正義の味方の報酬と夢
「じゃあ、また明日」
「さようなら」
校門の前で左右に別れることになり、右に曲がる義彦と沙月が左に曲がる沙月に手を持ち上げて挨拶した。
「は、い。それでは、また」
日本人形どころか絡繰り人形のようにぎこちなく手を振って、また。と言う言葉を生まれて初めて口にしたかのように言い辛そうに言うと、恥じらいに頬を染めクルリと反転。
バタバタと走り方を忘れた大人のように足音を立てながら走って行った。
その拍子に一瞬持ち上がったスカートから、薄ピンク色の下着が見えた。
「多分、また明日。なんて言える人いなかったんだろうね」
完全に姿が消えてから、沙月が目を細めて言う。
「だろうな」
「助けないとね」
ああ。と力強く頷いて、もう影も見えなくなった三奈穂の残滓に捜すように、義彦もまた目を細めた。
「先に報酬もらっちまったからな」
「報酬?」
「正義の味方の報酬って言えば、決まってるだろ?」
胸を張り片唇を持ち上げて不敵に笑い、続ける。
「少女の涙と、薄ピンク色のパンツだ」
「……涙で止めておけば、少々臭い台詞だが、格好もついたのに」
「パンツなめんな! ああ言う女子が偶然見せるパンツの貴重さが、お前にゃ分かっちゃいねぇ!」
「あ、帰りにスーパーで買い物するんだった。早く行きましょう?」
「ちょ、せめて反応して!」
義彦の言葉を無視し歩き出す沙月を、義彦は慌てて追い掛けた。
「今日は昨日のカレーを使って、カツカレーか、カレーうどん、どちらかにしようと思うんだけど、お前の意見を聞いてあげる」
スーパーで買い物カゴをカートに載せて運びながら、沙月が後ろに立っている義彦を振り返った。
「ハンバーグカレー」
「微妙に面倒くさいことを言う奴ね。ハンバーグというのはあれでどうして中々そこそこに、つくるのが面倒なのに」
「しかしその組み合わせ。最も強しで最強を名乗っても良い組み合わせだ」
「ふーむ。仕方ない」
精肉コーナーに向かい、パック詰めされた挽肉を吟味している沙月の姿を義彦はやや離れたところから、カメラマン気取りがするように、両手の人差し指と親指をピンと張り上げ、それを合わせ、窓を造るとその中に彼女の姿を入れた。
「学校帰りに、夕飯の材料を買う女子高生若奥様。やばいな、エプロン姿を想像したら昂ぶってきた」
「昂ぶるな変態。ズボンの膨らみをどうにしなさい」
「失礼なことを言うな。これはズボンの皺だ。俺が本気で勃起したらもっとあからさまだって。まだ四分の一立ちくらいだ」
「やっぱり変態じゃない……よし。肉はこれで良いわね。タマネギは家にあったし、後は……」
「卵、卵が無いぞ! 俺のパワーの源」
「お前、何にでも卵入れるの止めたら?」
窓を解いて、指差す義彦を子供を叱るような口調で窘めてから、卵を手に入れるためにカートを動かし始める。
「へーへー。申し訳ございませんです」
「イラッとさせたいのか謝りたいのか、どっちかにして」
「ゴメンなちゃい」
「良く分かったわ。今日は卵抜き。繋ぎのないぱさぱさのハンバーグを食べればいい」
「ああ! 嘘嘘、そんな怒るなよ」
卵コーナーに向う通路を外れ、急転換してレジに向おうとする沙月の前に立ちはだかって軌道を修正させる。
「まったく、しょうがない奴」
こう言えばどう反応するか、初めから分かっている母親のような声を再度つくって、沙月は歩き始めた。目的地はレジではなく卵コーナー。
やったぜ。と後ろで喚いている義彦を笑い、カートを転がしていく。
ダイニングで夕食を作り始めた沙月に断りを入れて、義彦は先に風呂に入った。
「今日は体育で頑張りすぎたからな。汗かきまくりだ」
「道理で。汗臭いと思ってたわ」
キッチンから沙月が言う。
「そんなこと思われてたのか。軽く凹む」
浴室と、キッチンは薄い扉一枚隔てて繋がっている。
風呂から上がり、身体を拭きながら言う義彦に、沙月の小さな笑いが届くほどドアは薄い。
「違う違う。汗の匂いは好きなの。匂いフェチって言うの? こうねキュンとする」
「どこが!?」
「それは、子宮でしょう?」
「あっさり言うな。だが、俺は屈しない、そんな脅しにはな」
クッ。と狭い浴室で狼狽えている義彦に、またも彼女は忍び笑いをし、いやに色めいた声を出した。
「なら。これでもかな? 確かお前言ってたな、エプロン姿を想像すると昂ぶると」
「……着けているのか?」
疑りの声。しかし、身体は正直に、ドアを開けようと手を掛けていた。引き戸のドアをほんの少し開け、その隙間から目を覗かせる。
そこには、確かにエプロン姿の沙月の姿があった。
けれど、そのエプロン姿は義彦の想像とは、まるで違うものだった。
「なぁ!」
大声と共に木製の引き戸を、一気に引き、全開になった視界を全開に使いながら、彼女を見た。
「こらこら。全裸のまま出ないでよ。ふふ。昂ぶりを示すパラメーターがしっかり見えているじゃない。五十、いや、六十%は行ったわね」
そう言って顔を綻ばせている沙月。彼女はエプロンを身につけていた。もっと言うとエプロンしか、身につけていなかった。
フリルの着いた白いエプロンは、沙月の裸体の上に直接身につけられ、引き締まり、けれど女性らしい柔らかさも持った太腿、むき出しの肩から続く、しなやかな腕、軽い恥じらいに頬を染めている表情。
彼女の格好は所謂裸エプロンと呼ばれるものだったのだ。
「なんて、なんて凶悪な兵器を持ち出しやがる」
「七十%、八十%、まだまだ、もっと行けるはずよ」
「やばい、もしこれで後ろを向かれたり何かしたら、その場で、親友を娶ってしまいそうだ」
「何その説明口調。ハッキリと後ろを向いて下さいと言えばいいのに……まあ、ここまで来たらそれも有りね。多少恥ずかしいが……」
どう考えても後ろを振り返ってくれる方向に話が進んでいる。と義彦は自分の心臓が、これまでにないほど、激しく活動し出したのを感じた。
落ち着け。と自分の心臓に言い聞かせる。
恥じらいを浮かべたまま、彼女はゆっくりとその場で回り始める。
ハンバーグは焼いている最中なのだろう。背後ではフライパンがバチバチと音をたてていた。頼むから、後ろを向くまで焦げてくれるな。
これまで自分しか信じなかった義彦が、神に祈った初めての願いだった。
果たして、その願いは聞き入れられ、フライパンには何の支障もないまま、沙月は義彦に背中を向けた。
「は?」
感情のその一切が消えた声。
「ど、どうしたの?」
沙月はまだ、恥じらいの声を残したまま、首だけ回して、後ろを振り向いた。
彼女の目に雄々しいと言う言葉が似合っていた義彦の男性が、急速にしぼんでいくのが見えた。
「な、何で!」
完全に萎びた野菜のようになっているそれを睨み付ける沙月に、義彦は未だ生気の戻らない声で応える。
「何でって。それ、俺の台詞だろ? なんで、な・ん・で! 下着着けてんだよ。オメーはッ!」
後半になるにつれ、感情、特に烈火の如き怒りの想いが込められた絶叫を聞いて、彼女は頬を掻きながら、目線をズラし、唇を突き出しながらだって、と呟いた。
「恥ずかしい、から」
「今の俺は恥じらい如きで、ドキンとしねーよ? 裸エプロンってのはさ、裸の上から身につけるからこそ裸エプロン何じゃん? それが下着着けたら裸エプロンじゃ無いじゃん。下着エプロンじゃん。大体さ。上の下着は意味なくね? 完全に隠れてるじゃん。それともあれ? 勃ってたの。感じて勃ってた訳?」
「口調がやさぐれている上に、セクハラにも程がある」
「俺がセクハラなら、お前は詐欺ですよ。何だよこのガッカリ感。俺の感情どうしてくれんの? 俺の怒りをどうしてくれんの? 裸エプロンが見れると思って跳ね上がった俺の心臓にどうわび入れてくれんの? 今更脱いでも、もう何も感じねーよ。トラウマだよトラウマ。これから一生、二度と、裸エプロンで昂ぶらないよ。え? 俺の心の中に動物二匹もぶち込んでどうする気なの? しかも虎と馬だよ、蹴られるは引っかかれるは、食われるわ。どうする気?」
「未だかつて無いキレ方。だけどほら、この下着、肌色だし、一見すると裸に見えるでしょ? ワザと食い込みも残してあるし。そこまで怒らなくても」
確かに、彼女の穿いている下着は肌の色に近く薄い素材の下着で、殿部に食い込んでいるためパッと見ただけでは裸にも見える。けれど、当然義彦の怒りは解けることはない。
「下着じゃん? Tバックだろうと、ふんどしだろうと、パンツだろうと、単なる紐一本巻き付けただけであっても、身につけた時点で、それは下着じゃん? ってことは裸じゃないだろ? 裸エプロンじゃないだろーが! 大体なんだよ。その下着どっから買ってくる訳? 色気もクソもねぇ。下着は常にTバックとかほざいてたじゃん。ああ、もう! どうすんの? 俺のこの怒りを何処に誰に何にぶつければ良いんだよ。あー、クソ。最悪だ、生まれてから未だかつて経験したのこと無いガッカリ感だよ。どう責任取ってくれる訳? ええ?」
「嘘に決まってるでしょ、Tバックなんて学校に穿いていけないわよ。私は普通の学生なんだから。なんて言うか言い方がもう……どうすれば良いのよ? 私に出来ることだったら、なんでも」
「何でも?」
しまった。と言うように、沙月の顔が歪む。同じく、義彦の顔も歪んでいるが、そこにある想いは対照的だった。
「何でもか。そうかそうか」
「いや、しかし。私にだって出来ることと出来ないことはあって……」
慌てて穏便に事を進めようと、緩和剤としての言葉を紡ぐ沙月に、義彦は手を差し出し、生き生きとした表情で、その言葉を止めた。
「いやいや。お前なら出来る。いや、お前にしか出来ないことだ」
「……なによ。言って見て」
諦めた。と顔が語っている。
「学校指定のブルマで体育の授業を受けてくれ!」
「筋金入りの変態野郎」
「褒めるな。こんな事もあろうかと、誕生日を先取りしてお前用にブルマを買っておいて良かった」
「最低」
「あ、あともう一つ」
「まだあるの?」
諦めが入っている沙月は言いながら、フライパンに被せられていた蓋を開け、ハンバーグの状態を確認し始める。
「使わなくなる体操服。あの短パンを俺に下さい!」
二つ目の願いは命令ではなく、お願いだった。だからこそ、沙月はしょうがない奴だと言わんばかりに肩を落すほどため息を吐き、その後、極上の笑顔を浮かべて振り返り言った。
「死んでもやだ」