(4-2)
落ち葉の重なっている上に雪が降り積もっている地面を、車がガサガサと音を立てながら通ってゆく。林の中で辺りは暗く、紺の車はその薄闇に擬似化していた。
俺はその凸凹して安定しない道なき道を紅葉の案内のもとに車を走らせる。いや、正確に言えば車は走ってはいない。およそ徒歩と同じ位の速さでゆっくりと進んでいる。
「この…辺か?」
説明された通りに進んだ俺は、ある程度の所でブレーキを踏み、隣の紅葉に振り向いた。彼女はやや低く立ち上がって林の雪景色を窓を通して見渡すと、そこを見たまま座って頷く。
「あっとると思う」
その頷きを確認し俺は完全に車を止めて、エンジンを止めた。微量の車の揺れは完全に無くなり、鍵を抜いてコートのポケットに突っ込む。ここで誰かに車を盗まれることはないだろうが、これは癖だ。だが、そうしたところで鍵をこの山奥に落としてしまうと元も子もないという考えが浮かび、俺はポケットから鍵を取り出して車内の小物を入れるスペースにカチャリと置く。
とりあえず、俺はドアを開けて外に出た。冷たい空気が吹きつけてきて、思わず身を縮める。車内には暖房をつけてはいなかったものの、やはり部屋が密閉されていて風があるのとないのとでは全然違う。扉を閉めて後ろに振り向くと、紅葉も扉をすり抜けて外に出ていた。もちろん音を立てることなく、俺に歩んでくる。一方、俺が少しでも地を踏めば、たちまち雪と重なった落ち葉はカサッと音を立てた。
俺は車の後部座席の扉を開き、そこからあるものを取り出して持つ。そのあるものとは、スコップ。鉄でできた、重めのしっかりとしたものだ。紅葉に『ないと絶対あかん』と言われたので、ここへ来る途中、ホームセンターで購入したのだ。
それを右手に持ち車の扉を閉めると、木々がまばらに立って伸びている薄暗い景色を、俺は見渡す。広い森の中なのに、なぜか閉塞感を覚えた。灰色の空からはらはらと雪が舞って落ちる。俺の体からはもう、緊張感は失せていた。不思議と、今は淡々としていられる。
隣の紅葉の表情も変わらず、淡々としていた。もう本当に不思議なほど、何の感情も湧いてこない。恐ろしさも悲しみも緊張も。ただ目の前にあるのは、薄暗い不気味な林。俺は紅葉に顔を向けた。
「どこに…歩けばいいんだ」
彼女その言葉にハッと微妙だが目を開いた。ついにこの時が来たのだと、現実を目の前にさらされたように。俺がその感情を察することが出来たのは、自分も同じ感情だからである。そう、俺も特に何の感情も感じていないというのに、ただ、その現実だけが目の前にあるのだと…ハッキリ、その瞬間に思った。
紅葉はゆっくり、触れることの出来ない…・やや現実から離れているようなその細く白い腕を、前に伸ばした。そして今立っているその真ん前を、ただまっ直ぐ、人差し指でさす。俺はその彼女の指の先の景色に目を向けた。そこにはただいくつもの木がのうのうと立っているだけ。地面は落ち葉の上に雪が薄く積もっていて、それ以外には何もない。
でも、その景色を間違いなく彼女は指している。俺はただ一つ頷いた。
「あの、向こうか」
彼女は指さし、その景色を見つめて視線を逸らさないまま、頷く。
「せや。あの、向こう…」
そう呟いて、俺に顔を上げる。びゅう、と強く冷たい風が吹くも、彼女は瞬きもしなかった。そう、彼女は風も感じないし、黒髪がなびくこともない。ただそこに立って、今いる自分の本当の居場所を教えようとしている、霊。べっぴんさんな、俺の恋人の、霊。その彼女の黒い瞳は、俺を…見つめている。そして俺も…彼女を見つめている。
「行こう…か」
俺が小さく呟くと、彼女は俺を見つめたまま頷いた。そして俺も紅葉を見つめたまま頷く。そしてお互い前に見えている道を見据え、同時に足を踏み出した。
進んでゆく。一歩一歩、俺が、俺一人だけが、このスコップだけを手にした俺だけが、この林の中を歩んでいる。落ち葉と雪と落ちている小枝を踏みながら。その足音がより、そう感じさせる。紅葉も隣で歩んでいるはずなのに、なんの音も立てない。足を踏み出して進んでいるはずなのに。だから、俺は今独りなのだと、だからこの道が、眠れぬ夜へと繋がるのだと、知っているのだ。でも…、
『コウちゃん…うちは今、怖いもんなんか一つも無いんよ』
そう、俺ももう、怖くない。覚悟は出来ている。恋人の本当の姿を見る、その瞬間の。
二分ほど歩んだだろうか。車がやや遠目に見えるところまできた時、紅葉の歩みが止まった。俺はそれを見逃さず、自分も止まっては彼女に振り向く。
「…この辺か?」
彼女は鬱々としていながらもしっかしとした視線を俺に向けた。そして、周りを確認するように歩んでくる。きょろきょろと見渡し、それから俺の隣までくると、確信したように前を見つめて指をさす。
「あの……木のふもとや」
指さされた、林の木の、そのうちの一本。何の変哲もない、ただの林の木。でもその下には、彼女が眠っているのかもしれない…いや、おそらく眠っているのだろう。彼女自身が、そう言ったのだから。
「そこで…間違いないか」
確認するように俺もその木を指さし、そしてそのふもとを指さしては、紅葉に向いて問うた。彼女はやや顔を俺に向け、視線を合わせて「たぶん…」と頷いた。
「たぶん…間違いない」
俺はまた、頷いた。…そうか。そう心でぽつんと呟いて、ゆっくりと歩み出す。そのふもとへ。紅葉も共に歩み出した。そして間もなく、そのふもとの目の前に着いてしまう。
もちろん、体はここを掘り出すのを拒否していた。してはならないことを止めるように。でも俺はスコップを握っている手に、ギュッと力を加えて、その制してくるものを振り払った。
ここまで来ては、もう、あとに引けない。それにこれはこの触れられない夏の紅葉と出会ってから、義務として備わっていたものだ。もうこれ以上、彼女に風なき時間を過ごさせるわけにはいかない。
持っていたスコップを持ち直し、そして持ち手を握って、その木のふもとにザクッとスコップの鉄の先端を刺した。そして、紅葉に振り向く。その目を見る。
彼女はただ、頷いた。だがその顔は先ほどの鬱々としていたものでも、淡々としているものでもない。ずっと待っていた、そんな薄ら悲しげな優しい微笑を、俺に向けていた。とても彼女らしくない微笑だった。
でもその笑みで、俺はとたん今起こしている行動に怠りはないと、どこか安心した感情が湧いてきたのを感じた。紅葉はただ、俺にこう告げた。
「けっこう深いさかい、覚悟しいな」
俺も彼女に、微笑を向ける。
「分かった」
ここまで読んでくださりありがとうございますm(__)m
掘り出す…みたいですね。
彼女は一体、どんな姿で眠っているのか…。