旅立つ前の故郷での日々(一)
天を貫くかともみえる山々は、地を這う全ての獣が足を踏み入れるのを拒むかのように幾重にも連なり、聳え立っていた。見渡す限り大小様々な岩に覆われ、草木が根を張ることも適わない荒れ果てた土地の中、かすかに窺える緑の痕跡は、岩陰にこびりついた苔や地衣類ばかりだった。わずかに降り注ぐ雨は岩に覆われた山肌に染み入り、長い時を経てその水は泉ともいえないような水溜まりを作り出し、やがてその周囲に、およそ腕が立つとは言い難い画家が思いつくままに絵の具を塗り重ねたかのような、まだら模様を浮かび上がらせた。草の一本も生えないその土地には、ヒト族や獣人族はおろか、当然のことながら、草を食む獣の類も姿を見せることはなかった。山々を訪れるのは、遙か東の地より昇り西の果てに沈む陽と、時折現れるも空を進む陽に追い立てられるようにして消え去る雲と、その雲からこぼれ落ちる、涙のような雨のみだった。緑の草原や森の広がる地に暮らすヒト族や獣人族は、その山々を『北方連山』と呼ぶばかりで、山々がどこまで続いているのかを確かめようともしなかった。草さえ生えず水もないに等しい――作物を育てるにも暮らすにも適さない――山々は、ヒト族や獣人族にとって不毛の地としてそこに在るに過ぎなかった。そのような地に入ることを許されていたのは、羽を纏い翼を持つ、空を舞うものたちのみだったが、実る果実とてなく、獲物となる蟲や鼠さえも棲まない土地とあって、そのものたちも山々を住処と定めることもなく、季節の移り変わりとともに住処を移す折に山々の端を通り過ぎるばかりだった。
生けるものの気配さえ感じられないその山々を、住処と定めたものたちがいた。そのものたちは、と或る山の中腹に――ちょうど四方を山々に囲まれた平坦な土地を、さらに手を加えて均したようなようなところに――うずくまり、体を丸めていた。その姿は、町に棲む宿無し猫たちが、少しでも暖を取ろうと日向を探し出して丸くなった姿を、あるいは、しつこく追いかける子どもたちの手から逃れた末に屋根の上で一息つき目を閉じた姿を、思い起こさせた。しかし、そのものたちの大きさは町の宿無し猫に比ぶべくもなかった。地を這うものが見上げるほどのその体は、周囲の岩山にも増して輝く白銀色の鱗に覆われ、連なる山々の中腹に現れた新たに小山のようにもみえた。小山の中腹――ちょうど胸の部分――はわずかに、しかし規則正しく上下を繰り返し、獣たちの体が冷たい岩山の一部ではないことが窺えた。
その獣たちは、四肢を畳み込んでうずくまり、長い首と長い尾とを体に巻き付けていた。獣たちの背から伸びる一対の翼はきれいに折り畳まれており、その様子は旅人が身に纏う外套を思い起こさせた。二頭の獣たちは飛竜種だった。その飛竜種の中でも、体を覆う鱗の色から『白銀竜』と呼ばれる種族だった。体の大きな一頭が幾分小柄なもう一頭を守るようにして丸くなる姿は、町の広場などで二人だけの世界を形作る恋人たちのようでもあり、大きさを除けば姿見の内と外のようでもあり、寺院を守るために置かれた守護獣の像が憩いの一時を過ごしているかのようでもあった。周囲の岩山の中にあって小山のように聳えながらも輝きを放つ二頭の体は、地中奥深くに眠っていた貴石が雨と風とに晒された末に陽の光の降り注ぐ地上に姿を現したかのようにもみえた。
二頭の飛竜たちがうずくまる山の中腹のすぐ上、首を伸ばせば届くか届かないかというところには、全てを包み込むかのような霧が漂っていた。寄せては返す波のようにもみえるそれは、空に浮かぶ雲の一つだった。雲は山々の中腹から頂に到るまでを覆うように漂い、そのような中で幾つかの頂だけが雲の上に顔を出し、雲の海に溺れるのを辛うじて免れていた。東の空は既に白み始め、陽の出の近いことが窺えた。空に輝く星々は一つまた一つと姿を消し、空は次第に碧みを帯び始めた。やがて、東の空は紅く染まり、最後まで輝きを放っていた星々も空の中に消え去った。空はさらに碧さを増し、東に聳える山々のうちの一つの陰から、一筋の光が雲の海を射るかのように射し込んだ。雲は陽射しを浴びてもその姿を変えることはなく、空と地上とを分け隔てるように、山々の間に留まるばかりだった。山々の先から姿を現した陽は、歩みを止めることもなく速めることもなく、塔の階を一段一段上るかのように、空の頂を目指しつつあった。地上に降り注ぐ光は力強さを増し、雲の海を照らし出した。陽の光に染め上げられた雲は次第に大気の中へと溶け込み、ついには消え去った。二頭の飛竜たちが丸くなる山の中腹を覆う雲にも陽の光の力は及び始め、闇の中にわずかに浮かび上がるばかりだった飛竜たちの体は、徐々に輝きを増した。
山の中腹に陽の光が届く頃になって、飛竜の体に動きがみられた。それは、二頭の飛竜たちのうちの小柄な一頭、その背から伸びる翼だった。畳まれた翼の片方が、翼そのものが別の生き物であるかのように、ゆっくりと内側から押し上げられた。しかし、すぐに元のとおりに畳まれた。それもつかの間、先ほどよりも勢いよく持ち上げられ、持ち上げられた勢いそのままに元のとおりに畳まれた。持ち上げられては元に戻るのを繰り返した翼は、そのたびに勢いを増した。幾度も上下を繰り返した翼がひときわ高く持ち上げられたとき、その翼の下から小さな顔が覗いた。
その顔は、二頭の飛竜たちと同じ造りではあったが、その実、幾分幼さがみられた。その小さな飛竜は――子竜は――首を伸ばし、左右を見回した。しかし、見回すその目は半分閉じられていた。幾度か左右を見回した子竜は、首の下に続いているであろう自身の体を見下ろした。見下ろしたまま黙すること暫し、自身の体を翼の下から引っ張り出そうと奮闘し始めた。首を右に伸ばして左の前肢を引っ張り出すと、その左前肢で以て体を支えながら、首を左に伸ばして右の前肢を引っ張り出し、さらに、両の前肢に力を込めるようにして体全体を引っ張り出した。背の翼を半ばまで開きながら、その後は左右の後肢を片方ずつ引き出し、最後にようやく長い尾を引き出した。
子竜は首を巡らせ、半分閉じたままの目で自身の体を見下ろした。その場で二度三度と足踏みをし、二度三度と両の翼を羽ばたかせ、二度三度と尾を左右に振ると、子竜は長い首と長い尾とを伸ばし、両の翼を大きく広げ、その場から上昇を開始した。しかし、広げた両の翼を羽ばたかせることもなく宙に浮かぶその姿は、何とも頼りないものだった。風に舞う種子の綿毛のようにふわふわと漂いながら浮き上がった子竜の体は、すぐに上昇を止め、そのまま横に滑るようにして空中を進んだ。やがて、少し離れた場所まで――二頭の飛竜たちが首と尾とを振り回してもぶつけられる心配のない場所まで――横滑りの飛行を続けると、子竜は空中に静止した。と同時に下降を始め、ゆっくりと――石の軋むわずかな音だけを伴って――着地した。
子竜は目を半分閉じたまま、二頭の飛竜たちを見上げた。見上げた先の二頭の飛竜たちは、規則正しく胸を上下させ、目を閉じていた。小柄な一頭には、翼の下から子竜が抜け出したことに気づいた様子もみられなかった。
子竜は顔を下ろし、欠伸を一つした。上下の顎に生えそろった、刃のような広い牙が光を放ち、紅い舌が地を這う蛇のように蠢いた。口を大きく開けたまま幾度か体を震わせた子竜は、ゆっくりと口を閉じ、目もしっかりと閉じ、伸びをした。前肢を前に投げ出すようにして伸ばし、指をこれでもかとばかりに大きく広げた。指先から伸びる爪が地面に散らばる小石を捉え、かちかちと音を立てた。開いた指がそれぞれの方向に動き、石を打ち付けるような音はしばらく続いた。前肢を伸ばし、胸が地面に触れるまでになった子竜は、長い首を真っ直ぐに伸ばした。時折、頭を左右に振りつつ、唸るような声を喉の奥から吐き出した。やがて、前肢を元のとおりに曲げ、四つ足を地に着けた子竜は、背の翼をゆっくりと広げ始めた。はじめは水平に伸びていた翼は、次第に空を目指すかのように持ち上げられた。左右の翼の先があと少しで触れるというところで、子竜は体を震わせた。両の翼は風に吹かれる枝のように揺れるもすぐに大きく広げられた。最後に、子竜は後肢を後ろに伸ばした。腹が地面に着くか着かないかというところまで後肢を伸ばすと、石に覆われた地面をえぐるかのように、鉤爪の伸びる指を動かした。子竜は指を曲げたり伸ばしたりしながら、さらに長い尾を真っ直ぐに伸ばした。尾の先が地面に触れ、その尾が震えるたびに小石をざわめかせたが、それもすぐに静まった。子竜は後肢を元に戻し、再び四肢を地面に着けると、仕上げとばかりに大きな欠伸を一つした。口の中では紅い舌が踊り、鼻先から波が伝わるかのように全身が震えた。震えは頭から首、体から尾へと伝わり、尾の先まで達すると、そこで跳ね返り、尾から体、首から頭へと進み、鼻先まで達すると再び跳ね返り、その後、行ったり来たりを繰り返した。広げられたままの翼が震えに合わせて羽ばたくかのように上下に動き、小石や砂を舞い上がらせた。続けること暫し、やがて子竜は体の力を抜くと、大きく開けていた口を閉じ、何かを咀嚼するかのように口を動かした。そこでようやく、子竜はしっかりと目を開いた。
子竜は長い首を巡らせ、自身の体に視線を走らせた。体の後ろに一直線に伸びる尾は地面から浮いており、半ば畳まれた翼は斜め上に持ち上げられていた。子竜は自身の体を見回しながら頷くと、じっと一点を見詰めた。見詰めるほどに子竜の鱗は輝きを増し、細かな砂や埃に覆われていたかのようなくすみは、陽の光に照らされた雲が大気の中に溶け込むかのように、見る見るうちに消え去った。見詰めること暫し、子竜の体は、降り積もったばかりの雪のような光を放つに到った。子竜は再び自身の体を翼の先から尾の先まで見回すと満足そうに頷き、背の翼を畳み込んだ。子竜はその後、足踏みをしながら向きを変え、未だ丸くなったままの二頭の飛竜たちを正面に見据えると、居住まいを正した。
子竜の視線の先で、二頭の飛竜たちが目を開いた。二頭は、体に巻き付けていた長い首と長い尾とを解き、真っ直ぐに伸ばすと、その場でゆっくりと立ち上がった。二頭は申し合わせたかのように互いに距離を取ると、子竜が伸びをした姿そのままに、それぞれ前肢と首、背の翼、後肢と尾の順に伸ばしていった。その後、二頭は首を巡らせ、自身の体を見回した。そのたびに、二頭の体を覆う鱗は輝きを増した。白銀色の鱗が本来の輝きを取り戻したことに満足したのか、二頭は背の翼を畳み込むと再び互いに寄り添い、揃って子竜に向かい合った。
〈おはようございます、ちちうえ、ははうえ。〉子竜は四肢を揃え、首を高く持ち上げると、小山のような二頭の飛竜たちに挨拶した。
〈おはよう、リウェル。〉大柄な一頭が重々しい口調で答えた。
〈おはよう、〉小柄な一頭が柔らかな口調で続けた。〈リウェル。〉
リウェルはその場から前に進むと父親と鼻先を触れ合わせ、次いで、頬を擦りつけ合った。一頻り続けたリウェルは父親から離れると、父親の傍らに寄り添う母親に近づき、鼻先を触れ合わせ、頬を擦りつけ合った。暫し後、リウェルは母親から離れると元の場所まで戻り、再び居住まいを正し、両親を見詰めた。
〈あなたも、おはよう、カレル。〉小柄な一頭が傍らの大柄な一頭を見た。
〈ああ、おはよう、リラ。〉大柄な飛竜も伴侶を見、挨拶した。
カレルとリラは互いに鼻先を触れ合わせ、次いで頬を擦りつけ合った。左右の頬を幾度も擦りつけ合った二頭はどちらからともなく頬を離し、揃ってリウェルに向き直った。
〈さて、今日これからのことだが、〉カレルは正面からリウェルを見詰めた。〈我の思い違いでなければ、今日はこれから――〉
〈森に行くのだったわね。〉リラはカレルの言葉が終わるのを待ちきれないとばかりに先を続けた。リラの視線の先には、寺院の門に設えられた守護獣の像のような姿勢で目を輝かせるリウェルの姿があった。
〈はい。〉リウェルはリラを見詰めながら、元気いっぱいといった様子で答えた。
〈リウェルよ、そなたが森に出掛けるときには常日頃言い聞かせていることではあるが、〉カレルはリウェルの気持ちに冷水を浴びせるかのような低い声で語りかけた。〈一頭だけで空を駆けるにあたっては周囲に対する警戒を怠ってはならぬぞ。常に己の周囲に防壁を展開し、探索魔法を以て目の届かぬ遠くを見詰め、身体強化の魔法を起動し、万が一に備えておくのだ。我ら飛竜の体であればヒト族や獣人族の鍛えた剣なぞ恐るるに足りずと言えど、そうであっても剣を突き立てられれば痛みも感ずるというもの。その痛みの隙を突かれないとも限らん。まあ、そこに到るまでに、ヒト族や獣人族であれば、我らが展開する防壁を突破することも叶わぬであろうが、備えておくに越したことはない。他の種族には、我らの種族は敵なしと思われておるようだが、我らにとて敵はおる。それは、我ら自身だ。我ら自身の傲りや気の緩み、怒りや焦り、ありとあらゆるものが、我らの前に立ちはだかる強敵にして難敵なのだ。その敵は、おとなであろうと子どもであろうと容赦することはない。おとなにはおとななりの強さで、子どもには子どもなりの強さで、それぞれ、闇のように静かに忍び寄る。正面から顔を見せることはない。見せたとしたら、それは巧妙に仕組まれた罠だということを肝に銘じるのだ。敵は背後から迫り来るかもしれぬ。あるいは、背を目掛けて上から、腹を狙って下から来るかもしれぬ。だが、たとえ四方八方から攻め込まれたとしても、備えがあれば何も恐れることはない。常に最良のことから最悪のことまで思い描いておくのだ――〉
カレルの言葉は、森を流れる小川のように途切れることも淀むこともなく、リウェルの頭の中に響き渡った。一つひとつの言葉がリウェルを木の葉のように――時に水面を走らせ、時に深みに沈め、ついには川底を覆う石の陰に追いやるかのように――翻弄した。リウェルはカレルを見上げつつも、ゆっくりと目を閉じ始めた。さらには前肢から力が抜け、高く持ち上げた首が倒れそうになったところで、リウェルは慌てた様子で目を開いた。四肢に力を込め、姿勢を正し、目を大きく開くも、尽きることのないカレルの言葉を前に、リウェルの瞼は抗うのを諦めたかのように徐々に移動を開始し、やがてはリウェルの世界を闇に包み込んだ。絶え間なく流れ込むカレルの言葉は、確実にリウェルを眠りへと誘いつつあった。
〈あなた、いいかげんになさいな。〉リラは呆れた様子で伴侶を窘めた。〈まったく、あなたときたら、せっかくリウェルが出掛けようとしているのに、そんなに長々と話すものだから……、見てごらんなさい、リウェルもすっかり挫けているではないですか。〉
リラの言葉はリウェルを再び光の世界へと引き戻した。リウェルはその場で幾度か足踏みすると、四肢を地に着け、首を持ち上げ、目を大きく開き、父親と母親とを――呆れた様子でカレルを見詰めるリラと、弁解するかのような表情を浮かべながらリラを見返すカレルとを――交互に見た。
〈しかし、リラよ、〉カレルは、言葉を遮られたのが気に入らないとばかりに顔を顰め、リラを見詰めた。〈見てのとおり、リウェルは未だ幼い子どもであるぞ。その子どもが、しかも一頭だけで空を駆けるとなれば、それ相応の危険が考えられるであろうが。〉
〈心配しすぎです。〉リラは目を閉じ、大きく息をつくと、再びカレルを見た。〈私たちの縄張りの中に、どれほどの危険があるというのですか。あなたと私で毎日のように縄張りの中を見て回っていて、何かしら危険らしい危険がありましたかしら? リウェルの生まれる前からそのようなものはなかったはずですよ。それに、リウェルが出掛ける森にしても、縄張りの外ではありますけれども、ほんの少しだけのこと。ほとんど縄張りの中といってもよいくらいの場所ではありませんか。まあ、『森の民』にしてみれば、リウェルが行こうとしているところは彼らの縄張りではありますけれども、それほど心配することはないはずです。私たちにしても、既に何十年も隣で過ごしてきたのですから。〉
カレルは顔を上げ、リラに目を合わせるも、言葉を発することはなかった。カレルの視線はリラを離れ、周囲の岩山を彷徨った。やがてはリラからも顔を逸らし、あらぬ方向を見遣った。
〈リウェル、〉リラは幼い息子に顔を向けた。〈気をつけていってらっしゃいね。カレルの言葉どおり、探索魔法と防壁と身体強化を起動するのを忘れないこと。空の上にはどんな危険が潜んでいるかわからないわ。常に周囲に気をつけるのよ。かといって、怖がり過ぎてもだめ。何かあったときに動けなくなってしまうわ。いつも言っているように、空を進むときは――空を進むときに限らないけれども――、『手を抜かない、力を抜け』、よ。〉
〈はい、ははうえ。〉リウェルはリラに目を合わせたまま答えた。
〈セリーヌさんによろしくね。〉リラはリウェルの答えに満足したかのように笑みを浮かべた。〈あの方にはいろいろとお世話になっているから、近いうちにご挨拶にお伺いしないと。そうでしょう、あなた?〉リラは首を巡らせ、射貫くかのようにカレルを見た。
〈ああ、そうであるの。〉カレルはリラを見るも、気圧されたかのように首を後ろに引いた。〈ずいぶん前のことになるが――初めてこの地を訪れ、縄張りを構えたときであったか――、それ以来、挨拶らしい挨拶も、礼らしい礼も、ほとんどしておらなかったからの。〉
〈近いうちに、ご挨拶とお礼にお伺いしましょう。〉リラはカレルの言葉に頷くと、リウェルに向き直った。〈セリーヌさんには、今のところは『よろしく』とだけ伝えればいいわ。きちんと決めたら、リウェルにも知らせるから安心なさい。〉リラは顔を上げ、東の空を見遣った。〈ずいぶん経ってしまったわね。陽も昇ってきたし、雲も消えてしまったわ。〉
山々の陰から姿を現した陽は、一家が塒と定めた山の中腹を照らし出した。小山のようなカレルとリラの体は陽の光を受け、空に舞う雪のように輝きを放った。
〈そろそろ出掛けたほうがいいわ。〉リラはリウェルに向き直ると前に進み、顔を近づけた。〈セリーヌさんによろしくね。〉リラは顔を離し、後ろに下がった。
〈わかりました、ははうえ。〉リウェルは母の言葉に頷くと、背の翼を大きく広げた。〈では、いってまいります。〉リウェルはリラを見、次いでカレルを見た。
〈いってらっしゃい。〉〈気をつけるのだぞ。〉リラとカレルはリウェルを見下ろした。
〈はい。〉リウェルは力強く答えると空を見上げた。
リウェルはその場から症状を開始した。背の翼を羽ばたかせることもなく、音を立てることもなく、地上から空に向かって真っ直ぐに上昇を続けたリウェルの体は、周囲の山々を見下ろすほどの高さに達すると、そこで静止した。リウェルはその場でゆっくりと周囲を見渡した。陽は既に山の端を下に見るまでに昇り、リウェルの体を横から照らした。目を細めながら東を見、次いで、北と西とを見遣ったリウェルは、最後に南の方角に顔を向けた。それとともに体の向きも変えると、リウェルは頭をわずかに傾け、塒から空を見上げるカレルとリラに目を遣った。地上の二頭が頷くのを目にしたリウェルは空の上から頷き返すと顔を上げ、南の空を見詰めた。リウェルはそのまま南に向かって飛行を開始した。
◇