踏み出す一歩のその先に、彼女は向かう
制服姿で校門の前に立った義彦は、手にしたプラスチック製のお面に目を落し、それを憎々しげに見た。
「立体にすると尚更チープよね」
「言うなよ。犯人を打ち倒した後はこの面を付けて連れて来いだと。マスコミを呼んでおく手筈らしい」
「それまでに見付けて片付けてってことね……高本さんも無茶を言うわ」
「とにかく先ずは職員室。もう警察から情報行って先生らも職員室から出ないように言っているはずだから、さっさと済ませるぞ」
「ええ。と言うかお前、ここから仮面付けるの?」
「教師連中にもばれたくないだろう? まだ俺たちはここを離れる訳にはいかんのだ」
「それはそうだけど。私はどうすればいいの?」
沙月の顔を見られれば、必然的にもう一人の男が義彦であるとばれてしまう。二人の関係性は当然教師達も知っているものだった。
「お前は先に捜して回ってろ。校舎内は俺が担当、お前は校舎外だ。体育館とか、柔剣道場とか」
「校舎内の方が確率が高いと思うけど」
体育館や柔剣道場は狭く、あまり戸締まり等の防犯もしっかりしているので隠れるのには適さない場所だ。
憮然として腕組みをする沙月。
「だから俺が捜すんだ。あの野郎はこの手でぶちのめさないと気が済まない」
赤い仮面に隠れて見えない表情はだが見る必要もない、怒りに染められていた。
「私だって、それは同じなのに」
「あん?」
「ううん、分かった。私は言われた通り、外を捜すわ」
沙月の呟きに一度首を傾げた義彦だったが、直ぐにそれに頷き、仮面を付けたまま、校舎内に向って歩き出す。
残された沙月も、一つため息を吐いて直ぐにその場から右に曲がった。
工程内を見て回りながら体育館、柔剣道場、弓道場、倉庫、と回るつもりだった。校庭とは少しだけ離れた場所にある野球部のグラウンドでかけ声が上がっている。もう朝練を開始している部活もあると言うことだ。
時間がない。
注意深く観察をしながら、沙月は足を速めた。
校舎内に入って、外靴のまま、職員室に向おうと階段前を横切った時、上からバタバタと煩い足音が聞こえた。
瞬間的に身構えた義彦だったが、足音は二つ分であり、犯人は一人だ。直ぐに警戒を解いて上を見る。
踊り場を前屈みになって転がるように曲り、女生徒が二人降りて、或いは落ちてきた。
「ヒッ!」
彼女達は義彦を見付け、短い悲鳴を上げる。
仮面の男が突然現れれば、そんな態度も決しておかしくはないが、それでも驚きすぎだった。これは何かあるな。と義彦はんんっ。と咳払いをし、意識的に声を変えて二人に話しかけた。
「随分慌てているな」
声で正体がばれないように、違和感なくに声を変える。それは義彦の得意な技の一つだ。
「あ、あぁ、あ」
「俺は正義の味方だ。ここに強盗犯が逃げ込んだと聞いて、捜している。何か知っていること無いか?」
正義の味方。その言葉と義彦の仮面を直ぐに一致させたのだろう。この県内において恐らく知らぬ者はいない仮面のヒーロー。警察より鮮やかに、センセーショナルに、劇的に犯人を捕らえる姿は何度となくニュースで流されているはずなのだから。
「う、上。屋上に……」
「明菜が捕まって」
明菜と言う名に覚えはなかったが、ようするに彼女達の友達が捕まったと言うことだろう。うん。と言うように一つ頷いて、義彦は顔を上に、階段の腹が見えるだけだったがその先に、自分が逃がしてしまった犯人がいる。それだけで充分だった。
「後は俺に任せて、お前達は職員室に行け。教師に事情を説明して、後は動かずにいるんだ。いいな!」
強く言いながら階段を上る義彦。
彼女達は揃ってコクコクと首を縦に下ろし、階段を降りようと脚を進め始めた。
「そ、そう言えば。さっき吉川いなかった?」
「ああ、いたいた。アイツ、何してたのかしら」
義彦に会って、多少でも落ち着きを取り戻したのだろう。下りながら思い出したように言う二人組に義彦の方が足を止める。
「吉川? ……まさか」
二人に聞く訳にも行かず、代わりに義彦は爆発的に地面を踏みしめ、二段、いや三段抜かしで階段を駆け上がり始めた。
三階のまで到達し、屋上へと続く階段を上ろうと手摺りを掴んだまま横っ飛びで移動して上へとそのまま身体を持って行き、掛けてまた転がるように女生徒が降りてくるのを見付けた。
「う、うあ」
口から漏れるのはやはり悲鳴にならない悲鳴。
もう一度説明か、と頭に手をやりながら地面にへたり込んでしまった女生徒の顔を見て、義彦はあることに気が付いた。
この女生徒を義彦は知っている。
沙月に見せて貰った顔だ。吉川三奈穂をイジメていた張本人。中心に立って誰よりも彼女のことをイジメ、沙月にも何度となく離れるように言ってきた人物。彼女が先の二人が言っていた明菜なのだろう。だが、だとすれば何故彼女はここにいるのか。犯人はどうなったのか。
「俺は正義の味方だ。犯人は?」
もう面倒で、色々と言葉を飛ばして言うが、彼女は踊り場に腰を付けたまま動かない。良く良く口を見てみると、ぶつぶつと何かを呟いていた。それを聞き取ろうと一歩身体を近づけ、しゃがみ込む。
「なんで、アイツ。何なのよ。私は、別に。生意気。私のせいじゃ、助けてなんて。二人は逃げたのに、何で、私を」
なかなか要領を得ない。仕方ないと彼女の肩を掴み、義彦の方を向かせると、放心状態の彼女の頬を一度叩いた。
乾いた音と共に、彼女は瞬きを繰り返し、やがて焦点を取り戻した瞳を義彦に向けた。
「俺は正義の味方だ。お前、犯人に掴まってたんじゃないのか?」
今度は正義の味方。の言葉に反応し、彼女は上を向いた。目が血走っており、涙も頬を伝っている後があった。マスカラが溶けて黒い線のようになっていて、やはり三奈穂が見せた涙とはその純度も綺麗さも比べるまでもない。
「アイツが、アイツが私の代わりに」
「アイツ……吉川さんとやらか? さっき下で会った女子がそんなことを言っていた」
「私がずっと苛めてきた奴なの。なのに私の代わりになるって。何なのアイツ。私に恩でも売る気?」
震えながら爪を噛む少女がどことなく哀れに思えた。
間接的にとは言え、義彦に挫折を味わせた人間だとはとても思えない。これ以上の話は無意味だ。と立ち上がり、踊り場を移動。最後の階段の前に立つ。
「何が、私は貴女たちとは違う。よ、格好付けてあの女」
独り言のように言った彼女の言葉で三奈穂がやりたかったことが読めた。
もっとも人の気持ちを読めるだなんて、今でも信じている訳ではない。けれど三奈穂の気持ちだけは読めると。読める男でありたいと、義彦はそう、思った。
「変われた、みたいだな」
貴女たちが指し示した言葉の意味は、きっとこの女には分からないのだろう。階段を上りながら、義彦はそう思った。