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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第二部(二):南の地へ
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(五)(二一)

 空に輝く星々がいつしか数を減らし、東の空が白み始める頃、南へと飛行を続けていたリウェルとフィオリナは首を巡らせ、周囲を見渡した。草原は依然として二頭の眼下に広がっていたが、さらに南にはまた別の森の姿がかすかに窺えた。森そのものは、夜が明ける前とあってか、既に二頭が後にした森とは何ら変わりがないようにも見えた。二頭の遥か西、草原に横たわる河は南へと向かうにつれてその幅を増していたが、やがては、闇に沈む森の中へと吸い込まれるように進み、その先を追うことは叶わなかった。

 〈フィオリナ、河のほうに行ってみよう。〉リウェルは西の空を見詰めたまま呼びかけた。〈水を飲んでおきたいし、できることなら水浴びもしておきたい。〉

 〈危険は……、なさそうね。〉フィオリナも西の空に目を遣ったまま答えた。〈探索魔法には、これといった反応はないわ。少なくとも、大きな危険はないはずよ。もし、あるとしたら、岸で足を滑らせて、河に落ちて、溺れそうになることくらい……、かしら?〉フィオリナは悪戯を思いついた子竜のような笑みを浮かべ、リウェルを見た。〈いつだったか、誰だったか、湖の岸辺で溺れそうになったのは覚えているけれど、今の私たちの姿なら、そうそう危険なことはないはずよ。〉

 〈溺れることはないにしても、〉リウェルはわざとらしく顔を顰め、空を見上げた。〈気をつけるに越したことはない。もし、河に落ちたとしても、飛翔の魔法を使えばすぐに水の上に出られると思うけど、その前に流れに巻き込まれたら……。水の中に何かあるかもしれないし、それに、この体だと動きづらい。〉

 〈変化(へんげ)するのはどう?〉フィオリナは河に目を遣り、次いで、リウェルを見た。〈魚の姿に変じれば、水の中でも問題ないと思うわ。変化(へんげ)しなくても、翼を広げたり、肢を伸ばしたりしないで、蛇みたいに泳げば大丈夫よ、きっと。〉

 〈それも……、そうかもしれない。〉リウェルは思案顔で答えた。〈何にせよ、気をつけて行こう。あの頃と同じ失敗はもうしないからね。〉

 〈そうね。用心するに越したことはないわ。〉フィオリナは頷いた。〈行きましょう。〉

 南西へと進路を取ったリウェルとフィオリナが河の上空へと達したのは、頭上の空が碧さを見せ、東の空が紅みを増した頃だった。草原は河の手前で唐突に終わり、その先には草のない剥き出しの土が続き、さらに河へと近づくにつれて土は小石へと変わり、岸に至ればそこは大きさも様々な石に埋め尽くされていた。河の流れは、二頭が草原の上空から眺めたほどには緩やかとはいえなかった。所々に立つ白波は、ヒト族の姿で水に入った途端、河の中に摺り込まれかねないことを窺わせた。二頭は上空で静止したまま周囲を見渡した。夜明け前の草原は未だ眠りに就いているかのような静けさに包まれ、ただ、岸辺を洗う流れの音だけが二頭の耳に届いた。

 〈何もなさそうだね。〉リウェルは河を見下ろした。

 〈獣の姿らしきものは見られないわね。〉フィオリナは草原から森へと目を遣った。

 〈降りよう。〉〈ええ。〉二頭は降下を開始した。そのままゆっくりと地上に向かった二頭は、すぐに河原を覆う石の上に降り立った。足許の石が音を立て、流れる河の波の音に重なった。二頭は翼を広げたまま首を巡らせ、周囲を見回した。草原よりも一段低くなった河原からは遠くを見通すことは叶わず、二頭が首をいっぱいに伸ばしても頭がわずかに草原の上に出るにすぎなかった。

 〈ここからでは草原の様子がわからないけど――〉フィオリナが草原を見ながら呟いた。

 〈探索魔法の反応には何も見られない。〉リウェルは首を下ろし、フィオリナを見た。

 〈大丈夫そうね。〉フィオリナも首を下ろすと河の流れを見遣り、次いで、リウェルを見た。

 二頭は互いに顔を見合わせると背の翼を畳み込んだ。そのまま河原を進み、さらに岸に近づくと、足場を確かめるようにして四肢を上下させ、暫し後、長い首を伸ばして河面に口をつけた。控えめに開いた口から伸ばした舌を幾度も前後に動かしながら、二頭は喉を潤した。やがて二頭は河面から口を離すと、その場から後ずさり、岸から距離を取った。

 〈これだけ流れが速いと、水浴びするには危ないかもしれない。〉リウェルは河の流れの中央へと視線を向けた。〈この姿でも、水の中に入った途端に流される。〉リウェルはフィオリナを振り返った。

 〈そうはなりたくないわね。〉フィオリナはわざとらしく顔を顰めた。〈それなら、私たちが水に入るのではなくて、水を私たちのほうに持ってくるのはどうかしら?〉

 〈どういうこと?〉リウェルは首を傾げた。

 〈こういうことよ。〉フィオリナは河面を見遣った。視線の先、岸のすぐ近くの河面が迫り上がり始め、それは樹が空を目指すかのようになおも続き、ついには白銀竜の体に迫る水の球となって空中に浮かび上がった。水の球は宙に浮かんだまま滑るようにして河原に近づき、リウェルの頭上に留まった。

 〈何だか、悪い予感しかしない……。〉リウェルは顔を引き攣らせながら首を引き、水の球の下から逃れようと後ずさりした。

 〈ものは試しよ。〉フィオリナはおもしろがるような表情を浮かべながらリウェルを見詰めると、河原を移動し距離を取った。〈リウェル、目を瞑っていてね。〉

 〈わかった。〉リウェルは観念したとばかりに、眉間に皺を寄せながら目を瞑った。

 リウェルとそれほど変わらない大きさの、空中に浮かぶ水の球は、リウェルが目を瞑った途端に形を失い、岩が転げ落ちるような音を立てて地上に落下した。リウェルの体は鼻の先から首にかけて、背の翼と胴と四肢、そして長い尾の先までもが水に覆われ、なおも水は首や四肢、腹の下や尾から滴り落ちた。地上に落下した水が河原を濡らし、岸に向かった流れが河に至る頃、リウェルは目を閉じたまま頭を左右に勢いよく振り、首、胴、尾の順に振り続けると、その後は背の翼を大きく広げ、羽ばたくように動かした。幾度か体を震わせたリウェルは、肢を一本ずつ持ち上げては前後左右に振るのを繰り返し、最後にもう一度、体を左右に振った。

 〈水浴びのほうが()()だったかもしれない。〉リウェルは目を開くと背の翼を畳み、恨めしそうな表情を浮かべ、フィオリナを見た。〈飛竜の姿だから水もたくさん必要なのもあるけど、上から落とされると、水に落ちたときと同じくらいに痛い。〉リウェルは河の流れに目を遣ると、再びフィオリナを見た。〈でも、ヒト族の姿のときは、頭から水を浴びるのはいいかもしれない。もちろん、服を脱いでからのことだけど。〉

 〈清浄の魔法を使ったほうがよさそうね。〉フィオリナは悪びれた様子もなく、リウェルの頭から尾の先までに目を遣った。〈水を持ち上げるのは大した手間ではないのだけど。〉

 〈そのほうがいいと思う。〉リウェルは首を巡らせ、自身の体を見下ろした。見詰めるほどに、体を覆う白銀色の鱗はくすみも取れ、輝きを増した。〈次に何か試すときは、フィオリナがお願いね。〉リウェルは有無を言わせずといった様子で目を合わせた。

 〈わかったわ。次は私ね。〉フィオリナは気圧されたかのように顔を逸らし、自身の体を見た。そのたびに白銀色の鱗は元の輝きを取り戻した。〈そろそろ休みましょう。夜が明けるわ。〉フィオリナは首を伸ばし、東の空に目を遣った。

 星々の姿は既になく、東の空は紅く染まっていた。棚引く雲が朝焼けの色に染まり、碧さを増しつつある空は昼の世界の訪れを窺わせた。

 〈草原に移動しよう。〉リウェルはフィオリナを見た。〈河の傍は落ち着かない。急に流れが強くならないとも限らないし。〉リウェルは河の流れに目を遣った。

 〈次の森まで行ければよかったのだけど、〉フィオリナは南へと顔を向けた。〈まだ、かなり距離がありそうね。〉

 〈そう。だから、今は草原で休むのが先。〉リウェルは背の翼を広げた。

 〈ええ。〉フィオリナも背の翼を広げた。

 河岸を飛び立った二頭は東に進み、草原の中、樹の生えていない場所に降り立つと、その場にうずくまった。ぴたりと寄り添った二頭は、前日までと同じように探索魔法を展開し、さらに防壁を二重に展開すると、首と尾とを体に巻き付け、丸くなった。

 〈夕方まで暫しの休息。〉リウェルは口を大きく開け、欠伸をすると、目を閉じた。

 〈おやすみ、リウェル。〉フィオリナも目を閉じた。

 〈おやすみ、フィオリナ。〉

 目を閉じた二頭はすぐに規則正しい寝息を立て始めた。


    ◇


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