ヒーローは女の涙に弱いもの
「男って言うのは、どんな時でも、どんな奴でも変態なのね」
「聞いてたのかよ」
取りあえず颯谷に帰るように促した義彦は、早速件の彼女を探しに行こうとしたが、その前にもうワンゲームだけテニス部を覗いていこうと、目を懲らしていると、背後から声が掛かった。
「早く捜しに行きましょう? 完全下校時刻になったら、その女も帰るだろうし」
「へいへい。分かりましたよ……ってそこから聞いてやがったのか、見張り頼んどいたのに」
「……風向きが変わったから聞こえたのよ」
嘘付け。とは敢えて言わずにおいた。けれどあのイジメの話を彼女に聞かせてしまったことだけは反省しておく。
大抵の人間相手ならば気配を察知出来る義彦も、沙月の気配は分からない、それは彼女が一般人レベルよりも遙かに上の段階に行っていることを指していた。
文武両道、そんな言葉が一番似合う女。それが義彦が彼女に持っているイメージを言葉にしたものだ。
とにかく捜すと、自分の腕を掴んで立ち上がらせようとする沙月。元々はあまり乗り気ではなかったようだが、いざイジメの話を聞いて何か思うところがあったのだろう。
妙にやる気になっていた。
殆ど人のいない校舎を適当に歩きながら、空き教室を一つずつ見て回る。公立高校にしては施設が充実し、特別教室の数が多いこの校舎は闇雲に探すのはかなり時間と根気のいる作業だった。
普通の教室のように、入り口にガラス窓が着いていれば、外から中を確認するだけで済むが、特別教室には覗き窓が無く、それらを一つ一つチェックしながら歩く。
「いざ特定の人間を捜すのなると難しいもんだ」
「そもそも、その吉川三奈穂って子。どんな女子なのか分かっているの? まあ、こんな時間に一人でいる女子生徒なんてそうはいないと思うけど」
「ああ、多分だけど颯谷を迎えに行った時に見たよ。日本人形みたいにバッサリ髪を切った女の子。多分あれだ」
測ったように切りそろえられた髪と、あの時の無表情な横顔を思い出しながら言う。
「面白い髪型。案外、苛められているのはその髪型のせいじゃないの?」
そうかも知れない。と口には出さず義彦は思う。どんなイジメでも、初めの切っ掛けは大抵微々たる事から始まるものだから。
「沙月、何処にいると思う?」
話を変えて聞く。
「さあ、見当も付かないわね」
応えた沙月の言葉は投げやりだった。
「勘でも良いよ。その勘を信じる」
「……私の考えだけど。自分の教室ではないかしら?」
「その心は?」
教室にはいないと颯谷は言っていた、どうせそのことも聞いていたはずだ。だと言うのに、その答えにどうやってたどり着いたのか、勘で良いと入ったが、沙月が本当に勘だけで言葉を話すはずが無いと言う確信もあった。
案の定、沙月は隣を歩きながら、ニコリと笑顔を浮かべていった。
「彼女の気持ちになってみたの。恐らく彼女からすれば若林颯谷は、自分が苛められていると言うことに初めて気付いた男子生徒ってことでしょ? だとするならば、もしかしてもしかしたら、自分のこの現状を変えてくれるかも知れない。事実、彼は動いたんだから。そうだとするなら、自分が別の場所で泣いているのは意味が無いわ。もう一度、キチンと彼に発見して貰い、逃げるのではなく今度こそ向かい合えば、助けて貰えるかも知れないって、そう考えていると思う」
「でも、いなかったって言ってたぜ?」
問うと彼女はもう一段笑顔を深め、得意げな様子で続けた。
「そうよ。彼女は助かりたいと思っていると同時に、恥ずかしがり屋っていうか、引っ込み思案な気があると見た。そもそも助けて、と初めから言えるような人なら逃げはしないでしょうしね。苛められている事実、それを男子生徒に知られて恥ずかしい、と思ったからこそ彼女は逃げた。けれど助けて欲しい。でも恥ずかしい。葛藤ね。それを繰り返しているうちは教室には戻れない、別の場所で時間を過ごしていたんでしょう。だが早くしなければ自分のことを忘れれてしまうかも知れないわ。だからそろそろ彼女は葛藤に決断を加え、教室に戻っている……かも知れない」
「お上手な推理だ。見に行ってみる価値はある。教室に向おう」
拍手しながら告げる義彦に、沙月は鼻を鳴らした。
「最初に教室って言った瞬間から、教室に向ってた癖に」
「あれ、ばれてた?」
「バレバレ。何で一度上がったのに、捜さずに反対側の階段から、降りてるのよ」
二階に向う階段を降りながら沙月は嫌な人。と独り言のように呟いた。
「信じるって言っただろ?」
最後の一段を降りたところで、彼女は顔を下げると唇の動きだけで、狡い人。と囁いた。
教室は階段を降りて直ぐそこだった。
自分達の教室である二年A組を通り過ぎ、その次、二年B組の教室。
そっとカラス窓から、中を覗き込む。
「ビンゴ」
「あら、一列揃ったの?」
「いや、トリプルビンゴって感じだ」
軽口を叩き合いながら覗いた、窓の向こう側、颯谷を迎えに着た時と同じように、そこには一人の少女が座っていた。
例の人形のような横顔で窓の外を眺めていた。
「行きますかね」
「お好きに」
沙月の返答を待つまでもなく、教室の扉を思い切り音をたてて開いた。
窓の外に目を向けていた少女の身体と合わせるように、切りそろえられた前髪が揺れる。
「初めましてお嬢さん。正義の味方です」
「……」
限界まで見開かれた大きな瞳は真っ直ぐに義彦を捉えたまま、動かない。
「ちょっと。お前、それは怪し過ぎるわ」
沙月に注意され、言い直す。
「貴方を救いに来ました、ヒーローです。俺を信じて任せてみませんか」
「もっと怪しい。新興宗教の教祖様気取りみたい」
「辛辣だな」
「事実を言うことは辛辣とは言わないわ」
そんなやりとりの間にも、吉川三奈穂は目を開いたまま、固まっているだけ、逃げようともしない。
「それじゃ、えーっと」
考えながら、教室の中に入ると、彼女はようやく身体の硬直を解いて、椅子から立ち上がるとそのまま横に一歩足を出した。義彦のことを見たまま、ジリジリと後退を始めたのだった。
緊張感が高まり、後一歩、踏み出せば多分後ろのドアに向って駆け出すだろう。そのタイミングで、仕方がないと義彦はカードを一枚切った。
「俺は、若林颯谷の代理で君を助けてきた者だ」
「え?」
後退していた足が完全に止まり、彼女は見開ききれていた筈の瞳をもう少しだけ広げて、こちらに向って疑問の音を出した。
初めて聞いた吉川三奈穂の声だった。
颯谷のことは彼自身言っても構わないと聞いていたので、早速使わせて貰った。やはり彼女は沙月が想像したように、颯谷を待っていたのだろう。
だからこそ教室に、今日は涙を見せずに待っていた。キチンと話をするために。
そこに現れた代理を名乗る男、彼女が戸惑ってしまうのも無理はない。
だが逃げないことは、義彦にとって幸いだった。
これで問うことが出来る。
「君に、一つ質問がある」
一歩前に。
「君はどうしたい?」
更に一歩。
「助かりたい?」
殊更一歩。
「それとも見なかったことにして欲しい?」
まだまだ一歩。
「さて」
まだまだ更に一歩。
「どうする?」
まだまだ殊更一歩前に出て、義彦は彼女の目の前に立った。
「……しい」
吉川三奈穂の唇が動く、言葉を発すると言うよりはただ、唇を動かしただけ。といった感じだ。
それでは駄目だ。
「聞こえない」
冷静に冷酷に告げる。
少女の瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。落ち行く夕日の光りを浴びて輝くそれ。
「助けて、欲しい」
声と呼ぶには少しだけ烏滸がましい、だがその音はちゃんと義彦の胸に、正義の心に届いた。
「任せておけ!」
強く言い切る。
助けて。と言われれば、絶対に助ける。自分の課した自分なりのルールに則って、この少女を助けると、義彦は決めた。
流れ落ちる涙はとても綺麗で、この少女をイジメている奴らを泣かして涙を比べてみたい。とすら彼は思う。
きっとその純度も輝きも、とてもじゃないが比べ物にならないくらい、彼女の方が綺麗に違いなかった。