(六)(三一)
空地に落ちる樹々の影が長さを増し、薄闇が周囲を覆い始めた頃、リウェルとフィオリナは地面に並べられた品々を離れ家の中に運び込むのを終えた。長年に亘って降り積もった埃を払い落とした机を、入ってすぐの右隅に据え、二人が共に使う書き物机とし、椅子代わりとする本については、本の塔を読み始めようとするセレーヌを押し止め、内容を確かめながらも選び出した。積み重ねた本そのままではすぐに崩れてしまうため、セレーヌの小屋にあった紐で縛り上げることで解決を図った。机の後ろの、壁に面した一角を、二人が横になる場所として確保し、そこにはものを置かずに床のままとしておき、残りの本については、目に見える部分の汚れを払い落としながら、再び離れ家の中に運び込み、積み上げた。ただ漫然と積み上げるのではなく、装丁や大きさを考慮しつつも、倒れないように、あるいは、崩れないであろう組み合わせを試しつつ、整然と積み上げた。全ての本とその他の雑多な品物を運び入れても、離れ家の中には未だ余裕があり、二人が寝起きする分には大きな支障はないようにもみえた。
〈こんなところかな。〉リウェルは扉を入ってすぐの場所で、離れ家の中を見回した。〈僕らが横になる場所は別として、まだまだ、ものは入りそうだね。〉
〈でも、この中から、探し出すのはたいへんそうね。〉フィオリナはリウェルの傍らに立ち、離れ家の中を見回した。〈特に、奥にある本と下にある本は、取り出すだけでも一苦労よ。〉
〈その機会は滅多にないと思うから、大丈夫だと思うよ。〉リウェルは離れ家の奥のほうに目を遣った。〈下のほうに置いた本は、もう読み終わったものだから。〉
〈でも、私は読んでいないものもあるわ。〉フィオリナはリウェルを見ると、抗議するように口を尖らせたが、目許には笑みを浮かべていた。
〈それを言ったら、僕も同じ。〉リウェルもフィオリナを見ると笑みを浮かべ、負けじと言い返した。〈フィオリナは読み終わったけれど、僕が読み終わっていない本もある。〉
〈それなら、もう少し落ち着いたら何の本があるかを調べて、一目でわかるように覚え書きを作りましょうか。〉フィオリナは名案を思いついたとばかりに目を輝かせた。〈そうすれば、読んだ、読まない、で揉めることもなくなるわ。〉
〈いいね。おもしろそうだ。〉リウェルも乗り気な様子で答えた。〈後で考えてみよう。〉
二人は金色の瞳で互いを見詰めた。
〈差し迫った問題としては、〉リウェルは笑みを収め、離れ家の中の、ものが何も置かれていない場所に目を落とした。〈横になる場所をもう少し何とかしたいところだね。何かしら目印になるものを置いておきたい。このままだと、空いている場所だと思われてしまいそうだ。〉
〈布か何かを敷く?〉フィオリナは床を見、離れ家の中を見遣った。〈それとも、何か別のものでも……、石は……、だめね。〉フィオリナは首を横に振った。〈元の姿なら岩でも石でも平気だけれど、この姿では痛いだけだわ。休むのなら、森や昨日の夜にしたように、飛翔の魔法を使ってもいいと思うけれど、目印としては……、枯葉を敷くのはどうかしら? 他には、似たようなものだけれど、枯れ草もあるわ。でも、集めるのは手間がかかりそうね。〉
〈考え出すと、きりがなさそうだ。〉リウェルは肩を竦めた。〈今日のところは、本の下に敷いていた布を敷いておこう。もちろん、汚れを落としてからだけれど。布をきれいに並べておけば、何か目的があってそうしていることがセレーヌさんにもわかるはず。さて、その布だけれど……、〉リウェルは後ろを振り返り、離れ家の外を見遣った。〈まずは、セレーヌさんをどうにかしてどかすことから始めないと。〉
〈そんな、セレーヌさんのことを荷物みたいに言うなんて……、〉フィオリナもその場で振り返り、離れ家の外を見回した。〈いえ……、リウェルの言うとおりかもしれないわ。どかさないことには、先に進めそうにないわね。〉フィオリナは呆れ半分諦め半分といった様子で呟いた。〈読み始めてしまうと止められなくなってしまうのかしらね。私もそれほど偉そうに言えるわけでもないのだけれど。〉
リウェルとフィオリナの視線の先、セレーヌは本の塔の下に敷かれていた布の上に腰を下ろし、膝の上に一冊の本を広げ、頁に目を落としていた。上から下まで読み進んでは、黒く染まった指先で頁を捲り、その後も周囲のことなど気にする様子もなく本に目を落とし、再び読み耽った。少し離れた場所には、読み終えたとみられる何冊かの本が積み上げられ、それらは塔までには到っていないものの、台や椅子ほどの高さに達しているようにも窺えた。頭の後ろで束ねられた髪は、空地を吹き抜ける風を受け、薄闇の中で輝きを放った。
〈声を掛けてみる?〉リウェルはフィオリナを見た。
〈掛けないで済むと思う?〉フィオリナは溜め息交じりに答えながらリウェルを見た。
リウェルは無言のまま肩を竦めてみせた。
暫し顔を見合わせた二人はどちらからともなく前を向き、揃って扉の前を離れると、ゆっくりとセレーヌに近づいた。
本に目を落としていたセレーヌは頁を捲る手を止め、すぐ傍まで近づきつつあったリウェルとフィオリナを見上げた。「あら、どうしたの? 二人揃って、何だか怖い顔をして。」セレーヌは少女のような笑みを浮かべ、小首を傾げた。
リウェルとフィルムはセレーヌの前に立ち止まった。
「離れ家の片付けが終わりましたので、ご報告を、と思いまして。」リウェルが伝えた。
「机も本も、」フィオリナが続けた。「離れ家の中に運び入れました。その他のものも。畑仕事に使う道具は軒下に立て掛けてあります。」
「あら、仕事が速いわ。」セレーヌは体を捻り、離れ家に目を遣った。開け放ったままの扉を見、次いで、離れ家の壁に沿って目を走らせると、再び二人を見た。「それで、残りは――」
「残りは、」リウェルはセレーヌの足許に目を落とした。「セレーヌさんが今お使いの布を、さしあたり、敷布代わりにしようかと思いまして……。横になる場所に、目印として何かを敷こうと思ったのですけれど、後にすることにしました。」リウェルはフィオリナを見た。
「石か、枯葉か枯れ草かを敷こうとも思ったのですが、今から集めるのはたいへんかと思いまして。横になる場所を示すために布を敷こうかと。」フィオリナもセレーヌの足許を見た。
「あら、そうだったの? ごめんなさいね。」セレーヌは本を閉じるとその場に立ち上がった。本を小脇に抱え、乾いた土の上に移動すると、布と二人とを見比べた。「でも、この布もずいぶんと汚れているわよ。何を包んでいたのかわからない布だけれど、それでもいいの?」
「ご心配には及びません。」リウェルは布の傍らに歩み寄ると、そこで屈み込み、布の端を両手で摘まみ、その場に立ち上がった。手にした布を前後左右に軽く振るたびに、長年に亘ってこびりついた汚れの塊は振り落とされたが、元の色が定かでないことに変わりはなかった。リウェルは揺らすのをやめると、じっと見詰めた。見詰めること暫し、布の汚れは次第に薄れていき、染みついた汚れは溶けるようにして消え去り、所々ほつれていたり破れていたりはしているものの、洗い立てのような色と見た目を取り戻した。リウェルは布の前と後ろを見比べると、満足したかのように笑みを浮かべ、そのまま布を畳み込み、手に持った。
「便利なものねえ……。」セレーヌは、すっかり本来の姿を取り戻した布と、その布を手にするリウェルとを交互に見詰めながら、しみじみと呟いた。「それも、あなたたちの――飛竜の――力なのでしょ?」セレーヌはリウェルを見、次いで、フィオリナを見た。
「はい。」二人は首を縦に振った。
「もう一枚の布も、よろしいですか?」フィオリナは、積み上げられた本の下に敷かれている布に目を落としながら、セレーヌに訊ねた。
「ええ、いいわよ。」セレーヌは本の傍らに屈み込むと、抱えていた本をその上に載せ、全ての本を手に立ち上がり、促すようにフィオリナを見た。
「では。」フィオリナは布に歩み寄ると屈み込んで手に取り、その場に立ち上がった。両腕を伸ばし、布を前後左右に幾度か振ったフィオリナは、自身の前に布を掲げ、じっと見詰めた。見詰めるほどに布の汚れは次第に消え去り、やがて元の色を取り戻した。その後、布の表と裏とを見返し、汚れが落ちたことを確かめると、布を畳み、リウェルに近づいた。「はい、持っていてね。」フィオリナは布を手渡した。
「どうするの?」リウェルは布を受け取ると、フィオリナを目で追いながら訊ねた。
「セレーヌさんも、いかがですか?」フィオリナは、本を抱えたままのセレーヌに訊ねた。
「それは、今あなたたちが使った力を使って……、ということなのかしら?」セレーヌは不安とも期待とも取れる表情でフィオリナを見た。
「そうです。普段は鱗の汚れを落とすために使うものなのですけれど……、」フィオリナは、セレーヌが手に持つ本に目を遣った。「本に書かれていることも、汚れとして消してしまうかもしれませんので、どこかに置いておいたほうが……、」フィオリナはリウェルを振り返った。「リウェル、セレーヌさんの本を代わりに持っていて。」
「わかった。」リウェルはセレーヌに歩み寄ると、本を受け取った。
「この力のことですが、」フィオリナはセレーヌに向き直った。「私たちは『清浄の魔法』と呼んでいます。セリーヌさんにも何度もかけたことがありますから、問題はないと思います。」
「大おば様にも?」セレーヌは目を輝かせ、身を乗り出さんばかりにフィオリナに訊ねた。「大おば様は、あなたたちの力について、何か仰っていたのかしら?」
「私がかけるたびに、」フィオリナは顔をわずかに上げ、どこか遠くを見詰めるような表情を浮かべた。「セリーヌさんは『ありがとう』と仰っていました。あとは『これに慣れてはだめだ』とも。でも、毎日お目にかかるわけではなかったので、そのたびにかけていたのですが。」フィオリナはセレーヌの顔色を窺うように見詰めた。「セレーヌさんもいかがでしょうか。」
「お願いするわ。」セレーヌは勢い込んで答えると直立不動の姿勢を取り、しっかりと目を閉じた。「これでいいのかしら?」セレーヌは片目をわずかに開き、フィオリナに問い掛けた。
「そんなに堅くなられなくとも、普段どおりでかまいません。目を閉じなくても平気です。では、かけますね。」フィオリナはセレーヌをじっと見詰めた。
セレーヌはフィオリナの視線から逃れようとするかのように、再びしっかりと目を閉じた。そのセレーヌにすぐに大きな変化が現れた。ぞんざいに束ねられ後ろに流された髪は、くすんだ色合いから、薄闇の中でも透けるような輝きを放つ金色へと変じた。所々にみられた、絡まったような塊は次第にほどけ、小川の流れのような真っ直ぐな髪が現れた。埃に塗れていた顔は本来の白い肌を取り戻し、眉と睫毛も髪と同じ輝きを放つに到った。身に纏う服も、斑のようになった一つひとつの染みが消え去るに従って本来の色を取り戻した。その袖から覗く、黒く染まった両手も、指先まで肌の色を取り戻し、平たい爪もかすかに煌めいた。
「これで、いかがでしょうか。」フィオリナは、目を閉じたままのセレーヌに語りかけた。「先ほどよりはきれいになったと思うのですが。」フィオリナは満足そうな笑みを浮かべると、セレーヌの頭から足許までに目を遣った。
セレーヌは恐る恐るといった様子で目を開くと、両肘を曲げ、腕を肩の高さまで持ち上げた。そのまま両手を顔の辺りまで持ち上げ、しげしげと眺めた。両の手をゆっくりと握ったり開いたり、掌と手の甲とを交互に見たりを幾度も繰り返すと、指を曲げ、爪の一枚一枚を見詰めていった。その後、両腕を下ろし、片手で顔に触れると肌の具合を確かめるかのように何度も撫でさすった。次いで、セレーヌは自身の体を見下ろした。服の胴の部分を見、袖口から肘にかけてを見、体を捻り、ふくらはぎの辺りに目を落とした。何度か体を捻ったセレーヌは、ようやく顔を上げると笑みを浮かべ、フィオリナを見た。「すばらしいわ。湯浴みをしても、洗濯をしても、ここまできれいにはできないわ。」
「どういたしまして。」フィオリナは得意気に答えた。
「是非とも私の力で再現させたいわね。」セレーヌは独り意気込んだ様子で言った。「でも、この話は別のときにしましょう。今日のところは、あななたたちの住まいをきちんとしておかないと。」セレーヌはフィオリナを見、リウェルを見た。
離れ家の周囲にはさらに闇が忍び寄り、全てが影の中に溶け込みつつあった。梢の先に広がる空はより碧さを増し、木立の奥からは鳥たちの鳴き交わす声が騒々しく響いた。
「セレーヌさん、小屋まで本をお持ちいたしましょうか。」リウェルはセレーヌから受け取った本を持ち上げた。「せっかくきれいになったのに、また汚れてしまいかねませんので。」
「そうね、お願いしようかしらね。」セレーヌはリウェルと本とを見比べながら頷いた。
「わかりました。」リウェルはセレーヌに答えると、フィオリナを見た。「布をお願い。」リウェルは本を抱えたまま、手にしていた布をフィオリナに向かって差し出した。
「わかったわ。」フィオリナはリウェルに近づくと、布を受け取った。「私はこれを敷いてくるから、リウェルはセレーヌさんの荷物持ちをお願いね。」
「わかった。」リウェルは顔を横に向け、フィオリナに答えた。
「フィオリナ、終わったら、私の小屋まで来てちょうだいね。」セレーヌも呼びかけた。
「はい、わかりました。」フィオリナは頷くと離れ家へ向かった。
セレーヌとリウェルは小屋に向かった。セレーヌが先に立ち、本を抱えたリウェルは貴人に対する従者のように付き従った。その後、離れ家に向かったフィオリナも二人に追いつき、三人は揃って扉の前に到った。
セレーヌは小屋の扉を開けると、そのまま中へと進んだ。リウェルとフィオリナは扉の前で立ち止まり、小屋の主の姿を目で追った。セレーヌは、小屋の中に入ろうとしない二人に入るように促し、二人はそれに従った。本を手にしたリウェルが先に入り、続いてフィオリナが小屋の中へと進み、後ろ手に扉を閉めた。セレーヌはリウェルに向かって本を置くように伝えると、暖炉に近寄り、食事の準備に取り掛かった。リウェルは言われたとおりに、手にしていた本を邪魔にならないであろう場所に置き、そのまま積み上げた。その後二人は、何か手伝うことはないかとばかりにセレーヌの姿を追いながらも、小屋の中ほどで立ち尽くした。無言のまま立ち尽くす二人に向かって、セレーヌは座って待つようにと伝えると、二人は小屋の隅から椅子を持ち出し、腰を下ろした。
「あなたたちのこれからのことを相談しないとね。」セレーヌは、暖炉に掛けた鍋の中身を杓子でかき混ぜながら、リウェルとフィオリナに語りかけた。「あなたたちの目的の一つが学院で勉強することだったから、私を訪ねてきたのでしょう? まずは、あなたたちがこれまで何を学んできたのかを教えてほしいわ。この町に来るまでに何を学んでいたのか。」
「読み書き算術でしたら、問題ありません。」リウェルが答えた。
「そうなの?」セレーヌは鍋を見ながら訊ねた。
「村や町で暮らすくらいのことはできると思います。」フィオリナが答えた。「
「そこまで言うのなら安心できそうね。」セレーヌは鍋の中身を杓子で掬い上げ、顔に近づけると、香りを吸い込んだ。「他には?」そのまま杓子の中身を鍋に戻し、かき混ぜた。
「『他には』……、」フィオリナはセレーヌから目を逸らすと、すぐ隣に座るリウェルを見た。「他には、何かあったかしら?」フィオリナはリウェルに顔を向けたまま、首を傾げた。
「何か……、他に何かあったっけ?」リウェルもフィオリナを見ると首を傾げた。「僕らが学んだのは、村の子たちのための学び舎だったから、学んだのはそれだけだよね。毎年同じことばかりだったから、飽きてしまったし。」
「そうよね、」フィオリナが同意した。「何十年も同じ学び舎に通っていれば、飽きるわね。」
互いに顔を見合わせた二人は頻りに頷き合った。
「あなたたちは、どれくらい学び舎に通っていたの?」セレーヌは顔を上げると横を向き、暖炉の正面に位置する場所に腰を下ろしたリウェルとフィオリナを見詰めた。「何だか、恐ろしいことを耳にした気がするのだけれど。」
リウェルとフィオリナは揃ってセレーヌを振り返ると、驚きの表情を浮かべるセレーヌを暫し見詰め、その後、揃って互いの顔を見た。
「初めて学び舎に通ったのは……、三十歳のときだったよね?」リウェルが訊ねた。
「そうね、そうだったはずよ。」フィオリナが答えた。「それから、旅に出る前までは一緒に通っていたから……。」
二人はゆっくりとセレーヌに向き直った。
「ざっと百年くらいです。」リウェルが答えた。
フィオリナもセレーヌを見詰めた。
「百年……。」セレーヌは目を大きく見開くと、口を半ばまで開き、白銀色の髪の少年少女を見詰めた。
暖炉の中から薪の爆ぜる音が響いた。紅い炎が鍋の底を嘗めるように揺らめき、少年少女の顔を照らし出した。扉のある壁に映った二人の影も風に揺れているかにみえた。
「そんなに長い間、通っていたの?」セレーヌは自分の耳が信じられないとばかりに訊ねた。
「はい。」リウェルが答えた。「はじめの頃は週に一回くらい通っていたのですけれど、段々通う回数も少なくなっていきまして、旅に出る前は三ヶ月に一度くらいになっていました。」
「学び舎には、」フィオリナが続けた。「いつもリウェルと一緒に通っていました。学び舎までは母と一緒でしたので、会うのは学び舎ででしたが。」
「それだけ通えば学ぶこともなくなるでしょうし、飽きもするはずね。」セレーヌは独り頷くと、再び暖炉に向き直った。「でも、それだけ長く通っていて、村のひとたちには正体を知られなかったの? 学び舎に通っていたときも、今と同じような姿だったのでしょ?」
リウェルとフィオリナは、鍋を覗き込むセレーヌから目を逸らすと、わずかに下唇を突き出しながら、互いに顔を見合わせた。
「どうしたの?」セレーヌは二人を促すように声を掛けた。「何かあったのかしら?」
リウェルとフィオリナは改まった表情でセレーヌに向き直った。
「そのことなのですが……、」フィオリナが躊躇いがちに口を開いた。「村の子たちは、私たちの正体に気づいていたらしいのです。一緒に遊んでいたときに『本当は……』と何回も訊かれました。でも、誰かがそのように言い出すと、他の誰かがそれ以上言わせないようにしていたので、毎回それきりになっていました。村の子たちは、私たちの正体を確かめたかったらしいのですが、今になってみると、確かめたくなかったらしいとも思えるのです。」
「僕らも気づかれていない振りをしていましたが、」リウェルが続けた。「セリーヌさんにそのことをお伝えしたら、『そのままにしておいたほうがよい』と仰っていました。『村の子たちが気づいていない振りをしているのなら、僕らは気づかれていない振りをしろ』、とも。『そのほうが、お互いにとって悪いことはない』とのことでした。ですから、僕らのほうからも、村の子たちが僕らの正体に気づいているのかを、確かめるようなことはしませんでした。」
「そのほうが賢明ね。」セレーヌは自身に言い聞かせるかのように頷くと顔を上げ、リウェルとフィオリナを見た。「物事を明らかにするよりも、敢えて曖昧にしておいたほうがよいこともあるわ。本当のことを知るのが、いつも正しいとは言えないものね。」セレーヌは二人の顔を交互に見た。「この町でも正体を知られないようにしなさいね。あなたたちが足を運んだ村に比べれば――いえ、『飛んでいった』かしらね――、この町は住人の数も多いはずよ。数が多ければ、それだけいろいろな考え方もあるということ。中には、あなたたちの正体を暴き立てようとする輩もいるかもしれないわ。ヒト族や獣人族の住む町で暮らすのであれば、それらしく振る舞いなさいね。もちろん、全てが全てを真似する必要はないわ。少々変に思われるところがあったとしても、『変わり者』くらいにみられるだけでしょうから。でも、あまりにもそれらしくない振る舞いは避けたほうがいいわね。例えば……、」セレーヌは鍋を見ると、杓子でかき混ぜた。「例えば、そうねえ、血も滴る生肉に齧り付いたり、骨をそのまま噛み砕いたり……、そんなことはしないほうがいいわね。」セレーヌは顔を上げるとリウェルとフィオリナを見、目を細めた。
リウェルとフィオリナはセレーヌの視線から逃れるかのように顔を逸らし、あらぬ方向に目を向けた。二人の視線は、両側の壁に設えられた棚と暖炉の上とを彷徨った。
「冗談よ。」セレーヌは笑みを浮かべた。「それだけ狼狽えるのなら、私としてもからかいがいがあるわね。」セレーヌは暖炉に向き直ると、杓子を使って鍋の中身を皿によそい、リウェルに差し出した。「さ、食事にしましょう。」
「ありがとうございます。」リウェルは席を立つと、両手で皿を受け取った。
セレーヌは別の皿を手に取ると鍋の中身をよそい、少女に差し出した。「あなたの分よ。」
「ありがとうございます。」フィオリナも席を立ち、両手で受け取った。
「あとは、これもね。」セレーヌは匙を二人に手渡した。その後、セレーヌは自身の分を皿によそった。「それじゃ、いただきましょう。」
リウェルとフィオリナも椅子に腰を下ろし、匙を口に運んだ。
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