(九)(四一)
「――広場に行っていたのは、鳥たちの姿を観るためだったのね。」セレーヌはようやく合点がいったとばかりに幾度も首を縦に振った。
「はい。」リウェルが答えた。「鳥の姿に変じるのであれば、鳥の姿をきちんと観て、鳥の姿をきちんと思い浮かべられなければなりませんから。」
「変化の魔法といいましても、」フィオリナが続けた。「変化した後の姿を正しく思い描かないと、正しく発動しませんので。」
食事を終えた三人は暖炉の前に椅子を並べ、会話に興じていた。暖炉の中で揺らめく炎が白銀色の髪を紅く染める中、リウェルとフィオリナは鳩の姿に変じた経緯をセレーヌに話して聞かせた。セレーヌは脇目も振らず二人の話に聞き入った。
「でも、鳥の姿に変じて――鴉の姿だったけれど――、何かあるのかしら? 今も元の姿から変じているというのでしょう?」セレーヌは柔和な笑みを浮かべ、金色の瞳の少年少女をゆっくりと見た。
「そのことなのですが……、」リウェルは歯切れも悪く答えると、傍らのフィオリナを振り返った。「セレーヌさんにお伝えしてもいいよね?」
「いいと思うわ。」フィオリナもリウェルを見た。「私たちのこともお伝えしておかないと。」
「わかった。」リウェルはフィオリナに頷いてみせると、セレーヌに向き直った。「鴉の姿で町の外へ行こうと思っています。ヒト族の姿ですと怪しまれるかと思いまして。」
「町の外に行くの?」セレーヌは言葉の意図を掴みかねるとばかりにリウェルを見た。「町を出るのは、それほど変なことではないと思うけれど。」
「夕刻に町の門を出て、次の日の朝に戻ってきたとしても、でしょうか。」フィオリナが訊ねた。「旅人姿の私たちが、夜の間は町の外に居て、朝に町に戻ってきたとしたら……。」
「確かに、それは、変に思われるかもしれないわね。」セレーヌは少年と少女を見た。「でも、町の外で何をするつもりなの? 町の中ではできないことなのでしょう?」
「それはですね……、」リウェルは横目でちらりとフィオリナを見ると、再びセレーヌを見た。「狩りに行こうと思っています。」
「『狩り』?」セレーヌは意外だとばかりにリウェルを見た。
「はい、『狩り』です。」フィオリナが答えた。「元の姿に戻って、草原で草を食む獣を狩ります。その後は……、」フィオリナはセレーヌから目を逸らし、あらぬ方向を見た。
「『その後は』……?」セレーヌはフィオリナを見、リウェルを見た。
「その後は、その……、食べます。」リウェルは気まずそうに目を逸らした。
「『狩った獣を食べる』ということね。」セレーヌは念を押すかのように言った。
「はい。」フィオリナはセレーヌを見た。
「あなたたちのことだから、食べる量も相当なものなのでしょう?」
「丸々一頭は食べます。」リウェルはセレーヌを見た。「多いときは、二頭か三頭か。」
「『丸々一頭』……、」セレーヌは口をわずかに開き、目を見開いた。「それは……、多いわね。でも、あなたたちの元の姿からすると、それくらいになるのかしらね。町の中でそれだけの量の肉を手に入れようとしたら、いったい幾らになるか……。」
「ですから、夜の間に町を出て、狩りに行こうと思ったのですが、」リウェルはわずかに顔を顰めた。「ヒト族の姿でこの町に入りましたので、ヒト族の姿で町を出たほうが自然かと思いまして。それに、ヒト族の姿だとしても、夜になろうという頃にわざわざ町の外に出るのも、それはそれで不自然かと。町の外は、ヒト族や獣人族にとって安心できる場所ではありませんから。夜ともなればなおさらです。ですから、鳥の姿に変じて、町の外に出て、町から遠く離れたところで元の姿に戻って、狩りと食事をしようかと思った次第です。」
「黒い羽の鴉でしたら、」フィオリナが続けた。「夜の闇に紛れることもできます。白い羽の鴉ですと目立ちますので、先ほどご覧に入れた姿を選びました。私たちでしたら夜でも目は利きますから――もちろん、探索魔法も使いますけれど――、夜であっても昼とそれほど変わりありません。夕刻に町を出て、夜になってから狩りをして、食事をして、朝までに町に戻れば大丈夫かと。鴉の姿でしたら、町に戻ってきても怪しまれることはないと思います。」
「そうね。町を出るのであれば、そのほうがいいわね。」セレーヌは大きく頷いた。「ヒト族の姿で町を出るのは、確かに目立つわね。特に、あなたたちのその容姿だと。」セレーヌはリウェルとフィオリナを交互に見た。「その色の髪と瞳は目立つわ。たとえ頭巾を被って、顔を隠していたとしても、それはそれで目立つわ。『何故、あの二人はいつも頭巾を被って、人目を避けるようにしているのだろう』とね。皆、自分の知らないものは怖いものだから、あなたたちに対して何かするかもしれないわ。もしそうなっても、あなたたちな対処できるでしょうけれど、よい結果に結びつくとは限らないわ。それは、あなたたちの本意ではないでしょうから、鳥の姿で――鴉の姿で――町の外に出るのは良い案だと思うわ。」セレーヌは笑みを浮かべた。「でも、さっきの様子だと飛ぶのにも苦労しているようね。空を駆ける種族たる飛竜が、飛ぶのに苦労するなんて、何だか不思議な感じがするわね。」
「自身の翼の力だけで空を飛ぶのは難しいということを思い知らされました。」リウェルは肩を落とした。「たった半日で飛べるようになるとは思ってはいませんでしたが。」
「飛竜の力を使えば空を飛ぶのは簡単なのですが、」フィオリナも小さく息をつくと、わずかに視線を落とした。「羽ばたきもせずに飛ぶ鳥では、鳥には見えません。ですから、翼の力だけで飛ぶための練習していたのですが、鳥のように空を飛ぶまでには至っていません。宙に浮かぶことまではできるようになったのですが、前に進むことができないのです。」
「あら、姿を変じたら、すぐに飛べるようになると思っていたのだけれど、」セレーヌは笑みを浮かべたまま二人を見比べた。「それほど簡単なものではないのね。」
「姿を変じることはできたとしても、その姿にふさわしい振る舞いをできるようになるわけではないのです。」リウェルが説明した。「練習しないことには何もできません。もちろん、歩いたり走ったり、水を飲んだり食べ物を食べたりはできますが、それらしい振る舞いについては練習して身につける必要があります。」
「今のこの姿での振る舞い方も父や母に教わったものですから。」フィオリナは顔を上げ、セレーヌを見た。「ヒト族らしい振る舞い方を練習しましたので。でも、本当にヒト族らしいかと言われると、あまり自信はありませんが。」
「飛竜の力も万能ではないのね。」セレーヌはゆっくりと首を縦に振った。「私からすれば、あなたたちの力は、それはそれは魅力的に見えるのだけれど、持って生まれた力を使いこなすのはそれなりにたいへんなのね。使えるようになるためには学ばなければならないというのも他のことと同じ。持っているだけでは意味がない、ということね。」
「はい。」リウェルとフィオリナはセレーヌを見据えた。
「明日も広場に行って、鴉たちを観るつもりです。」リウェルが言った。「お手本になる鴉たちをもっとよく観なければと思いましたので。」
「鴉たちに『飛び方を教えてほしい』とお願いするわけにもいきませんし。」フィオリナが冗談めかして言った。「鴉たちと――鳥たちと――言葉を交わせるとも思えませんから。」
「あら、それは試してもいいのではないかしら?」セレーヌはおもしろがるかのように提案した。「あなたたちの念話の力を以てすれば、一羽の鴉だけに話しかけるくらい造作もないことでしょう? 通じれば幸い。通じなければ、そのときは、鴉たちを観ればいいだけのことよ。」
「鴉に――」「話しかける……、ですか?」リウェルとフィオリナは唖然とした表情を浮かべ、なおも笑みを浮かべたままのセレーヌを見詰めた。
「今のは冗談だとしても、」セレーヌはわずかに肩を竦めた。「試す価値はあるのではないかしら? 声に出して鴉に呼びかけたら怪しまれるでしょうけれど、声に出さないのだったら――飛竜の力を使うのだったら――誰にもわからないわ。」
「はあ……。」リウェルとフィオリナは揃って気の抜けた声を発すると、ゆっくりと首を巡らせ、互いに顔を見合わせた。二人が目にしたのは、セレーヌの提案を受け入れるべきか否かとばかりに、戸惑いの表情を浮かべるよく似た顔だった。
〈どう思う?〉リウェルはフィオリナに念話で語りかけた。
〈『どう』って、鴉に話しかけることについて?〉フィオリナも念話で訊ね返した。
〈そう。〉リウェルはフィオリナの瞳を見詰めた。
〈考えたこともなかったわ。〉フィオリナはゆるゆると首を横に振った。〈今までだって、念話で話しかけたことがあるのは、セリーヌさんとセレーヌさんくらいだもの。〉
〈確かに、学び舎の子たちにも念話で話しかけたことはなかった。〉リウェルはどこか遠くを見遣るかのように目を細めると、再びフィオリナを見た。
〈学び舎の子たちに正体を知られないようにしていたもの。〉フィオリナはリウェルの後ろの壁に目を遣った。〈できるだけ、飛竜の力を使わないようにしていたから。〉
〈もし鴉に話しかけたとしても、〉リウェルはフィオリナに目を合わせた。〈誰かに知られることになるとは思えない。〉
〈それは、何故?〉フィオリナはリウェルの瞳を覗き込んだ。
〈鴉が誰かに――町の住人に――話すとは思えないから。〉リウェルは当然とばかりに答えた。〈鴉はヒト族や獣人族の言葉を話せないでしょう?〉
〈そう言われれば、そうね。〉フィオリナはゆっくりと首を縦に振った。〈鴉から私たちの正体を知られるようなことはなさそうね。それなら、試すだけ試す?〉
〈セレーヌさんの仰るとおり、試す価値はあるかもしれない。〉リウェルは笑みを浮かべた。
リウェルとフィオリナは満足そうに幾度も頷き合うと、セレーヌに向き直った。
「相談事は纏まったのかしら?」セレーヌは穏やかな表情を浮かべながら語りかけた。
「はい。」二人はセレーヌを正面に見た。
「あなたたちが相談しているところは、見ていておもしろいわね。」セレーヌは笑みを保ったまま二人を見比べた。「仲の良さがすぐにわかるわ。」
リウェルとフィオリナはセレーヌから顔を逸らし、互いに反対の方向に目を向けた。
「褒めているのに、そっぽを向くことはないでしょうに。」セレーヌはおかしくてたまらないとばかりに、笑みを浮かべた。
「どうみても、」フィオリナが恐る恐るといった様子でセレーヌに顔を向けた。「からかわれているとしか思えませんが。私たちのことをからかって、おもしろがっているとしか。」
「そう見えるのかしら?」セレーヌはフィオリナを見詰め返した。
「僕らがどのように答えるのだろうかと楽しまれているようにしか見えませんが。」リウェルもセレーヌに向き直り、恨みがましい声で答えた。
「あなたたちの言うとおりよ。」セレーヌは二人を見ながら言った。「それはともかく、試せるのであれば何でも試してみなさい。何かを学ぼうとしてるのだったら、試さないのはもったいないわ。それがどれほど馬鹿馬鹿しいことに思えたとしても、試すことで何かを得られるかもしれない。何も得られなかったとしても、それはそれで、『何も得られなかった』ということは得られた、と思えばいいわ。時を置いて試せば、得るものがあるかもしれないもの。いずれ生まれるであろうあなたたちの子のためにも、いろいろ試しておくことね。」
リウェルとフィオリナはゆっくりと首を巡らせ、互いに顔を見合わせた。暫し見詰め合った二人は再びゆっくりと首を巡らせると、セレーヌに向き直った。
「セレーヌさんの仰るとおり、試してみます。」
「明日に試すかはわかりませんが。」
「それでいいわ。」セレーヌは満足そうに頷いた。「でも、私の言葉であっても用心は必要よ。本当にからかっていたり、おもしろがっていたりしているだけかもしれないから。」
白銀竜の少年少女は揃って眉間に皺を寄せ、唇をわずかに歪めた。
「冗談よ。」セレーヌは笑いながら答えた。「さて、今日はもう休みなさい。明日も早くに起きるのでしょう?」
「そうですね。朝から図書館に行きまして――」「午過ぎには町の広場に向かう予定ですので。」二人は普段の表情で答えた。
「得るものがあるといいわね。」
「はい。」
その後、リウェルとフィオリナはセレーヌの小屋を辞し、離れ家に向かった。
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