(一〇)
「――それじゃ、おまえさんたちは、私が言った次の日から、魔法式を作り始めたのかい? それから何日も経たないうちに新しい魔法式を完成させるなんざ、大したものだね。」セリーヌはリウェルとフィオリナを前に感嘆の声を上げた。「私には、新しい魔法式を作るというのがどれほどたいへんなことなのか、とんと見当がつかないが、とにかく大したものだ。おまえさんたちの将来が楽しみだよ。」
リウェルが乳棒を持ち、フィオリナが乳鉢を押さえ、二人は薬草を磨り潰す作業を続けながらも、小屋の中のあちらこちらへと落ち着きなく視線を走らせた。リウェルはそれまで変わらず、乳棒を持つ手を規則正しく動かしていたが、時折、乳棒の先端からは焼き物どうしを擦り付けるような甲高い音が小屋の中に響き渡った。
「リウェル、力を入れ過ぎだよ。」セリーヌは声を低くし、リウェルを見た。「壊さないでおくれよ。おまえさんが手に持っているものは、それなりに値の張るものだからね。」
リウェルは慌てた様子で乳棒を持ち上げた。顔の高さまで持ち上げた乳棒の先端を下から覗き込むと、壊していないことを確認したのか、息をつき、次いで乳鉢に目を落とした。乳鉢の中では、磨り潰され、ほとんど粉になった薬草の葉が縁からこぼれ落ちんばかりだった。リウェルは乳鉢も無事であることを確認したのか、再び息をついた。
「力を入れ過ぎよ、リウェル。」フィオリナはリウェルを見詰めながら、幼子を諭す母親のような口調でセリーヌの言葉を繰り返した。フィオリナはリウェルに向かい合って腰を下ろし、乳鉢の両側に手を添えていた。両の袖口から覗く手首では白銀色の鱗が輝いた。
「ごめんなさい。」リウェルはセリーヌに謝ると、乳棒を乳鉢の内側に立てかけ、自身の手を見詰めた。両手を何度か握ったり開いたりしたリウェルは掌を服に擦り付けた。その後、再び乳棒を手に取ると薬草の葉を磨り潰す作業を再開した。
リウェルとフィオリナは乳鉢の中に目を落としながら、端から見ても慎重と思えるような手つきで作業を進めた。リウェルが乳棒を回すたびに規則正しい音が小屋の中に響いた。
セリーヌは作業の手を止め、リウェルとフィオリナの姿を眺めた。暫し二人の姿に目を遣っていたセリーヌは肩の力を抜くかのように息をついた。「その様子なら、安心だね。」
リウェルは乳棒を回す手を止め、セリーヌを振り返った。言葉の意図を掴めないと言わんばかりの表情を浮かべながらセリーヌを見詰めると、そのまま首を傾げた。肩まで伸びた白銀色の髪がさらさらと揺れ、小屋の中で煌めいた。
フィオリナもリウェルにつられるかのようにセリーヌへと顔を向け、首を傾げた。そっくりの表情を浮かべ、セリーヌを見上げる二人の姿は、人懐こい子犬を思い起こさせた。
「新しい魔法式をおまえさんたちだけで作り上げて、浮かれているかと思ったんだが、」セリーヌは、首を傾げる二人を前に言い聞かせた。「だいたい、落ち着いているようだね。これなら、まあ、安心だ。浮かれて思い上がったりした日にゃ、目も当てられないからね。」
リウェルとフィオリナは口を半ばまで開き、ぽかんとした表情を浮かべ、セリーヌを見詰めた。時が止まったかのよう固まっていた二人は油の切れた扉のようなぎくしゃくとした動きで互いに顔を見合わせると、笑みを浮かべ、肩を震わせて笑い出した。二人は、セリーヌの言葉がおかしくてたまらないといった様子で、声を押し殺して笑い続けた。
「どうしたんだい、二人とも?」セリーヌは目の前のことが理解できないと言わんばかりに少年少女に目を遣った。「私の言ったことに、何か笑うところでもあったのかい? おまえさんたちにそんなに笑われるようなことは、言っていないつもりだったんだけどね。」セリーヌは、なおも笑い続けるよく似た姿の白銀竜の少年少女を交互に見た。
リウェルとフィオリナは笑いを収めると、目尻に薄らと涙を浮かべ、セリーヌを見た。
「セリーヌさんはセリーヌさんだなと思いました。」フィオリナは手の甲で目尻を押さえた。
「何だい、そのなぞなぞみたいな答えは?」セリーヌは怪訝そうな表情でフィオリナを見た。
「ちちうえとは違うなあって思いました。」リウェルは笑みを浮かべ、セリーヌを見上げた。
セレーヌは眉根を寄せ、白銀竜の少年少女の嬉しそうな笑みを見比べた。
「さっきセリーヌさんに見せた新しい魔法式のことをとうさまに話したのですが、」フィオリナが口を開いた。「私のことを褒めるんです。本当に、おおげさに、聞いている私が恥ずかしくなるくらいに褒めるんです。『飛竜の歴史に残る偉大な発明だ』とか。何度も何度も言ってくるので、最後には呆れてしまいました。かあさまも呆れてしまって、かあさまと私とで一緒になって、とうさまのことを見ていました。」
「ああ……、なるほどね。」セリーヌは顔を引き攣らせながらフィオリナを見るも、すぐに視線を彷徨わせた。「キールだったら、それくらいは言いそうだね。何しろ娘のおまえさんのことをそりゃ大切に大切に思っているんだから、それくらいを言ってもおかしくはないだろうね。しかし、いつものことだろ? キールがおおげさなのは今に始まったことじゃないはずだ。」
「それは、そうなのですが……。」フィオリナは笑みを収めると顔を俯け、唇を噛んだ。
「言わせておいてやりな。」セリーヌはフィオリナに顔を向けると、諭すかのように言った。「キールはおまえさんのことを大好きなんだろうから。娘の男親なんて、種族が違っても大して変わらないもんだね。そのうち、おまえさんも親許から旅立つんだろ? それまでは、親父さんに言わせておけばいいさ。まあ、番の相手に対しては目の敵にするかもしれないけどね。」セリーヌはフィオリナからリウェルへと目を向けた。
「本当です。」フィオリナは憤懣やるかたないとばかりに頬を膨らませた。「とうさまったら、私がリウェルと会うのも気に入らないみたいなんです。それで、この前はとうさまに牙を剥き出してしまったし。魔法式は魔法式で、褒めてばかり。とうさまが作ったみたいに喜んで。」
「キールはキールで寂しいのかもしれないよ。」セリーヌはフィオリナに目を向けた。「おまえさんが――リウェルと一緒とはいえ――新しい魔法式を作り出したんだ。キールからしてみれば、子どもだとばかり思っていたおまえさんが、大それた魔法式でないにしろ、おとなでも考えつかないようなものを作り上げたんだからね。」
「そうでしょうか。」フィオリナは不満そうに口を尖らせた。
「そうさ、きっと。少しは察しておやり。」セリーヌは笑みを浮かべた。
フィオリナは納得がいかないと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。
「ところで、リウェル、」セリーヌは白銀竜の少年に顔を向けた。「おまえさんのところは――カレルは――、どうだったんだい? カレルからいろいろと言われたんだろ?」セリーヌは促すかのようにリウェルを見、かすかに首を傾げた。
「『すばらしい』と、ちちうえは言っていました。」リウェルは背筋を伸ばし、鼻から勢いよく息を吐き出した。「あと、ははうえは、『私たちが見なかった世界を目にしている』と言っていましたが……、」リウェルは首を傾げた。「何のことか、よくわからないんです。」
「その様子だと、カレルは、キールほどは大騒ぎしなかったようだね。」セリーヌは白銀竜の少年少女を交互に見た。「それに、リラの言葉もそれはそれで一理ある。」セリーヌは自身に言い聞かせるかのようにゆっくりと首を縦に振った。
「ははうえの言ったことがわかるのですか?」リウェルは目を見開き、セリーヌを見た。
「まあね、そりゃ、」リウェルを見た。「想像はつくさ。ただ、私なりの解釈だから、リウェル、おまえさんが思うのとは必ずしも同じじゃないはずだよ。」
「教えていただくことは……、」リウェルは体を縮こめ、上目遣いでセリーヌを見た。
「それは、だめ。」セリーヌは当然とばかりに、即座に答えた。
「ええ、どうしてですか?」リウェルは背筋を伸ばし、眉間に皺を寄せ、不満を隠そうともせずにセリーヌに食って掛かった。
「私が出した答えなんて、おまえさんにとっては何の意味も持たないし、何の価値もないからさ。」セリーヌは突き放すかのように言った。「おまえさん自身が探さないことには、おまえさんのためにならない。これから生きていく中で探していけばいいさ。焦る必要はないよ。なんてったって、おまえさんたちの種族はえらく長生きだからね。私らの種族よりも遥かにね。その中でゆっくり探していけばいいさ。まあ、おまえさんが探そうとしない限り、向こうから姿を見せるなんてことはないだろうけどね。そこは気に留めておいたほうがいいよ。」
「はい。」リウェルは口を尖らせ、セリーヌの言葉を理解できないとばかりに頷いた。
「ずいぶんとご不満のようだね。」セリーヌは、顔を俯けるリウェルに笑いかけた。「それじゃ、いつまでもふくれっ面でいられるのも何だから、一つだけ教えようかね。」
リウェルは勢いよく顔を上げるとセリーヌを見た。リウェルにつられるかのようにフィオリナもセリーヌに顔を向け、白銀竜の少年少女は『森の民』の女性を射貫くかのように見詰めた。
「なあに、簡単なことさ。」セリーヌはからかうかのように、にやりと笑った。「おまえさんたちは今、何をしているんだい、『森の民』たる私の小屋の中で、一緒に?」
「『何をしているか』って……。」「薬草を磨り潰す作業をしていますが……。」リウェルとフィオリナはゆっくりと顔を見合わせると、そのまま自身の手元に目を落とした。二人の前に置かれた乳鉢の中では、薬草を磨り潰した粉が小山を成していた。その小山は、二人がその日、小屋を訪れてからの仕事の成果そのものだった。
「そうさ、私がおまえさんたちに頼んだ仕事さ。」セリーヌはリウェルとフィオリナの言葉を追うかのように続けた。「おまえさんたちが今やっていることは薬草を磨り潰すだけの簡単な仕事だが、おまえさんたちの親父さんとお袋さんは同じことをやったことがあるのかい?」
リウェルとフィオリナは顔を上げ、セリーヌを見た。
「自信はないが、おそらく、やったことはないだろうね。薬草を磨り潰したことがある飛竜なんざ、これまで聞いたことがない。」セリーヌは白銀竜の少年少女を交互に見た。「わかったかい? そういうことさ。」セリーヌは満足そうに首を縦に振った。「私から言うのはここまでにしておこうかね。あとは、おまえさんたちの頭で考えな。楽しみはまだまだたくさんあるはずだからね。」セリーヌは自身の仕事を再開した。
リウェルとフィオリナは、二人がそこに居ないかのように作業を続けるセリーヌの姿を目で追った。小屋の主の姿を無言のまま見詰めた二人はどちらともなく互いの顔を見ると、よく似た金色の瞳を見詰め、暫し後に乳鉢に目を落とした。
「続けようか。」リウェルは乳棒を持ち直した。
「ええ。」フィオリナは乳鉢に添えた手に力を込めた。
二人は薬草を磨り潰す作業を再開した。
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