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季節  作者: 織
6/16

(2‐1)

俺と紅葉は、相変わらず厚い雲に覆われた、人気の少ない暗い道を歩んでいた。行く当ては、ない。俺の家はもう大阪にはないし、そもそも紅葉には家に帰らなければならないという義務さえない。いや、本当は帰らなければならなかったはずなのだが、今の彼女にはもう無意味でしかないのだ。


俺はダッフルコートに手袋をはめた手を突っ込み、ネックウォーマーも首にはめている。それでも確かに寒いというほどではないものの、温かいとは感じることはできない。それに対して、紅葉は半そでセーラーに、足首までしかない白の靴下。もちろんスカートも夏用で薄い生地で出来ていて、その下はまるっきり素足である。半そでから伸びている腕も素肌のままさらけ出されていた。


見ている方が凍えそうな服装なのに、紅葉には全く…そんなことを感じている様子はない。白い肌には鳥肌一つも立っていないし、血色も顔色もいい。本当に、彼女だけがあの夏の季節で止まっていた。


俺はもう、隣を歩んでいる紅葉に触れようとは思わなかったし、そして触れることもしなかった。もちろん、俺たちは恋人だ。現実的に言えば『元』恋人なのだろうが、そう、俺に紅葉が見えていて、それを彼女が知っているのであれば、俺たちはまだ恋人だ。別れの話などしてもいないし、お互い別れたつもりはない。強制的に、触れられなくなってしまっただけなのだ。


俺が見つめている視線に気づいたのか、紅葉は横の俺に振り向いた。吊った瞳、白い肌、気の強い『べっぴんさん』な顔……何度も俺は、確認する。未だに信じられないからだ。だがここまで来たら間違っているはずがなく、そして彼女がこう俺のことを呼ぶ限り、現実だ。


「…コウちゃん」


その顔は、どこか落ち着いていた。以前は…会えなくなるまでは、こんな顔しなかったのに。そう思うも、彼女は間違いなく紅葉なのだ。中身が入れ替わったわけでもない。彼女が、変わったのだ。だがそれもほんの少し。だって、先ほどの笑みは、以前と同じ日差しのように明るい、覇気のある強情なものだったからだ。


「ん?」


俺がそう返すと、紅葉は見つめてきては、ゆっくりと問うてきた。少し目を揺らして、


「うちが死んだ理由…知りたい?」


上目遣いで、問いかける視線。俺は、実在する人間よりも少し薄くてぼんやりと浮いているような彼女を見つめながら、頷いた。


「…当たり前だろ。知りたいに、決まってる」


「やろな」


紅葉は最初から答えを知っていたかのようにそう微笑んで頷いた。嬉しそうな笑み。

さっきも言ったが当たり前だ。紅葉は多分、四年半も会っていなかったせいで、俺に忘れられていると思っていたのだろう。そう諦めていたのだろう。それは、違う。俺はずっと彼女のことを想っていた。だから法学部に入った。だからこの大阪の町に来た。俺は、紅葉に言う。


「忘れるわけないだろ」


すると彼女は一瞬驚いたような表情を見せてから、それからまたふっと柔らかく笑んで、


「せやな」


と言った。そして紅葉はまた前を向いて、それからうつむき歩く。少し考えるようにジッと前を見つめていたが、やがて顔を上げて、俺に笑顔を向けた。そして、立ち止まる。俺も彼女の前に止まって、向き合った。


「じゃあ……コウちゃんには話したるわ! 誰にも話したことないけど……というか話せへんかっただけやけど…」


俺はただ、そんな彼女に真顔で頷く。その顔を見て、紅葉も口角を上げたままながら、真顔になった。真面目に。そう、これからは笑い飛ばせる話じゃない。あの、小さな丘の桜の木の下で二人立っていた、その時の緊張感が俺たちを包んでゆく。そう、話したくないけど、話さなければならない。聞きたくないけど、聞かなければならない。その、空気。


あの時よりも、さらに空気は冷たく、固くてこわばっている。寒さのせいではない。でもあの時とは違うのは、紅葉がほのかに笑みを浮かべていることだった。


そして…こう、話し始める。


「あんなぁコウちゃん、うちはあの日、さいなら言った日、殺されたんよ」


「―――殺され、たっ?」


俺は突然そんなふうに話をきり出され、驚き紅葉に大きな声で問うた。すると歩み出した彼女は普通に「うん」と頷き、


「せや、うちは殺された。車に轢かれてな。夕方、コウちゃんと別れてすぐ後。肝抜かれたで……歩いとったら急に車突っ込んできて。相手もワザとやなかったと思うけどな、そんでうちは死んでもうた。コンクリの壁に頭のここガンッ打ってな、即死言うんやろな。体中骨折れて…痛いとか分からんかったのが幸いやったけど」


「でもそれなら……」


俺は呟く。それだけなら、事故だ。紅葉の姿が無くなることはない。たとえ轢き逃げでも、彼女の遺体が残るはずだ。そう考えたものの一つの可能性が頭に浮かび、


「…もしかして…?」


その俺の顔に、紅葉は「せや」と頷く。


「そう、間違って轢いたんならようある不幸な事故や。で、そのまま轢き逃げっちゅうのもようある。でもな、うち轢いた人は頭使こうて、どうにーしてでも人轢いたんを隠そうとしたんや。轢き逃げやすぐ捕まるからなあ。でな、男の人やったやけど、なんちゅうかエリートゆうか、頭良さそうな人やったで。いかにもや。そんで、道路にうちの血ぃが広がる前に車ん中乗せて運びよったんよ。もちろん、車ん中はぎょうさん出たうちの血だらけ。我ながら見とって吐くか思うたわ」


俺も今、当たり前だが想像して気分が悪くなった。…だがそれは、血だらけを想像してではない。紅葉を轢き殺した男、つまり犯人の行動にだ。血が広がる前に車に乗せたということは、一瞬も迷わなかったということ。そう、紅葉の生死さえ、確認せずの行動だったのだ。もし紅葉が生きていたとしても、彼女は殺されていたに違いない。そういう意味では、俺は紅葉が痛みも感じる間もなく死んだことには、安心できる。


俺はふと、紅葉にこう問うた。


「死んでも見ていたのか?」


「うん。死んですぐ、この状態なった。んで、うちは自分の死体と一緒に車に乗った。もちろんうちは止めようとしてな、その男ん人を。だって隠蔽とかされたら行方不明で葬式もないやん」


この状態というのはつまり、触れられない状態だ。意思はあるのに、体がない状態。これが魂だけが抜けてさまようという、つまり幽霊。彼女は死んですぐ…そうなったのだ。紅葉が俺に忘れられているかもしれないと思っていただろう反応見た時から、彼女が幽霊になってさまよっていた期間は長かっただろうということは察していたが。


紅葉は、止められなかった。幽霊だったから。体は空気でしかなく、そして姿も犯人には見えなかったに違いない。それでも、彼女は一緒に車に乗り込んだ。


乗り込んで自分の遺された体の行き先を見たのだろう。俺は耳を塞ぎたい気持ちをこらえながら、彼女に話の続きを求める。


「それで……紅葉はどこに」


問いが少しおかしかっただろうか。紅葉は今、ここにいるのに。紅葉の体はどこに行ったのか、と問うたのだが。少し彼女は笑う。そしてまた、表情をすっと戻し、


「うちは……山ん中連れていかれて、しばらく土の地面に置き去りやった。しかも布も何もかけんと、車乗っていってまうし。ひどない? うち大きい声出して言ったで。こないな墓は嫌やって。そこ林やし人おらへんし、なんや不気味で気色悪うて…」


彼女がそう言って見つめているのは、住宅の向こうに頭を出している大きな山だった。おそらくそこなのだろう。道路もある程度整備されていて、車で運ぼうとしても容易だ。道路から外れて、道の無い道を車で行けば、人目のつかない場所に運べる。特に日も暮れていただろうから、いっそう人目を気にする必要はなかったのだろう。


俺は話の続きを聞く。


「絶対嫌やて思うたのに、男ん人車で帰って来たかと思たらな、スコップ出してきてん。でな、それから穴掘り始めたんよ。うちを埋めるための穴をな。一晩かけてせっせっせっせ、ようまあ寝ずにうちの入る細長い、こんな深い穴こしらえて、そこに固まってもうたうちを投げ捨てて土かけて埋めて、あとはもう、手も合わせんとさようならや。うちが何しても、何言うても無理やった。飛びかかったし、やめてゆーて叫んだし。で、もう…うちは呆然や。ボーゼン。そん時はもう朝でな……って、コウちゃん?」


紅葉は振り向いて、急に立ち止まった俺に駆け寄ってくる。一方、俺はうつむき口を手で押さえて、息を整えていた。脂汗が滲んだのを感じながら、俺は紅葉に顔を上げて首を振る。


「……なんでもない」


「顔青いけど…気分悪いん? 大丈夫?」


紅葉が眉をひそめ、心配そうに俺の顔を伺ってくる。俺は一層冷えた手を握り、


「想像してたら……ちょっと、な。…大丈夫」


俺はそんなに臆病でもなければ、ミステリーやホラーに弱いわけでもない。ミステリーに関してはドラマも見ていて小説もかなり読んでいる。その中にはかなりえぐい表現のものも含まれていて、紅葉の話も、話とすれば俺も平然に聞いていられたはずだ。もしこれと同じ内容のニュースが流れていたとしても、そんなことがあったのか、で終わっている。最初、紅葉から話を聞く時もそのつもりだった。


だが、実際に紅葉が車に轢かれコンクリートに頭を打って、車内を血に染めながら運ばれ、山奥の林に置き去りにされたのち、穴に投げ捨てられ埋められる。それを想像したとたん、俺は自分でもよく分からないが、本当に吐き気がするほどの悪寒に襲われたのだ。


彼女がそんな目に遭っただなんて、俺には恐ろしすぎた。そしてそれが現実に四年半前に起こっていたのだとふいに思い、急にのしかかってきた衝撃の重さに、気が遠くなって体から力が抜けてしまったのである。


本当は座りたかったが、話を聞いただけでへたばってはあまりに情けない。少しして気分が治まると、俺は紅葉に少し頭を下げて歩み出しながら、


「ごめん」


「ええよ。うちかて気分悪うてしゃあないもん。生きっとったらとっくに吐いとるやろな」


気分悪い、と言った紅葉の顔を、俺は伺った。確かに表情は歪んではいるものの、顔色は悪くない。俺は先ほど彼女に顔が青いと言われたのに、彼女はどうも、体調が悪くなることは無いらしい。心理的にはあるのだろうが、身体的には顔が青くなることさえないのである。


確かに話している内容はとても聞いていて、耐えられたものではないものだ。だが俺はやはり、自分が情けなかった。あくまで俺は聞いていただけで、紅葉の場合、彼女はその現場を実際に見ていたのである。その上で、犯人に飛びかかったり、叫んだりしたのだ。確かに幽霊の彼女は気分が身体的に悪くなることはなく、吐いたり気を失ったりすることは無かっただろう。でも、やはりそれに比べて、俺は弱い。…検察官になるつもりでいたのに、どうしたものか。


それにしても、その犯人もよくやったものだ。よっぽど残忍で冷酷な人物だったのだろうか。自分のプライドを守るために、そんなことをする人物だ。そうだったに違いない。人を轢いても詫びるどころか、その轢いた少女の死体を土に埋めて処理するような男だ。


……と、そこまで考えて、重要なことに俺は気が付いた。そしてまだ気分が良くない中、紅葉に向いて問うてみる。


「犯人は…どうなったんだ?」


 そう、だって紅葉の遺体さえも見つかっていないというのに、その犯人が捕まっているはずがない。だとしたらそう、その男は罪を犯したあとも、普通に過ごしているはずである。そして紅葉のことだ。その犯人を、放っておくはずがない。


 紅葉はその質問を受け取り、深く落胆したため息を吐いた。想像していた反応だったが、俺は彼女の言葉を待つ。


紅葉はその曇った顔色のまま、ゆるゆると首を振った。


「その男の人……死んでもうてん」

読んでいただきありがとうございますm(__)m

少し残酷な描写がありましたが、大丈夫だったでしょうか?(>_<)


紅葉を殺した犯人は……

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