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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第一部:旅立つ前の故郷での日々
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(三)

 〈――いつも思うのだけど、〉フィオリナは手に持った乳棒を動かしながら乳鉢の中に目を落としたまま、リウェルに向かって念話で語りかけた。〈ヒト族って、たいへんね。薬草を粉にするだけでも、こんなに面倒なことをしなければならないのだもの。〉フィオリナの視線の先、乳鉢の中の薬草はほとんど形を失い、多くの破片へと変わりつつあった。〈飛竜の力を使えば薬草を粉にするのなんて、瞬きする間にできてしまうわ。〉

 〈しかたないよ。〉リウェルは乳鉢に手を添えたまま、薬草の破片から目を離すことなく答えた。〈ヒト族には、僕らみたいな力はないから。僕らが今やっているみたいに、少しずつ磨り潰さないと。〉リウェルは顔を上げた。〈代わる?〉

 〈ううん、いいわ。〉フィオリナは乳鉢に中の薬草を見詰めたまま、手を止めずに答えた。〈私が来るまで、独りでやっていたのでしょ? 残りは私がやるわ。〉

 〈わかった。このまま、フィオリナが磨り潰す役で。〉リウェルは乳鉢に目を落とした。

 リウェルとフィオリナが見詰める先の乳鉢の中身は、多くの破片から粉へと変わりつつあった。フィオリナは時折磨り潰すのを止めると、乳鉢の壁に沿って乳棒を這わせ、粉を底に落とした。全ての粉が乳鉢の底に落ちたことを見届けたフィオリナは、磨り潰す作業を再開した。

 その後も、リウェルとフィオリナは顔を下に向けたまま、薬草を磨り潰す作業を続けた。フィオリナが乳棒を回すごとに、乳鉢の中の粉は吹けば舞い上がるほどの細かさになっていった。

 〈リウェル、旅に出たとして、どこか行きたいってところ、ある?〉フィオリナは乳棒を回す手を止めずに訊ねた。〈どっちに行きたい、とか、どこに行きたい、とか、そういうこと。〉フィオリナは顔を下に向けたまま続けた。

 〈今はまだ、よくわからない、かな。〉リウェルは顔を上げ、どこか遠くを見遣るかのような表情を浮かべた。〈でも、この世界がどれくらい広いのか、自分で確かめてみたい。僕らが知っているのって、山と森くらいでしょ。あと、山と森の間にある草原と、山の麓の村と。森の先がどうなっているのか、自分の目で見てみたい。〉リウェルは、下を向いたまま手を動かすフィオリナの頭を見詰めた。〈森の先に行きたいから、はじめは南を目指そうかな。フィオリナも一緒に来るのでしょ?〉

 〈ええ、行くわ。そのつもり。〉フィオリナは乳棒を回す手を止めた。〈南はここより暖かいのでしょ? 本当かどうか確かめてみたいわ。樹も草も、こことは違うって、とうさまとかあさまが言っていたわ。〉フィオリナは再び手を動かし始めた。

 〈南に行くの決まりとして、〉リウェルはフィオリナの頭を見ながら言った。〈ヒト族の町にも行ってみたいな。〉

 〈『ヒト族の町』?〉フィオリナは手を止め、顔を上げると、リウェルに向かい合った。

 〈そう、町。〉リウェルはフィオリナと目を合わせた。〈麓の村みたいな小さなところではなくて、もっと、ずっと大きな、たくさんのヒト族が住んでいる町。ここから一番近い町だと……、確か、アルガスの町だったはず。〉

 〈『町』……、ね。〉フィオリナはリウェルから目を逸らし、自身に言い聞かせるかのように言った。〈町で何を見るの?〉フィオリナはリウェルのほうを向き、目を合わせた。

 〈ヒト族の暮らしを見てみたい。あと、獣人族も居るはずだから、ヒト族と獣人族との違いも見てみたい。それに、『森の民』だって居るかもしれない。セリーヌさんみたいな『変わり者』が町に住んでいたとしてもおかしくないでしょ? でも、それだと、〉リウェルは横目でセリーヌの姿を追った。〈『森の民』じゃなくて『町の民』かもしれないけど。〉

 〈一人くらいは居るかもしれないわね。〉フィオリナもリウェルにつられるかのようにセリーヌの姿を目で追った。

 〈町に行ってみたいのは、もう一つ理由があって。〉リウェルはフィオリナへと目を向けた。

 〈何?〉フィオリナもセリーヌを目で追うのを止め、リウェルと目を合わせた。

 〈学び舎で学んだこととは違う別のことを知りたい。〉リウェルは目を輝かせた。〈学び舎で学んだことって、僕ら飛竜にはないものでしょ? だから、もっと知りたくて。山の麓の学び舎で学ぶことは、もう無くなってしまったし。少しずつ変わってはきているけど、変わっていないと言えば変わっていないもの。毎年毎年、同じことの繰り返し。読み書き算術ばかり。〉

 〈繰り返しになるのはしょうがないわ。〉フィオリナは反論するかのように言った。〈だって、麓の村の学び舎は小さな子たちのためのものだもの。ヒト族の小さな子たちのための。だから、変わらないのはしかたないわ。〉フィオリナは考え込むかのように乳鉢に目を落とした。〈でも、町に行って何かを学ぶのはおもしろそうね。町の中でヒト族の振りをして、町の学び舎に通うのね。〉フィオリナは顔を上げた。フィオリナの目はリウェルを越え、どこか遠くを見ているかのようでもあった。

 〈でしょ? だから、この世界を見て回る前に、町に行くのもいいかもしれない。〉リウェルは身を乗り出さんばかりだった。〈ヒト族や獣人族の町を見るのも、町の学び舎で学ぶのも、この世界を見て回るのと同じと言えば同じだけどね。〉

 〈それじゃ、行きたいところの一つは、町ね。〉フィオリナは目を輝かせてリウェルを見た。

 リウェルとフィオリナは互いに顔を近づけ、鼻先を触れ合わせた。幾度か鼻先を触れ合わせた二人は再び腰を下ろすと、互いの顔を見詰めた。互いの瞳に映っていたのは、白銀色の髪に金色の瞳をした、よく似た少年少女の微笑む姿だった。

 「手がお留守だよ。」セリーヌの声が響いた。

 リウェルとフィオリナは顔を上げた。二人が目にしたのは、二人のすぐ傍らに立ち、体の前で腕を組み、二人を見下ろすセリーヌの姿だった。セリーヌは、片手に木で作られた箱のようなものを持ち、もう片方の手を組んだ腕の上で苛立たしげに上下させていた。

 「まあた、念話を使っていたね?」セリーヌはリウェルとフィオリナを交互に見た。「言った(そば)から念話を使うとは、何か私に聞かれたくないことでも話していたのかい?」

 リウェルとフィオリナはセリーヌから目を逸らすと、暫し互いに見詰め合い、それぞれあらぬ方向に顔を向けた。

 「おまえさんたちはおまえさんたちで、内緒にしたいこともあるだろうさ。」セリーヌは諦め顔で肩を落とした。「私としては、おまえさんたちが仕事をきっちりこなして、学べるだけ学んでくれれば、それでいいのだけどね。」セリーヌは腕を解き、その場に屈み込むと、乳鉢の中に目を向けた。「おや、もうできているじゃないか。」セリーヌは手にしていた箱の蓋を開け、中から匙を取りだし、乳鉢の底に溜まった粉を掬い上げた。「これだけ細かければ上等だ。いつもながら、仕事が丁寧だね。」セリーヌはリウェルとフィオリナに笑いかけた。

 「ええと、ありがとう、ございます。」リウェルは顔を上げると、セリーヌが褒め言葉を口にするとは思っていなかったのか、しどろもどろといった様子で答えた。

 「それと、ごめんなさい。」フィオリナが続いた。フィオリナはセリーヌを見、顔を俯けた。「念話を使ってしまって。」

 「何を話していたんだい?」セリーヌは匙で粉を掬い、箱へと収めながら訊ねた。「やけにまじめな顔をしていたと思ったら、急にはしゃいだようになって、最後は恋人どうしみたいに顔を寄せて。」セリーヌは手を止めずに続けた。

 リウェルとフィオリナは顔を見合わせた。その後、二人はセリーヌの作業を見詰めた。

 「旅に出たらどこに行きたいかを話していました。」リウェルはセリーヌの手を目で追いながら答えた。「広い世界を見るための旅で、はじめはどこに行こうか、と。」リウェルはセリーヌの手から目を逸らし、フィオリナを見詰めた。

 フィオリナも顔を上げ、リウェルを見詰めた。

 「『旅』?」セリーヌは手を止め、リウェルとフィオリナを見た。「ああ、『旅』ね。あれだろ? 親許を離れて、伴侶と縄張りを探すっていう。」

 「はい。」リウェルとフィオリナはセリーヌを見、首を縦に振った。

 「仲の良いおまえさんたちのことだ、伴侶を探す必要はないね。」セリーヌは二人の顔を見た。「となると、お前さんたちの子を育てるための縄張り探し、か。」

 「それもありますけど、」リウェルは言った。「ヒト族や獣人族の町にも行ってみたいと思っています。ヒト族や獣人族の暮らしも見てみたいですし、学び舎にも行ってみたいです。」

 「それは殊勝な心がけだ。」セリーヌは首を縦に振り、再び手を動かした。「今日(きょう)()、学問を修めようとするとは。しかも、飛竜の子がヒト族や獣人族の学問を修めたい、か。おまえさんたちも変わり者だね。悪い意味ではないよ。そこは誤解するんじゃないよ。他の種族のことを知りたいなんて考える者は、そうそう多くはないからね。皆が皆というわけじゃないが、大概の奴らは自分たちの世界に閉じこもって、安穏として暮らしているか、私みたいに独りで暮らしているか、いずれにしても、他の種族のことを知ろうとすることはあまりないからね。」

 「セリーヌさんは、私たちのこと、ご迷惑ですか?」フィオリナは、セリーヌが粉を掬いやすいようにと、乳鉢を傾けた。「私たちがセリーヌさんのところに来るのが。」

 「おまえさんたちは別さ。」セリーヌは手を止め、フィオリナを見た。「おまえさんたちは、私にとっては孫みたいなものさ。誰かに何かを教えるというのも悪くないと思い起こさせてくれた。感謝しているよ。」セリーヌは穏やかな笑みを浮かべた。

 乳鉢の中に残っていた粉はすっかりなくなり、セリーヌの手に持った箱に収まっていた。セリーヌは匙を箱の(ふち)に当て、匙に残っていた粉を落とした。そのまま匙を箱の中には入れはせずに、箱の蓋を閉じた。「さ、これで、一仕事終わり。助かったよ。」セリーヌはその場に立ち上がり、壁の棚のほうへと向かった。

 リウェルとフィオリナは乳鉢を前に腰を下ろしたまま、セリーヌの姿を目で追った。セリーヌが棚の段の一つに箱を置いたのを目にしたリウェルは、セリーヌに目を向けたまま口を開いた。「セリーヌさんて、いったい、幾つなのですか?」リウェルは首を傾げた。「僕らのことを『孫みたい』だって言うくらいだから、ちちうえやははうえよりも長生き……なのですか?」

 「私も知りたいです。」フィオリナが続いた。「セリーヌさんて、見た目は若くてきれいだけど、本当は何歳なんだろうって、いつも思っていました。飛竜よりも長生きではないと思いますけど、『森の民』の種族はヒト族や獣人族よりもずっと長生きですよね?」フィオリナもセリーヌを目で追った。

 二人の問いを耳にしたセリーヌは棚の前で動きを止め、やがて、油の切れた門扉を思い起こさせる動きで二人に顔を向けた。二人が目にしたのは、いかなる表情も浮かんでいない、人形のような顔だった。二人を見詰めるセリーヌの顔にゆっくりと笑みが浮かんだが、目だけは全くと言ってよいほどに笑っていなかった。

 リウェルは息を呑み、体を硬くした。フィオリナは手にしていた乳棒を乳鉢の中に置き、リウェルの横に移動した。ぴたりと寄り添った二人は互いの手を取り合い、体を震わせた。しかし、二人は顔を引き攣らせつつもセリーヌから目を逸らすことはなかった。

 「リウェルもフィオリナも、よく覚えておくんだよ。」セリーヌは、笑顔を張り付かせたまま、口を開いた。「ヒト族の町に行ったら、無闇に女性に歳を訊ねるんじゃないよ。ヒト族だけじゃない。獣人族の女性だって、『森の民』の女性だって、皆同じさ。よっぽど親しくなって、相手から教えてくれるくらいならいいけどね。おまえさんたちから訊ねるようなことはするんじゃないよ。まあ、若くてきれいと言われるのは悪い気はしないけどね。」セリーヌは表情を緩めた。「相手を褒めるのも、時と場所と場合をよく見極めること。わかったかい?」

 「はい。」リウェルとフィオリナは必死の形相で首を縦に振った。

 「よし。」セリーヌは満足そうに頷いた。「そうだ、その乳鉢は今日はもう使わないから、片付けておいてくれ。中もきれいに拭くんだよ。」

 「はい、わかりました。」

 リウェルとフィオリナは後片付けを開始した。


    ◇


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