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妙な夢を見た、気がした
ねえ、キミ。
キミだよ、ほら、キミ。
突然だけど異世界トリップ、とか聞いたことないかな。
ファンタジー作品に詳しい人なら分かると思うけど、主人公が地球とは別の世界に飛ばされてしまう、そんな創作物のことだよ。
ボクはそういう作品が好きでいろんなものを見てきたんだ。
もし自分が異世界トリップとかしちゃったりなんかしたら。
ね、キミも男ならそんな妄想、一度はしたことあるよね。
え? ない?
それは異世界トリップものが嫌いか、もしくはそういったジャンルの作品をあまり知らないんじゃないかなあ。
まあとにかく。
もしボクが異世界トリップしたら。
幼女になってしまう、とか。
そんな想像したことなかったんだけどなぁ。
ボクは水面に映る少女に向かってため息をついた。
水面に映る少女もボクと寸分違わぬタイミングでため息をついていた。
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朝起きたら異世界トリップしてました。
……なんてベタベタな展開だろう。
でも仕方ないじゃないか。普通に寝て普通に起きたら実際に異世界にトリップしていたんだから。
ただトリップするだけではなく、幼い女の子になって。
水面に反射する像を見るだけでは姿形はよく分からなかったが、ボクは確かに幼女になっていた。
寝る前に着ていたぶかぶかのパジャマを着た少し小汚い感じの少女。くすんだ髪が長く、腰まである。物理的に頭が重いとか初めての経験だ。
笑いたければ笑うがいい、ボクも笑う他にどうしていいか分からない。
ボクが今いるここは多分町のすぐ外。町の入口もすぐそこにあり、時々剣や杖を装備した人、馬車、ケモミミ等々ファンタジーな面々が出入りしている。
ボクはパジャマの上半分だけを着ていた。大きすぎて上半分しか着れなかっのだ。
パジャマの下半分と下着はずり落ちて着ることが出来なかった。上半分のパジャマだって普通腰に当たる部分が今では地面に着きそうなほどぶかぶかだが、それでも着ないよりはマシだろう。
ボクは入口のすぐそばにある茂みに身を隠していた。
さっき町を出て行ったグループの会話を聞き取ろうとしてみたけど、少なくとも日本語ではなかった。小さな子供になってしまった上、言葉も分からず人前に出る勇気が出ないのだ。
ここが本当に異世界だとしたらボクの知っている言語ではないだろう。
言葉も通じない異世界にか弱い子供の身一つで放り出される。
……絶望的すぎて泣けてきた。
「うっ……うっ……」
比喩ではなく本当に涙が出てきて自分のことながら少し驚く。
この身体が泣き虫なのか、思っている以上に参ってるのか。
「うぅっ……ひくっ……えぐっ……」
やばい。
泣いてしまったことで感情が溢れだしてきた。
ボクの泣き声が少し前とは似ても似つかぬ子供のそれになっていることが悲しみに拍車をかける。負のスパイラルが止まらない。
……そもそも何で泣くのを我慢しているのだろう?
泣きたい時には泣けばいいじゃないか。
もういい、今だけは思いっきり泣かせてもらおう。
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たっぷり1時間は泣いただろうか、さすがに泣き疲れて嗚咽が収まってきた。
町の入口のすぐそばで大声で泣いたからか、泣き始めてすぐに男の人がやってきた。
茶色い髪をして蒼色の瞳をしている整った顔立ちの青年。この世界の人々はこの人みたくイケメン揃いなのだろうか。
最初は何か言っていたが、ボクが一切反応せずに泣き続けていると会話は諦めてボクが泣き終わるまで待っていてくれた。異世界の言語が分からないから反応しなかっただけだけど。
「―――――――」
ボクが泣き終わるのを見計らって何か話しかけてくる。
心配してくれているのだろうか。
「えっと、誰、ですか」
「――――――――」
「言葉が分からないです」
「――――――――――――」
男の人が困った表情をして話しかけてくるけどやっぱり分からない。
……あ、やば、言葉が分からないことを再確認してまた少し涙が出てきた。
「――――――――――っ!」
それを見て男の人が慌てたように何か言う。
泣き終わるまで律儀に待ってくれた人だ、悪い人ではないだろう。困らせるのは悪いと思い、目元をごしごしとこすった。
「――――」
男の人が何かを言って手を差し出してきた。
よく分からないまま、ボクはその手をとる。
『聞こえるか? 分かるか?』
ボクの頭の中でそんな声が聞こえた。
この男の人の言葉だ!
この世界で初めてコミュニケーションを取れたことが嬉しくなる。
「言葉、分かります!」
『あー……わりぃな、俺からは嬢ちゃんが何言ってるかは分からねぇんだ。
とりあえず、話が分かるなら首を縦に振ってくれや』
「……嬢ちゃんじゃないです」
そう言いながら首を縦に振る。
コミュニケーションが取れたことは素直に喜ぶべきことだが、ボクは男だ。男のはずだ、きっと、たぶん、おそらく。ボクが嬢ちゃんであることを肯定するわけにはいかない。
『そりゃ良かった。
で、嬢ちゃんは帰るところはあるのか?』
「嬢ちゃんじゃないですってば」
ボクは首を振った。
帰るところ……このファンタジー風な世界には当然ない。
……ちょっと悲しくなってきた。いかんいかん、涙をまた流さないようにもう一度首を強く振った。
『あー……そうか、なら……
仕方ねぇ、ホラ、ついてこい』
ボクの手が軽く引っ張られる。
元より頼る人なんていない、ボクは逆らわずに男の人についていくことにした。
……
…………
………………
この人、ロリコンじゃないよね?
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手を引かれて歩いている途中で男の人に自己紹介をされた。
この人はウィルク・アルツァイト。
門番をやっていてボクの泣き声を聞いて来たらしい。
見た目からはボクと同じ19歳くらいかと思ったが、26歳だと言われた。
ちょっとびっくり。ボク? 19歳だよ。 こんな姿でもれっきとした男子大学生だし。今はちょっと異世界に来てみて、性転換してみて、若返ってるだけだし。
……さすがに無理があるよね、はぁ。
ボクとウィルクは手を繋いで町に向かって歩く。手を繋いでいるのは、体のどこかが触れ合っていないとウィルクがボクの頭に直接響くあの声を使えないからだそうだ。
ウィルクの方が歩くのが早くて歩き始めてすぐ転びそうになった。
何てことはない、着ているものが上のパジャマだけだから歩きにくいだけだ。
そう思いこんでるけど……
ぐすん、歩幅が違うことを突きつけないでよ。
と非難がましくウィルクを見ると何を勘違いしたのか、
『すまん、ガキの相手は慣れてなくてな。
こっからはおんぶしてやる』
と言ってボクをおんぶした。強制的に。
精一杯暴れても簡単に拘束されてしまった。器用にも右手でお尻を、左手でボクの両手を拘束するようにして。
泣き疲れて忘れてたけど、下のパジャマと下着はさっきの場所に置いてきてしまった。
つまり、おんぶするこの男の手とボクのお尻はパジャマ一枚挟んでいるだけであり。
「へんたいだあああああ!」
『うるせー、舌噛むぞ』
精一杯抵抗しても拘束から抜け出すことは出来なかった。
うう、屈辱だ。
あまりの反応の無さに諦めて抵抗をやめる。
もう煮るなり焼くなり好きにしろだ。
ボクはウィルクの背中に身を任せ、力を抜いた。