未練袋(ショートショート4)
行きつけの飲み屋で奇妙な老人と出会った。
その老人は巾着袋に口元をくっつけ、なにやらブツブツと一心に話しかけていた。
隣の席のオレとしては、どうにも気になってしょうがない。
「なにをなさってるんです?」
オレはたずねてみた。
「なに、未練を入れてるんだよ」
「未練を?」
「ああ、これまでの人生の未練をな。奇妙に見えたかい?」
「はあ……。で、なにか意味でも?」
「もちろんだよ」
まあ一杯どうぞ、と……オレのおチョコに酒を注いでから、老人はその訳を話し始めた。
「ワシは末期ガンでな、じきにあの世に行くことになる。そのとき、この袋を持っていこうと思ってね」
酒を口に運び語り続ける。
この世の未練を持っておれば、あの世では成仏できない。霊となり、この世に迷いもどれる。
なぜそこまでして、この世に執着するのか……。
それは愛しい妻の存在である。
「死後も妻に会いたいんだよ。妻も淋しがって、ワシに会いたいだろうからな」
老人はそう言って、いささかもはばからなかった。
それからも……。
同じ飲み屋で、幾度か老人と酒をくみ交わした。
老人はあいもかわらず、未練袋に未練をためこんでいるようだった。
そんなある日。
「ずいぶんたまりましたよ」
うれしそうに巾着袋を見せてから、老人はふいに神妙な顔つきになった。
「ところで、ひとつ頼みがあるんだが」
「なんでしょう?」
「ワシの葬儀に出てほしいんだ」
「もちろん参らせていただきますよ」
「で、そのとき、この袋が棺桶の中にあるか確認してほしいんだ。もし入ってなかったら、そのことを妻に言ってくれんかな」
老人の目は真剣だった。
あの世に行ったとき、未練の入った袋がなくては成仏してしまう。この世に迷い出られなくなるのだと言う。
「わかりました」
オレはふたつ返事で了承した。
葬儀の日。
巾着袋は棺桶の中の老人の手にあった。ところが袋の底が切られ穴が空いており、それは明らかに人の手によるものだと思われた。
これではあの世に行くまでに、袋から未練がこぼれ出てしまうではないか。
――なんで?
葬儀の場では聞くこともはばかられ、オレは日をあらためて老人宅を訪問した。
老人との約束もあり、思い切って奥さんにたずねてみた。
「袋の底を切ったのは、もしかして……」
「はい、わたしが切ったんです」
「なぜです? あの袋のことはご存じのはずだったのでは?」
「もちろん知っていましたわ。でもあの人に、未練たらしく迷い出てこられてはたまりませんでしょ」
奥さんはこともなげに答えてから、おくすることなく笑ってみせたのだった。