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白銀竜たちは碧空に舞う  作者: 葦笛吹き
第一部:旅立つ前の故郷での日々
11/74

(一一)

 その日の(ひる)過ぎに森に入ったセリーヌとリウェルとフィオリナの三人は、午後も半ば近くに小屋へと戻った。三人が手にしていた籠には幾種類もの薬草の株が入れられていた。三人は採取した薬草をその種類ごとに分け、蟲に食われていない葉や傷のない茎を選り分け、根が抱え込んだ土を、根を傷つけないようにしながら取り除くなどの仕事に精を出した。黙々と手を動かす(さま)は普段と何ら変わりなかった。

 「ところで、おまえさんたちは、今でも村の学び舎に通っているのかい?」セリーヌは手を止めることなく訊ねた。「麓の村の、小さな子たちのための学び舎に。」

 「はい、今も行っています。」「リウェルが行く日と同じ日に行っています。」リウェルとフィオリナも余所見することもなく、仕事の手を止めずに答えた。

 「でも、学び舎に行くのは月に一度くらいですが。」リウェルは独り言のように付け加えた。

 「おや、そうだったのかい。」セリーヌは薬草の株を手に持ち、その中から何本かを選り分けた。「しかし、なんでまた、月に一度なんだい?」

 「学び舎で学ぶことがなくなってしまいました。」フィオリナが答えた。「もう何年も通っていましたから、学び舎で教えられていることはほとんど覚えてしまいました。」

 「学び舎で教えられていることは、」リウェルが続けた。「毎年変わっていってはいるのですけど、それでも、ほんの少しだけです。だから、ほとんど同じに見えてしまって。それで、フィオリナと相談して――ちちうえとははうえにも相談しましたけど――、学び舎に通うのは月に一度でもいいかな、ということになりました。」リウェルは作業の手を止めると顔を上げ、フィオリナを見た。「ねえ、フィオリナ。」

 「ええ。」フィオリナも手を止め、リウェルを見ると、セリーヌに顔を向けた。「とうさまもかあさまも、『そう決めたのなら、それでいい』、と言っていました。」

 「物事は続けるのが大事だけど、」セリーヌは二人をちらりと見た。「おまえさんたちがそうと決めたんなら、それも親御さんとも相談して決めたんなら、それでいいんじゃないのかい。」

 「はい。」リウェルはセリーヌに答えると、目の前に置かれた籠に視線を落とした。「それはそれでよくなったのですが、最近、少し気になることがありまして……。」

 「『気になること』?」セリーヌは手を止めるとリウェルを見、続いて、説明を求めるかのようにフィオリナを見ると、再びリウェルを見た。「何なんだい?」

 「私たちが学び舎に行くと、学び舎に来ている村の子たちが私たちと遊びたがるんです。」フィオリナはセリーヌから顔を逸らすと、目の前に置かれた籠に目を落とした。

 「何だ、二人とも、人気者じゃないか。」セリーヌは意外だとばかりに、籠を前にして俯く少年少女を交互に見た。「それが、おまえさんたちの『気になること』なのかい?」

 「はい。」リウェルは顔を上げ、セリーヌを見た。「でも、それだけじゃないんです。僕らのことを見た村の子たちが、僕らの名前を訊いてくるんです。皆が皆、『リウェル、あのリウェル?』って。フィオリナのことも、『フィオリナさんて、あのフィオリナさん?』て。」

 「私たちが学び舎に行くと、授業も進まなくなってしまって、先生も困っていらっしゃいました。」フィオリナも顔を上げ、セリーヌを見た。「村の子たちは皆、私たちと遊びたがって、授業中もどこかそわそわしています。先生の話を聞いていても上の空で、先生が何回も注意するんです。」

 「おまえさんたち、どれだけ学び舎に通っているんだったか……、」セリーヌは、よく似た背格好のリウェルとフィオリナを暫し見詰めた。「ずいぶん前から通っているんだろ?」

 白銀色の髪を揺らしながら、二人はどちらからともなく互いに顔を見合わせた。

 「ええと、確か……、」リウェルはフィオリナに顔を向けながらも視線を泳がせた。「初めて学び舎に行ったのが三十歳になったときだったから……。」

 「それからずっと通っていて……、」フィオリナも小屋の中に視線を彷徨(さまよ)わせた。「今年で百歳だから……、七十年くらい、かしら?」

 二人は再び顔を見合わせると、揃って首を傾げた。

 「そのせいさ、十中八九。」セリーヌは何を今更とばかりに呆れた様子で、首を傾げる少年少女を見遣った。「おまえさんたちは、学び舎に通い始めた頃から今の姿だったんだろ?」

 「『今の姿』といえば……、」リウェルは自身の体を見下ろした。「はい、同じです。」

 「背はもう少し低かったはずです。」フィオリナはリウェルの頭の上に目を遣った。「リウェルと同じくらいの背の高さなのは、通い始めたときからそうですけど。」

 顔を上げたリウェルと、視線を下ろしたフィオリナは、揃ってセリーヌを見た。

 「おまえさんたちも、見た目はゆっくり大きくなっているわけか。」セリーヌは感心した様子で二人を見遣った。「だが、ヒト族からしたら――麓の村の連中からしたら――、どう見えるだろうね。」セリーヌは二人の白銀色の髪と金色の瞳を見比べた。「ほとんど同じ姿の子たちが学び舎に通ってくるんだ。それも、何十年もね。」

 リウェルとフィオリナは無言のまま、セリーヌを見詰めた。

 「学び舎に通ってくる子たちは、幾つくらいなんだい? そんなに大きな子は居ないんだろ?」セリーヌは、リウェルとフィオリナの顔を交互に見た。

 「小さな子は……、三歳くらい……、かな?」リウェルは顔を下ろし、フィオリナを見た。

 「それくらいだと思うわ。大きな子は……、十二、三歳くらい……、だったかしら?」フィオリナもリウェルの顔を見た。

 「それくらいだと思う。」リウェルはフィオリナの言葉に首を縦に振った。

 二人は再び、セリーヌを見上げた。

 「三歳くらいから十二、三歳くらいまで、だね。」セリーヌは念を押すかのように訊ねた。

 白銀竜の少年少女は無言のまま、首を縦にゆっくりと振った。

 「だとすると、」セリーヌは言った。「おまえさんたちが通い始めた頃に学び舎に通っていた子たちが、十七、八歳で子を()したとして、その子たちもその親たちと同じだとすると、今、おまえさんたちと一緒に学び舎で学んでいる子たちは、初めて会った子たちの孫の孫くらいになるはずだよ。もしかしたら、そのまた子たちかもしれない。」セリーヌはリウェルとフィオリナを諭すかのように続けた。「初めておまえさんたちの姿を目にした子たちが親になって、自分たちの子を学び舎に通わせて、その子たちがおまえさんたちが居ることを親たちに話したとしたら、その親たちはどう思うだろうね。歳を取ったようには見えないおまえさんたちのことを知ったとしたら、不思議に思うか、気味悪く思うか。その子たちもやがて親になるだろうし、子も生まれるだろう。生まれた子たちははじめの子の孫に当たるわけだけど、その子たちが学び舎に通い始めて、おまえさんたちの姿を目にする。そのことを親やそのまた親に話す。おまえさんたちの姿は相変わらずほとんど変わらない。違うのは、背が少し伸びたくらいか。孫の話を耳にした連中は、どう思うか。あとは、同じことの繰り返しさ。ヒト族の一生なんざ、せいぜい五十年くらいだからね。おまえさんたちが学び舎で初めて出会った子たちは、今じゃ、おおかた、土の下で眠りに就いているだろうさ。少なくとも、今、学び舎に通ってくる子たちから嫌われていないことは確かだね。気味悪く思っている子も居るには居るかもしれないが、どうやら興味のほうが勝っているとみえる。おまえさんたちのことは、村では有名なんじゃないのかい? おまえさんたちが気づかないところで有名になってたって、おかしかないだろ?」

 リウェルとフィオリナはセリーヌの視線を受け止めると、目を伏せ、顔を俯けた。

 「確かめたわけではないのですが……、」リウェルは俯いたまま口を開いた。「村の子たちは僕らの正体に気づいているのかもしれない、と思っています。」

 「どうしてそう思うんだい?」セリーヌはリウェルを見、フィオリナを見た。

 「時々、私たちに訊いてくる子が居るんです。」フィオリナが床に目を落としたまま答えた。「学び舎に居るときや遊んでいるときに。訊いてくる子はだいたい決まって、『リウェルとフィオリナは、本当は――』って言うんです。」

 「でも、その子が先を続けようとすると、他の子たちが大慌てで近づいてきて、その子の口を塞いで黙らせてしまうんです。」リウェルがフィオリナの言葉を引き継いだ。「他の子たちが寄ってたかって。『それ以上、訊いちゃ、だめ』って言って。いつもではないのですが、何ヶ月かに一回は必ず訊かれていました。初めて訊かれたときは、何のことかわからなかったのですが、何度か訊かれるうちに、もしかして、村の子たちは僕らの正体に気づいているのかもしれない、って思うようになって――」

 「この頃は、誰かに訊かれても、何のことかわからない振りをしています。私たちのほうも無理に確かめようとしなくてもいいかもしれない、とリウェルと相談したんです。」

 リウェルとフィオリナはセリーヌを見上げた。

 「おまえさんたちは、どうしたいんだい?」セリーヌは二人の金色の瞳を覗き込んだ。

 リウェルとフィオリナはびくりと体を震わせると、セリーヌの空色の瞳から逃れようとするかのように互いに反対方向に顔を逸らし、視線を彷徨(さまよ)わせた。

 「正体を知られたくないんじゃないのかい?」セリーヌは、顔を逸らしたままの二人に向かって追い打ちを掛けるかのように問い掛けた。

 「はい。」「そのとおりです。」リウェルとフィオリナはゆっくりと首を巡らせ、セリーヌを見上げると、力無く頷いた。

 「それは、どうしてなんだい?」セリーヌは重ねて訊ねた。

 「それは……、」リウェルはセリーヌを見上げたまま口を開いたが、続きを口にすることはなかった。リウェルはセリーヌから目を逸らし、そのまま顔を俯けた。

 「それは……、」フィオリナが引き継いだ。「それは、私たちの正体を村の子たちが知ったら、村の子たちは私たちを怖がるかもしれない、と……。」フィオリナは目を落とした。

 「ああ、そういうことかい。」セリーヌは合点がいったとばかりに息をつき、芝居がかった所作で肩を竦めた。「確かに、それはあるかもしれないね。おまえさんたちの正体が白銀竜であることを、村の子たちが知ったとしたら、そういうこともあるかもしれない。で、おまえさんたちは、それが怖い、と。そういうことだね?」

 リウェルとフィオリナは顔を俯けたまま頷いた。

 「おまえさんたちとしては、正体を知られたくない、正体を知られて怖がられるのが怖い、もしかしたらもう正体を知られているかもしれない、が、それを確かめようとした時点で正体を知られているということを知られてしまう、となると、どうしたらよいかわからない、これといった良い案も浮かばない、それに、そのことを親御さんたちには相談していない、そういうことだね?」セリーヌは念を押すかのように訊ねた。

 白銀竜の少年少女はゆっくりと顔を上げ、セリーヌを見た。

 「おまえさんたちで考えな、と言いたいところだが、案の一つくらいは教えておこうかね。」セリーヌは呆れた様子で肩を竦めた。「そういう場合はだね、今までどおりにしていればいいんだよ。」セリーヌは、縋るかのように見詰めるリウェルとフィオリナを見た。

 リウェルとフィオリナは訳がわからないとばかりに眉間に皺を寄せ、互いに顔を見合わせた。暫し見詰め合いながら首を傾げていた二人は、再び揃ってセリーヌを見た。

 「要は、おまえさんたちは正体を知られていない振りをしていればいい、ってことさ。」セリーヌは幼子に言い聞かせるかのように言った。「もし、何かしら面と向かって訊かれたとしても、それとなく、はぐらかしておけばいい。訊かれたからって、おまえさんたちが律儀に正直に答える必要はないのさ。わかったかい?」

 「今のままでいればいいのですか?」リウェルが不満そうに訊ねた。

 「ああ。」セリーヌは力強く頷いた。「立ってもいない波風を立てることはない。今のままだったら、おまえさんたちの正体は村の子たちに知られていない。いや、知られているかもしれないが、それは確かなわけでもない。そういうときは、今のまま曖昧にしておいたほうが、おまえさんたちにとっても村の子たちにとっても損はない。違うかい?」

 「よくわからないです。」フィオリナは眉間に皺を寄せたまま、わずかに首を傾げた。

 「いずれ、わかるさ。」セリーヌは微笑んだ。「わかるようになるさ。いずれ、ね。」

 リウェルとフィオリナは顔を見合わせた。二人が目にしたのは、眉間に皺を寄せ、どことなく足許の怪しい道を歩いているかのような、不安に満ちたお互いの顔だった。

 〈今のままってことは、知られているかもしれないってままだってことだよね。〉

 〈そういうことよね。はっきりさせないってことだと思うわ。〉

 〈何でもはっきりさせたほうがいいと思っていたけど、そういうわけでもないみたいだね、セリーヌさんの話からすると。〉

 〈そうみたいね。何だか落ち着かないけど……、他に何かいい考えはある?〉

 〈ない……、と思う。フィオリナは?〉

 〈私もない……、と思うわ。セリーヌさんの言うとおりにしておいたほうがいいのかもしれないわね。正体を知られて、怖がられるのは嫌だもの。〉

 〈僕も、怖がられるのは嫌だな。セリーヌさんの言うとおりにしておこう。〉

 〈そうしましょう。セリーヌさんは『いずれ、わかる』って言っていたけど、『いずれ』って、いつかしらね。〉

 〈わからない。旅に出るまでにはわかるかな? わかればいいけど。〉

 〈わからなかったら、私たちで探すしかないわ。ゆっくり探しましょう。〉

 〈わかった。〉

 「探す算段はできたかい?」セリーヌは、見詰め合う白銀竜の少年少女に問い掛けた。

 「はい。」リウェルとフィオリナはセリーヌを見ると、元気いっぱいといった様子で返事をした。しかし、二人はすぐに首を傾げた。

 「あれ、何故、僕たちが話していたことがわかったのですか?」リウェルが訊ねた。

 「当てずっぽうさ。」セリーヌは素っ気なく答えた。

 「よくわかりますね。」フィオリナが感心したかのように言った。

 「おまえさんたちは、念話で話していても表情がころころ変わるからね。顔を見ていれば、加えて仕草を見ていれば、何を話しているかくらいはだいたい想像がつくさ。」セリーヌは種明かしをした。「聞かれたくない話を念話でするんだったら、顔の表情にも気をつけたほうがいいだろうね。時と場合によっちゃ、話していることがその場に居合わせた連中に丸わかりなんてことにもなりかねない。まあ、それも、この先考えることだね。」

 リウェルとフィオリナはげんなりとした表情を浮かべた。

 「そんな顔をするもんじゃないよ。」セリーヌは笑いながら言った。「学ぶべきことがたくさんあって楽しいじゃないか。おまえさんたちも旅に出るんだったら、旅先での振る舞い方も考えておくんだよ。ヒト族や獣人族の町にも行く気なんだろ、麓の村みたいな小さなところでなくて、もっと大きな町に? 住人の数が多ければ、それだけ、いろいろな奴らが居るからね。中には、ずる賢いのや柄の悪いのも居るはずさ。用心するんだよ。まあ、この話はまだ早いか。」セリーヌは二人を交互に見た。「さあ、手が止まっているよ。仕事、仕事。」セリーヌは、すっかり仕事の手が止まったリウェルとフィオリナを急かすかのように言った。

 リウェルとフィオリナはセリーヌから顔を逸らし、互いの顔を見た。その後、二人はゆっくりと自身の手に目を落とすと、やがて、何かを思い出したかのように作業を再開した。


    ◇


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