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現代日本の正義の味方

 夜の街を歩きながら、沙月の火照りを覚ますのも良いだろう。


 そんな風に考えながら部屋を出た瞬間、スーツを着た男が目の前にいて、ゲンナリした。


「早い。うちのお姫様の火照りが収まらないじゃないか」


 このスーツの男は一応警察の人間で、名前は高本。

 下の名前は覚えていない。


 スポーツ刈りのがっしりした体型の男で、スーツが異常なほど似合っていない暑苦しい男だ。


 沙月の物とは違う、不快に輝く白い歯を見せて笑顔を浮かべていた。


「そう言うな。こっちも仕事で来ているんだ。車を下に用意してある。今回は珍しく現場が近い、夜中にヘリに乗らずに済んで、俺としては万々歳だ」


「チッ。お姫様と夜景綺麗ね、お前の方が綺麗だよ。って遊びしたかったのに」


「冗談じゃない。カレーの匂いを付けたままでは、ロマンティックの欠片もないでしょうに。あ、高本さん。お久しぶりです」


「雨美さん! お久しぶりです。どうなさったんです? マスクなんて、風邪ですか?」

 高本の声と声量が跳ね上がる。沙月に一方的な愛を送る高本の態度にはもう慣れていた。


 後ろを見ると、動きやすい私服姿になった沙月は、高本が言うように口をすっぽりと覆うマスクをしていた。


「いえ、そう言うことでは。すみませんが現場に行く前にコンビニに寄って下さいますか?」


「はい! そりゃもう。何処へでも寄ります」


「急ぎじゃないのかよ」

 茶々を入れる義彦を高本が一睨みする。


「今は降着状態だ。多少なら問題ない」

 明らかに態度の違う高本に、ああそうかい。と投げやりに返事をする。


 三人は一緒になってマンションのエレベーターに向って歩き出した。




「どう? 匂うかな?」


「ミント臭がする。俺としては素のままの沙月の匂いの方が良いな」

 恥ずかしそうに口を開きながら匂いを嗅がせるという恥ずかしい行為を強要された後義彦が答える。


「そ。今後の参考にする。お前も噛んでおくと良い。ヒーローがカレー臭ではイエローにしかなれないでしょ?」

 ブレスケアを渡され、それをしげしげと見つめてから、いらないと車内に放り投げ義彦は沙月に向って腕を振りながら強い口調で言う。


「俺を五人いなければ合体ロボも動かせない奴らの一人にするな。俺は一人で戦ってしかも歌って踊れるヒーローだ」


「お前の踊り、かなり不評だから止めてくれって上から命令が来てるんだが」


「ちょっとあの踊りは、前衛的過ぎだものね。最後のポージングが特に。腰、突き出しすぎでしょ、私に向けているのかと思った」

 こんな感じだった? とそれなり車高はあっても流石に直立は出来ない車内で、沙月は中腰で、義彦が開発した勝利のポージングを再現しようとするが、単に義彦の顔に自分の殿部を押し付ける格好になってしまう。

 もちろんわざとだろう。


「ぬぬぬ。やはりこれはかねてより考えていた計画を実行する時が来たのか」

 突き出された殿部をギリギリ触れない位置に顔を傾けながら、腕を組んで思案する。


「計画? とうとう歌の方まで着手するの? 作詞作曲は任せて!」


「あ、一応その場合、警察を間に入れさせて貰うぞ」

 ハンドルを握りながら高本が口をはさむ。


「一般人から見ると、お上ってあらゆる手段で金を奪い取るサイクロン掃除機並みの吸引力を持っていますね」

 座り直した沙月の言葉にとんでもないと言うようにオーバーなリアクションで高本が首を振った。


「いえいえ。一般人でなくても同じですよ。俺たちも予算削られっぱなしで」


「世間話に移行すんなよ! 聞けよ!」

 義彦が話を逸らした二人に向って叫んだところで、車は停車した。


「到着だ。歌企画の話はまた後でな」

 サイドブレーキを下ろし、シートベルトを外した高本が振り返りながら言う。


「作詞作曲が私なら、マージンをかなり取られても、そこそこの儲けになるわね。一番儲けが薄いのは、一番前面に出ている歌い手さん。フッ、可哀想だから金が入ったらお寿司でも奢ってあげる」


「誰が歌って言ったんだ。違うよ、違うって」

 最後の悪足掻きも二人の都合の良い耳には届かずに、二人はそれぞれ車のドアを開けて出ていった。


「あいつらは本当に、人の話を聞くってことを知らない」

 仕方がないか。と首を大きく回し、一人残った車内で心の準備を整える。

 遊びは終わり。車を降りたその瞬間から、始まるのは仕事にして最大の刺激。


「行くか」

 車のドアを降りた次の瞬間から清正義彦という人間は存在しなくなる。

 そこに降り立つのは、正義の味方だ。


 正義の味方。


 それはテレビや漫画の世界の中にいる登場人物のことではない。現実に存在する仕事、職業名と言っても良いだろう。


 その仕事内容は、悪の組織が作り出した怪人や、正体不明の怪獣と戦うこと。

 では当然無く、社会的に悪と認識されるもの。

 即ち犯罪者の取り締まりが主な任務であり、立場上は警察特殊部隊の一員と扱われている。


 警察が事件解決まで時間が掛かった時や、世間に注目され絶好のパフォーマンスとなる場合など、政府や警察上層部の意向などによって、様々な事件現場に送り出され、事件の解決に努める。


 要するに実際に事件を解決する広告塔のようなもので、最近では数々の不祥事によって地に落ちた警察の信用回復をはかるため、特に派手で注目を集める事件に投入されることが多い。


 それが現代の日本に置ける正義の味方である。


 部隊に登録されている正義の味方は百人近くいるが、清正義彦はその中でも高いサービス精神とテレビの中から飛び出してきたかのような派手なアクションを駆使して事件を解決することで有名だ。


「そう言えば、沙月の口臭にせいで聞きそびれたけど、今回ってどんな事件なの?」

 警察関係者によって物々しく囲まれ、外にいるマスコミや野次馬の目が届かない、細い道路の一角に裏道から入り、車を降り立った義彦が辺りを見渡しながら言った。


 ブルーシートが高く貼られ、奥からは向こう側が見えないようになっているが、人の声が幾重にも重なって聞こえる。かなりの数の野次馬が集まっているらしい。


 まだ引っ越してきたばかりだがこのこの周辺には義彦も土地勘がある。近くに有名なアーケードが有り、夜でもそこそこの賑わいを見せる通りだ。


「口臭って言わない。それだと私の口内が常時匂っているみたいじゃない。第一、今私のブレスはフローラルなミント臭、対してお前はカレー臭、口臭と言えばそちらの方が有害だと思うわ」


「バカ言うなよ。俺は事件のことも考えて、出来る限り自然にとけ込める様に敢えてそのまま出来たんだ。潜入任務だったらミント臭は一発でバレからな」


「カレーだって匂うでしょ?」


「……話して良いか?」

 二人の夫婦会話を歪んだ顔で見ていた高本が手帳を開きながら口を挟む。


「どうぞどうぞ、この女は無視して良い」


「事件の発生は一時間前。簡単に言ってしまえばコンビニ強盗が逃げ遅れている間に警察が到着し、そのまま立て籠もってしまった。そんな事件だ」

 手帳にはもっと細かい情報が書かれているのだろうが、説明するのが面倒なのか、時間がないのか、かなり大雑把に言う高本に、義彦の方が嫌々しく顔を歪めた。


「コンビニ強盗? そんな小さな事件に正義の味方を使うのかよ」


「こらこら。こんな時に正義の味方は小さい事件など無い。事件は全て等しく事件だ。と言うものよ」


「知名度の問題だ。俺は大勢の前で活躍して、全国放送のニュースで大大的に取り上げて貰いたい」


「上にも色々あるってことさ。最近事件が少なくて正義の味方が活躍してないからな。こうして定期的に活躍してみせろって事らしい」


「そう言う政治的な要素って嫌いだな。無理矢理造られたヒーローって感じがして」


「腐らないの。例えそうでも結果を出し続ければ良いんだ。ファイトだ清正義彦」

 肩を叩きながら慰められる。その慰めがなければ、きっと義彦は肩を落したまま、仕事に向っていたことだろう。


 それが特に、女子の細く綺麗な美しい手だったのだから、もう。


 隣にいる警官の毛深い手だったのなら、今回彼は今まで一番精彩のない動きを披露することになっただろう。


「はいよっと。じゃせいぜい派手に暴れるとしますか。高本、仮面」


「はいよ」

 車から一緒に持ち出したのだろう。手に持っていた、チープな造りの昨今祭り場でもそうそう見ないプラスチックのおもちゃの仮面を持ち上げた高本。


「悪いけど今回は子供達に配るように作ったものだ。顔がずれないように気をつけろ」

 その出来の悪い犬をモチーフにした仮面に、義彦は眉を寄せた。


「またこれかよ。いい加減新しいのにしてくれっての。警察がデザインしたヒーロー格好悪すぎるだろ。最近俺がなんて呼ばれているか知ってるのか? 犬ヒーローだぞ? 早いところ別のイメージを付けないと定着しちまう」


「それが上の狙いだと思うがね」


「次にデザインする時は是非とも私に。商品化の際もご一報を」


「……お前、そんな金にがめついキャラだった?」


「てへ?」

 ペロリと舌を出した少女に義彦は肩を持ち上げてから、高本から仮面を受け取った。


「入り口は? 正面から行かなくても良いんだろ?」


「勿論裏口から、取りあえずは人質優先。でもなるべくならフィニッシュシーンはカメラに映るガラスの前で、だとさ」

 子供用と言うこともあって、一般レベルで見れば小顔に部類される義彦でも、仮面から顔がはみ出る。

 額、頬、顎、その全てに感じる仮面の縁が加える圧力に、苛立ちながらも、義彦は了解。と気のない返事をして、高本が指した、裏口の方に出向いていった。


「私の護衛はいらなそうね」

 そう言う沙月の声は不服色だった。


「監視カメラで俺の雄姿でも見てな」


「なにそれ。不愉快」

 片手を振り上げて、バイバイと振りながら、義彦は裏口の扉を開けて中に入っていった。


「それではこちらの車両に。車内から監視カメラの映像が見えますから」


「ええ。そうさせて貰います」

 ニコリとよそ行きの笑顔を浮かべ、沙月は高本に案内されるまま、物々しい装備を満載した警察車両の中へと移動した。




 以前膠着状態が続くコンビニエンスストアの中、キープアウトテープが巻かれた外にその高校生、若林颯谷はいた。


 塾からの帰り道、偶然通りかかった彼は、元来そうした野次馬根性のようなものはあまり持ち合わせていないのだが、ちょっと嫌なことがあり、落ち込んでいたので何かの気分転換になれば、とキープアウトテープ直前の位置まで無理矢理人垣を掻き分け移動して、最前列でそれを見ていた。


 周りのざわめきによってハッキリとは聞こえなかったが、コンビニの中にいるナイフを片手に握りしめ、もう片腕で人質らしいコンビニの制服を着た女子高生の首を押さえながら、大声を上げている犯人に、ガラス越しに警官が説得を試みているようだ。


 しかし現状、犯人は説得に応じる気配はなかった。


 動きがないまま、もう十分近くが経っていた。

 気分転換にもならず、そろそろ帰りたいところなのだが周囲をギチギチに固められ、一歩も動くことが出来ない。厄介なことになってしまった。

 そう彼は己の迂闊さを心で嘆いているところだった。


 警官が入り口に近付こうとすると、ナイフを手にした男がそれを出鱈目に振り回して、近付くことを許さない、こうなると如何に警官達が無力であるか良く分かる。

 漫画やアニメならば人質を取るという行為はそのまま、犯人自身が捕まる伏線となっているが、現実に置いては意外と対処が難しいのかも知れない。


 立て籠もり事件が何日も続くと言う例も昔から結構な頻度であったしな。


 頭に手をやって嘆くことも出来ない。両脇、後ろ、斜め、前を除いた全ての方向から囲まれているせいで手を持ち上げることさえ出来そうにはなかった。


 早く誰かが何とかしろよ。


 人混みの五月蠅さと身体に張り付く人間の体温や汗の滑りに苛立ちが頂点に達し、他力本願な願いを思い浮かべたその矢先、それは表れた。

 ガラス越しでも、人のざわめきの中でも不思議と良く通るその声。


「そこの悪漢。婦女子を捕まえて何とする!」

 とても綺麗なのだが、整いすぎて嘘くさい。アニメ声優のような声だ。と颯谷は思った。


 犯人もナイフを強く握りながら、声の方を向き直る。


 コンビニの事務所らしき場所から、男が一人出てきた。実際には男と思しき誰か。であったが。


 彼は顔に仮面を付けていた。それも子供が縁日で買うような安っぽい仮面だ。身体の線は細くまだ若い。身体にフィットする黒いレザー調のシャツとズボン、その姿は颯谷も見たことがあった。


 ただし、それはテレビの中でだ。


 テレビ画面の中で、飛び、跳ね、殴り、蹴り、まるでアクション映画の様な動きを見せながら本物の事件を解決する。現実に存在するヒーロー。


 正義の味方が、そこにはいた。

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