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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第二部(一):旅立ち
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(三)(一六)

 リウェルとフィオリナは両の翼を広げ、それぞれの両親の傍らから飛び立つと、互いに距離を縮めた。両親たちから等しく離れた岸辺に降り立った二頭は、翼を畳むのももどかしそうに鼻先を触れ合わせ、頬を擦りつけ合った。一頻りそうしていた二頭はどちらからともなく顔を離し、互いの金色の瞳を覗き込んだ。

 〈出発だね。〉リウェルは楽しみでたまらないとばかりにフィオリナに語りかけた。

 〈ええ、出発ね。〉フィオリナも瞳を輝かせ、弾むような声で答えた。

 〈忘れ物はないよね。〉リウェルは右の前肢を持ち上げ、上目遣いにフィオリナを見た。〈服と靴、予備にもう一揃い、外套、雑嚢に、帳面と筆記具、それに――〉

 〈それに、セリーヌさんからの手紙。〉フィオリナが続けた。〈一番大事なものでしょ?〉

 〈そう。セリーヌさんからの手紙、それと……、〉リウェルは前肢を下ろし、虚空を見上げた。〈セレーヌさんへの伝言――『森の声に耳を傾けろ』――と。〉

 〈それが二番目に大事なことね。〉

 〈そうだね。あとは――〉

 〈路銀が少しだけ。〉フィオリナはリウェルに近寄ると顔を寄せ、頬を擦りつけた。〈町で暮らすのなら、お金も稼がないといけないわね、きっと。〉

 〈確かに。〉リウェルはフィオリナにされるがままに答えた。〈実のところ、まだよくわからないのだけどね。お金なしで暮らせるのなら、そのほうがいい。〉

 〈私もそう思うわ。でも、何とかなるわ。いえ、何とかしましょう。〉

 〈そうしよう。あとは、剥がれた鱗と、抜けた牙と爪と……。父上も母上も、『ヒト族には見せないほうがいい』とは言っていたけど、『念のため持っていけ』って。お金の代わりにはなるみたいだけど、使いどころが難しいらしい。〉

 〈私も父様と母様に言われたわ。『正体を知られるかもしれないから、見せるときは用心しろ』って。でも、見せなかったら使えないのよね。〉

 〈鱗と牙と爪は、持っていくだけで、使えないかもしれないね。〉

 フィオリナは頬を擦りつけるのを止めると顔を離し、リウェルの背後を見遣った。フィオリナの瞳に映ったのは、カレルとリラがリウェルの背後に降り立とうとしている姿だった。リウェルはフィオリナの顔を横目で見るも、すぐに前を向いた。リウェルの視線の先、フィオリナから尾の長さだけ離れた場所に、キールとレイラが降り立とうとするところだった。リウェルとフィオリナは互いに距離を取り、向かい合った。広げたままの両の翼を畳み込み、四肢を揃え、長い尾を真っ直ぐに伸ばし、居住まいを正した。二頭は自身の両親の前で、互いの将来の伴侶の両親と向かい合った。

 〈出発します。〉リウェルとフィオリナは自身の両親と互いの両親に挨拶をした。

 〈うむ。〉〈気をつけてね。〉カレルは堅苦しく、リラは笑みを浮かべながら答えた。

 〈(あい)わかった。〉〈気をつけるのよ。〉キールは覚悟を決めたかのように、レイラは娘が遠くに旅立つとは思えないほどの普段と変わらない口調で頷いた。

 リウェルとフィオリナは互いの瞳を見詰めること暫し、背の翼を大きく広げた。折しも、空を紅く染める陽は西に連なる山々の彼方に姿を隠そうとしていた。湖の岸辺は夕刻の薄闇に包まれ、湖面を渡る風も夜の気配をもたらしつつあったが、両の翼を広げた二頭の白銀竜たちの姿は、地の奥から掘り出され、長い眠りから覚まされた貴石のように、輝きを放った。

 〈いってまいります。〉リウェルとフィオリナは両親たちに呼びかけた。

 〈そなたたちの旅に(さち)多からんことを。〉〈前をしっかり見て進むのよ。〉

 〈旅の目的を見失うでないぞ。〉〈楽しんでいらっしゃい。〉

 四頭の親竜たちは、今にも飛び上がらんばかりの子竜たちに向かって声を掛けた。

 〈はい。〉リウェルとフィオリナは笑顔で答えた。

 その後すぐに、二頭はその場から上昇を始めた。両の翼を羽ばたかせることもなく、湖を取り囲む山々を超える高さまでに到った二頭は、上昇を止め、空中に静止した。二頭の体を覆う白銀色の鱗は、空の高みを照らす最後の陽の光を受け、紅く染まった。二頭は空中に静止したままゆっくりと向きを変え、湖の上空を周回するように飛行を始めた。岸辺で空を見上げる両親たちとの別れを惜しむかのように、しかし、決して地上に目を向けることはなく、幾度か周回した二頭は、やがて進路を南へと取った。リウェルとフィオリナはそのまま、湖の岸辺に視線を向けることもなく、山々の連なる『北方連山』の外へと向かって飛行を開始した。


    ◇


 地上に残った四頭の親竜たちは、湖の上空を周回するように飛行する二頭の子竜たちを見遣った。子竜たちが進路を変え、南へと向かう頃になっても、四頭は空を見上げ続けた。夕陽に紅く染まった子竜たちの体が南に聳える山々を越え、地上からその姿を見ることが叶わなくなっても、四頭は()(じろ)ぎもしなかった。湖の周囲には夜の闇が流れ込んだ。昼間の暖かさを失った風が北に連なる山々から湖へと吹き下り、湖面を滑るように進み、四頭が立つ岸辺に到った。岸に上陸した風は四頭の足許に伸びる草を揺らし、一時、ざわめきで満たした。その風もすぐに収まり、草は元どおりに空を仰いだ。碧さを増した空には既に幾つかの星々が姿を見せ、弱々しい輝きを放ち始めたが、星々はすぐに数を増し、競い合うかのように青白い点のような光で地上を照らし出した。

 〈行ってしまったか。〉カレルは誰に向かって言うともなく呟くと顔を下ろし、長い首を巡らせ、既に夜の闇に包まれた湖の水面(みなも)に視線を向けた。

 カレルの言葉を切っ掛けに、山の()を見上げていた三頭の飛竜たちも顔を下ろした。

 〈行ってしまったな。〉キールは自身に言い聞かせるかのように力無く呟いた。〈あの子らは、地上に()る我らのことなぞ振り返りもせずに、飛んで行きおった。〉キールはカレルと目を合わせようともせずに、子竜たちが姿を消した南の方角に顔を向けた。

 〈それが、あの子らなりの答えなのであろう。あるいは、あの子らなりの覚悟と言うべきか。〉カレルは既に闇に沈んだ山の端を見上げ、次いで、キールへと顔を向けた。〈最後の最後で、笑顔で見送ることができたのであるぞ。よかったではないか。〉

 〈そうであるな。〉キールは顔を下ろし、カレルを見据えた。〈お主の言うとおり。あの子の親たる我らの務めも、これで果たせたということか。〉

 〈どうしたのだ、らしくもないことを口にしおって?〉カレルはキールに笑いかけた。〈何かと我に突っかかってくるいつものお主は、いったい、どこへ行ってしまったのだ?〉

 〈そう言うお主こそ、〉キールは口角を引き上げ、鼻から息を吐き出した。〈そのような、我を気遣うようなことを口にしおって。いつものお主らしくもない。〉

 〈気遣ってなぞおらぬぞ。〉カレルは金色の瞳でキールを射貫いた。〈お主らしくもないとからかったまでのこと。〉

 キールは口を閉じ、カレルの視線を受け止めた。〈そうか。〉キールは目を合わせたまま答えた。〈お主がそう言うのであれば、そういうことにしておくか。〉

 〈ふん。〉カレルは鼻から勢いよく息を吐き出すとキールから顔を逸らし、南の方角を見上げた。カレルの見詰める先、空は星々で満ち溢れる中、山々は既に闇に包まれ、そこだけが(そら)()いた穴のようにも見えた。〈あの子らが我らの前に姿を見せるのは、いつになるか……。〉カレルは自身に言い聞かせるかのように独り言ちた。〈一年後か、十年後か、あるいは、百年後か……。あり得ぬことではないかもしれぬが、この世界では、二度と会うことは叶わぬかもしれぬな。〉

 〈そうだの。いつになるかの……。〉キールも顔を南に向け、闇に沈む山々と星々が輝きを放つ空を見上げた。〈仮に百年後であったとすれば、子連れかもしれんの。あの子らの子は我らにとってみれば孫に当たる。おそらく我に似た孫であろう。〉キールは目を細めた。

 〈暫し待て。〉カレルは顔を下ろすと首を巡らせ、キールを見た。〈何故、『お主に似た孫』なのだ? 孫であれば、我に似ているはずであろうが。〉

 〈はっ、何を言うか。〉キールはカレルを見詰め返し、鼻を鳴らした。〈フィオリナの子であるぞ。我に似ているはずなのは至極当然であろうが。〉キールは白い眼でカレルを見た。

 〈お主こそ何を言っておるか。〉カレルは今にも噛みつかんばかりの形相で迫った。〈孫であれば、リウェルの子であるぞ。リウェルは我が子。我が子リウェルの子であれば、我に似ているはずなのは当然であろうが。〉

 カレルとキールは鼻先を触れんばかりの距離で向かい合った。二頭はともに口角を引き、牙を剥き出しにし、前肢を屈め、いつでも飛びかかれる姿勢を取った。二頭の背の翼は半ばまで開かれ、喉の奥から時折湧き出る唸り声に呼応するかのように、ゆっくりと上下を繰り返した。


    ◇


 睨み合いを続ける二頭の雄たちを、二頭の雌たちは離れた場所から見遣った。呆れてものも言えないといった表情を浮かべたリラとレイラには、カレルとキールの睨み合いを止めようとする様子は微塵も見られなかった。互いに歩み寄りながら距離を縮めた二頭の雌たちは揃って、二頭の雄たちに冷めた目を向けた。

 〈あれは……、どうしましょうね。〉リラは、二頭の雄たちを見遣りながら、自身に言い聞かせるかのように力無く呟いた。〈このまま、放っておきましょうか。〉

 〈放っておきましょう。〉レイラも雄たちに視線を向けたまま答えた。〈いつものじゃれ合いよ。すぐに終わるわ。気の済むまでやらせておきましょう。〉

 〈それもそうね。そうしましょう。熱くなるのも早ければ、冷めるのも早いわ。〉リラは雄たちから顔を逸らし、レイラを見た。〈あなたは、どう思う?〉

 〈『どう思う』って、〉レイラもリラを見た。〈あの子たちの子――私たちの孫――のことかしら?〉

 〈そうよ。〉リラは目を閉じ、暫し後に再び開いた。〈フィオリナちゃんとリウェルの子なのだから、あの子たちに似ていることは確かね。〉

 〈そうね。〉レイラはゆっくりと首を縦に振った。〈リウェル君とフィオリナの子なのだから、あなたと私にも似ているはずよ。〉

 〈あなたとキール、フィオリナちゃんとリウェル、カレルと私……。〉リラは一つひとつ確認するかのように名を挙げた。〈私たち六頭に似ているわ、きっと。〉

 〈そうよね。〉レイラはわずかに顔を俯けながらリラの顔を見詰めると、再び顔を上げ、雄たちへと目を向けた。〈何故、こんなに簡単なことがわからないのかしら。〉レイラは首を傾げた。〈父親って、皆、あんな感じなのかしら。〉

 〈どうなのかしらね。〉リラも雄たちへと顔を向けた。〈そうかもしれないわ。あの子たちが子を連れてやって来たとしたら、キールとカレルはどうなるかしらね。少しは変わるかしら。〉

 〈それは……、〉レイラは雄たちから顔を逸らし、あらぬ方向に目を向けた。〈今と変わらない気がするわ。心配する先が、子から孫に変わるだけよ、きっと。それに、今よりもひどくなるかもしれないわ。かわいがって、世話を焼いて、始終うるさく口を出して。〉

 〈あり得るわね……。〉リラは空を見上げた。リラの目に映ったのは、空を覆い尽くす無数の星々だった。〈あり得るわ……。今よりも悪くなっている姿しか想像できないわ。〉リラは顔を下ろし、未だ睨み合いを続ける雄たちを見遣った。

 リラとレイラはどちらからともなく顔を見合わせた。闇に沈んだ湖から吹き付ける風が冷たさを増す中、互いの顔に浮かんでいたのは、目にしたくない未来を前にして絶望したかのような表情だった。暫し見詰め合った二頭は目を伏せ、顔を俯け、揃って大きく息をついた。


    ◇◇


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