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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第三部:図書館、町の広場、老鴉
36/74

(四)(三六)

 広場を後にしたリウェルとフィオリナは、薄闇に包まれた町の通りを進んでいった。入り組んだ幾つもの通りを抜けた二人がセレーヌの家を取り囲む森に入った頃には、ヒト族の目には足許も捉えられないほどの闇が周囲を満たしていた。二人はその闇の中を、まるで陽の光が降り注ぐ昼間の森の中に居るかのように、迷う様子も見せず、軽やかな足取りで進んでいった。途中、横に伸びた枝に頭を打たれそうになったものの、やがて木立の中の空地に至った二人はそこで足を止め、闇の中にひっそりと建つ小屋を見詰めた。

 〈セレーヌさんはもう戻られているね。〉リウェルは念話で語りかけた。

 〈そのようね。食事の準備をされているのかしらね。〉フィオリナも念話で答えた。

 二人の金色の瞳は小屋の煙突から立ち上る白い煙を捉え、二人の鼻は薪の燃える臭いと食べ物の香りとを読み取った。

 〈まずは戻ったことを伝えよう。〉リウェルは傍らに立つフィオリナを見た。

 〈そうね、そうしましょう。〉フィオリナもリウェルを見た。

 暫し見詰め合った二人は揃って前を向くと、空地の中を小屋へと向かった。

 空地の中に伸びる小径を進み、扉の前で立ち止まった二人は、顔を見合わせるようにして耳を扉に向けた。二人の耳に届いたのは、小屋の中を動き回るかすかな足音と、どことなく調子外れの鼻歌だった。二人は互いの顔を見詰めたまま、揃って首を傾げると、揃って扉に向き直り、揃って一歩前に進んだ。ややあって、リウェルが意を決したかのように扉を叩いた。

 「はい。」セレーヌが小屋の中から答えた。

 「リウェルです。ただいま戻りました。」リウェルは扉の前で答えた。

 「フィオリナです。ただいま戻りました。」フィオリナが続けた。

 「はいはい、少し待っていてね。」セレーヌが小屋の外に向かって呼びかけた。

 扉の前に立つ二人の耳に慌ただしい足音が届き、すぐに小屋の扉が内側に開かれた。

 「おかえり、二人とも。」セレーヌは扉を大きく開き、二人を迎えた。「ずいぶんとゆっくりだったわね。」セレーヌは二人に中に入るように促した。

 リウェルとフィオリナは小屋の中へと歩みを進めた。

 セレーヌは二人が小屋に入ったのを見届けると扉を閉めた。「あなたたち、夕食はまだなのでしょう? 一緒にいかがかしら?」セレーヌは二人に声を掛けると暖炉へと進み、すぐ横に置かれた椅子に腰を下ろした。そこで杓子を手に取り、暖炉に掛けられた鍋の中を覗き込んだ。

 「ご迷惑ではないでしょうか。」リウェルは、鍋の中身を杓子でかき混ぜるセレーヌを見た。

 「あら、それは何故?」セレーヌは柔和な笑みを浮かべながら振り返った。

 「材料を手に入れられるのにも、それなりのお金が必要なのではないでしょうか。」フィオリナが気遣わしげに訊ねた。「私たちの分も作られるとなると、材料も二人分が余計に必要になるかと。私たちは何の対価もお支払いしておりませんのに……。」

 セレーヌは柔和な笑顔を絶やすことなく、フィオリナを見、次いでリウェルを見た。「そんなことを気にしていたの? あなたたちは遠慮しすぎよ。もっと……、そうねえ……、尊大な態度を取ってもかまわないと思うのだけれど。地上を見下ろす飛竜種らしく。私の知る飛竜種は……、いえ、今はこの話はやめておきましょう。」セレーヌは笑顔を収め、幾度も首を横に振ると、暖炉に向き直った。「とにかく、あなたたちが心配することではないわ。空を駆けて遥遥(はるばる)この町を訪れて、離れ家とはいえ私のところに居るのだから、一緒に食事を摂ったほうが楽しいでしょう? まあ、私が作る料理では、狩りで獲物を捕らえるようなあなたたちの舌を満足させることはできないかもしれないけれど、まずくはなかったでしょう? それに、あなたたちの話も聞きたいわ。町で何を目にしたのか、何を耳にしたのか。私にとっては何でもないことでも、あなたたちにとっては珍しいことなのかもしれないわ。……さあ、できたわ。」セレーヌはリウェルとフィオリナを振り返った。「椅子を持ってきて、掛けてちょうだい。」

 リウェルとフィオリナはセレーヌに言われるままに、小屋の隅に置かれていた椅子をそれぞれ手に取ると、暖炉のほうへと進んだ。そこで椅子を隣り合うようにして置き、腰を下ろした。

 「はい、リウェル。」セレーヌは粥のよそわれた皿と匙とを差し出した。

 「ありがとうございます。」リウェルは皿と匙とを手に取った。

 「次は……、フィオリナの分よ。」セレーヌは別の皿に粥をよそい、匙と共に差し出した。

 「ありがとうございます。」フィオリナは皿と匙を受け取った。

 「味は保証いたしかねます。」セレーヌはおどけた様子で、からかうような笑みを浮かべた。

 リウェルとフィオリナは皿と匙とを手にしたまま、神妙な面持ちでセレーヌを見詰めた。

 「冗談よ。」セレーヌは笑顔で言った。「さあ、いただきましょう。」

 三人は食事を始めた。


    ◇


 セレーヌとリウェルとフィオリナは無言のまま暖炉を見詰めながら、匙を口に運んだ。三人の視線の先、暖炉の中では()べられた薪から紅い炎が立ち上り、小屋の中を照らし出した。炎に照らされた三人の髪が紅く染まり、リウェルとフィオリナの髪は時折さらさらと揺れた。三人の影が反対側の壁に映り、炎が揺らめくたびにそれらの影も風にそよぐかのように姿を変えた。その炎も小屋の隅々までを照らすには至らず、闇に沈んだ棚や床に置かれた本は形を失い、見分けることも叶わなかった。

 「今日一日、あれからどうしていたの?」セレーヌは顔を上げ、リウェルとフィオリナを見た。「あの後、ずっと図書館に籠もっていたのかしら?」

 リウェルとフィオリナは揃ってセレーヌに顔を向けた。暫しセレーヌの顔を見詰めた二人はどちらからともなく顔を見合わせると、その後再びどちらからともなくセレーヌに向き直った。

 「あの後、(ひる)過ぎまで図書館に居ました。」リウェルが答えた。「その後は――」

 「その後は、」フィオリナが続けた。「町の広場まで行って、そこで食事をして、そのまま広場を眺めていました。」

 「それで、収穫はあったのかしら?」セレーヌはかすかな笑みを浮かべた。

 「あったと言えば、あったかもしれません。」

 「なかったと言えば、なかったかもしれません。」

 リウェルとフィオリナはそれぞれ、自身に言い聞かせるかのように答えた。

 「まるで、なぞなぞのような答えね。」セレーヌは二人を交互に見た。「何故、その答えに至ったのかを教えてもらえるかしら?」

 「実は――」リウェルは図書館で目にしたことを話し始めた。

 その後、リウェルとフィオリナは順を追ってセレーヌに伝えた――図書館で過去の試問に関する資料に目を通したこと、読み書きと算術については問題ないが、それだけでは入学試問に歯が立たないこと、入学試問に向けて準備をしようにも、何から手を付けたらよいのか見当も付かないこと、その後、町の広場に向かい、鳥たちの姿を眺めたこと――。セレーヌは柔和な笑みを浮かべ、その日の出来事を代わる代わる伝える白銀竜の少年少女を見詰めた。やがて、リウェルとフィオリナは話を終えた。空になった皿は三人の膝の上に置かれていた。

「それだけ、あなたたち自身のことをわかっているのなら、」セレーヌは白銀竜の少年少女を見ながら笑みを浮かべた。「問題の半分は解決したようなものね。」

 リウェルとフィオリナは眉根を寄せるとセレーヌを見、その後、互いに顔を見合わせるも、再びセレーヌに向き直った。

 「それは、どのような意味でしょうか。」リウェルは眉根を寄せたまま疑問を口にした。

 「セレーヌさんの仰ったことも、なぞなぞのようにも聞こえますが。」フィオリナも表情を変えることなく、小屋の(あるじ)を見詰めた。

 「あら、そんなに難しいことではないと思うのだけれど?」セレーヌは意外だと言わんばかりに二人を見た。「今までも、あなたたちはいろいろなことを学んできたのでしょう? 飛竜の魔法然り、学び舎で学んだ読み書き算術然り、森の中で大おば様から教わったこと然り。学んだことはそれぞれ異なるでしょうけれど、学び方についてはどうだったかしら? 学んだことは今挙げたことの他にもあったでしょうけれど、学び方に何か違いはあった?」

 「学んだことではなく――」「『学び方』……ですか?」リウェルとフィオリナは怪訝そうな表情を浮かべると、姿見に映したかのように揃って首を傾げた。

 「そう、『学び方』よ。」セレーヌは声に力を込めると、すぐに母親のような笑みを浮かべ、二人を見た。「すぐには思いつかないようなら、少し間を置いて考えてみることね。そうすれば、別の見方や考え方があることに気づけるはずよ。私が答えを教えるのは簡単だけれど、それではあなたたちのためにはならないものね。私の答えは私の考えであって、あなたたちの考えではないもの。あなたたちの答えになっているとは限らないわ。」

 リウェルとフィオリナは無言のまま、わずかに唇を突き出すと、セレーヌを見詰めた。

 〈セレーヌさんが仰ることは、〉リウェルはフィオリナに念話で語りかけた。〈僕らで考えて、その上で答えを見つけろ、ということだね。〉

 〈そうね。〉フィオリナも念話で答えた。〈セリーヌさんが仰っていたことと同じね。私たち自身の力で探し出せ、と。〉

 〈セリーヌさんの姪御さんだからね、セレーヌさんは。……姪御さんで合っている?〉

 〈だいたい合っているはずよ。合っていないにしても大した違いではないわ。それよりも、お二人の仰ることが同じだということのほうが大事ね。今日は諦めて、明日また考える?〉

 〈そのほうがいいかもしれない。明日になれば()い案も出せるかもしれないから。今日のところは考えるのをお終いにしておこう。〉

 〈わかったわ。また明日ね。〉

 「相談は纏まったのかしら?」セレーヌが見計らったかのように問い掛けた。

 リウェルとフィオリナはセレーヌを見詰めたまま、わずかに目を見開いた。

 「あら、そんなに驚くことでもないでしょう?」セレーヌは二人に笑いかけた。「黙ったままだったけれど、あなたたちの顔を見ていれば、何を話しているのかはわからなくても、何かを話していることくらいはすぐに想像がつくわ。」

 リウェルとフィオリナはセレーヌの視線から逃れるようにして目を逸らした。

 「図書館でのことはひとまずお終いね。午後は町の広場で何をしていたのかしら? 鳥たちの姿を見ていたと言っていたけれど。」セレーヌは笑みを浮かべたまま、視線を逸らしたままの二人を見比べた。

 二人は互いに顔を見合わせると無言のまま見詰め合い、やがてセレーヌに向き直った。

 「今はまだ内緒です。」リウェルが答えた。

 「あら、そうなの?」セレーヌはおおげさにがっかりしてみせた。

 「もう少ししたら、お話しできると思います。」フィオリナが補足した。

 「それなら、そのときを楽しみにしているわ。気長に待ったほうがいいのかしら?」

 「そうですね……、」リウェルは斜め上に視線を向けると、再びセレーヌを見た。「そう遠くないうちにはお話しできるか、お目にかけられるかと思います。」

 「わかったわ。」セレーヌは満足そうに首を縦に振った。「さて、今日はもう遅いわ。あなたたちも休みなさい。お皿と匙を渡してちょうだい。」セレーヌはその場に立ち上がった。

 リウェルとフィオリナもその場に立ち上がり、皿と匙とをセレーヌに手渡した。「夕食ですが、ありがとうございました。」「ありがとうございました。」

 「どういたしまして。」セレーヌは三人分の皿を手に持ったまま答えた。「いつか、あなたたちの手料理を口にできる日を楽しみにしているわ。」セレーヌは悪戯を仕掛ける子どものような表情を浮かべた。「でも、生の肉は勘弁してね。」

 「それは何とも……。」リウェルもおどけた調子で答えた。

 「ご期待に応えられるかは、お約束いたしかねますが……、それについては気長になっていただければと。」フィオリナがかしこまった様子で答えた。

 「わかったわ。それじゃ、おやすみなさい。」セレーヌは笑みを浮かべた。

 「おやすみなさい、セレーヌさん。」「おやすみなさい。」

 リウェルとフィオリナは姿勢を正し、挨拶すると、セレーヌの小屋を辞した。

 小屋の外に出たリウェルとフィオリナは、音を立てないようにとばかりの慎重な手つきで扉を閉めると、扉を背にして立ち、空地の中を見回した。畑は夜の闇に沈み、そこかしこに植えられた作物を見分けることは叶わなかった。周囲の木立はさらに深い闇の中にあり、小屋から漏れ出るかすかな灯りも周囲の樹々を照らすには至らず、二人の前にぼんやりとした影を作るばかりだった。木立はまるで一つの塊であるかのようにもみえた。聳える樹々の梢の、その先に広がる空では、無数の星々が互いに競い合うかのように輝きを放っていた。中には星々が形を失い、空を流れる河のようにみえる場所もあった。二人の目は空を流れる河の青白い光を捉え、かすかな輝きを放った。

 リウェルとフィオリナは小屋の前を離れ、小屋を横手に見ながら離れ家へと向かった。二人の足取りは昼の世界を歩くときと何ら変わらず、自信に満ちているかにみえた。すぐに離れ家の前に至った二人は扉を開け、中へと進んだ。

 〈明日のことだけれど、〉リウェルは後ろ手に扉を閉めながら、フィオリナに念話で語りかけた。〈明日も図書館に行くということでいいよね。〉

 〈それでいいと思うわ。〉フィオリナは小屋の中に視線を向けたまま答えた。〈セレーヌさんの『なぞなぞ』の答えを探しましょう。〉フィオリナは傍らに立つリウェルを見た。〈でも、今日考えるのはやめておいたほうがいいわね。考えていたら眠れなくなるわ。そのせいで、明日の朝に起きられなくなったら困るもの。〉

 〈確かに。〉リウェルもフィオリナを見た。〈考えていたら本当に眠れなくなりそうだ。そうなる前に、〉リウェルは右の壁に視線を向けた。〈横になって目を閉じる。〉

 〈そうね。そのほうがいいわね。〉フィオリナもリウェルの視線の先を見遣った。

 二人は、小屋を入ってすぐ右手の、寝床と定めた場所へと移動した。寝床とはいえ、そこは床に布を敷いただけの場所だった。二人はその場で階段を上るかのように片足を持ち上げた。二人の体は床から浮き上がり、そのまま落ちることもなく、宙に留まった。左右を見回した二人はその場で腰を下ろしたが、それにもかかわらず二人の体は床に触れることはなかった。背負っていた雑嚢を下ろし、それを枕代わりに並べた二人は、向かい合うようにして横になった。

 〈おやすみ、フィオリナ。〉リウェルはフィオリナの金色の瞳を見詰めた。

 〈おやすみ、リウェル。〉フィオリナもリウェルの瞳を見詰め返した。

 暫し見詰め合い、かすかな笑みを浮かべた二人は、やがて目を閉じた。


    ◇


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