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季節  作者: 織
14/16

(4-5)

『本当のこと話したらええよ』


カッと、俺は目を見開いた。押し付けられる喉から絞り出すように、声を押し出す。灰色の空に浮かぶ広志という少年のその黒い姿に。


「もみ、じ…が…」


はあっ、はあっ、と白く昇ってゆく息をついで呼吸をし、握っている腕をギュッと力をこめ震わせながら上に持ち上げる。目を合わせ、冷たい肌から汗をつたわせ、ハッキリと言った。


「紅葉が、俺に……自分を見つけてくれって、そう、俺に言った。だから……ここに…!」


「うるさい…!」


ぎゅうっ、喉を押し付けられる。えほっ、と苦しげな声が俺の口から漏れるのが耳に入った。その酸素が途切れる声を聞いたのか、楓さんが、


「広志…っ!」


そう叫ぶのが聞こえた。でも彼の押し付ける手の力は緩まない。その手を俺は苦しげ紛れに力いっぱい制し、体が熱い中、それを再び上に持ち上げては肺から咳をする。深い息をする。そして、叫んだ。


「死んだ紅葉が……連れてきた、自分が埋まってるところを教えて俺に掘らせて、紅葉は、紅葉は……消えたっ!…」


「黙れっ!」


頬を拳で殴られる。胸ぐらを持ち上げられる。


俺を揺さぶり顔を歪ませ涙を飛び散らせながら、彼も叫んだ。


「お前は姉ちゃんと口論にでもなって殺したんやろ! で、この山に埋めて今になって掘り出して……そうやろ? お前がやったんやろ!」


「やってない!」


「嘘ぬかすなっ!」


地面に投げられ、頬を再び力まかせに殴られる。俺が抵抗するまもなく、もう片方の頬も殴られる。視界が強い衝撃と痛みで揺れた。ぐっ、と無意識に声が漏れる。また殴られる。楓さんもその様子に駆けてくるが、


「やめっ…広志…!」


「吐けえっ! ええ加減に!」


叫ばれるも、俺は目を細めて答える。


「やってない…!」


「姉ちゃんを奪ったんはお前やろ! 俺から姉ちゃんを奪ったんはお前やろ!」

なぜか、目の前が歪んだ。


――――お前の姉ちゃんを奪ったのは…俺でもなければ、もうこの世で生きている人でもない。

もう、本当に彼女を奪った人は―――死んでいるのだ。


歯を、ギリリと食いしばった。


「やっていない」


「本当のこと言えって言うとるんや!」


その彼の後ろから、楓さんも息子の手を止めようとする。


「やめえ、広志やめえっ…!」


「お前が…お前が…姉ちゃんを……俺から、母ちゃんから…!

鼻をすすりながら、拳を振り下ろしてくる。


刹那……ぷつっ、と俺の中で何かが切れた。


「―――俺は殺ってなんかいないって言ってるだろっ!」


振り下ろされた拳を手に受け止め、俺は叫ぶように言い放った。受け止めた拳を握ったまま、しっかりと彼を髪の間から見つめる。


その瞬間、彼は骨を体から抜かれたように動きを止めた。口をぽっかりと開けたまま、俺の涙がこぼれている瞳を見て。


俺はやっと、ゆっくり白い地面に手をついて、起き上がった。そのしっかりと雪の染み込んでしまっている背中を、慌てたように楓さんが駆けてきて支えてくれる。そして頬をさすっている俺の顔に覗き込んで優しく声をかけた。


「幸太くん大丈夫?」


「はい…」


彼女に向き、俺はかすれた声ながらも答える。その俺の頷きに楓さんも頷くと、今度は息子の方を向いた。かと思えば、突然、パアンッと彼の頬を叩く。俺が驚いている前で、彼女は大きな声で頬を押さえている息子に怒鳴った。


「なんちゅうことしとんねん広志! あんたなあ? 紅葉にここ呼ばれてここに来とるっちゅうこと忘れたんか?」


そして彼が馬乗りになっている俺の太ももを指さすと、


「ほらそこ、はよう下りんさい!」


すると怒鳴られた彼は頷くこともしないが、逆らうこともなく俺から下りた。そして地面にぼうっと座り込んではうつむいく。口を閉ざし、涙を拭っている。その息子の様子を見ていた楓さんは、俺に再び向くと、


「ごめんなあ」


本当に申し訳なさそうに謝った。その顔には、俺を娘をころした殺人犯として見ているものがない。ただ本当に詫び、俺の背をずっと支えてくれている。俺がそれに気づき、「もう大丈夫です」と言うと、楓さんは「あぁ…」と頷きながら俺の背中から手を離した。


その彼女の顔を、俺は伺う。―――先ほど楓さんが怒鳴った時に言っていた言葉が気になったからだ。いや、気になったどころではない。だって彼女は言った。俺は「あの…」と、おずおず紅葉の母に問いかける。


「『紅葉に呼ばれて』って……どういうことですか?」


その問いに、彼女は起き上がっている俺の隣にしゃがみ込み、「いや、あんなぁ…」と瞳を揺らす。そして目尻に涙の跡が残っている顔を上げて、俺に小さな声ながらも打ち明けるように言った。


「昨日、昼寝して起きたら……紅葉が目の前におったんよ。あたしの目の前にね、立っとんたんよ。制服着てな、もちろん夢の中かもしれへんで? でも、間違いなかったと思うんやけど……とにかく目の前に、あたしの目の前に、あの子がおったん」


瞳をおぼろげに下に向けて、自分に言い聞かせるようにそう楓さんは言う。俺はその話に胸を突かれるような衝撃を感じながらも平静を保って、「それで…」と呟いた。


「紅葉は、何か……言ったんですか?」


楓さんは、「えぇ」と確実に頷く。


「あたしに、言いました。あたしが驚いて立ちあがったら、あの子、ちょっと笑うてな? 『久しぶり』とか言うたあと、泣いとったあたしに言ったんや。『明日、小さい方の公園の道通って、あの山に行ってくれへん? 広志と二人で』って……『夕方五時に着くように家出てな。そしたら人がおるさかい、そこで車下りて名前訊いてな』って……」


俺は、ごくっと唾を飲む。全身から、血の気が引くのが分かった。


―――そんな……紅葉は…。


震える声で、問う。


「紅葉は……もしかして…?」


「そう」


と、楓さんは、俺を濡れた瞳で俺を見つめ、言った。


「紅葉は……あたしが、誰の名前を訊くん? って言ったらな、嬉しそうに笑うて……『幸太くん? って訊いてくれたらええよ』って……幸太くんって、紅葉と付き合ってた男の子かて訊いたらな、『せやで、母ちゃん。幸太くんや。コウちゃんのことや。コウちゃんが、うちをちゃんと見つけてくれるさかい、ちゃんとそこに行ってあげてな。やなかったらコウちゃんが犯人にされてまうから、頼んだで』…そう言って、あたしの前から消えよってん……もう、現れんかった」


息を、飲んだ。胸がひやっと冷え、俺は下を向く。下唇を噛み、呆然と楓さんの言った言葉を、紅葉の言葉を、頭で繰り返す。


微笑んだ顔、夏制服の姿、黒髪、吊った瞳、白い肌……べっぴんさんだけど、強情な性格の、俺の恋人…。彼女が、そう、今日俺の目の前にふいに現れて…。


四年半ぶりに、触れられない姿で再会して……彼女は後ろにいた俺に驚いたように、振り向いた。『見えんの?』と問うてきた…。


「それでな、幸太くん」


話の続きを、楓さん四年半以上に老けてしまったその顔で呟くように、かすれる涙声で、


「あたしな、本当に夢かと思ったんよ最初は。でもな、でもな、無視なんかできんくて……」


ゆるゆると、彼女は首を振る。


「やから今日、この子、広志にそのこと話てな、一緒に五時に着くように来たんよ。父ちゃんは仕事でおらんくて、やから二人で……そしたら、ホンマに山に人がおってな、見てみたら、言われた通り幸太くんや。で……ホンマに……紅葉が――…っ、死んどった……っ」


目から涙を再びこぼし、紅葉の母は語尾をかすれさせ、そう言った。体を震わせて、地に両手をつく。紅葉の弟は…ひたすら、うつむいたままだった。


そして、楓さんはただ…こう呟く。


「こんな……なんで、なんで紅葉が、こんな…目に……っ!」


怒りと絶望と悲しみを詰め込んだ声で、「あぁあ……っ!」と泣き叫びながら地面に伏す。その姿を、俺はただぼうっと見つめていた。


現実感が、なかった。宙に浮いているような空虚感しか、感じなかった。


そして、ぽつんと、呟く。


紅葉、お前は……知っていたのか? 今日俺が来ることを。そして再会する前から……俺をここに、この時刻に連れてくるつもりだったのか? そしてそこに母親と弟を呼んで、俺の証人にしようと、だから本当のことを話せと、そう俺に言ったのかのか?


だから、もう何も怖いものはないと、そう言ったのか、紅葉。


もう、空は暗い。灰色がさらに濃くなり、影を増している。その薄暗い、林の光のない雪の降り積もる世界に、紅葉の死体と、彼女の母と弟と、俺。生きている者たち三人はただ、呆然とその世界に置き去りにされている。


たった今、真夏のあの日、あの紅葉が消えたあの日の季節が、時が、戻って来たようだ。


この、真冬の日に。


ここまで読んでくださりありがとうございますm(__)m

これで第四章は終わりです。

次から最終章である第五章へと移ります。


紅葉は…消えてしまったのでしょうか。

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