるから、二人とも、椅子を持ってきてね。」セレーヌは暖炉の傍らに置いた椅子に腰を下ろすと、火にかけた鍋の中身を杓子でかき混ぜた。

 リウェルとフィオリナは部屋の隅に置かれていた椅子を手に取ると、暖炉の前まで進み、手にした椅子を置いた。二人は椅子の後ろに立ったまま、料理を続けるセレーヌを見詰めた。

 「今日はその姿なのね。」セレーヌは笑みを浮かべながら、二人をチラリと見た。「鴉の姿のときのほうが多かったから、ずいぶん久しぶりな気もするわ。鴉の姿のときは、それはそれで、見ていて楽しかったのだけれどね。」

 リウェルとフィオリナは顔を見合わせ、すぐにセレーヌに向き直った。

 「あなたたちが鴉の姿のときは、声を出しているのは私だけだから、独り芝居のようね。はい、リウェルの分よ。」セレーヌは粥を皿によそうと、リウェルに差し出した。

 「ありがとうございます。」リウェルはセレーヌに歩み寄り、皿を受け取った。

 「フィオリナも。」セレーヌは粥をよそった皿をフィオリナに差し出した。

 「ありがとうございます。」フィオリナも皿を受け取った。

 「二人とも、座って。それから、はい。」セレーヌは二人に匙を差し出した。

 リウェルとフィオリナはそれぞれ匙を受け取った。

 セレーヌは自分の分を皿によそうと匙を手に取った。「さ、食べましょう。」

 三人は匙を口に運んだ。


    ◇


 「――学院の、入学試問の申し込み? そういえば、そろそろだったわね。」セレーヌは小屋の壁を見上げるも、すぐにリウェルとフィオリナを見た。「明日、明後日ではないにしても、近々であることは確かね。詳しいことは事務局に訊いたほうがいいわ。私よりもよほど丁寧に教えられるはずよ。」

 「『事務局』……、ですか。」リウェルは手を止め、セレーヌを見た。「その『事務局』はどこにあるのかを教えていただけないでしょうか。」

 「ええと……、」セレーヌはリウェルから目を逸らし、虚空を見上げた。「口で説明するのは少し面倒ね。明日の朝、一緒に学院に行きましょう。そうすれば教える手間も省けるわ。あなたたち、夜明け前には起き出して、食事にするのでしょう?」セレーヌはリウェルとフィオリナを交互に見た。

 「そうですね。」フィオリナが答えた。「鴉の姿で蟲や木の実を探します。」

 「この頃は寒くなってきましたから、」リウェルが続けた。「探し出すのに少し手間がかかりますけれど、それでも探していれば見つけられますので。」

 「無理はしないでね。」セレーヌは二人を見詰めた。「とは言っても、町の外で狩りもできるのだから、それほど心配する必要はないのでしょうけれど。」

 三人はその後も会話に興じた。

 暖炉に()べられた薪の幾つかが火の粉を巻き上げながら形を失う頃、リウェルとフィオリナはセレーヌの許を辞した。聳える樹々の梢の先から星の光が降り注ぐ中、二人は小径を進み、離れ家に向かった。夜の闇よりもさらに深い闇に沈む離れ家に入り、扉を閉めた二人は、申し合わせたかのように鴉の姿へと変じると、書き物机の上に跳び上がった。そのまま机の上を歩み、中央付近で互いに寄り添った二羽の鴉たちは、その場でうずくまり、目を閉じた。


    ◇


 闇色に染まった空は次第にその色を薄め、空一面を覆い尽くす星々は一つまた一つとその姿を空の中に溶け込ませていった。学院の敷地から続く樹々の中、穴のような空地は未だ夜の名残の中にあったが、それも次第に失せつつあった。気の早い鳥たちの囀りが木立のそこかしこから聞かれるようになる頃には、最後まで輝きを放っていた星々も空の中へと溶け込み、空地の中に建てられた小屋と離れ家とが闇の中から浮かび上がった。

 離れ家の扉が音もなく内側に開かれた。微風に押されたかのようにゆっくりと開いたその扉の後ろから姿を現したのは、二羽の鴉たちだった。夜の闇のような羽衣(うい)を纏った鴉たちは、扉から数歩進み出ると互いに距離を取った。二羽はその場で体を起こして首を伸ばし、次いで、背伸びをするように脚を伸ばすと両の翼を広げ、大きく羽ばたかせた。しかし、鴉たちの体は浮き上がることもなく、風を叩く音が響くのみだった。幾度か翼を羽ばたかせた鴉たちは翼を畳み込むと、具合を確かめるかのように翼を動かし、頭を左右に振った。やがて満足したのか、鴉たちは互いの顔を見詰めた。見詰めること暫し、そのまま互いに歩み寄った鴉たちは、横顔を擦りつけ合うと、揃って離れ家へと顔を向けた。鴉たちの見詰める先、小屋の扉が独りでに動き出し、程なくして音もなく閉じた。鴉たちは、元のとおりに閉じた扉に目を遣ると体の向きを変え、畑に向かって歩み始めた。植えられているはずのほとんどの作物は、陽の射す刻もわずかな、凍える風の吹く季節を迎え、その多くが緑の葉を失い、かさかさと音を立てながら風に揺れる枯れ葉を纏うのみとなっていた。鴉たちは、枯れ果てた作物を横目に(あぜ)を進み、そのまま畑を通り過ぎ、やがて周囲に聳える樹々の根元に至ると、積もった落ち葉を踏み締めながら、地面に目を落とした。何歩も進まないうちに一羽が歩みを止め、嘴で落ち葉を()け始めた。からからに乾いていた何枚もの落ち葉が取り除かれると、次第に湿り気を帯びた黒ずんだ落ち葉が顔を覗かせた。落ち葉の色が変わったことなど気にする様子も見せず、その一羽は嘴を使ってさらに落ち葉を除けてゆき、土と見分けがつかないまでに朽ちた落ち葉に嘴を突き立てた。そのまま掘り進めること数度、その一羽は、土の下から白く丸まった一匹の蟲を掘り当てた。不満そうに体を(よじ)る蟲を見詰めること暫し、その一羽は狙いを定めると嘴で幾度か蟲の頭を突いた。すぐに動きを止めた蟲を咥えたその一羽は頭を上げ、少し離れたところで獲物探しを続けるもう一羽を見遣った。

 〈フィオリナ、見つけた。〉リウェルは蟲を咥えたまま誇らしげに呼びかけた。〈食べるでしょう?〉リウェルは落ち葉の上をフィオリナに向かって進んだ。

 フィオリナは顔を上げ、リウェルに近づいた。〈リウェルが見つけたのだから、リウェルが食べればいいのに。でも、私にというのなら、ありがたく頂戴するわ。〉フィオリナはリウェルの前で歩みを止めるとしゃがみ込み、顔を上げ、嘴を開いた。

 〈少し探せば、すぐに見つけられるから。〉リウェルは咥えていた蟲をフィオリナの口に押し込んだ。

 フィオリナは嘴を閉じると、その場で立ち上がり、蟲を飲み込んだ。〈ありがとう、リウェル。〉フィオリナはリウェルに歩み寄ると嘴を寄せた。

 〈どういたしまして。〉リウェルは目を閉じ、フィオリナにされるがままに任せた。

 〈次は私の番ね。〉フィオリナは嘴を離すとリウェルを見詰めた。〈同じくらいの蟲を見つけられればいいけれど。〉

 〈すぐに見つけられるさ。〉リウェルもフィオリナを見詰め返した。

 二羽はどちらからともなく嘴を触れ合わせると獲物探しを再開した。

 顔を落とし、樹々の根元に沿って進むこと暫し、フィオリナは獲物を探し当てた。それは、リウェルが捕らえたものよりも大きな蟲だった。フィオリナは、身を捩る蟲の頭を嘴で突くと、意気揚々と蟲を咥え上げ、リウェルのほうへと近づいた。リウェルは女王から勲章を賜る騎士のごとく、もったいぶった所作で身を屈め、口を開いた。その口にフィオリナは獲物の蟲を押し込んだ。儀式張った遣り取りを終えた二羽は再び歩みを進めた。

 落ち葉を踏み締めながら樹々の根元を歩き続けた二羽は顔を上げ、その場に立ち止まると、空地の中に建つ小屋のほうへと目を遣った。二羽は幾度か首を左右に傾げると互いに顔を見合わせた。そのまま見詰め合った二羽はやがて前を向き、小屋のほうへと歩みを進めた。落ち葉の降り積もった樹々の間から、土がむき出しの地面へと出ると、二羽はそのままゆっくりとした足取りで進んでいった。小屋まで数歩というところで立ち止まった二羽は小屋の扉を見上げた。二羽の視線の先、小屋の扉が静かに内側に開かれた。

 「リウェル、フィオリナ、そろそろ出掛けるわよ」セレーヌは小屋の中から二羽の鴉たちに向かって語りかけた。

 〈はい。〉二羽は小屋の(あるじ)を見上げながら揃って答えた。

 〈改めまして、おはようございます。〉〈おはようございます、セレーヌさん。〉リウェルとフィオリナは姿勢を正した。

 「はい、おはよう。」セレーヌは笑みを浮かべ、頷いた。「ずいぶん早起きね。いえ、あなたたちにとっては普段と変わらないのかしらね。朝の食事はもう済ませたの?」

 〈はい。蟲と木の実を少々。〉リウェルが答えた。

 〈寒くなってきましたので探すのは手間でしたが、〉フィオリナが続けた。〈見つけられないわけではありませんので。〉

 「わかったわ。無理はしないでね。」セレーヌは二羽を交互に見た。「ところで、あなたたちはその姿のままで出掛けるつもりなの?」

 〈僕らはかまいませんが――〉

 〈セレーヌさんがかまいますね。〉

 〈この姿のままですと、セレーヌさんが独り言を言っているように見えてしまいます。〉

 〈それに、私たちのことも怪しまれるかもしれませんし。〉

 リウェルとフィオリナは畳んだままの翼を幾度か上下させた。

 「私の家の近くであればその姿のままでもかまわないけれど、」セレーヌは西の方角に顔を向けた。「木立の中でも誰かに見られるかもしれないわ。ないとは思うけれど、あなたたちがヒト族の姿に変じるところも。今のうちに姿を変じておいたほうがいいわね。」

 〈わかりました。〉二羽の鴉たちは言うが早いか、それぞれ少年の姿と少女の姿へと変じた。

 〈これでよろしいでしょうか。〉リウェルは外套の端を両手で摘まみ、持ち上げてみせた。

 〈リウェル、念話もだめよ。〉フィオリナは窘めるように見た。「声に出さないと。」

 「そうだった。」リウェルは手を下ろし、フィオリナを見た。

 フィオリナはリウェルを見ながら満足そうに頷いた。

 「あなたたちが念話で話しかけてきても、」セレーヌはよく似た姿の少年症状を交互に見た。「私は聞こえない振りをするわね。あなたたちの声は私以外には聞こえないはずだから。さて、出掛けましょうか。」セレーヌは小屋から出ると扉を閉めた。

 「はい。」リウェルとフィオリナはセレーヌを見た。

 三人は西に向かって歩みを進めた。


    ◇


 セレーヌを先頭に、リウェルとフィオリナがその後ろに並んで続き、三人は木立の中を進んでいった。三人の頭上を覆うように枝を伸ばした樹々の多くは既に葉を落とし、絡み合う骨のような枝の間からは碧さを増しつつある空が見て取れた。歩き始めてから変わることなく規則正しい足音を響かせながら学院へと向かっていた三人は、程なくして木立を抜け、白い小石の敷き詰められた道へと至ると道を左に折れ、そのまま道なりに歩みを進めた。

 「今から行く建物に事務局の受付があるわ。」セレーヌは斜め後ろを振り返り、リウェルとフィオリナを見た。「一階にあるからすぐにわかるわ。いずれいろいろな手続きで来ることになるでしょうから、場所を覚えておいてね。とは言っても、すぐにわかるでしょうから忘れても困ることはないはずよ。万が一わからなくなっても、建物の周りを歩けばすぐに見つけられるわ。」セレーヌは笑みを浮かべると前を向いた。

 三人の足の下、道に敷き詰められた小石が不平を述べるように音を立てた。それらの石の声を気にする様子も見せず三人は歩みを進めたが、右手に見える建物を二つ過ぎたところでセレーヌは道を右に折れ、リウェルとフィオリナは無言のままその後に続いた。程なくして三人の前に二つの建物が迫った。それらの建物は、学院の敷地にある他の建物と同様に、長い時を経たものであることを窺わせた。そのままセレーヌは歩みを進め、二つの建物のうち左側の建物――南側にある建物――に向かった。

 三人が進む道は唐突に終わりに達した。道の先に聳え立つ建物の一階には幾つかの窓が設えられており、それらの一つひとつが事務局の受付となっている様子が見て取れた。

 「ここよ。」セレーヌは後ろを振り返ることもなく窓の一つへと歩みを進めた。「ここに来れば、学院の事務に関することは全てわかるわ。もちろん、入学試問のこともね。」

 リウェルとフィオリナはセレーヌの後に続いた。

 「おはようございます。」窓口に座していた係員が顔を上げ、セレーヌを見た。「このような朝早くにいらっしゃるとは、どうされたのですか?」

 「おはよう。」セレーヌは窓口の前に立った。「入学試問のことについて訊きたかったのだけれど……、申し込みが可能になるのはそろそろだったでしょう?」

 「そうですね。」係員は机の上に置かれた書類に目を落とした。「ここ数日のうちには……、正確には五日後からですね。」係員は顔を上げるとセレーヌを見、次いで、リウェルとフィオリナを見た。「後ろに控えられているお二方はお弟子さんでいらっしゃるのでしょうか。」

 「弟子ではないわ。」セレーヌはゆっくりと首を横に振った。「私が預かっている子たちよ。申し込みの開始は五日後なのね。」

 「はい。」係員は頷いた。「申し込みの際に提出していただく書類がございますので――」係員は後ろを振り返ると備え付けの棚から幾つかの書類を取り出した。「こちらがその書類になります。」係員は窓口に向き直ると、それぞれの書類を二つに分け、外から見えるように差し出した。「必要な箇所に記入されたうえで、ご提出ください。」

 「リウェル、フィオリナ、受け取っておきなさい。」セレーヌは窓口の前から離れると、二人を促すように見た。

 飛竜の少年少女は窓口の前に進み出ると、それぞれ書類を受け取った。

 「記入の方法につきましても書類に記載されておりますので、そちらをお読みになっていただければと。」係員はリウェルとフィオリナを見た。「わからないことがございましたら、いつでもお訊ねになってください。もちろん、セレーヌ殿にお訊ねになってもかまいませんので。」

 「ありがとうございます。」二人は係員に礼を述べると書類を雑嚢にしまい込んだ。

 「書類のことに関しては、」セレーヌは笑みを浮かべ、係員を見た。「私よりもあなたのほうがよほど頼りになるわ。」

 係員もセレーヌに微笑んでみせると、机に目を落とし、自身の仕事を再開した。

 「さてと、」セレーヌはリウェルとフィオリナに向き直った。「私はこれからお仕事だけれど、あなたたちは何をするの?」

 「今日も図書館に行きます。」リウェルが答えた。

 「試問の日も近いですし。」フィオリナが続けた。

 「わかったわ。では、夕刻に。」セレーヌは頷きながら二人を見た。

 「はい。」

 一人と二人はそれぞれの目的地へと向かった。


    ◇


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