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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第三部:図書館、町の広場、老鴉
42/74

(一〇)(四二)

 明くる日、朝から図書館に赴いたリウェルとフィオリナは、あと少しで(ひる)というところで図書館を後にすると、広場へと向かった。学院の敷地に伸びる白い小石の敷き詰められた道を進み、学院と町とを隔てる木立を通り抜けた二人は、足取りも軽く、迷路のように入り組んだ町の通りを進んでいった。風に揺れる白銀色の髪は陽の光を受けて黄金色に輝き、身につけていた外套は風をはらみ、はためいた。町の通りを行き交う住人たちの間を縫うようにして進んだ二人は、やがて、あと少しで町の広場に至るというところで歩みを緩め、通りの先に広がる広場に目を凝らした。

 二人が目にしたのは、前日までとは異なる広場の光景だった。至る処で出されていた屋台の前には、品物を買い求める住人たちが長い列を作っていた。屋台の持ち主たちは戦場に赴いた兵士のような顔つきで客たちの注文に応じていた。値段の安いものを売っている店ほど列は長く伸び、列が長いほどに店の者たちの表情も険しさを増した。広場の中央にある池の、その周囲に設えられた幾つもの長椅子は、昼食を楽しもうとする住人たちで占められ、空きは残されていなかった。或る長椅子では仕事仲間とみられる若者たちが談笑しており、その隣の長椅子ではお年寄りたちが周囲の喧騒などどこ吹く風とばかりに残り少ない自身の歯で食べ物と格闘していた。また別の場所では、母親らしき女性が小さな子どもたちの世話を焼いていた。父親らしき男性は子どもたちと一緒になってはしゃぎ周り、女性は呆れ顔であるいは困り顔で子どもたちと男性を窘めていた。長椅子に座りきれない住人たちは池の縁を椅子代わりにして腰を下ろしており、その数は池の周囲の半周以上を占めるほどだった。

 〈ずいぶん混んでいる。〉リウェルは広場を見渡しながら、フィオリナに念話で語りかけた。

 〈いつもは(ひる)を過ぎた頃に来ていたから、〉フィオリナも周囲に目を遣りながら念話で答えた。〈あれだけ()いていたのね。〉

 二人は広場に続く道の端に寄ると、そこから広場を見渡した。住人たちで混み合う中、広場の中を歩き回る鳩たちの姿も見られた。鳩たちは、食事をしている住人たちの周囲を歩き回っていた。歩き回りながらも時折立ち止まると精一杯首を伸ばし、住人たちの姿を――まさに食べ物を口に運ぼうとする姿を――見上げることもあった。子どもたちは自身のすぐ傍まで近づいた鳩たちを追いかけ、鳩たちは子どもたちに捕まるまいとばかりに逃げ回り、子どもたちが笑みを浮かべ鳩たちをさらに追いかけ回すと、鳩たちは子どもたちに追いつかれる前に両の翼を広げ、羽ばたきの音とともに空へと舞い上がった。子どもたちは、鳩たちを追いかけ回したときの勢いはどこへやら、すぐに立ち止まると、広場を飛び立った鳩たちの姿を目で追った。その子どもたちも、遠くに行かないようにと呼びかける親たちの声を耳にすると、すぐに親たちの許へと駆けて戻った。その後も、広場を歩く鳥は鳩たちばかりだった。二人が観ようとしていた鴉たちは、広場を囲む建物の屋根に陣取り、地上を見下ろしていた。それぞれ何羽かで集まった鴉たちは、羽繕いをしたり、屋根の上を歩き回ったり、互いに何やら鳴き交わしたりと、思い思いに過ごしているかに見えた。

 〈鳩たちは歩いているけれど、鴉たちは広場に降りていない。〉リウェルは顔を上げ、広場を取り囲む家々の屋根に目を遣った。〈皆、上から広場を見ている。〉

 〈人混みはお気に召さないのよ。〉フィオリナも顔を上げ、建物の屋根に目を走らせると、広場の奥を見遣った。〈食べ物にありつく前に、誰かに追いかけられるか、踏まれるかするかもしれないことがわかっているのよ、きっと。わざわざ危険なところへ近づくこともないわ。もう少し待てばゆっくりできるもの。〉

 〈それは僕らも同じか。〉リウェルは顔を下ろすと傍らのフィオリナを見た。〈この人混みだと、ゆっくり食事もできない。鴉たちのことを観るのも、もちろん。〉

 〈もう少し待つ?〉フィオリナもリウェルを見た。〈鴉たちみたいに、どこかで。そうすれば、少しは()くのではないかしら。〉

 〈それでもいいけれど、〉リウェルは再び広場へと顔を向けた。〈屋台の列に並んでいれば、すぐに()くと思う。広場から出ていくひとたちもそれなりの居るようだから。僕らの順番になる頃には、長椅子に座れるくらいになるかもしれない。〉

 〈それなら、〉フィオリナも広場を見た。〈並びましょうか。ところで、どの屋台にする?〉フィオリナは期待に満ちた表情でリウェルを振り返った。

 〈歩きながら決めよう。〉リウェルはフィオリナを見た。〈店は獲物と違って逃げないから。〉

 〈でも、早くしないと、買いたくても買えなくなってしまうかもしれないわ。〉フィオリナはリウェルと屋台とを交互に見た。

 〈どれだけ早く獲物を狩れるか他の獣たちと競い合うのと同じようなもの、か。〉リウェルは目を細めた。〈わかった。行こう。〉

 二人は広場の中へと歩みを進めた。

 リウェルとフィオリナは広場に立ち並ぶ屋台を見て回り’そのうちの一つで昼食を買い求めると、再び歩きながら広場を見回した。池の縁石に座る住人たちの姿もほとんど見られず、池の周囲に設えられた長椅子のうちの幾つかは既に空いており、それらは誰かが腰を下ろすのを待ち構えているかのようにも見えた。人通りの少ない場所には鳩たちが降り立ち、何歩か歩いては嘴を地面に突き立てることを繰り返した。屋根の上で広場を見下ろしていた鴉たちも広場に降り立ち、鳩たちよりも悠々とした態度で、何かめぼしいものでもないだろうかとばかりに歩き回った。二人は池の周囲を巡り、ようやく空いている長椅子を見つけると、揃って腰を下ろし、広場を見遣った。

 二人の前には鳩たちがどこからともなく集まり、また、どこからともなく羽音を立てて降り立った。鳩たちはそれぞれ、てんでんばらばらに動き回っているかに見えて、しかし、確実に二人との距離を詰めつつあった。鳩たちは、二人が手に持つ麺麭(パン)から零れ落ちる欠片にありつければ幸いとばかりに、時折二人に丸い目を向けながら歩き回った。その鳩たちの後ろ、二人からさらに距離を置いたところに、数羽の鴉たちが舞い降りた。その中には、それまでも二人の前に姿を見せた、大柄な鴉の姿もあった。他の鴉たちが鳩たちから離れた場所に留まっていたのに対し、大柄な鴉は鳩たちのほうへと歩みを進めた。鳩たちは、自身の身に降りかかるかもしれない厄介事から逃れようとするかのように、その鴉のために道を空けたが、広場を飛び立つまでには至らず、早足で移動するに留まった。その鴉は、鳩たちの振る舞いは当然とばかりに、堂々とした足取りで二人のほうへと歩みを進めた。やがて、二人から十歩ほどの距離を隔てたところで歩みを止め、黒く輝く両の瞳で二人を見詰めた。見詰めながらも、時折頭を左右に振る姿は、二人が何者なのかと見極めようとしているかにも見えた。

 リウェルとフィオリナも負けじと、その鴉に目を合わせ、見詰め返した。二(つい)四つの金色の瞳が鴉を捉え、一対二つの闇色の瞳が少年少女を捉えた。二人と一羽とが()(じろ)ぎもせずに目を合わせる中、広場の喧騒が遠のいた。白銀色の髪を輝かせる少女と、闇色の光を放つ羽衣(うい)を纏った大柄な鴉とは、お互いを射貫こうとするかのように睨み合った。

 長椅子から距離を取った鳩たちはその場にうずくまるか、そのまま歩き続けた。まるで嵐が過ぎ去るのを待つかのように、あるいは、嵐に巻き込まれるのを避けるかのように、二人と一羽には関わりたくないといった様子が見て取れた。他の鴉たちは、大柄な鴉のことなど気にする素振りも見せずに広場を歩き回っていたが、首を巡らせて長椅子のほうへと視線を向けることもあった。総じて、鴉たちは鳩たちよりも落ち着いているかに見えた。

 リウェルとフィオリナと、大柄な鴉との睨み合いは暫し続いたが、先に顔を逸らしたのは大柄な鴉のほうだった。鴉は突然、二人に興味を失ったとばかりに横を向くと、そのまま片目で二人を捉えながら歩き出した。広場の中をゆっくりと歩きながらも、地面に落ちている何かを啄むその姿は、そこだけは普段と変わらない様子であるかに見えた。

 大柄な鴉が長椅子から距離を取った頃、地面にうずくまっていた鳩たちもその場に立ち上がり、食べ物を探そうとするかのように歩き始めた。首を振りながら歩みを進め、互いに鳴き交わすかのように声を発するその姿は、鳩たちにとっての脅威が過ぎ去ったことが窺えた。

 リウェルとフィオリナは大きく息をつき、どこか遠くを見詰めるかのような表情を浮かべた。

 〈あの大柄な鴉は明らかに、僕らのことをわかっているらしい。〉リウェルは既に距離を取った鴉を目で追いながら、フィオリナに念話で語りかけた。〈僕らのことを覚えていて、僕らが広場に来るたびに姿を見せる。〉

 〈話しかけてみる?〉フィオリナはリウェルを見、微笑みかけた。

 〈『飛び方を教えてください』って?〉リウェルは鴉から目を離すと、傍らのフィオリナを見た。〈『鳥としての――鴉としての――飛び方を』ということだけれど。〉

 〈そうよ。〉フィオリナはリウェルに目を合わせたまま、ゆっくりと首を縦に振った。〈もしかしたら、快く教えてくれるかもしれないわ。〉

 〈どうだろう。〉リウェルは再び鴉へと顔を向けた。〈僕らの言葉が通じるかが問題だけれど、いろいろなことを知っているようには見えるね。〉

 大柄な鴉はゆったりとした足取りで広場の中を進んでいた。

 〈あまり乗り気ではなさそうね。〉フィオリナはリウェルの視線の先を見詰めた。

 二人の見詰める先、大柄な鴉は体を起こすと両の翼を広げ、何度か羽ばたかせたが、空に舞い上がることはなかった。鴉はそのまま翼を畳み込み、再び歩き始めた。

 〈何だか、煽られているようにも見えるわ。〉フィオリナはおもしろがるかのように笑みを浮かべた。〈『飛べるものなら、飛んでみろ』と言われているみたい。〉

 〈そのようにも見えるね。〉リウェルは片方の口角を引き上げた。〈もしそうなら、なおのこと、教わるわけにはいかないかもしれない。〉

 〈変なところで負けず嫌いなのね。〉フィオリナは呆れた様子で大きく息をついた。〈リウェルのそういうところは父様を思い起こさせるわ。カレルおじ様と張り合っているときの。〉

 〈それは……、〉リウェルは油の切れた門扉を思い起こさせる動きで首を巡らせると、傍らのフィオリナを見た。〈それは、あまり嬉しくない。〉リウェルは苦いものでも口にしたかのように顔を歪めた。〈それだけは……。〉

 〈冗談よ。〉フィオリナはリウェルに顔を向けると、わざとらしく肩を竦めた。〈翼の動かし方を披露してくれるみたいだから、しっかりと観ておきましょう。帰ったら、しっかりと練習しないとね。今日も練習を……、するのでしょう? それとも、今日は観るだけにする?〉

 〈練習もしよう。〉リウェルは鴉に顔を向けた。〈観た後ですぐに練習したほうが忘れないと思う。本当は、ここで練習できればいいのだけれど、そうもいかないでしょう?〉

 〈無理ね。〉フィオリナは肩を落とし、前を向くと、再び鴉の姿を目で追った。〈きちんと飛べない鴉が広場に現れたら……。それも、二羽も。鴉の姿であっても飛翔の魔法を使えるから、飛べないことはないのだけれど、それで飛ぶわけにもいかないから……。〉フィオリナは両腕で自身の体を抱きしめた。〈町の子どもたちに追い回されるわ、きっと。〉

 〈それは僕も遠慮したい。〉リウェルは鴉を目で追いながら、ゆっくりと首を横に振った。〈飛べない鴉は、子どもたちにとってちょうどいい獲物になってしまう。翼の力で飛べるようになるまでは、子どもたちの前に姿を見せないほうがいい。〉

 〈『用心するに越したことはない』わね。〉フィオリナは姿勢を正すと、芝居がかかった口調で答えた。〈あとは、『最大の敵は自分自身だ』かしら? どちらにしても、町に居られなくなるようなことは避けたいわね。町に戻れなくなるようなことも。〉

 〈確かに。〉リウェルは首を縦に振った。〈今できることを使用。とにかく、鴉たちの飛び方をよく観よう、あの大柄な鴉だけでなく。〉

 〈ええ。〉

 二人はその後も長椅子に腰を下ろしたまま、広場を歩き回る鴉たちを目で追い続けた。

 建物の影が広場に長く落ちるのを待つことなく、リウェルとフィオリナは広場を後にすると、セレーヌの小屋へと向かった。陽は未だ西の空高くにあり、夕刻までには間があることが窺えた。二人は町の通りを抜け、木漏れ日の踊る木立の中を進み、セレーヌが施した人払いの術も素通りすると、目的地である小屋はすぐそこだった。

 〈近くには誰も居ないはず。〉リウェルは小屋を背に立ち、周囲を見回した。

 〈居ない、と思うわ。〉フィオリナもリウェルの傍らに立ち、周囲を見た。

 二人の前にあるのは、木立のほうへと伸びる小径と、作物が葉を茂らせる畑と、空地の周囲に聳える樹々ばかりだった。町の喧騒も届かない空地は町の中にありながら、町の外に広がる森を思い起こさせた。

 〈探索魔法を展開したけれど、〉フィオリナは樹々を見、次いで、空を見上げた。〈ヒト族や獣人族らしき反応は見られないわ。空地の周りには誰も居ないみたい。〉

 〈僕も探索魔法を展開したけれど、〉リウェルも空を見上げた。〈反応があるのは、鳥か獣か、小さなものばかりだ。大きなものの反応は見られない。〉

 〈問題なさそうね。〉フィオリナは顔を下ろし、リウェルを見た。

 〈大丈夫そうだということで、〉リウェルもフィオリナを見た。〈さっそく始めよう。〉

 二人の姿はするすると縮み、少年少女の姿は鴉の姿へと変じた。二羽の羽衣(うい)の色は町を飛び交う鴉たちと同じ闇色だったが、金色の瞳だけは少年少女の姿のときと変わらず、また、元の姿のときとも変わらなかった。

 〈変なところはないよね。〉リウェルは両の翼を半ばまで持ち上げると、足踏みしながらその場で一回転した。

 〈大丈夫よ。少なくとも私には鴉に見えるわ。〉フィオリナはリウェルの嘴から尾羽の先まで目を走らせた。〈私は?〉フィオリナも両の翼を半ばまで開くと、その場で一回転した。

 〈少なくとも僕には鴉に見える。〉リウェルは翼を畳み込みながらフィオリナを見た。〈鴉の姿になったところで――〉

 〈練習ね。〉フィオリナも翼を下ろし、リウェルを見た。

 二羽の鴉たちは互いに距離を取り、両の翼を広げると、羽ばたきの練習を開始した。


    ◇


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