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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第二部(三):アルガスの町
32/74

(七)(三二)

 「――あなたたちのこれからのことなのだけれど、」食事を始めてしばらくした後、セレーヌが口を開いた。「学院には誰でも入れるわけではないの。村や町にある学び舎だったら、誰でも、いつでも学べるわね。もちろん、学院の敷地の中には誰でも入ることはできるわよ。建物だって、誰でも入れるところもあるわ。私が言いたいのは、学院で学ぶには入学する必要がある、ということね。入学するためには試問を受けて、それに合格する必要があるの。ここまではいいかしら?」セレーヌはリウェルとフィオリナの顔色を探るように交互に見た。

 二人はセレーヌに目を合わせると、ゆっくりと首を縦に振った。

 「よろしい。」セレーヌは教師よろしく胸を張った。「その入学のための試問なのだけれど、試問が行われるのは年に一回よ。年が明けてすぐに行われるわ。特別なことがない限り、入学のための試問はその一回だけね。試問の内容だけれど、読み書き算術は当然できるものとして、幾つかの科目があるわ。歴史、法律、他にもいろいろあるわね。ところで、あなたたちは何を学びたいのかしら?」セレーヌは二人の顔を覗き込んだ。

 「『何を学びたい』……、」リウェルはセレーヌから目を逸らすと、暖炉の中の赤赤とした炎を見た。「何を学びたいのだろう?」リウェルはゆっくりとフィオリナのほうを向いた。「町に来ることばかり考えていて、学院で何を学ぶかまでは考えていなかった。」

 「いろいろと知りたいとは思っていたけれど、」フィオリナもリウェルを見た。「『これを知りたい』ということまでは考えていなかったわね。強いて言えば、『学べることなら学べるだけ、全てのことを学ぶこと』かしら?」

 「知らないことを知りたいと思っていたから、」リウェルはフィオリナに答えた。「それが正しいかもしれない。でも、本当に『全て』を学ぶわけにもいかないから――」

 暖炉の中で薪が爆ぜ、リウェルの声をかき消した。

 「いっそのこと、本当に『全て』のことを学んでみる?」フィオリナはリウェルに笑いかけた。「私たちには、ヒト族よりも獣人族よりも長い時があるもの。その気になれば、学院で『全て』のことを学べるかもしれないわ。でも、何十年も学院に姿を見せていたら、教師も学生も、村の子たちみたいに、私たちの正体に気づくかもしれないわね。」

 「正体を気づかれるのは避けたいところだね。」リウェルは思案顔でフィオリナに答えた。「セレーヌさんが僕らの正体を誰かに明かすことはないだろうとは思うけれど、他に皆がそうとは限らないから。セレーヌさんもさっき仰っていたけれど、よからぬことを考えている輩が居ないとは限らない――居ると考えておいたほうが正解かもしれない。」

 「そうね。」フィオリナは笑顔を収めると、かすかに俯いた。「ヒト族の振りをしなければならないから、あまり長居はできないわ。せいぜい……、十年くらい、かしら?」

 「それくらいが限度だと思う。」リウェルが同意した。

 リウェルとフィオリナは互いに頷き合うと、揃ってセレーヌに向き直った。

 「あなたたちの今の遣り取りからすると、」セレーヌは片目を瞑らんばかりに目を細めた。「要は、『何を学びたいかは、今のところ、はっきりしていない』ということでいいわね?」セレーヌは念を押すかのように訊ねた。「学びたいという気持ちはあるけれど、何を学びたいかはまだ決まっていない、ということでいいかしら?」

 「はい。」「仰るとおりです。」二人は揃って答えた。

 「それなら、急ぐことはないわ。」セレーヌはほっとした表情を浮かべた。「次の試問までまだ半年近くはあるから、それまでに何を学びたいのかを探しなさい。」セレーヌは諭すように言った。「とはいえ、何もないところから何かを見つけるのはたいへんだわ。明日、学院の図書館に案内するから、そこで手がかりになりそうなものを探すといいわ。」

 「図書館――」「ですか?」二人は姿見の内と外とのように首を傾げた。

 「ええ。」セレーヌはきっぱりと答えた。

 「僕らでも図書館に入れるのですか?」リウェルが訊ねた。

 「図書館は町の住人であれば――住人でなくても――入れるわ。」セレーヌは答えた。「ただし、入るときにはそれなりの手続きが必要よ。本を外に持ち出すのは禁止されているわ。尤も、教師も学生も本の持ち出しは禁止されているのだけれどね。図書館の外でも読みたいのだったら、帳面か何かに書き写すしかないわ。」

 「では、ここにある本は……、」フィオリナは小屋の中に築かれた幾つもの塔を見遣った。

 「ここにある本は私個人のものよ。もちろん、離れ家に置いてあるものもね。」セレーヌは得意気に答えた。「私自身の手で書き写したものもあれば、頼み込んで譲ってもらったものもあるわ。私が大切にしているものの一つね。まあ、最近は数が増えすぎて、どの本がどこにあるのかわからなくなってきてはいるのだけれど……。」セレーヌはばつが悪そうに目を逸らし、小屋の中を見回すと、すぐに気を取り直したかのように二人を見た。「今は、私の本のことは置いておいて、図書館のことよ。図書館には、あなたたちがこれまで目にしたことのなかったものがたくさんあるはずよ。当然のことだけれど、学院の科目に関するものも集められているから、まずはそこから見てみなさい。興味を抱くようなものがきっとあるはずよ。」

 「はい。」リウェルとフィオリナは、教師を前にした学生のように姿勢を正し、返事をした。

 「よろしい。」セレーヌは満足そうに頷くと、手にした皿に目を落とした。「料理が冷めてしまったわね。話が長くなってごめんなさいね。二人とも、食べてしまって。」

 「はい。」

 三人は食事を再開した。

 程なくして食事を終えた三人は、暖炉の前に椅子を並べ直し、会話に興じた。話をしていたのは主にセレーヌとフィオリナだったが、二人の話題の多くを占めていたのはセリーヌのことだった。セレーヌは、大おばであるセリーヌのことを語って聞かせた――リウェルとフィオリナの故郷に近い、森の中で独り暮らすセリーヌは、一族の中でも『変わり者』として知られており、若い頃には、古くからの慣習に囚われているようでは一族はいずれ滅びるとまで言い放ったこと、森の中に閉じこもるばかりでなく外の世界にも目を向けるべきだと強く主張し、それを実行したこと、セレーヌ自身も、大おばであるセリーヌに憧れ、故郷の森を後にしたこと――。セレーヌの話は、白銀竜の少年少女がそれまでに耳にしたことのないものが多くを占めた。会話が進むにつれ、二人の間で意見に一致を見たのは、セリーヌは怖い、ということだった。普段は穏やかなセリーヌは、怒るとなると一睨みで相手を震え上がらせるとあって、二人はその姿を思い出したかのように身震いした。首を竦め、両腕で自身の体を抱えるようにして震える様子は、叱られた子どもの姿そのままだった。

 暖炉に()べられた薪もほとんど燃え尽き、灰の中に紅い火をわずかに残すのみとなった。忍び込んだ闇は小屋の四隅を既に呑み込み、本の塔を黒く染め上げ、壁に設えられた棚とそこに置かれた品々を包み込んだ。小屋の中に浮かび上がるのは、暖炉とその前に椅子を並べた三人の姿のみだった。

 「すっかり話し込んでしまったわね。」セレーヌは暖炉を見、次いで、リウェルとフィオリナを見た。「今日はもう休みましょう。あなたたちも休んで、明日に備えなさいね。」

 「はい。」

 「椅子は、いかがいたしましょう。」フィオリナがセレーヌに訊ねた。

 「そのままでいいわ。」セレーヌはフィオリナを見、リウェルを見た。「片付けるにしても大した手間ではないから。気をつけてね。とは言っても、すぐそこだから心配することもないでしょうけれど、外は暗いわ。転んだりしないようにね。」

 「承知しました。それでは、」リウェルはその場に立ち上がった。

 フィオリナも席を立ち、セレーヌを見た。

 「おやすみなさい、セレーヌさん。」

 「セレーヌさん、おやすみなさい。」

 「はい、おやすみ。」セレーヌも席を立つと穏やかな笑みを浮かべ、少年少女を見た。

 リウェルとフィオリナはセレーヌに見送られ、小屋を辞した。二人は小屋の扉を背にしたまま空を見上げた。樹々の梢のその先で星々は競い合うかのように輝きを放つも地上を照らすには至らなかった。二人の前に広がる空地も、周囲に聳える樹々も、全てが闇の中にあった。二人はどちらからともなく顔を下ろすと、申し合わせたかのように歩き始めた。セレーヌの小屋を横に見ながら、二人は昼の世界を歩むかのように迷うこともなく軽やかに進んだ。道を逸れて畑に足を踏み入れることもなく、小屋に立て掛けられた農具にぶつかることもなく、離れ家へと至った二人は、離れ家の中、入ってすぐ右手の、(ねぐら)と定めた場所へと進んだ。二人は階段を上るように宙に浮かび上がると周囲を何度か見回し、寄り添いながらその場に腰を下ろした。

 〈休もうか。〉リウェルはフィオリナに念話で語りかけた。

 闇の中、二人の瞳は金色の光を放った。

 〈ええ。〉フィオリナは笑みを浮かべた。〈明日も早いわ。明日は明日で楽しみね。〉

 〈ヒト族や獣人族が造った図書館だからね。〉リウェルは虚空に手を差し出した。数瞬の後、手の中に現れた雑嚢を枕代わりに、リウェルは横になった。〈入学のための試問に備えるのが一番にやるべきことだけれど、読めるのなら図書館の本を全部読んでみたい。〉

 〈どれだけかかるかしらね。〉フィオリナも虚空から雑嚢を取り出し、リウェルの横に置くと、寄り添うようにして横になった。〈本当に全部を読めるかもしれないわよ。私たちにはまだまだ長い時があるもの。縄張りを探すのはまだまだ先のことだわ。〉

 〈全部は無理だとしても、〉リウェルはフィオリナのほうに体を向けた。〈読めるだけは読みたいね。〉

 〈それは賛成。〉フィオリナも横を向き、笑みを浮かべた。

 見詰め合うこと暫し、二人は天井を見上げた。二人の目に映ったのは星空ではなく、屋根を支える柱と(はり)だった。

 〈そうだ、リウェル、鳥のことも観ないと。〉フィオリナは体を横に向け、リウェルを見た。

 〈『鳥』? 何故、また、鳥のことを……?〉リウェルは訳がわからないとばかりに眉間に皺を寄せながら、顔をフィオリナに向けた。

 〈鳥としての飛び方を練習しないと。〉フィオリナは息せき切ったかのように答えた。〈その前に、鳥たちのことをよく観る必要があるわ。鳥たちは、私たちの言葉なんてわからないでしょうから、『飛び方を教えてください』なんて頼むこともできないわ。だから、町の中に居る鳥たちの飛び方を観て、覚えるの。鳩か鴉だったら町の中にも居るはずよ。観て覚えたら、練習ね。練習は、セレーヌさんの小屋の前ですればいいわ。セレーヌさんの他に誰かが来るなんてことはないでしょうから。もしも誰かが来て、私たちが練習しているところを目にしたとしても、私たちの正体に気づくことはないと思うわ。〉

 〈ああ、町に着く前に話していたことだね。〉リウェルも体の向きを変え、フィオリナに向かい合った。〈鳥の姿になれれば、町を抜け出すのも楽になるかもしれない。狩りに行くときも、鳥の姿で町を出れば、この姿のまま町の外に行くよりも怪しまれない……、はず。〉

 〈一度狩りに出掛けたら、その日のうちに戻れないかもしれないものね。ヒト族の姿で町の外に出て、次の日か、そのまた次の日に町に戻ったとしたら……。私たちにとっては変でも何でもないけれど、ヒト族や獣人族にしてみれば変よね、きっと。〉

 〈それなら……、明日は、(ひる)過ぎまで図書館で勉強して、その後は、町の鳥を観にいこう。水のあるところか、食べものになりそうなものがあるところには居るはずだから、探してみよう。〉リウェルはフィオリナに顔を寄せ、鼻先を触れ合わせた。〈それでいい?〉

 〈いいわ。〉フィオリナはリウェルに体を寄せた。

 〈わかった。おやすみ、フィオリナ。〉

 〈おやすす、リウェル。〉

 二人は互いの瞳を見詰めながら笑みを浮かべると、やがて安心したかのように目を閉じた。


    ◇◇


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