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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第三部:図書館、町の広場、老鴉
45/74

(一三)(四五)

 暖炉の中で揺らめく炎は()べられた薪を包み込み、夜の闇に沈む小屋の中を紅く照らし出した。炎が揺らめくたびに小屋の壁に映る影も大きく形を変え、さながら影絵芝居が演じられているかのようでもあった。演者の一人はセレーヌだった。セレーヌは、暖炉のすぐ横に置いた椅子に腰を下ろし、火に掛けた鍋の中身を杓子でかき混ぜ、時折、鍋の中身を小皿によそい、口に運んだ。別の演者は、鴉の姿のままのリウェルとフィオリナだった。二羽は、セレーヌの斜め前に――暖炉の正面に――置かれた二脚の椅子の上にとまり、セレーヌの手を見たり、炎を受けて壁に映る自身の影を目で追ったりと、本物の鴉のような仕草を見せていた。

 「あなたたち、今日はその姿で食事にするつもりなの?」セレーヌは鍋の中身を杓子で皿によそいながら二羽に訊ねた。「まだ熱いし、嘴では食べづらいのではないかしら。」セレーヌは皿を手にしたまま、椅子の上の二羽を見た。

 〈大丈夫です。〉リウェルはセレーヌに向き直ると姿勢を正し、胸を張った。

 〈たぶん、大丈夫です。〉フィオリナはセレーヌに向き直るも、わずかに嘴を下げると、湯気の立つ皿をじっと見詰めた。

 「あなたたちがいいと言うのなら、私はかまわないのだけれど……、」セレーヌは椅子から立ち上がると、手にしていた皿をリウェルがとまる椅子の上に置いた。「はい、リウェルの分よ。」

 〈ありがとうございます。〉リウェルはその場で礼をした。

 「次は、フィオリナね。」セレーヌは鍋の中身を別の皿に取り分けると、その皿をフィオリナのとまる椅子の上に置いた。

 〈ありがとうございます、セレーヌさん。〉フィオリナは居住まいを正した。

 「それじゃ、食べましょうか。」セレーヌは自身の分を皿によそい、匙を手に取った。

 一人と二羽は食事を始めた。

 リウェルとフィオリナは、湯気の立つ粥を端のほうから嘴でつつくようにして食べ始めた。しかし、皿に盛られた粥は鴉の嘴では啄むこともままならず、かといって、嘴を横にして掬い取ることも熱さのために叶わず、二羽は皿の横に立ち、粥を見下ろすばかりだった。

 〈この姿だと、お皿から粥を食べるのは難しいわね。〉フィオリナは皿を見詰めながら念話でリウェルに語りかけた。〈お皿よりも底の深い杯のほうが食べやすいのかしら。でも、どちらにしても、熱いままだと食べるのは難しそうね。〉

 〈この姿でも大丈夫だと思ったのだけれど……、〉リウェルは恨めしそうに皿を見下ろした。〈この姿だと、熱いものを吹いて冷ますこともできない。翼で風を起こせば冷ますこともできるけれど、小屋の中で羽ばたくのは……、やめておいたほうがいい。となると、この姿で食事するにも練習が必要そうだね。〉リウェルは顔を上げ、フィオリナを見た。〈今日のところは、この姿で食事するには諦めたほうがいいかもしれない。〉リウェルは溜め息交じりに言った。〈セレーヌさんが作ってくださった料理を口にしないのも失礼に当たる。〉

 〈ヒトの姿で食べたほうがよさそうね。〉フィオリナもリウェルも見た。

 〈そうなるね。〉リウェルもフィオリナを見詰め返した。

 「姿を変えるのかしら?」セレーヌは、椅子の上で見詰め合う二羽の鴉たちに訊ねた。

 〈はい。〉〈今日はヒト族の姿でいただきます。〉二羽の鴉たちは答えるなり椅子から飛び降りると、ヒト族の姿へと変じた。二人は、椅子の上に置かれた皿を手に取り、腰を下ろした。

 「その姿なら、匙が必要ね。」セレーヌは食事を中断すると、二人に匙を差し出した。

 「ありがとうございます。」リウェルとフィオリナは匙を受け取った。

 三人は食事を再開した。

 「さて、と、落ち着いたところで、」セレーヌは柔和な笑みを浮かべ、白銀竜の少年少女を見た。「あなたたちの話を聞かせてもらえると嬉しいわ。鳥らしく――『鴉らしく』、なのかしらね――前に進めるようになったことについて。」

 「そのことなのですが――」リウェルが切り出した。

 リウェルとフィオリナはその日のことをセレーヌに話して聞かせた――広場で鴉たちを観ていたこと、鴉たちの中でも大柄な一羽がたびたび二人の前に姿を見せたこと、その大柄な鴉に話しかけようかと相談していたところ、当の鴉から話しかけられたこと、それも念話で話しかけられたこと、その鴉に事情を説明し、鳥としての飛び方について教えを請うたこと、その鴉が二人の願いに快く応じたこと、小屋まで戻り、その鴉に教えを受け、その後は二人だけで飛ぶ練習を続けたこと――。

 セレーヌは二人の話に口を挟むこともなく、時折目を丸くしながらも聞き入った。特に、鴉が念話で二人に話しかけたという(くだり)では、心底驚いたとばかりに表情を浮かべた。

 「――それで、セレーヌさんがお戻りになる少し前に、飛べるように――翼の力だけで前に進めるように――なりました。」フィオリナが話を締め括った。

 セレーヌはリウェルとフィオリナからゆっくりと目を逸らすと、どこか遠くを見詰めるかのように虚空に目を遣った。無言のまま()(じろ)ぎ一つしないその姿はどこか彫像のようにも見えた。小屋の中には薪の()ぜる音が響き渡り、ゆらゆらと揺れる紅い炎が壁や天井に三人の影を映し出した。燃え進んだ薪が崩れ落ち、暖炉の中に火の粉を巻き上げた頃、セレーヌは我に返ったかのように、リウェルとフィオリナを見た。二人はセレーヌに答えるかのようにわずかに顔を動かした。セレーヌと白銀竜の少年少女は暖炉の紅い炎を前に目を合わせた。

 「ごめんなさいね。あなたたちのお話が、あまりにも思いもよらないことばかりだったから。」セレーヌは髪に手を遣り、幾度か撫でた。「その大柄な鴉は町でも有名よ。いつ頃から町に姿を見せるようになったのかは覚えていないけれど、それでもずいぶん前からだったはずだわ。私も、小さな子たちがその鴉を追いかけ回して遊んでいるのを見たことがあるわ。それにしても、まさか、その鴉が念話を使えるなんて……。」

 「『子どもたちが追いかけ回して遊ぶ』というよりも、」リウェルが言った。「『子どもたちに追いかけ回させて遊ばせる』というほうが正確かもしれません。」

 「どういう意味かしら?」セレーヌはリウェルを見、わずかに首を傾げた。

 「どちらかというと、その鴉のほうが子どもたちの相手をしているように見えました。」リウェルは答えた。「子どもたちに、自身を追いかけるように仕向けていた、といいますか……、遊んでいるのは子どもたちのほうではなくて、その鴉のほうなのかと。」

 「子どもたちは鴉に遊ばされていたというわけね。」セレーヌは独り頷いた。

 「あとは、その鴉はずいぶんお年を召しているようでした。」フィオリナが言った。「もちろん、『鴉としては』という意味ですが。言葉の端々から窺い知れましたから。」

 「そうでしょうね。」セレーヌはフィオリナを見た。「町の子どもたちがおとなになるくらいの間は町に居るはずよ。鴉がどれほど生きるのか詳しいことはわからないけれど、それでもずいぶん長い間ね。念話を使えるというのもわからないでもないわ。できることなら、一度その鴉に会って、話を聞いてみたいわね。」セレーヌは目を輝かせた。

 リウェルとフィオリナはどちらからともなく互いに顔を見合わせた。暫し見詰め合っていた二人は、ゆっくりと同じ方向に首を傾けた。ややあって、二人は揃って反対方向に首を傾けた。

 「どうしたの、二人とも?」セレーヌは考え込んだ様子の少年少女に訊ねた。「そんなに首を傾げるような、何か変なことを言ったかしら?」

 リウェルとフィオリナは、またも揃ってセレーヌに向き直った。二人の顔に浮かんでいたのは、戸惑いとも心配とも取れる表情だった。

 セレーヌは二人に先を促すかのように笑みを浮かべた。

 「あの……、たとえお話になれたとしましても、」リウェルは気遣うかのようにセレーヌを見た。「もしかしたら、セレーヌさんにとっては苦手な相手になるかもしれません。」

 「『苦手な相手』?」セレーヌは怪訝そうな表情を浮かべ、リウェルの言葉を繰り返した。

 「はい。」リウェルが答えた。「その鴉は――名をコルウスというのですが、それについては今はあまり関係ありません――種族としてお年を召しているらしいこともあって、そのことが、或るお(かた)を思い起こさせますので……。」リウェルはそれ以上は語らなかった。

 「『或るお(かた)』?」セレーヌは眉根を寄せながら首を傾げ、あらぬ方向を見遣った。「『或るお(かた)』って……、」セレーヌは勢いよく少年少女に向き直ると、目を大きく見開いた。「それは、まさか……。」

 「おそらく、セレーヌさんが思い浮かべられたお(かた)と、私たちが思い浮かべたお(かた)とは、同じだと思います。」フィオリナはセレーヌをじっと見詰めた。「鴉ですから、私たちに比べれば、ほんの少ししか生きていないことになりますけれど、鴉という種族としては長生きだと仰っていました。私たちのことを『独り立ちしたばかりの(ひな)』と評していましたから。或る意味、そのとおりなのですが。」

 「鳥としての飛び方についても、」リウェルが続けた。「答えをすぐに伝えることはせずに、答えに辿り着きそうな手がかりを伝える、といった感じでした。それに、『悩もうとも迷おうとも探し出せ』と言わんばかりでした。ですので、姿形は違いますが、セリーヌさんによく似ているといいますか……、どうかされたのですか?」

 セレーヌは暖炉のすぐ近くに陣取っているにもかかわらず、冬の風を正面から受けたかのように両腕で自身の体を抱き、体を縮こまらせ、身震いした。首を竦めたセレーヌは、何かを振り払うかのように何度も首を横に振った。「今のところは、会うのは遠慮しておこうかしら。」セレーヌは体の震えを収めると、少年少女に顔を向けた。

 「お会いになるだけでしたら、問題ないと思いますが。」フィオリナが気遣い半分励まし半分といった様子で声を掛けた。

 「あら、どうして?」セレーヌは興味深そうにフィオリナを見た。

 「セレーヌさんはコルウスさんとお話しできないと思いますので。」フィオリナは答えた。「コルウスさんのお話ですと、『言葉が通じたことはなかった』とのことですから、私たちが使う念話とは少し違うのかもしれません。私たちの念話はセレーヌさんにも伝えられますけれど、コルウスさんの念話はそうではないようなのです。」

 「そう。」セレーヌはゆっくりと息をついた。「そうだったわね。それなら、取り敢えず安心ね……、安心なのかしら? いずれにしても、その鴉がどのようにして念話を会得(えとく)するに至ったのかは興味があるわ。」セレーヌは思案顔で言った。「それに、どのようにして言葉を――ヒト族や獣人族の言葉を――解するようになったのかについても。『コルウス』という名だって、野に棲むただの鴉が――少し言葉は悪いけれど――思いつくようなものではないわ。何かしら学問を修めたのでなければ知りようもない言葉だから。」

 「コルウスさん曰く、『遠い異国の、太古の昔の言葉』だそうです。」リウェルが指摘した。「『鴉』を意味する言葉だとか。そのときは、そうなのかと思って聞いていましたが……、」リウェルは傍らのフィオリナへと顔を向けた。「鴉であるコルウスさんが何故そんなことを知っているのかなんて考えもしなかった。」

 「私もよ。」フィオリナもリウェルを見た。「博識だとは思ったけれど、どうやってその知識を得たのかについては考えていなかったわ。『ただの鴉』でないのは確かだと思うけれど。」

 「コルウスさんのことも知りたいけれど、そう簡単には教えてもらえないかもしれない。」

 「そうね。まずは、コルウスさんの教えを身につけるのが先ね。今よりも鴉らしく振る舞えるようになれば。もしかしたら、教えてくださるかもしれないわ。」

 「まだ教わることがあるの?」セレーヌは驚きの表情を浮かべながら二人に訊ねた。

 「はい。」白銀竜の少年少女は揃ってセレーヌに向き直った。

 「今はまだ前に進めるようになっただけですので、」リウェルが答えた。「向きを変えることもできません。何かあったときに逃げることもできないと思います。」

 「鴉としての振る舞い方も、まだまだですから。」フィオリナが続けた。「せめて、瞳の色以外は鴉らしくしたいと思っています。」

 「鴉の姿のほうが、元の姿よりもこの姿よりも目立ちませんし。ヒト族や獣人族の住む町で暮らすのでしたら、鴉の姿でいたほうが暮らしやすいかもしれません。」

 「学院の講義を聴きにいくこともできそうですし。」

 リウェルとフィオリナは互いに顔を見合わせ、悪戯を思いついた子どものような表情を浮かべると、再びセレーヌを見た。

 「鴉として講義を聴きにいくつもりならば、」セレーヌは溜め息交じりに、聞き分けのない幼子に言い聞かせるかのように言った。「決して正体を知られないようにすること。それに、決して怪しまれないようにすること。そのためには、本当に本物の鴉らしく振る舞うこと。いいわね?」セレーヌは有無を言わせぬ口調で二人に迫った。

 「はい。」リウェルとフィオリナは笑顔を収め、学び舎の学生よろしく背筋を伸ばした。

 「よろしい。」セレーヌは二人の返事に満足そうに頷いた。「これからあなたたちがどれほど鴉らしくなっていくのかが楽しみね。」セレーヌは笑みを浮かべた。「あなたたちが飛竜だなんて誰も考えもつかないだろうし、本当のことを告げたとしても誰も信じないかもしれないわ。それだけあなたたちは飛竜らしくないという点で『変わり者』なのかしらね。もちろん、悪い意味ではないわよ。世界を見る旅なのだから、試せることは試してみないとおもしろくないわ。今のうちにいろいろ試して失敗して、いずれ生まれるはずの、あなたたちの子に伝えられるようにしておきなさい。どんな子が生まれるのか、どんな子に育つのか、今から楽しみね。もしかしたら、あなたたちそっくりになるかもしれないわよ。」

 「僕らが子を()すのは、五十年は先のことですが……。」リウェルはげんなりした顔で大きく息をつくと、力なく反論した。

 「それに、子を()す前に、」フィオリナも半ばうんざりといった様子で付け加えた。「子を育てるための縄張りも構える必要がありますし。」

 「あら、あなたたちにとっての五十年なんて、すぐのことではないかしら?」セレーヌは何でもないとばかりに二人を見た。「今年、あなたたちは百三十歳になったのでしょう? ヒト族や獣人族にしてみれば十三歳くらいかしらね。となると、あなたたちにとっての五十年は、ヒト族や獣人族にとっての五年くらいのはずね。それくらいはすぐに過ぎ去るわ。あなたたちに子が生まれたら、顔を見せに来てちょうだいね。」

 「はあ……。」二人は力の抜けた声で答えた。

 「あなたたちの子のことは後々の楽しみにということにして、今日のところはこれで終わりにしましょうか。明日も早くに起きるのでしょう?」セレーヌは、二人の手の中のすっかり空になった皿に目を向けた。「まだ早いかもしれないけれど、休んだほうがいいわ。嬉しいことがあったときはなかなか寝付けないものよ。」

 「そうですね。」リウェルはセレーヌに答えると、傍らのフィオリナへと顔を向けた。

 「そうします。」フィオリナもセレーヌに答え、リウェルを見た。

 暫し見詰め合った二人は再び前を向いた。

 「後片付けのことは気にしないで、あなたたちは休みなさい。」セレーヌは皿を渡すように二人に促した。

 「はい。」二人はその場に立ち上がるとセレーヌに近づき、皿と匙とを手渡した。その後、二人は腰を下ろしていた椅子を小屋の隅へと移動させた。

 「おやすみなさい。」「おやすみなさい、セレーヌさん。」椅子を片付けた二人は扉の前に並んで立ち、姿勢を正すと、暖炉の傍に立つ小屋の主に挨拶をした。

 「はい、おやすみ。」セレーヌは笑みを浮かべ、満足そうに答えた。

 リウェルとフィオリナはその場で目礼すると小屋を辞し、離れ家へと向かった。


    ◇


 リウェルとフィオリナは離れ家の中に入ると扉を閉め、中を見回した。離れ家の中には、空地を包み込む闇よりもさらに深い闇が満ちており、整然と積まれた本の塔も、二人が寝床としている床に敷いた布も、扉を入ってすぐ右手に置かれている書き物机も、そこかしこに置かれた雑多なものも、全てが渾然一体となり、闇の中に溶け込んでいた。

 〈リウェル、〉フィオリナは傍らに立つリウェルを見た。

 〈なに?〉リウェルもフィオリナを見た。

 全てが闇に沈む中、二人の両の瞳だけが、見る者を射竦めるかのような金色の輝きを放った。

 〈今日の夜は、鴉の姿で休むのはどうかしら?〉フィオリナは、さもよいことを思いついたとばかりに目を細めた。〈町の外に出る前に一回くらいは――一回でなくてもいいのだけれど――鴉の姿で夜を明かしておいたほうがいいと思うの。どう?〉フィオリナは期待の籠もった眼差しをリウェルに向けた。

 〈それもいいかもしれない。〉リウェルはフィオリナに目を合わせた。〈ただ、鴉の姿で夜を明かすとなると、森かどこかで樹の枝にとまって眠ることになると思うけれど……、〉リウェルは左右を見回し、次いで上へと視線を向けた。〈止まり木になりそうなものはなさそうだね。代わりになるとしたら――ならないかもしれないけれど――、〉リウェルはすぐ右手に置かれた書き物机に目を遣った。〈休むとしたら机の上かな。本だと足の爪で傷つけてしまうだろうし。机なら二羽で乗っても大丈夫だと思う。〉リウェルは再びフィオリナに顔を向けた。

 〈天井の(はり)は……、〉フィオリナは闇の先を見上げた。〈太すぎるわね、鴉の足で掴むには。そうとなれば、〉フィオリナは顔を下ろし、その場で鴉の姿へと変じると、書き物机の上に跳び乗った。〈リウェルも、早く。〉フィオリナは促すようにリウェルを見上げた。

 〈わかった。少し待って。〉リウェルも鴉の姿へと変じると書き物机の上に跳び上がり、そのままフィオリナの傍らまで歩みを進めた。〈この姿だと、離れ家もずいぶん大きく見える。〉リウェルは歩きながら周囲を見回し、天井へと目を向け、最後にフィオリナを見た。

 〈ヒト族の姿でいるのが不安なときは、別の姿に変じたほうがいいのかもしれないわね。〉フィオリナは脚を曲げ、その場にうずくまった。〈元の姿でいられるなら、そのほうが安心できるけれど、ヒト族や獣人族の近くに居るときはそうもいかないわ。〉

 〈鴉だけではなくて、別の獣の姿にも変じられるようにしておいたほうがいいのかもしれない。〉リウェルはフィオリナのすぐ隣で立ち止まり、そのままうずくまった。〈町に居る四つ足の獣に変じることができれば、何かあったときにいろいろ役に立つかもしれないし。〉

 〈止まり木になりそうな枝を見つけられなかったら、鴉の姿で休むのは危ないかもしれないものね。でも、翼があったほうが逃げやすい……、というわけでもないわね。何の姿に変じても飛竜の魔法を使えるわけだから。〉

 〈逃げる算段についてはあまり心配しなくてもいいと思う。フィオリナの言うとおり、何かあっても飛竜の力を使えば何とかなるはずだから。他の姿に変じるのは、その場に居ても怪しまれないようにするため、かな。草原の真ん中にヒト族の姿で居るのは変だということもあるだろうから。草原だったら、ヒト族の姿よりも……、馬の姿のほうがいいかもしれない。でも、町の中で馬の姿をしていたら――〉

 〈『どこから逃げ出してきたのだろう』と思われるわね、きっと。(くら)(くつわ)も何も身につけていなかったとしたら、特に。〉

 〈フィオリナの言うとおり、いろいろな獣の姿に変じられるようにしておいて、そのときそのときで使い分けたほうがいいと思う。どうしても元の姿に戻れないときのために。〉

 〈だとすると、そのための練習が必要ね。楽しみではあるけれど、たいへんそうだわ。〉

 〈そこは覚悟を決めるしかないかもしれない。姿を変じただけでは、そのものにはなりきれないから。今と同じことになると思う。観て、試して、失敗して、試して……、の繰り返し。〉

 〈そうね。そこはしかたないわね。〉

 二羽の鴉たちは嘴を擦りつけ合い、次いで横顔を触れ合わせた。

 〈もう休もう。〉〈ええ。〉二羽は首を巡らせ、嘴を背の羽の中に沈めた。

 〈おやすみ、フィオリナ。〉

 〈おやすみ、リウェル。〉

 二羽の鴉たちは目を閉じると、程なくして規則正しい寝息を立て始めた。


    ◇


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