(2-2)
「その男の人……死んでもうてん」
「えっ…!」
またも急な予想外の言葉に、俺を声を漏らす。その声に彼女はうつむき頷き、
「大阪で地下鉄の事故あったやん。そん時の被害者の一人」
俺はそのテレビのニュースを思い返す。と共に、すぐに頭に浮かんだ、大阪での地下鉄の列車脱線の事故が頭に浮かんだ。そう、かなりの大事故で、それから二週間ほど経ってもそのニュースが切れ切れに流されていた。点火して大きな爆発もあったようで、死傷者は五十人近く。その中の一人だと言われてしまえば、もう分からない。
俺も紅葉と同じ落胆の大きなため息を漏らした。それではもう、どうしようもない。犯人が死んでしまったとなれば、もう。
「……うそだろ…」
呟きに、紅葉はただ頷く。俺は頭を掻き、それから再び大きなため息を吐いた。その暗い俺の顔を、紅葉は覗き込むように伺ってきた。そして再び心配そうに、
「大丈夫?」
「…あぁ」
俺のやや苛立っている頷いた顔を、やはり伺ってくる。そして無言でうつむいた。そのまま無言で、彼女は歩む。俺も彼女に続くように、苛立つ心に逆らって、わざとゆっくり歩んだ。
行く先、どこへ続くのかは分からない。ただ、止まることも出来ずに、進んでいるだけだ。灰色の空が、少しだけ明るくなっている。
雪がやんだと俺が気づいた、その時。紅葉がぽつんと、小さく…だがハッキリと、俺に聞こえる声で呟いた。
「コウちゃん、うち…ずっと見とったよ」
「…え?」
俺は彼女のその言葉に振り向く。もう、苛立ちはおさまっていた。ただその不快な気分が、胸の奥に残っているだけ。そんな心ながら、俺は「見とった」という単語の意味を察し、沈黙した。
だがそれから少し経ち、俺は彼女に問う。
「俺のそばに…いたのか?」
すると紅葉は上目遣いに俺を見上げ、それから「うん…」と小さく頷いた。
「コウちゃんの隣でずっと見とったよ。母ちゃんも父ちゃんも広志も、隣でずっと見とった。でも誰も気づいてくれへんで…結局そのまま四年半経ってもうた」
俺はそれを聞いて驚くも、次の瞬間、酷く切なく申し訳なくなった。そう、彼女はずっと、そばで見ていたのだ。自分に気づいてくれないかと思いながら、自分の母や父、弟…そして恋人の隣で。それをずっと、四年半も…。
「…ごめん、気づけなくて……」
思わず、そう呟き詫びた。それに対し、紅葉は大きく首を振って言う。
「コウちゃんが謝ることやないって! みんな、みんな分からへんのやから…」
でも……と呟きかけて、俺は止まる。そう言ったとしても紅葉は再び同じことを言うだろう。俺はただうつむいた。
紅葉は、変わった。変わっていた。先ほどは変わってないと思った。あの笑顔で。でも違う。彼女はやはり変わっていたのだ。残酷な死に方をし、それを自ら目にしたせいで、大きく変わってしまったのである。そう、四年半もの間、誰にも気づいてもらえず、ただ何も出来ないまま途方のない時を過ごして…。
「なあコウちゃん…」
紅葉はうつむいている俺に、そう言った。そして彼女は立ち止まる。俺は顔を上げ、歩いてきたほぼ無人の道を振り返る。その薄く積もった雪の上に並んでいる、俺の足跡。でも、その隣で歩んでいた紅葉の足跡は、ない。
それを目にした途端、俺は自分が本当は一人だということに気づき、そして複雑な孤独感に包まれる。確かに俺は紅葉と話し、笑ったり切なくなったり詫びたりして、歩んできた。けれどその時間はただ、俺が独り言を言っていたのと変わらないのである。
俺は拳を握り、紅葉に向いた。
彼女も俺と同じように、足跡を見つめてから、俺に再び向いていた。
そう、目の前の紅葉は、いない。触れることをしなければ、現実するものだと錯覚してしまうものの、本当に、彼女は存在しないのである。夏服の制服姿の彼女は、雪の上を歩いているのではない。あの真夏の、熱せられた路面の上を、歩いているのだ。ふと、そんなことを思う。
俺と紅葉は、別の季節の異空間に存在していた。その異空間が重なり合い、こうして同じ世界に存在するように、会話している。おそらく紅葉の前も雪景色だろうが、彼女自身は、その中にいない。
ふいに紅葉の背景の景色が、真夏のものと重なった。雪の白い花を咲かせている木は青々と茂っていて、灰色の空は真っ青で積乱雲があり、路面に雪はなく真っ黒な影がくっきりと浮かび上がっている……そんな景色。
まるで何かに映されているような紅葉は、切なげに微苦笑を浮かべる。そして俺へ歩んできながら、こう言った。
「コウちゃんな、ずっと謝ってばっかりや。でもな、うちも謝らなあかんことがあんねん」
そう言って、微笑みを失くす。もう涙も出ない吊った目を潤ませているように細めて、俺を見つめる。俺も、彼女の瞳を見つめる。その細い肩に触れようとするけれど、もちろん…俺の指は彼女の肩の制服の生地を通って、何の感覚も得られない。
紅葉はその、俺の手が重なっている肩を見つめ、それから俺に向いた。たぶん、彼女は今、泣いている。本当はとても、脆くてか弱い一人の少女なのだから。
「ごめんなあコウちゃん。ずっと、ずっと辛かったやろ? 長い間ずっとそんな思いさせて…ほんまに、ほんまに…ごめんなぁ」
俺は首を振った。涙をこらえようとするのに、目からこぼれた涙が、雪の上にシミをつくった。紅葉を思わず抱き寄せようとするけれど、それも出来ない。
紅葉は俺に触れられるところまで歩み、そしてまた、
「ごめんなあ…」
そう震える声音で呟き、俺の顔にそっと手を伸べてきた。
読んでいただきありがとうございますm(__)m
死んでしまうのも辛いですが、死んでしまった事実さえも周りに気づいてもらえないことが何よりも辛いと思うのです。
これから二人はどうするのでしょうか。