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季節  作者: 織
13/16

(4-4)

「楓…さん」


俺は小さく、呆然と呟いた。そう、歩んでくる女性は紅葉の母さん、名前をかえでさんという。彼女は一目見ただけで目の前にいる若い男が俺だとすぐに思い当たった様子だった。


俺はそのことに驚きながらも、こちらも車から出てきた中年女性が楓さんとすぐに思い当たったわけである。なぜ思い当ったのかといえば…やはり、紅葉が楓さんが現れる直前に『母ちゃんと広志が来る』と告げて消えたからだ。


そして楓さんに付いてくるように共に歩んで来ているのは、おそらくは紅葉の弟の広志くんだ。四年半経ち、十歳だっただろう彼しか知らない俺は、やはり紅葉の言葉によって、彼が広志という人物だというのを悟ったのである。その紅葉の言葉がなければ、おそらく俺は彼が誰だか悟れなかったと思う。楓さんはともかく、彼は成長期で身長も伸び、雰囲気もすっかり大人びていた。


その紅葉の弟、どう呼べばいいのか分からないが…とにかく彼が声変わりしていることを俺が知ったのは、楓さんが「幸太…くん?」という呟きを聞き、俺に向いては「えっ…」と、


「幸太って……姉ちゃんの彼氏やった人…? えっ、ほんまにここに…?」


歩んで来ながらも俺を伺いながらそう問うように呟いたからである。その言葉に、楓さんはやはり驚いたように俺を伺いながらも頷いた。


俺はというと、その場から動けずにいた。紅葉の死体を目にしたショックもまだ体に残っていているということと、突然軽自動車から紅葉の母親と弟の二人が現れたことへの余るほどの驚き。俺はズボンに溶けてゆく雪が染みていくのを感じながらも、腰をつけてほとんど感覚を失っている両手を地に着け、呆然と歩んでくる彼らを見つめていた。


楓さんは俺が返事をしなくても、もう俺のことを幸太という紅葉の恋人だった人だということを確信しているようだった。そろり、そろりと足元が暗く雪が薄く積もっている林の道を進んでくる。同じように紅葉の弟も歩んでくる。そして俺はやはり何も出来ないまま、二人を目を大きくして見つめる。


「あ…穴?」


楓さんが俺のやや離れた横にある、大きく虚ろな穴に気づき、そう呟いた。だがこの雪の舞う薄暗さと距離と角度からか、中のものは見えないようだ。紅葉の弟も彼女の言葉でそれに気づき、穴に目を向ける。そして、俺に怪訝な視線を向けてくる。


スコップは穴の中にあるものの、俺のコートやズボン、靴にそして顔や特に手が土で汚れていることは薄暗い視界でも一目で分かっただろうし、そしてそれによりこの穴を掘ったのが間違いなく俺だということも知れただろう。辺りには俺と彼ら二人以外いないわけでもあり、それは間違いないものだと判断されたに違いない。


だが俺は自分がこの虚ろで底の見えない、雪が舞い積もってゆく穴を掘ったのだと彼らに知られたと悟っても、なぜか何の感情も浮かんではこなかった。知られたことによる焦りも恐怖も、なにもなかった。


自分でもよく、分からなかった。不思議なほどに、感情が皆無。だがそのかわり、二人に対して何の言葉も出てこない。何を言ったらいいのか分からないというよりも、まるで声を失ってしまったかのようだった。だから俺は、こちらに視線を向けながら穴に歩んで底を覗き込んでいる楓さんと紅葉の弟の様子を、ただ呆然と見ている他はなかった。


先に楓さんが穴の中を、しゃがんでは身を低くして伺う。紅葉の弟も母親の後ろで同じように穴の中を伺っている。楓さんは眉を寄せ、底に顔を近づけて深めの見えづらい虚ろな中を首を伸ばして見ていた。

が、やがて瞬きをしては何度も確認するように底を見回すと、刹那―――ハッと呼吸を止めて表情を無くしてしまう。


「……っ!」


悲鳴を上げるかと思ったが、そうではなかった。彼女はただ、声を失っていた。中にあるのが骨、しかも人間で、セーラー服を着ている女子高生の白骨化した死体だということに気づくと、ただ目を恐ろしいくらいまでに開いて、愕然としていた。見たことなどなかっただろうから、もう体を震わせて、目も逸らせないまま口に手を当てて呼吸を忘れている。


へたっ、と腰を抜かしたその母親を見、紅葉の弟は突然の彼女の様子の変化に驚く。


「か、母ちゃんっ?」


だがそう呼ばれても、彼女は返事せず、顔を息子に向けることさえ出来ない様子で今の自分の意識を保つのに必死なようだ。俺はそれを見、自分もこんな挙動だったのかと、ぽつんと静かにそう思う。紅葉の弟は自分で見てみなければ母親の様子の意味が分からないと知ったようで、穴の中を楓さんよりも身を乗り出して覗き込む。


穴で彼の顔が隠れて、俺は紅葉の弟の表情は伺えなかった。でも、ある瞬間に彼の動きはピタリと止まってしまう。息をのむように、その体勢で止まっていた。が、やがて彼は体を起こすと、まだ幼さの残る少年の顔で目を大きくし、口をあけたまま荒い呼吸で穴の中を呆然と見つめていた。


だが彼は母親のように腰を抜かすこともなく、荒い呼吸をしながらも、俺に顔を向けてきた。そして、冷や汗を流してやや震えながら、俺を思い切り睨んできた。歯を、ギリリと食いしばりながら、鬼のような形相で。そして、


「お…まえ…」


そう、低い声で呟くと、再び穴の中に顔を入れ、今度は右手も中に伸べた。上半身を穴に入れていたかと思えば、やがて体勢を元に戻す。そして右手に取った何かを、俺に投げつけてきた。


どさっと、俺の体にそれが当たる。俺の脚の間に落ちたそれは、地中から俺が掘り出した革の学生鞄だった。そう、紅葉の。それをやはり俺はただ見つめる。手に取ることもないまま、落ちたそれを見つめる。そして紅葉の弟に目を向ける。


彼は、はあはあと過呼吸のような呼吸をしながらも、ゆっくりと…動かない母の隣で立ち上がった。楓さんはその息子の様子を怪訝そうに見つめているが、口に手を当てたまま、それ以外なにも出来ないようである。俺も、彼の様子を見あげるしか出来ない。そして彼はやはりゆっくりとカサッ、ガサッと足音を立てながら俺に歩んできた。


うつむき、顔は見えない。が、ギリギリ歯を鳴らしながら、拳を握っている。そしてしたたかに、でも震える低いこえで、俺に呟く。


「お前…が、やった…んか…」


俺を見下ろすように歩んでくる。とても小さな声だったが、でもその言葉はとても強い様々な感情が固まって含まれているのが俺にも分かった。彼は俺に低く顔を上げると、今度は強めの口調で…だがやはり低い声で、呟いた。


「お前が…やったんか」


無言で俺は、その言葉を受け止める。それだけの反応だった。そしてただ、紅葉の弟から目を逸らす。

そんな俺にさらに、鬼の形相のままボロボロの学生鞄を拾うと、再びそれを投げつけた。


「……っ」


古いとは言えども中には教科書の紙の重なりが詰まっていて、けっこうな重さだ。それが再び体に落ちてきた俺は息を詰まらせる。だがうつむくだけで、何も言わない。まるで離れた場所で今の自分を見ているようで、痛いはずなのにその痛覚さえも脳に上ってこなかった。


「おいっ……」


彼はライオンが唸るような声で言ったと思えば、突然体勢を低くしてガッと俺の胸倉を掴んでくる。ガクン、と揺れたすぐ目の前に、彼は顔をグッと近づけてきたかと思えば、


「お前がやったんちゃうんかいっ!」


声を荒げてそう言った。その声にも反応を示さない俺の胸倉を激しくガクガクと揺らす。


「なあっ…なあっ!」


「ひ、広志…っ」


彼の後ろで、楓さんがやや声を大きくして呟く。だがその声に、彼は振り向くこともなく、いくら大きな声で問うても答えることなくただ虚ろな目で見つめてくる俺の様子に、我を切らして掴んでいた俺の胸倉を地に投げつけた。俺は雪と落ち葉や折れた枝の上に背中を思い切り叩きつけられる。息が詰まって痛みも走るが、うめき声も漏れない。そして、弱っただろう体を、何とか起こそうとする。


が、その時紅葉の弟の視線が何かをとらえた。彼は呆然とそれを見つめていたようで俺もそこに目を向けるも、それと同時に彼は見つめていたものを拾いあげる。


俺の土だらけのコートのポケットから出てきた、それ。手にして見つめ、彼は一瞬表情を無くすと、


「これ……、姉ちゃん」


それから俺に顔を上げ、先ほどよりもさらに見開いて力んだ瞳で見つめてきた。


彼が手にしているのは、紅葉の学生証だった。そう、すぐ目の前にあるこの学生鞄から出てきた財布に入っていた、俺も通っていた高校の学生証。これ以上ない、坂木紅葉という四年半前に行方不明となった高校生三年生の、十八歳の少女を証明するもの。


「やっぱり……姉ちゃん、なんや」


黒々とした穴に振り向き、そう呟く。茫然自失といった表情で。そして俺に向くと、


「やっぱり、あれは姉ちゃんなんやろ」


表情を歪め、俺を先ほどよりも強い感情を込めて、睨みつけてくる。俺は紅葉の学生証を見て目を覚ましたようにハッとするも、その紅葉の弟の言葉に…何も返せず瞳を下に逸らしてしまう。それに対し彼はさらに強い口調で、


「姉ちゃんなんやろ」


下を向き…俺は目を見開く。


―――そうだ。あれは、あの死体は、紅葉だ。話していた霊ではなく、本当の、本当の紅葉だ。あれが今の、本当の紅葉の姿なのだ。


あの日ままの、セーラーの夏制服姿で消えた、彼女なのだ。


「あぁ」


無意識だ。本当に無意識で、俺はその声に頷いた。うつむいたまま、小さく。


なぜそう真実を答えてしまったのか、自分でもよく分からなかった。頷かないこともできたのに、迷いなく…俺は頷いてしまった。


「え…えぇっ…!」


楓さんがその俺の頷きを目に捕えると、震える声でそう声を漏らした。俺を見つめながら、口に手を当てて、息子の後ろから。俺は彼女に顔を上げるも、表情を定めることもなく顔を曇らせて伺う。彼女はその俺の顔に瞳を揺らしながらも向けて、唇をわななかせている。その紅葉とよく似た吊りぎみの大きな目に、涙を徐々に溜めて、声を枯らす。


「そ……そん、な…」


信じられないというように迷わせる目をぽっかりと開けて、そこから涙をほろり、ほろりと頬にこぼし、雪に光って落ちる。その表情は筋肉がこわばってしまったように、真っ白で人肌とは思えないものだった。薄暗いなかでも、俺にはそう見えた。


その紅葉の母の様子を、彼女の息子は振り返って見ていた。そして、彼は俺に拳を震わせながら少年の顔を向かせる。歯を食いしばって、目には涙。ニキビが点々とあるその肌の初々しさを消し去ってしまうような表情だった。


彼もまた、姉の紅葉の行方が知れなくなってしまったことにより、俺のように感情を忘れてしまった一人なのかもしれない。そう、直感で悟って思った。


「姉ちゃんを…」


そう呟いて、彼は先ほどよりも乱暴に俺の胸ぐらを掴みあげ、叫んだ。


「姉ちゃんを殺したんはお前かっ!」


ガクンと激しく俺の目の前が揺れる。その目の前に鼻づらが今にも触れそうな近さに彼は顔を近づけてきては、


「お前が…お前が殺したんか! 姉ちゃんを、お前が、お前がぁっ…!」


ぐらんぐらんと視界が何度も揺さぶられる。前が定まらず灰色の空、林の景色、紅葉の弟の顔が上下に激しく揺れる。脳が揺らされているようで目眩のような気分の悪さで気が遠くなるのを必死にこらえ、俺は半分目を開き彼を見つめ、ゆるく首を振った。


「ち、ちがう…」


「じゃあ何でここきて掘り出しとんねん! それの何が…何がちがうて…!」


俺は霞む景色の中、ダンッと雪の地面に押し付けられる。息を詰まらせ、ケホッと衝撃を受けた肺から咳が出るも、俺は雪で冷たくなってゆく頭を繰り返し振った。


「ちがうっ……俺は…やってない…!」


「ならなんでここに来たんや! ここの場所知っとって、姉ちゃんの学生証持っとって、それの何がちゃうゆうんねや!」


「ちがう…!」


俺は逆らうように身を起してそう訴えた。揺れる前が定まる頃に、俺もやっと目に感情を持つ。その、断固として動かない感情。嘘などないそれを示し、そして紅葉の弟を睨んだ。


だが、彼は俺にひるむことなく、再び俺の胸ぐらを地面に押し詰つける。コートのボタンがぶちっという音と共に雪に落ちた。


「何がちゃうっちゅうねん! ここ来とって、掘り出したんが何よりの証拠ちゃうんか…!」


彼は馬乗りになり、両手で掴んでいるコートの襟を、グッと俺の喉に押し付けてくる。俺は喉を詰まらせながらも、彼のその腕を掴んでは、その押し付けてくる力を制す。歯を食いしばり、額にかかる雪と髪の間から瞳を睨ませる。


どうしたらいい、と迷わなかった。脳裏に、紅葉のその声が、蘇ってくる。


―――そうだ、彼女はこういった。俺に、こう言った。


『本当のこと話したらええよ』


ここまで読んでくださりありがとうございますm(__)m


このまま彼は紅葉殺しの犯人…になってしまうのでしょうか?

そもそもなぜ二人はここに?


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