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誤算と挫折

 校門で三奈穂と別れた後も、沙月は話をしようとはせず、家で話そうの一点張りだった。

 仕方なく買い物もせずに帰宅し、一度帰って着替えてくると言う沙月を待つ間。義彦は冷蔵庫を開けた。


 中には何も入っていない。食材もそうだが、いつも入っている牛乳も無くなっていた。


「クソ」

 口悪く舌を叩き、乱暴に冷蔵庫の扉を閉める。


 苛立っているのを自覚している。それが何故なのか、それは分からない。まだ話を聞いてもいないのに、それが嫌な話だと気が付いているせいだろうか。


 リビングに戻り、パソコンの電源を入れる。


 それが立ち上がるのを待ちながら、後ろを見る。リビングから真っ直ぐ見える廊下の奥、玄関にはまだ動きは無い。


 開く気配も、ついでに言えばチャイムが押される気配もない。

 後者の気配など無くて良いのだが。


 パソコンが立ち上がり、インターネットを繋いで取りあえずニュースを見る。まだ、例の強盗事件の犯人逮捕ニュースは伝えられていなかった。


「何してるんだか」

 ふがいない。隣県の警察と正義の味方に向ってパソコンデスクに肘を付けたまま息を吐いた所で、やっと玄関が開いた。


「遅かったな」

 振り向かずに言う。無言で入ってくるのは一人だけだ。


「タイミングを見計らっていたから」


「タイミング?」

 言葉の内容と、声そのものにも違和感を感じて、振り返ってみる。

 何か照れているようなそんな響きを感じさせる声だった。


「……何してるの?」


「冷静に返されるとキツイものがあるわね。似合わない?」

 短い髪を押さえながら、彼女は気まずそうに視線を逸らしながら言う。


 その表情も中々、そそられる部分があったが、それ以上にそそられるのはその格好だった。


 眩しいほど白い新品の半袖体操服と、その下に穿かれた紺色のブルマー。


 上着の裾を引っ張ってブルマを隠そうとしているが、それを見越して上着は少し小さめのサイズを買っていた為、完全に隠すことが出来ず、チラチラと動く度に覗く紺色が余計に世情的だった。


 ブルマの下からは鍛えられているが、適度に脂肪も乗って女性らしい柔らかさを有している太腿が惜しげもなく披露されていた。


 白のハイソックスを穿いている点も義彦のポイントを突いている。

 それは見間違うこともなく、義彦が沙月に誕生日の前借りとしてプレゼントした学校指定の体操服一式だった。


 偽裸エプロン事件の後、彼女に押し付けはしたものの、中々着てくれないので、ヤキモキしてはいたが、突然その格好で現れられてもリアクションのしようが無かった。


「お前が穿いて欲しいって言ったんじゃない。授業で穿くのは恥ずかしいから、これで」


「……出張イメクラみたいだな。家の中でブルマ」


「グッ」

 ボソリと言った言葉にたじろいて見せる沙月。自分でも薄々は思っていたのだろう。


「本来それは学校の校庭をバックに見るのが最も栄えるんだが、まあ、そっちから穿いてきたことに免じて……」


「満足した?」


「今日まで穿かなかったことは許してやろう。明日から体育はそれな」


「横暴よ!」


「例の短パンをくれるなら、譲歩してやっても良い」

 ここぞとばかりに言ってみると彼女は上着の裾を引っ張りどうにかブルマーを隠そうとしていた手を止めて、それ手を思い切り振って拒否に姿勢を示した。


「それあげたら結局これしか残らないから譲歩の意味がないじゃない!」


「それもそうだな」

 まだ働く頭は残っていたのだな。と残念がりながら、とにもかくにも嬉しい格好で現れた彼女を観察し続ける。


「視線が露骨過ぎ」

 消え入るような声。三奈穂の代名詞であり、沙月には大凡不可能だと思われていた声を出し、彼女は目元を赤らめていた。


「やべえ。正義の味方らしからぬことをしてしまいそうだ」


「……良いのよ? しても」

 上目遣いの少女。恥じらいと合わさって破壊力は倍、三倍以上だ。椅子から立ち上がり、彼女に近付いて、震える肩に手を乗せ、そのまま。


「勿論。責任を取ってくれるのならね」

 そう言った彼女の声で引き寄せようとしていた手が止まった。


 理性の方はまだ回復していない、行けよ。と頭の中で誰かが言っている。けれど、身体は彼女の声に危険を感じ、拒否反応を示していた。


 沙月を見る。


 先程までの恥じらいは何処へ行ったのか、完全に捕食者らしいギラついた瞳をしていた。チロリと赤い唇から舌が伸びて唇を舐めとる。その仕草は蛇のそれだった。

 丸飲まれる。


 そう直感した直後、義彦は沙月の腕が突如として速度を上げ、自分の身体に巻き付く一瞬前に、後ろに向って飛んでいた。


「チッ」


「怖いよ! 一々隙狙うんじゃねーよ」

 三奈穂から学んだのだろうか、恥じらいと上目遣い、消え入りそうな声。と言う新たな武器を手にした彼女はこれまで以上に強力になっている。一瞬のミスがそのまま命取りになるのを義彦は実感した。


「そんなことはともかく」


「俺の人生を墓場に持って行こうとしたことがそんなことかよ」


「失礼な奴ね」

 腕組みをしていつも通りの不遜な態度で、身長的には上目遣いと変わらない見上げる形であるというのに、見下されているような、そんな印象を与える視線で彼女は言う。


 もうブルマを隠そうともしていない。

 恥じらいすらも偽装だったようだ。


「で? 適度に場の空気が軽くなったところで聞いておこうか? 話ってのは何だ」


「ああ、それなんだけど……」

 腕を組んだまま、顔を逸らして言う沙月。


 バツ悪そうな態度に眉を寄せる。何か失敗したのだろうか。イジメっ子に企みがばれたのかも知れない。


 そう考えた義彦の予想は、しかし、まだ甘かった。


「どうやら。私達はミスを犯してしまったみたい」


「私、達?」

 彼女が、ではなく、達と付けると言うことはそれは、義彦もまたミスを犯したと言うこと。


 二人で三奈穂のことを話しているシーンでも見られたのか。


 とにかく先ずは全て話を聞こうと、それ以上口を挟むことはしないと決めて、義彦もその場で腕を組んで沙月を見た。


「呼び出されていった先に、あのイジメっ子以外に数人の女子生徒がいたの。数で来る気かと身構えたんだけど、そうじゃ無かった。彼女達は口を揃えて、三奈穂と付き合うのは止めた方が良い。って言ってきて、続いて根も葉もない出鱈目だろうに、彼女の悪態を吐き始めた。それこそ彼女が私に近付いているのはお前と仲良くなりたいから、出汁にされているだけだ。みたいなことを言っていた。どちらかというとそれはお前達のことだろう。と思ったけれどね」


「……」

 まだ口は挟まない。


 皮肉げに唇を持ち上げた沙月は一度目を伏せてから、続ける。


「取りあえず、お前達にそんなこと言われる謂われはないと突っぱねて見たのだが、今から考えるとそれも間違いだった。今度こそ怒るかと思ったんだけど、それでも彼女達は、怒りを感じてはいたようだが直接何か言うでもなく、引き攣った笑みで私を見送ったわ。その後、行った振りをして隠れて彼女達の会話を聞いてみたんだけど、やはり彼女達もまた、お前に近付きたくて私を出汁にするつもりだったみたいなの。つまり」

 言いながら沙月は組んでいた腕を外し、細くしなやかな人差し指をピンと伸ばして、それを義彦に向けた。


「これからも彼女達は私にイジメを向けることはなく、寧ろそこまで取り入ったとして、三奈穂のことを苛めるはずよ。今までよりももしかしたら非道いものになるかも知れない」

「……」

 言葉は出なかった。


 沙月もそれ以上何も言わず、部屋の中に、冷たい静寂があふれ出す。

 それを変えたのは、感情のこもっていない、携帯電話の電子音だった。


 画面を見ずに携帯電話を耳に当てる。


「はい」


『ああ、僕だ。颯谷』


「颯谷? どうしたんだ?」

 思いも掛けない人物からの電話に義彦は微かに我を取り戻した。


 三奈穂のことを頼んで以来、それを頼んだのがばれると拙いという理由で、義彦達にも三奈穂にも近付かないように、言っておいたはずだ。電話番号は教えたが、緊急以外は掛けないようにも言った。


 それが掛かってくる。


 このタイミングで、ザワザワと気味の悪い感覚が、背中に迫っていた。


『何かあったのか?』


「……どういうことだ?」


『……僕の携帯にメールが入った。見たこと無いアドレスだったけれど、多分クラスの誰かだ。男子に一斉送信したみたいなんだけど、内容が』

 そこで彼は一度口を閉じて、言い辛そうに口籠もった。


「何だったんだ?」


『吉川三奈穂は、清正義彦に取り入る為に、雨美沙月と仲良くなった振りをしている最低女。彼女はいつもそうして顔のいい男と見ると、その周りから仲良くして男に取り入ろうとする。もう何度も男を取っ替え引っ替えしていて……まだ続いてるけれど正直、口にしたくない』

 忌々しげに言う颯谷の言葉を聞きながら、義彦は携帯電話を強く握りしめた。


『ここで君たちを責めるのはお門違いなのは分かってる。自分では何も出来ないのに、責めることだけは一人前にするなんてやるつもりはない。だからこれはただの報告と思ってくれ』


「何とかする。絶対だ。何とかしてみせる」

 受話器の向こうにと言うよりは、自分に言い聞かせるように言う。


『信じるよ』

 そう言った言葉は、とても信じているようには聞こえなかった。

 電話を切ってそれを握ったまま義彦は壁を殴りつけた。


「俺の読みが甘かったって言うのか」


「人の心を簡単に読める気になった私達が間違っていたってことね」

 私もお前の策で大丈夫だと思っていたもの。そう続ける沙月の言葉も耳に入らない。


 やっと耳に入った言葉は、いたわるような沙月の言葉ではなく、愉快に歪められた、耳障りな男の声だった。


「どうやら、俺の方が正しかったみたいだな?」

 今この場において、最もいて欲しくない人物の声。義彦は壁から手を離し、廊下の奥、玄関にいつの間にか立っていた男を見た。


「高本。勝手に入って来んな」


「いやいや。チャイムなんか鳴らしてたら、面白いものが見えない気がしてな」

 鼻で笑いながら小馬鹿にするように義彦を見る男に、沙月は身体を隠すようにして、奥へと移動した。


 体操服姿を見せたくなかったのだろう。この家にも彼女の着替えは幾つかあった。その間ここに来させる訳にはいかないと、義彦は廊下を進み高本と向かい合った。


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。


「こんな事になるんじゃないかと思ったけどな」


「うるせえ」

 吐き捨てるように言う義彦の前に、高本は懐から一枚折りたたまれた書類を差し出した。


「何だよ。また仮面のデザインか?」


「いや。こんな時で悪いが、仕事の話さ。じゃなかったらわざわざお前をイジメにこんな所までこねえよ、俺はそこまで暇じゃない」


「いつも暇そうにしてる癖に良く言うぜ」

 力なく軽口を叩きながら受け取った紙を広げる。中年男の顔写真が載っており、その下に名前やこれまでの経歴が簡単に書かれていた。

 その顔に、見覚えがあった。


「コイツ」


「そう、いま噂の隣で起きた強盗事件の犯人。どうも取り逃がしてこっちに流れてきたらしくてな。お前の出番って訳だ」


「結局逃がしたのかよ。何やってんだか」


「そう言うな。向こうも別の事件が起きたらしくてな。正義の味方はそっちに行って、その混乱で警察の包囲網が機能しなかったらしい。検問を突破しこの県に入ったのは確実のようだぜ」


「俺に捕まえろって訳か」


「捜すのは俺たち、捕まえるのがお前だ。直ぐに出るぞ。準備してこい」


「……ああ」

 覇気無く頷いたところに、高本は再び鼻を鳴らした。


「ついでに顔も洗って来いよ。つまらない顔してるぜ。挫折した学園のヒーロー」


「黙れ」

 吐き捨て、手にしていた手配書を握りつぶしてから義彦は廊下を戻っていった。


 言われた通りにするのも癪だったが、とにもかくにも気持ちを切り替えなくては、と義彦は洗面台に移動して冷水を頭から被った。


 顔を濡らし、髪を伝い、上着にまで水が染みこんでいく。その感覚を覚えながらやがてコックを戻して顔を持ち上げた。

 水に濡れた顔が鏡に映り込む。それは確かに、とてもつまらない顔をしていた。


「らしくないぜ。ヒーロー」

 皮肉混じりに自分に言って聞かせながら、畳まれているタオルを一つ手に取った。


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