(六)(三八)
係員が説明を終えると、リウェルとフィオリナは丁寧に礼を述べ、再び館内へと進んだ。程なくして、二人は書架の森の中へと足を踏み入れた。両側に立ち並ぶ書架は二人の背丈を超えて天井まで伸びており、上下等間隔に設えられた棚には同じ意匠の背表紙の本が端から端まで並べられているのが見て取れた。一つの書架の中では下の段のものほど古くに収蔵されたのか、床に近い幾つかの棚に収められた本には薄らと埃が積もり、出し入れされることもなく既に長い年月が過ぎ去ったことを窺わせた。上の棚に行くほどに埃は減り、天井に近い棚に空きのある書架も見受けられた。二人は、係員に教えられた書架の周囲を、草むらに潜む鼠を探す獣のように、上下左右隈無く目を走らせた。暫し後、リウェルが一冊の本を取り出すと、片手で支え、もう片方の手で頁を開いた。フィオリナはリウェルに寄り添うと本を支え、頁を覗き込んだ。二人はそのまま本を読み進めた。
◇
書架の森の中で本の頁を捲り続けたリウェルとフィオリナが図書館を後にしたのは、午を過ぎた頃のことだった。二人は、前日に訪れた広場を目指し、町の通りを進んだ。
〈今日も鳥たちを観るのね。〉フィオリナがリウェルに念話で語りかけた。
〈そのつもり。〉リウェルも念話で答えた。〈昨日は飛ぶところまでは観られなかったから、今日はしっかり観たいね。昨日は、鴉たちはどこかに行ってしまったし、鳩たちは地面で寝入ってしまったし、子どもたちは僕らの周りに集まってきたし。〉
〈子どもたちは関係ないでしょう?〉フィオリナが指摘した。〈町の子どもたちは、珍しいものを目にすれば、すぐに寄ってくるわ。私たちのことが珍しいのよ。髪も瞳も、町の住人にはない色だからというのもあるわ。〉
〈違いない。〉リウェルは首を縦に振ると額にかかる前髪を指で摘まみ、目を寄せた。〈髪は別の色にしておいたほうがよかったかもしれない。今のこの姿は元の姿に合わせたから、髪の色も鱗の色と同じだ。瞳の色も。珍しいからといって、今から変えるのも……。〉リウェルは髪から手を離し、前を見た。
〈今から変えるのはよくないわね。〉フィオリナが続けた。〈染めたと言い訳できないわけでもないと思うけれど、言い訳の言い訳が必要になるかもしれないわ。却って怪しまれそうよ。〉
〈言い訳を考え出すのも覚えているのも難がある、となれば、この町では、今のこの姿で過ごすほかにない……、か。〉リウェルは胸を張り、姿勢を正した。〈別の町に行くことになったら、そのときにまた考えよう。もしかしたら、ヒト族の姿を真似るよりも、尻尾のある獣人族の姿のほうがいいかもしれないし、他の種族の姿のほうがいいかもしれない。〉
〈そうね。そのときにまた考えましょうか。〉フィオリナも顎を引き、前を見た。
幾つもの角を曲がり、広場に辿り着いたリウェルとフィオリナは、足を止め、広場の中を見渡した。広場のそこかしこに並ぶ屋台では様々な食べ物が売られており、広場を訪れた住人たちが列をなして買い求める姿がみられた。広場を満たす話し声の中からは時折笑い声が沸き起こり、子どもたちは歓声を上げながら広場の中を走り回り、その子どもたちの声と足音に驚かされたのか地面を歩いていた鳩たちが空へと舞い上がった。鳩たちは広場の上空を半周したところで再び降り立つと、まるで何事もなかったかのように広場の中を歩き回り始めた。広場の中央で水を湛える池の周りには幾つもの長椅子が設えられており、そこではお年寄りたちが何をするでもなく広場を眺める姿が見て取れた。広場の様子は、前の日そのままに何も変わらないかのようでもあった。
〈まだ屋台は出ているから、〉リウェルはフィオリナを見た。〈何か食べ物を買って、空いている長椅子を探そう。〉
〈節約しないと。〉フィオリナはリウェルを見ると眉根を寄せた。〈昨日も話したけれど、路銀は使えば減るだけだもの。〉
〈わかっている。〉リウェルは広場を見渡した。〈なるべく安いものを探すから。それだと、選ぶ余地は少なくなるだろうけれど、ともかく、開いているところを見て回ろう。〉
〈わかったわ。〉フィオリナはかすかに肩を竦めた。〈行きましょう。〉
広場の中へと進み、未だ売り物の残る店や屋台を見て回ったリウェルとフィオリナは、そのうちの一軒で昼食を買い求めると、誰も座っていない長椅子を探し出し、腰を下ろした。二人が食事を始めてすぐに、鳩たちが二人の前に姿を見せた。鳩たちは、広場の中で二人の様子を窺っていたかのように、食事を続ける二人の前に次々に降り立った。鳩たちは地上に降り立ってからも二人の姿を横目で捉えながらそわそわとした様子で歩き回り、時折、おこぼれに預かろうとばかりに首を巡らせ、二人を見上げた。
リウェルとフィオリナは鳩たちを目で追いながらも食事を続けた。二人が買い求めたのは焼きしめた麺麭だった。二人が麺麭を噛み千切るたびにぼろぼろと崩れ、欠片が服の上に落ちた。二人が欠片を払うたびに、鳩たちは長椅子に近づき、地面に落ちた欠片を啄んだ。
〈今のままだと、僕らが鳩たちに食べ物をやっているようにみえる。〉リウェルは麺麭を咀嚼しつつも長椅子の周囲を歩き回る鳩たちを見詰めながら、フィオリナに念話で語りかけた。
〈私たちには都合がいいわ。そう思わない?〉フィオリナも鳩たちに目を遣ったまま答えた。〈骨よりは柔らかいから噛みごたえはないけれど、鳩たちを集めるのにはちょうどいいわ。〉
〈確かに。〉リウェルはゆっくりと首を縦に振った。〈ヒト族の食べ物は、僕らにとっては柔らかいものばかりな気がする。そうは言っても、全ての食べ物を口にしたわけではないから、もっと硬いものもあるかもしれない。肉を干したものは確かに硬そうにみえた。〉
〈いずれ、食べてみましょう。生の肉とどちらがおいしいかしらね。〉フィオリナは鳩たちから目を逸らすと、さらに離れた場所へと目を遣った。〈鴉たちが来たわ。〉
〈本当だ。〉リウェルもフィオリナも見詰める先へと視線を向けた。
リウェルとフィオリナが目にしたのは、鳩たちを遠巻きにする鴉たちの姿だった。鴉たちは、長椅子に腰を下ろした二人と、二人の足許を歩き回る鳩たちとが気になるのか、何歩か歩いては立ち止まり、鳩たちに目を向けるも再びすぐに歩き出し、また数歩進んでは立ち止まり、二人に目を向けるということを繰り返した。鳩たちは鴉たちの動きを気にする様子も見せず、何か口に入るものが落ちていないかとばかりに、長椅子の周囲を歩き回った。
二人は一羽の鴉に目を留めた。ひときわ大柄な体躯をしたその鴉は、周囲を歩き回る他の鴉たちを眺めているようにも、長椅子に腰を下ろしている二人に目を向けているようにもみえた。二人はその鴉に目を遣る中で幾度か目が合った。その鴉は時折、二人が何者であるのかを見極めようとするかのように、嘴を二人に向け、正面から二人を見詰めた。二人は、先に目を逸らしたほうが負けとばかりに、鴉を見詰め返した。瞬きするのも忘れたかのように見詰める二人を前に、その鴉は二人を見据えながらも首を左右に傾げ、幾度か瞬きした。二人と一羽との睨み合いは暫し続いたが、先に目を逸らしたのは鴉のほうだった。鴉は二人と鳩たちとを横目に見ながら、ゆっくりと歩き出した。
食事を終えた二人は、服の上に落ちた麺麭の欠片を手で払い落とした。鳩たちは、欠片が地面に落ちたと見るや、一目散に駆け寄り、慌てた様子で啄んだ。幾分大きな欠片には数羽の鳩たちが殺到した。そのうちの一羽が、啄んだ途端に欠片を投げ飛ばした。せっかくの獲物を口に入れようとしていた鳩たちはすぐに顔を上げ、欠片の行方を追った。投げ飛ばされた欠片が再び地面に落ち、鳩たちがそこに向かおうとしたそのとき、大柄な鴉が走り寄り、欠片を咥えるとすぐにその場から飛び立った。鴉は鳩たちからも二人からも離れた場所に降り立つと、欠片を腹に収め、次いで、二人に目を遣った。再び睨み合うこと暫し、鴉は何事もなかったかのように顔を逸らし、ゆっくりと歩き出したが、歩きながらもちらちらと二人の様子を窺った。
〈あの鴉、昨日もこの広場に居たよね。〉リウェルは、散歩でもしているかのような鴉を目で追いながら、フィオリナに念話で語りかけた。
〈体の大きさからして、昨日見た鴉と同じだと思うわ。〉フィオリナも、広場の中を歩き続ける鴉の姿を目で追いながら答えた。
大柄な鴉は悠々とした足取りで広場を進んだ。時折立ち止まり、首を傾げて二人を見たり、広場を取り囲む建物を見上げたりと、リウェルとフィオリナに視線を向けられていることを理解しているかのような、どことなく芝居がかった所作であるようにも窺えた。幾度か二人の前を往復した鴉は徐に立ち止まり、羽繕いを始めた。片方の翼を持ち上げ、首を巡らせ、櫛で髪を梳くかのように、嘴を使って羽の一枚一枚を梳いていった。片方の翼の羽繕いを終えると、もう片方の翼に取り掛かり、さらに背や胸の羽についても嘴を通していった。最後に、足の爪で頭の羽を何度か掻くと、仕上げとばかりにその場で伸びをするようにして体を持ち上げ、翼を数度羽ばたかせた。その後、鴉は翼をきれいに畳み込むと再び歩みを進め、時には立ち止まって二人を見たり周囲を見回したりを繰り返した。
〈どうやら、あの鴉は僕らを観ている……、らしい。〉リウェルは横目でフィオリナを見た。〈僕らが鳥たちを観ているように、あの鴉も僕たちを観ているらしい。そんな気がする。〉
〈そうだとしても、敵意はなさそうね。〉フィオリナは鴉を見詰めた。〈町の子どもたちみたいに私たちのことに興味があるのかしらね。鴉は、鳥なのに遊ぶのでしょう?〉
〈そうらしい。〉リウェルは鴉に目を向けた。〈敵意がないのなら、追い払うわけにもいかない。町の子どもたちなら、牙を見せれば追い払えるけれど、鴉を追い払うのは……。翼の使い方を観られるかもしれないから、このままでもいいかな。〉
〈他の鴉たちとは違うのね。〉フィオリナは広場の奥を見遣った。〈他の鴉たちは遠巻きにしているだけだわ。あの鴉ほどには私たちのことに興味はないみたい。〉
〈あの大柄な鴉だけが特別なのかもしれない。〉リウェルは広場を見回した。〈鳥らしくないようにみえるのは、あの鴉だけだ。でも、誰も気にする様子を見せないということは、これが普段どおりなのかもしれない。〉
〈皆、見慣れているのよ、きっと。〉フィオリナは左右に目を走らせた。〈特別なことでも、毎日目にしていれば普通だと思うようになるはずよ。〉
〈違いない。あの鴉が僕らに興味を持っているのなら、〉リウェルは、二人を横目に見ながら歩き続ける鴉に目を向けた。〈僕らも観よう。脚の運び方も体の動かし方も。〉
〈そうね。そうしましょう。〉フィオリナも鴉に目を向けた。
その後も、リウェルとフィオリナは長椅子に腰を下ろしたまま、鳥たちの姿を追い続けた。瞬きすら忘れたかのような二人の姿は、腕に覚えのある職人が作り上げたかとも思わせるものだった。鳩たちは、動きを見せない二人に興味はないとばかりに二人の前を通り過ぎたり、新たなおこぼれに預かろうと別の長椅子に向かったり、他にすることもないのか羽繕いに精を出したり、思い思いの姿を見せた。寛いだ様子の鳩たちから離れた場所で、鴉たちは二人の様子を窺いながら行ったり来たりを繰り返した。或る一羽は歩みを進める中で、二人が腰を下ろした長椅子とは反対側に顔を向け、そのままそちらへと足を進めたが、数歩も進まないうちに再び向きを変え、二人の様子を探ろうとでもするかのように顔を横に向けた。別の一羽は、地面に落ちている食べ物らしきものを啄む様子を見せつつも、時折、顔だけは二人に向け、二人が怪しい動きを見せるかもしれないと見張っているかのようでもあった。
長椅子に近づく様子を見せた大柄な一羽は、既に二人に対する興味を失ったのか、長椅子に腰を下ろしたままの二人に背を向け、広場の端のほうへと向かいつつあった。その歩き方は堂々としたものだった。胸を張り、首を伸ばし、少しでも体を大きく見せようとするように一歩一歩ゆっくりと確実に足を運ぶその姿は、領主や王侯貴族を思い起こさせた。時に、何かを確かめるように立ち止まると左右を見、次いで、顔を上げ、広場ではないどこか遠くを見詰めるかのように嘴を虚空に向けた。暫しあらぬ方向を見遣った鴉はやがて満足したのか、ゆっくりと前を向き、再び広場の端のほうへと歩みを進めた。
広場を走り回っていた子どもたちのうちの何人かが、リウェルとフィオリナが腰を下ろす長椅子に近づいた。長椅子の前を通り過ぎようとした子どもたちは二人のほうを振り向くと、不思議そうな表情を浮かべながら速度を落とし、やがて立ち止まった。子どもたちは、彫像のような二人を見、その二人が見詰める先を見、再び二人を見た。リウェルが目だけを子どもたちに向けると、子どもたちはびくりと体を震わせるもリウェルを見詰め返した。リウェルは何事もなかったかのように子どもたちから目を逸らし、広場のほうを見遣った。子どもたちはリウェルの視線を追い、広場の端のほうへと顔を向けた。リウェルとフィオリナと子どもたちの見詰める先に居たのは大柄な鴉だった。子どもたちはそのまま、鴉の後を追うようにしてそろそろと歩き始めた。鴉は子どもたちのことなど気にする様子も見せずに広場を進んだ。子どもたちは、鴉が飛び立たないとみるや、つかず離れず、その後を追った。鴉が立ち止まれば、子どもたちも立ち止まった。鴉が歩き始めれば、子どもたちも歩き始めた。幾度か同じことを繰り返すうちに、後ろのほうを歩いていた子が、前のほうを歩いていた子が立ち止まったことに気づかず、すぐ前を歩いていた子の背中にぶつかり、歓声を上げた。鴉は子どもたちの声に驚いた様子もなく、ちらりと子どもたちに目を向けるも、すぐに前を向いた。その後も、鴉と子どもたちとの間で無言の遣り取りが繰り返された。子どもたちがあまりにも近づくと、鴉はその場から飛び立ち、数歩先の地面に降り立った。その場で子どもたちを振り返った鴉は、かすかに首を傾げながら子どもたちを見遣ると、すぐに前を向き、歩み始めた。子どもたちは嬉々とした様子で鴉の後を追った。
〈フィオリナ、〉リウェルは、大柄な鴉と子どもたちとの遣り取りを見詰めたまま、念話で語りかけた。〈あれをどう思う?〉
〈『あれ』って、鴉のこと、それとも、子どもたちのこと?〉フィオリナも鴉と子どもたちの姿を目で追いながら、問いに問いを返した。
〈どちらも。〉リウェルは前を向いたまま答えた。〈あれは、どう見ても――〉
〈どう見ても、遊んでいるのは、あの大柄な鴉のほうね。〉フィオリナはリウェルの言葉を引き継いだ。〈子どもたちとしては鴉を追いかけて遊んでいる気になっているようだけれど、鴉に遊ばれていることには気づいていないみたい。〉
〈僕もそう思う。〉リウェルはゆっくりと首を縦に振った。〈あの鴉は、子どもたちを近寄らせないようにしている。あと少しで子どもたちの手が届きそうになると、すぐに飛び立って、子どもたちから離れて、また近寄られたら飛び立って……、だから、子どもたちにとっては楽しいのかもしれない。捕まえられそうだけれど捕まえられないから、何度でも試そうとする。〉
〈本当にそうね。でも、あの遣り取りは飛び方の勉強になるわ。〉フィオリナは笑みを浮かべた。〈よくよく観たことはなかったけれど、足の使い方も翼の使い方も、どちらもきれいよ。飛翔の魔法も使っていないのに、あんなに軽々と飛び立って、何の苦もなく降り立つなんて。〉
〈それは僕も思った。〉リウェルはゆっくりと息を吐き出した。〈翼を羽ばたかせるだけで体を持ち上げるのは、あの鴉を観ていれば簡単そうに思えるけれど、簡単そうに思えることほど難しいから、たくさん練習する必要がありそうだ。〉
〈焦る必要はないわ。〉フィオリナは至って平然とした様子で言った。〈今のうちに、しっかり観ておきましょう。観るのは、ただよ。〉
鴉と子どもたちとの遣り取りは、追いかけっこへと移り変わった。子どもたちは、鴉の後について歩くのでは飽き足らないのか、次第に足を速めた。それに伴い、鴉もゆったりとした歩みから駆け足になり、やがては飛ぶのとそれほど変わらないまでになった。鴉は数歩進むと両の翼を広げ、羽ばたきとともに空中に浮かび上がるも、高く舞い上がることはせずにすぐに地上に降り立ち、然りとて、すぐに飛び立てるようにとばかりに翼を半ば広げたまま広場を駆けた。子どもたちは、追いかけつつも鴉が宙を舞うのを目にするたびに歓声を上げ、さらに足を速めたが、空を駆ける種族である鴉が何故空へと逃げようとしないのかという点については思い至っていないかにみえた。
子どもたちが我先にと駆け足で追いかける頃になって、鴉は嘴を開き、甲高い一声上げると、両の翼を大きく羽ばたかせ、宙に舞い上がった。その後、鴉は広場に降り立つこともなく、子どもたちを見下ろしながら、二階の屋根ほどの高さを悠々と飛び回った。一人また一人と足を止めた子どもたちは、広場を舞い続ける鴉を見上げた。幾人かの子どもたちは鴉に呼びかけながら、既に手の届かないところを舞う鴉を掴もうとするかのように手を伸ばし、その場で何度も跳び上がった。しかし、子どもたちの努力も空しく、その手が鴉に届くことはなかった。鴉は次第に上昇を続け、すぐに広場を取り囲む建物を超える高さまでに達した。子どもたちは跳び上がるのをやめ、一つ所に集まると、鴉の姿を見上げた。揃って同じ方向を見上げる子どもたちの顔は、どことなく晴れやかであるかにもみえた。鴉との追いかけっこに十分に満足したのか、一人が鴉に向かって別れの言葉を投げかけ、それに続いて他の子たちもそれぞれに言葉を投げかけた。広場の上空を舞う鴉は地上を見下ろし、子どもたちに答えるかのように再び甲高い声を投げかけると、顔を上げ、すぐに上昇に転じた。広場を歩き回っていた他の鴉たちも後を追うかのように飛び立ち、そのまま鴉たちは建物を越え、どこへともなく飛び去った。鴉たちを見送った子どもたちは、別の遊び相手を探そうとばかりに、広場の中を歩き回り始めたが、それも束の間、子どもたちの名を呼ぶおとなたちの声が広場の中に響いた。子どもたちは互いに挨拶を交わすと、一斉にそれぞれ別の方向に走り出した。やがて、子どもたちは、呼びに来たおとなたちとともに広場を後にした。
広場を取り囲む建物の影は、リウェルとフィオリナが腰を下ろしていた長椅子をも包み込んだ。子どもたちの姿が消えた広場は、未だ町の住人たちが歩き回っているにもかかわらず、既に眠りに就いたかのような静けさの中にあった。広場に続く道から吹き込んだ風が広場を走り抜け、そこかしこに散らばる塵芥を巻き上げた。薄闇の中に沈みつつある広場は夕刻がすぐそこまで迫っていることを窺わせた。
〈僕らも帰ろうか。〉リウェルは傍らのフィオリナを見、次いで広場を見回すと、再びフィオリナを見た。〈鴉たちも子どもたちも家に向かった。おとなたちも帰り支度をしている。〉
〈今日観られるものは観たから、〉フィオリナもリウェルを見た。〈帰りましょうか。あと何回か鳥たちを観て、それから練習ね。〉
〈そうなるね。〉リウェルはその場に立ち上がった。
〈練習するのなら、〉フィオリナもリウェルに続いて立ち上がった。〈前も話したとおり、セレーヌさんの小屋の前よね。あそこなら、誰かに見られる心配もないわ。〉
〈それでいいと思う。〉リウェルはフィオリナに目を合わせながらゆっくりと頷くと、広場から伸びる道の一つに目を遣った。〈行こうか。〉
〈ええ。〉フィオリナも同じ道を見遣った。
二人は揃って歩みを進め、やがて広場を後にした。
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