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季節  作者: 織
16/16

(5-2) 終

焼香を上げる。そして俺は、手を合わせた。目をつむり、紅葉の顔を想い浮かべる。畳の上に置かれている座布団の上で正座して、想いをこめた。


目を開け、隣にいる紅葉の弟に次をうながす。彼は暗い顔ながらも焼香を上げ、目をつむって手を合わせた。目尻に涙が溜まっているのが、目に見て取れた。本当に彼も紅葉のことを思って、目を閉じているのだろう。突然姿を消して、そして突然姿を現した姉の姿を。


紅葉の家の親戚や、彼女と仲の良かった友人たちの中に、俺もいた。突然の葬儀だったがゆえに遠方の人はなかなか参加できなかったようだが、それでもけっこうな人数が仏間の座布団の上に並んでいた。お経が読まれる中、すすり泣きが聞こえる。紅葉の友人だった女性に、紅葉の祖母や祖父、そして楓さん。紅葉の父さんは泣いてはいなかった。ただ、何かをこらえるように拳を握って、うつむいている。


皆、悲しみにわいていた。紅葉の遺体は、前の棺桶の中にある。白い棺桶の中は誰にもさらすことはない。もう、あの中にいる本当の紅葉の姿は、人には見せられないものとなり果てていた。もう、遺体を焼く必要もなかった。


それにこの遺体はまた、検死するために持っていかれる。もう何も出てこないだろうが、でも今日墓場には入れてもらえないだろう。俺はもちろんなるべく早くに埋葬して欲しいとは思っているものの、紅葉には申し訳ないがこればかりはしょうがない。


すぐに埋葬されないと知っていても今日葬儀を行った理由は、楓さん曰く、なるべく早くに紅葉を弔ってあげたかったからなのだそうだ。それには俺も同感した。だって四年半も紅葉は待っていた。だからもう、これ以上は待たせたくない。弔うだけでもしてやりたいのは、俺も同じだった。


この部屋で俺はただお経を聞きながら、うつむいていた。その顔はおそらく無表情。泣きもせず、悲しい顔もせず、ただそう、下を向いて淡々としているのだろう。周りから見たらそうだろうし、そして自分でもそう思う。そう、今の俺は、無感情だ。


悲しく、ない。なぜだろう。なぜか、実感がわかなかった。紅葉の死に。紅葉の遺体を自分は最初に目にしているというのに、なのに、俺は泣いていない。紅葉の遺体を見て俺は恐怖に体を震わせたが、でも、泣きはしなかった。紅葉の弟と取っ組み合った時に少しだけ涙を流したけど、彼女の死に対して絶望して大泣きすることはまだ、していない。


――恋人が死んだんだぞ。俺は自分に言い聞かせる。でも俺の心からは、なんの返事も返ってこない。紅葉自身からから死んでいるとは聞いていたとしても、でも、彼女の遺体を目にして恐れ以外の感情を抱かないなんて……俺は下唇を噛む。


なんてことだ。俺は思う。俺は結局恋人に死に、何とも思っていない。周りはあんなに泣いているのに、俺は紅葉を愛したはずなのに。紅葉があの夏の日突然に姿を消して、あんなに心を失くした。それほどに俺は、彼女を想っていたはずなのに……待ちわびていたはずなのに……!


周りから、無表情な俺はどう見えるのだろうか。心を失くしていると思われているのだろうか、呆然としていると思われているのだろうか。


…いや、俺は多分―――紅葉を……殺した人。そう、思われているのかもしれない。


……俺は、なんなのだろう。


その場で、俺はゆらっと立ち上がった。そして何も言わず、部屋の外へふすまを開けて出ようとする。


「こ、幸太くん?」


楓さんが驚いたよう振り向いて声をかけてきたが、俺は返事もせずに背中を向けて部屋から出ては、ふすまを閉めてしまう。皆の視線も、向いているだろうに感じなかった。そして誰もいない廊下に出ると、ぼうっと立ちつくす。


なぜか、あの部屋にいることが、出来なかった。身が裂かれるほどなぜか辛かった。あの場から、自分だけが違う世界にいるような気がして。自分だけが皆と違い、紅葉の死を……知らないような、そんな気がした。


みんな、部屋にいたみんなは、紅葉の死を受け止め、涙したり拳を握ったり、辛そうだった。でも俺だけ、紅葉の死をまともに受け止めておらずに、ただ座っているだけのような気がした。無くことも拳を握ることもせず、ただ……紅葉の遺された体を見ただけ。そんな、そんな気がしてならなかった。


お手洗いにでも行こう。そう呟いて、俺は歩み出した。深いため息を吐いて、鬱々とゆっくり廊下を歩む。現実感のない視界で、ひたすら長く感じる冷たい廊下を踏む。


が、ふと何かを感じた。その何かによって、俺は顔を上げる。何かが体に触れたわけでもなく、だが急に肌に感じる何かが、変わった。俺は辺りをきょろきょろと見渡す。


明るい陽射しの差し込む冷たい空気。明るい廊下。俺は動きを止めて、前を見つめる。


なんだ……いったい、なんだ……?


「…!」


後ろ…! 突然、俺にその単語が浮かんだかと思えば、振り向いていた。でも、そこには何もない。また、動きを止める。心臓が鳴り、汗が滲む。ジッと、そこを見つめる。


そろりと、俺は足音をなるべく立てないように、駆けだした。そして廊下を曲がる。磁石で引きつけられるように、俺は駆ける。そしていつの間にか、玄関にいた。


明るい日の差し込む玄関。そこに並ぶ沢山の靴。傘立て、靴箱、額に入って飾ってある絵、花瓶に生けてある花……その景色の向こうに、何かがある。


本能のように俺は自分の靴に足をさし入れて履くと、ゆっくり玄関の扉を開けた。紅葉の行方が分からなくなったと知り、駆け込むように入って来たこの玄関。派手に音を立てて開けたこの扉……それを俺はいま、慎重に開ける。白く眩しい光に照らされて、俺は思わず目を細める。


とたん、俺は目を大きく見開いた。動きを、止める。


「……もみ…じ…?」


目の前に立って俺を見上げている少女に、呟いた。セーラーの夏制服姿の黒のセミロング、白い肌。吊っている瞳が、微笑んだ。


「コウちゃん、ちゃんと気づいてくれたんや。うれしい」


そう、目の前にいたのは、紅葉だった。紅葉が白い光の中、微笑んで立っていた。俺は目を丸くして口を開けたまま、その場で彼女を見つめる。あの林の暗闇に消えた、彼女だった。


「なんで……」


俺が呟くと、紅葉は口に人差し指を当てて、「しーっ」と言った。それを見て俺はとっさに口を閉じる。廊下の向こうの仏間に聞こえなかったかどうかを伺うと、再び紅葉に顔を向ける。紅葉が他の人に見えても見えなくても、気付かれるのはよくない。


紅葉も誰の気配も近づいてこないことを確認すると、俺に向いて手招きをする。俺はその手招きに従い外に出て、ゆっくり扉を閉めた。これで会話の声は聞こえないだろう。いや、正確には、これで俺の声は聞こえないだろう、だ。扉を閉めても、かすかにお経を読む声が聞こえている。


庭まで歩むと、俺と紅葉は向き合った。紅葉は変わらず、柔らかい表情で俺を見上げている。どことなく立ち姿がおぼろげな彼女の顔を、俺も見つめる。


俺は、戸惑っていた。紅葉の葬儀から抜け出してきたら突然、当の本人が現れたのだから。だから、まずはこう問う。


「なんで…来たんだ」


すると紅葉は眉を寄せては俺を覗き込み、


「なんやあ、つれないなぁコウちゃん。うちはな、ちゃんと会わなあかんなぁ思うてな?」


両手を後ろに持っていき、俺を見つめてそう言う。黒髪は光に照らされることもなく、だが滑らかな艶を帯びていた。その白い肌にある黒い瞳を、俺は見つめて頷いた。紅葉は口を開いては笑んで言った。


「ありがとさん、コウちゃん。うち、これでやっと成仏できるわ。四年半待っとったかいがあったわ」


本当に、明るかった。本当に、嬉しそうだった。それが見てとれて、俺もふっと微笑んだ。


「そっか。……なあ、紅葉」


俺は頷いたあと、そう彼女に声をかけた。青い空の下、芝生の小さな庭に、俺は一人で立っている。でも、目の前に見える紅葉には、聞きたいことが沢山あった。彼女は俺にそうおずおずと声をかけられると、それを予想していたかのように「ん?」と首を傾げる。


俺は「あのさ…」と呟くように問うた。


「紅葉は、俺が同窓会であの日、あの公園に来ることを……知って、いたのか?」


その問いに、紅葉は目を大きくする。だがその後、何かを思い出したように表情を柔らかく戻して、


「母ちゃんから話……聞いたんやね」


俺は、こくりと頷く。そう、楓さんからの話で、分かったのだ。そしてやはり、楓さんに会ったのも間違いなく目の前の彼女だったのだ。そう、あらためて認識した。


紅葉は「あんなぁ」と打ち明けるように、でもためらうことなく俺に口を開く。やや視線を下に向けながら、しっかりとした口調で、


「うちな、四年半も経ってな、もう誰にも見つけてもらえんかもしれへんって、そう思っとったんよ。でもな、あの高校に本当にたまたまやったけど気まぐれで行って、先生が話しとるんを聞いたんや。同窓会するて。したらな、なんかよう分からんけど、『あぁ、コウちゃんも来るんやな』て、そう思うたん。直感みたいなもんやで? でも……うん、うちな、その時思うたんや。『コウちゃんは必ず、土に埋まっとるうちを見つけてくれる』て」


真っ直ぐ視線を俺に向けると、そう言った。そしてセミロングを手ぐしでとかすしながら、「でな…」と呟いた。


「うちな、そう思うたとたん、やることなすこと全て分かってしもうてん……深ーく考えんでも、まず母ちゃんに会わなあかんて思うてな、五時に着くようにって……何で五時かも自分でもよう分からんねん。でも、とにかくそう母ちゃんに伝えなあかんて、やから母ちゃんのところ行ってな? うちのこと普段は見えなかったみたいやけど、その時はうちに気づいてくれてん。やから、とにかくコウちゃんがうちを殺したて勘違いされんように行ってあげてな? そう伝えたん。でもそれ以上目の前におったらあかんて思うて、すぐに壁の向こうに逃げたんよ。…母ちゃんにはなんや申し訳ないて思うたけど…」


楓さんは、紅葉が消えたと言っていたが、正確には、彼女は壁の向こうに行ってしまったらしい。だがもちろん壁を生きている人間が通り抜けられるわけがなく、だから楓さんは「消えた」のだと言ったのだろう。俺は、「じゃあ…」と呟いた。


「なんで……あの、紅葉の弟の…広志くんまで呼んだんだ?」


とたん、紅葉は苦い表情を俺に向けて、手を合わせる。


「あぁ……ごめんなあ、広志コウちゃんに乱暴しよって…」


「いやいや…って、えっ、見てたのか?」


俺は思わずまだ痛む頬を押さえてそう問うた。すると紅葉は「うん…」と頷き、


「見とったよ。でもうちが行ってもどうしようもできひんし、やから見とるしかなかったけど…。それにうち、そん時コウちゃんにも母ちゃんにも自分が見えるかどうか分からんくて…」


「見えるかどうか分からなかったって……じゃあ紅葉は、俺にだけ姿を見せようとしてたわけじゃ…」

「ちゃうちゃう」


首をきっぱりと振って、紅葉は否定する。俺はその反応に、「じゃあ」と身を乗り出すように彼女に問う。


「どうして、俺に見えて…」


言葉を途切れさせ、俺は紅葉の全身をあらためて確認するように、つむじから足先まで見まわした。だが見つめられていた彼女も眉をひそめ、「さあ…」首をひねってしまう。


「うちも知りたいくらいや。ただうちはな、コウちゃんに見つけてもらえるて確信はしとったけどな、どうやってコウちゃんに会うか、どうやってコウちゃんに自分の姿見えるようなるかは、さっぱりやってん。……けど、あの公園の近くに立っとったらええって、なんかそれだけは分かっててん。やから、コウちゃんおらんかなって、フェンスの向こう見とったんよ。そしたら……後ろ振り向いて驚いたで。コウちゃんなんやもん」


ふふふ、と笑って紅葉は言った。その笑顔に、俺はどこかほっとする。あの振り向いた時の彼女の驚きは……紛れもなく本当のものだった。演技ではなかった。そう知れた瞬間、ふっと自然に笑みがこぼれていた。紅葉はやはり変わっていなかった。四年半の時で変わっていた部分もあったけど、でもやっぱり、根は変わっていなかった。


「俺も……驚いたぞ。もう会えないって思ってた紅葉が、いたんだからな」


その言葉に、紅葉は「やろな」と頷いた。そう、驚いた。心底。そして彼女は、死んでいた…。


ふと、会話が途切れた。俺たちは向き合ったまま、うつむく。大人になった俺に、大人になれなかった紅葉。


でも、同い年。紅葉だけが子供のまま止まっているわけでもない。彼女も孤独の時間で、彼女なりに大人になっていたのは、間違いなかった。俺たちは、そう、置いていかれた孤独と誰にも気付いてもらえない孤独の悲しみで、青春の最後を迎え、大人になった。とても悲しい、大人になった。


空を見上げる。冬なのに雲のない晴れ晴れとした空。でもどこか、それは悲しげで、切なげで、寂しそうで…。


「あの、広志くんを呼んだのは…」


ふと、俺は見上げたまま、呟いた。紅葉がこちらに向いても、俺は空を見上げて言った。

「目を、覚ましてあげたかったからか」


その言葉に、紅葉はすぐには答えなかった。でも、うつむいたあと、やがて俺が顔を向けたと共に、ぱっと顔を上げて明るく笑った。


「さすがコウちゃん、当たりや」


だがそう言ったあとの彼女は、どこか暗く切なげな表情になっていた。だが、先ほどの俺と同じように空を見上げると、語るようにこう呟く。


「広志はな、うちが生きとると信じててん。ずっと、ずっと四年半、ずっとそう信じてたんや。やからな……」


俺にふわっと、顔を向ける。


「ああいう風にでもせん限り、うちが生きとるて思い続けてまうやろ?」


そして、真っ直ぐしたたかに、俺を見つめる。


「な? コウちゃん?」


その生きているような瞳を向けられたとたん、俺はハッとした。その表情を見、紅葉はほのかに笑む。俺は、彼女を見つめたまま、そうか…と心の中で、呟いた。


彼女が弟を呼んだのは、彼に目を覚まさせてあげるため。紅葉の遺体は正直、見ても彼女だとは信じがたい。そう、だから、どこかで彼女は生き続けていると思ってしまう部分が生まれる。どこかで考えがひねくれてしまう部分が生まれる。それを、ああいう形で現実を見せることによって、紅葉は弟に、自分が死んだということを、理解させたかったのだ。間違いない形で、ハッキリと。


だが……彼女に瞳を向けられたとたん、俺は気づいた。うつむき、下の芝生を見つめて、呟く。


そうか……目を覚まさせられたのは、彼女の弟だけではない。俺も、そうだったのだ。顔を上げて、再び紅葉を見つめる。彼女は頷いた。


もし今回のことに俺は全く関係なくて、ただ大阪から紅葉と思われる遺体が発見されたと電話で連絡が入ってこの葬儀に参加するだけだったら、どうだろう。俺は……見つかった遺体が紅葉だと、紅葉がとうに亡くなっていたと、心からそう信じることが出来ただろうか。


いや―――できなかっただろう。頭ではそう理解したいしていたとしても、心のどこかでは『紅葉はまだ、どこかで生きているかもしれない』そう、思っていたかもしれない。そう思うことで自分を落ち着かせ、俺はずっと彼女の見えぬ存在に浸り続け、生きたことだろう。


でも、それならば、彼女は、紅葉はいったい……。


「な、なあ、紅葉……」


「なに?」


「や……」


やっぱりお前は、俺に見つけてもらうように考えたんじゃないのか。いや、もうずっと前から俺が来ることを知っていたんじゃないのか。


そう、問おうとした。だが、口が動かなかった。彼女を見つめたまま…動きを止める。紅葉は俺を、見つめてくるだけ。


だが、やがて俺は目を伏せると、「いや…」とゆるく首を振った。そして彼女に、微笑んでみせる。

「…なんでもない」


紅葉は、疑問気な視線を向けてくることはしなかった。ただ、笑んで頷いていた。……そうだ。これこそ、知らないほうが、いい。俺は、知らない方が、いいのだろう。


「なあ、コウちゃん」


ふと、彼女は俺に言った。相槌を打つと、彼女は一歩進んで来ては、静かに言った。

「うちのことは気にせんと、ちゃんと結婚しいな?」


「えっ…」


俺が思わず言葉を失うように声を漏らすと、彼女は「だってな…」と下を向いて腕をぶらぶらさせる。そして顔を上げると、


「だってなコウちゃん、絶対にこう言われんかったら、うちのことだけで終わってまうやろ? うちはコウちゃんがおったから死ぬ前に経験したいこと最低限経験したしな、うちはそれでええけどな? ……コウちゃんはそういうわけにはいかんやろ」


「えっ、でも…」


そんなことを言われても、俺には未だに紅葉以外の女性に惹かれた覚えはないし、出来なかった。そしてこれからもそうだと思っている。仕事をして…それだけのことを考えて、あとはただ自分が年をとっていくことを感じながら過ごしてゆく。それだけでいいと、思っていた。


でも、紅葉の目は強かった。あの強情な瞳がそこにあった。そしてその瞳で俺を、見つめている。そうしなければ許さないというような、そんな顔。そして極め付きに、彼女はこう言った。


「コウちゃんがそうするて言うてくれな、うち成仏せんで」


そう言われてしまったら、もう……。俺は「えぇ…」と呟きながらも、じぶじぶ頷く。いや、ずっと紅葉がいてくれたら、むしろそれだけで十分なんだけど…。


でもそれじゃあ彼女のためには、ならないか。


「わ、分かった。……ちゃんと、結婚、するから…」


満足げに、してやったりと頷く紅葉。「あとな」と彼女は俺を伺って言う。


「コウちゃん、検察官より弁護士の方が合うとちゃうん?」


そう言われ、俺は思わずぎょっと身を後ろに引く。なぜが得意げな紅葉に顔に、


「なんでそれを……」


俺は、紅葉が行方不明になったから、法学部に入ったのだ。紅葉は一度もそんなことは話してなどいないし、まずなぜ俺が検察官の方へ向かおうとしていたことを知っているのか。これは俺の母さん以外、知らないはずである。


だが紅葉は腰に手を当てると、いかにもドヤ顔で、


「うち、これでも霊やねん。ふふふ」


冗談っぽくお茶目に言っては笑う彼女。驚いた……ってもう、なんでも見透かされてしまっているようで、恐ろしくもなった。でもまあ、ここで理由を問うても彼女は答えてはくれないだろう。俺はため息を吐くと、


「その……検察官が向かないって……俺が紅葉を掘り出した時とかを見て、図太くなかったから…」


「いや、そうやなくてな」


即座に紅葉は首を振る。そしてやや真顔になると、再びほのかに、俺の顔をみると陽射しの中、


「コウちゃんな、人を助ける方が合うんやないかて思うねん。人の罪を暴くとか、そんなんよりも、何倍も合うとうちは思う。…まぁ確かにコウちゃんわりかし弱いってのも一理ある」


なんて言って、微笑んだ。その顔に嘘もお世辞もない。容赦もない。俺はなぜか説得力を感じ、そしてなぜか「いやいや」と首を振れなかった。


「んま、口はまだまだやけど」


付け足すように言う紅葉。その言葉に俺はやがて微笑んだ。


そして、ぷっとふき出す。紅葉も口に手を当ててふき出し、笑った。悲しいはずなのに、なぜか笑った。目の前にいる彼女の葬儀をしているというのに、目の前にいる彼女は死んでいるというのに、笑った。


やがて笑いがおさまると、俺たちは再び向き合って、目を合わせた。…まるで、高校生に戻ったようだ。あの日、あの季節。楽しかったあの青春。あの日々が崩れるなんて思わなかった、あの時間。悲劇なんて、知らなかった。あの頃は。


目の前から、消えた彼女、紅葉。そのままの姿で、ここにいる。なのに彼女は、成長していた。あの頃の彼女は、もういない。俺たちはもう、あの日々には、戻れない。二人で未来をつむぎ出すことはもう、永遠に出来ないのだ。この先、生きることが出来るのは、俺だけだ。


今度は俺が、彼女を、紅葉を置いてゆく。そして紅葉はまた、どこかへ行ってしまう。永遠にもう、会うことは出来ない、どこかにいく。彼女自身もそれは知らない。


ただ、この青い空の向こうに、のぼってゆくのだろう。俺には手の届かないところへ。そして俺だけが、時を歩む。歩み続ける。


あの頃の出会いと別れ、青春の日々、全てがここで終わる。この小さな庭で。いや、本当は四半前に終わらせなければならなかったのに、俺たちは終わらせることができなかった。だからそう、ここでやっと、終わる。


「―――なあ、紅葉」


「なに?」


首を傾げた彼女を表情をなくして見つめ、俺は小さく、静かに問う。


「俺はなんで……紅葉が死んだ理由を、知らなきゃならなかったんだ」


これだけは、聞いておきたかった。そう、俺だけが知らなければならなかった、その理由。決して他言は出来ない、それを俺だけが知ったわけを。


紅葉の表情も、したたかなものになっていた。だがその悲しげな瞳で笑って、俺に歩む。


「……なあ、コウちゃん。誰にも死んだ理由知ってもらえんまま、逝くのってどう思う?」


そう問いかけて、俺に首を傾げて見せた。


「悲しいやろ? 虚しいやろ? …でな、そんなんで成仏できるわけないやん。そりゃあ、コウちゃんには、申しわけないで? でもな……」


顔を曇らせている俺を見上げて、呟いた。


「死ぬがあるから生きる。やろ? やからうちは、『死ぬ』を最低限遺したかった。死んだ理由があるから、うちは生きとったんやろ? 生きとったからには、死んだ理由があるはずやろ?」


物悲しげなその瞳に、俺も同じ瞳を向けた。突然に命を奪われ、『死』さえも奪われた少女の静かな訴えだった。これが、死んだはずでありながら死なずに四年半もの間孤独で生きた紅葉という少女。―――胸が刃物で刺されたように、ズキンと痛んだ。


俺が彼女の『死』を知ることで、彼女は生きたことになる。それで彼女が本当に逝くことができるなら……。


「…分かった」


俺は目尻に滲んだ涙を指で拭いて、頷いた。ふっと、紅葉は頷く。そしてぽつんと、俺に震える声で言った。


「…ありがとう」


紅葉とお互いの笑顔を見合わせ、そして……やがて、微笑みあう。


―――頷いた。


「コウちゃん、幸せに長生きしてな」


「あぁ。――紅葉も、あっちで楽しく過ごせよ」


「……うん」


首を縦にこくりと頷かせると、紅葉は俺にふわっ背中を向ける。そして少しだけ振り向くと、俺に明るく、だが名残惜しげに微笑んだ。


「……ほなまたな、コウちゃん―――」


俺はただ、手を振った。


「……またな―――」


すっと、背中を再び向けて、紅葉は歩む。その後ろ姿が遠くなると共に徐々に薄れてゆく。俺はその背中に、一歩、歩み出した。


いくな、紅葉。いくな。そう、叫びたかった。大声で、呼び止めたかった。


霊のままでもいい、一生触れられなくてもいい。だから、このまま…このまま、俺の隣に…ずっと、ずっといてくれ。それだけで、それだけでいいから。


だからおねがいだ、紅葉。…いくな、いかないでくれ。


おねがいだから……


―――目の前が、滲む。手を、無意識に伸ばす。


声が、でない。


その後ろ姿は、振り向かなかった。色が抜けて、冬の空気に溶けてゆく。涙で歪んだ視界に映る、その景色。


いくな、いくな。…そう呟くと同時に、薄れていくその背中。


―――ふうっと、その夏制服の背中が、消えた。冬の空気に、消えてしまった。見えなくなった。

涙が頬を伝う。目の前にあるのは、景色だけ。そうそこには、誰もいない。彼女は――もう…もう―――。


その場に、ガクンと膝をついた。前を見つめる。紅葉が消えた殺風景な景色。…涙で、歪む。拭いてもぬぐっても、とめどなく頬に流れる。胸が、胸が痛い。手が、手が冷たい。涙だけが、ただ溢れる。

紅葉は……紅葉は……



死んだ――――。



その言葉を胸に呟いたとたん、どうしようもなく―――顔を手で覆って芝生に伏せる。うああぁ……と声をあげた。その悲痛な自分の声を耳に入れ、さらに喘ぐ。泣く。


―――なんで、なんで紅葉は死んだんだ。なんで紅葉が、こんな形で死ななければならなかったんだ。


なんで、彼女は、なんで……。あの、楽しかった日々はもう、帰ってこない。本当にもう、二度と帰ってこないのだ。もう彼女と笑い合って話すことも、見つめ合って微笑むことも出来ないのだ――――。


「もみじ…っ、もみじ……っ!」


「―――幸太くん…!」


後ろから声がした。楓さんの声だった。彼女が俺のもとへ駆けてくる足音がする。でも俺は、それでもなお、泣き続ける。喘ぎ続ける。もうそうすることしか、できなくて。


俺の背中を、楓さんがさすってくれた。


「広志が幸太くんが庭にいるて、それを聞いて……いったいどうしたん?」


楓さんの声が聞えてくる。けれどもう、耳に入れて理解することができなかった。ただただ、俺は喘ぎ泣き続ける。情けないくらいに、いまさら紅葉の死に、泣き続ける。


―――青空の冬のこの季節、俺はやっと、紅葉の死を弔うことが出来た。四年半も経った、彼女の孤独で寂しい、奪われたままだった…その死を。


あぁ―――いつか、戻りたい。いつか、いつか会えた時には、触れあいたい。悲劇が起こる前の、あの時に、あの季節に、戻りたい。


けれどもう―――彼女と共に笑い、彼女と共に泣くことなんて、絶対に叶いやしないのだ。二度と戻れやしないのだ。


「――…もみじ…っ」


それをやっと―――やっといま、思い知ったかのように。



俺は溢れる涙をぬぐって、また泣いた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございますm(__)m

「季節」は無事、完結いたしました。

ここまで読んでくださった方には本当に感謝感謝ですm(__)m

あまり明るい話とは言えませんでしたが、ダーク過ぎる物語にはならないように気を付けながら書き上げました。


感想や意見、指摘などがありましたら、コメントなどで伝えてくださると嬉しいです(*´▽`*)

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