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凛とした声に誰もが動きを止め、声の主を見る。
十人いたら十人が見とれるような美しさの女性。金色の髪に赤いリボンが印象的だ。
絶世の美少女と美女との中間。幼さを僅かに残しつつも美しく、可愛らしい。
その女性がボクを庇うようにして男の前に立ちはだかった。
「な、なんでぃ、姉ちゃん」
男は若干腰の引けた声でそう訊ねる。対して女性はその男を正面から睨みつけた。
「私の名はティルニア・クロム・クレイハルト。
あなたはそこの少女の謝罪を聞き入れず、あまつさえ少年に手をあげた。
これ以上不当な暴力を振るうつもりなら私の騎士が相手になります」
いつの間にか女性の隣に壮年の男が立っていた。鎧などはなく身軽そうな格好だが、腰には上物と思われる剣が差してある。
「私はティルニア王女が騎士、グロウス・ロールラーク。
あなた方は冒険者組合のギィレム・トムシード氏及びライアック氏ですね。
一昨日に問題行為で二週間の活動停止を言い渡されたはずですが、幼い子どもたちに八つ当たりするのは少々見苦しいかと」
壮年の男は重心を落とし、腰に差してある剣に手を当てる。いつでも剣を抜くことが出来る体勢だ。
ここは王都クレイハルト。クレイハルトの名前でまさかとは思ったが、王女様だったとは。
ここで無表情で一言も喋ってない、黒ずくめの巨大な男が初めて言葉を放った。
「いくぞ」
「……チッ。
今回だけは見逃してやらぁ」
二人組の男が去っていく。あまりの安堵感に思わず嗚咽が漏れた。
「うぐっ、うっ、うあぁぁぁぁ……」
「もう大丈夫ですよ、あなたを傷つける者はいません」
ティルニア王女はしゃがんでボクを優しく抱きしめる。ボクは王女の胸に顔をうずめて泣いた。
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少しの間泣いて、気持ちが落ち着いてくるとボクはティルニア王女の胸から顔を離した。
見知らぬ通行人から視線を感じる。今更ながらに商店街のど真ん中で大泣きしてしまった、と認識すると途端に顔が熱くなった。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「落ち着きましたか?」
コクン、と小さく頷く。それを見てティルニア王女は微笑んだ。
「あ、あの!
王女様、助けていただだき、あありがとうございました!」
エルマーが頭を下げた。王女を前に緊張しているのだろう。噛んだセリフが微笑ましい。
ボクはさっき胸を借りて泣いたからか、一国の王女を前に緊張は一切していない。というより人前で泣いてしまって恥ずかしい気持ちしか今は残ってない。
「いいえ、私こそあの男に手をあげられる前に助けることが出来ず、申し訳ありませんでした。
怪我はありませんか?」
「だだ大丈夫です!
こんなものへっちゃらですよ!」
エルマーがぴょんぴょんと飛び跳ねる。本当に大丈夫そうだ、良かった。
壮年の騎士――グロウスと名乗った騎士がティルニア王女の前に出る。
「ティルニア王女、これだけ人目を集めてしまってはお忍びの時間は終わりです。
王城にお戻りください」
「頭が硬いですね、グロウス。
せっかくの出会いです。
あなたたち、来てください。
近くの店でお茶でもしましょう」
ティルニア王女は有無を言わさずボクの手を取って歩き出した。
いきなりのことにつんのめりそうになりながらも手を引かれるがままついていく。流石にこの手を振り払うことなんて出来ない。
「王女っ!」
はぁ、とグロウスは諦めの入った溜め息をつきボクたちの後に続く。エルマーもティルニア王女とグロウスの様子を窺いながらついてきた。
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ティルニア王女に連れられて入った先は高級感の漂う喫茶店のような飲食店。
この世界では建築技術はそう発展していないのか、どこか見栄えが悪かったりする建物が多い。が、この店は別格だ。日本での生活を含めてボクはこんな洒落た店には入ったことがない。日本では田舎に住んでたってこともあるけど。
王女は慣れた足取りで席に座る。広々としたボックス席だ。おっかなびっくりボクたちも続く。
グロウスという騎士はボックス席の横で立ったままだった。何も考えず座ってしまったが王女と同じ席に座るのは礼儀としてまずかったりするのだろうか? 今からでも立ち上がった方がいいのか……?
グロウスは終始無表情。だ、大丈夫だよ……ね?
そんなボクの不安を気にもしないでティルニア王女がやってきた店員に何かを三つ注文した。グロウスを除いたボク達の人数分。
何を注文したのかは分からなかった。聞いたことのない単語でどういうものなのか分からない。
「ああ、支払いは私がするから遠慮しなくてもいいですよ。
まずは自己紹介をしましょうか。
私はルメウス陛下が娘、ティルニア・クロム・クレイハルト。
こちらは我が騎士グロウス・ロールラーク」
ティルニア王女の紹介を受けて、騎士グロウスは立ったまま無言で頭を下げた。
「お、俺はエルマーといいます!」
「フィリア、です」
「そう、いい名前ですね」
エルマーに続いてボクたちが自己紹介をする。それを受けてティルニア王女がふんわりと笑った。
名前が一つだけ、というのはそれだけで家柄のない平民の生まれだと分かるものだ。孤児院の子どもたちは全員が名前が一つだけだった。
高位の貴族や王族ともなれば三つの名前があり、高い家柄ということが分かる。
恐らくだが貴族の中には名前が一つだけ、というだけで見下すような人もいるのではないだろうか。ティルニア王女はそんな人ではないみたいだけど。
「………………」
沈黙が場を支配する。その沈黙に耐えきれなくなったのかエルマーが口を開いた。
「あの、さっきは助けていただいてありがとうございました」
「いいえ、気にしないで下さい」
「は、はい……」
「…………」
き、気まずい。
そもそも何を話せばいいのか。お礼の話が済んでしまった以上、話題は何もない。
もう帰ってもいいかなぁ……。ティルニア王女はボクたち(というかボク?)を見てぼんやりしてるし。
そんな空気を破るように店員が注文されたものを持ってきた。
こ、これは――ショートケーキ!
店員が持ってきたものはどうみてもショートケーキだった。唯一違う点はイチゴの代わりにサクランボのような果実が乗ってあること。
「さ、どうぞ。召し上がれ」
ティルニア王女はケーキを食べ始める。エルマーは初めて見るものなのか、少しうろたえていた。
意を決し、フォークを取る。柔らかいスポンジをフォークで切り取り、口の中に入れる。
美味しい!
ふんわりと口の中でとろけるような甘さ。サクランボのような果実はラズベリーのような味で甘酸っぱくショートケーキとマッチしている。こんなに美味しいケーキを食べるのは初めてだ。
ボクは元からケーキは嫌いではなかったけど、甘すぎるのは苦手だった。このケーキはとても甘いがしつこくなく、どんどん食べられる。もしかしたら味覚が変わったのかもしれない。エルマーも気に入ったのか、パクパクと食べていた。
あっという間に食べ終えてしまった。名残惜しく、皿の底のクリームをフォークで掬って舐める。
「良かったら私の分を差し上げましょうか?」
ティルニア王女が微笑みながら皿を差し出してきた。ケーキは半分ほど残っている。
王女のケーキ。それをボクが食べてしまってもいいのか……?
「いいの、ですか?」
「ええ、構いません」
断るのも逆に失礼だろう。ここはありがたく頂くのが礼儀……多分。
ボクは皿を受け取り、ケーキを食べる。
うん、やっぱりすごく美味しい。
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美味しかった。まさか異世界で日本より美味しいケーキを食べられるとは。満足満足。
一息ついたところでティルニア王女が話しかけてきた。
「気に入ってもらえたようで何よりです。
ところであなたたちの保護者は?」
少し気まずそうにエルマーが答えた。
「その……実は俺たち、孤児なんですよ。
今も孤児院に住んでいます」
「あ……それは失礼なことを聞きました……」
バツの悪そうな顔で謝るティルニア王女。慌ててエルマーが大丈夫ですよとフォローに入った。
突然ティルニア王女がハッとしたようにボクの顔を見る。
え、なに、ボクの顔に何かついて……あ、クリームついてた。少し赤面しているのを感じつつ拭き取る。
「ねぇ、フィリア。
私が里親としてあなたを引き取る、っていうのはどうでしょう?」