96.【番外】それは、一人勝ちだったのです。
で、本能の赴くままに『エリ』さんを誘拐したトキを、マンションで説教しているわけだが、これがまぁ、見事なぐらいに堪えてない。馬耳東風、馬の耳に念仏ってやつだな。
「ほんっとスマンね、エリさん。ここまで執着するとは思わなかったんだ」
トキに抱え込まれて、ただでさえ小さい身体を余計に小さくさせている『エリ』さんを見ると、なんだか居たたまれない。
「ハヤト、あの店辞めさせろ」
「あ゛ぁ?」
思わず地声が出て、『エリ』さんがビクッとなったのが見えた。危ない危ない。このままイイお兄さんポジでいたいからな。ちょっと注意しないと。
「あの、私、あのバイトを辞めるつもりはないのですが……」
と思っていたら、そのまま疑問を口に出せるあたり、やっぱり肝が太いんだろう。うん、ますますトキの隣に欲しい人材だな。
「―――あんなところで働くことなんてない」
「何を言っているのですか!」
お、トキを怒鳴りつけるか。すごいな。まぁ、顔はちょっと幼い感じはするけど、二十歳は過ぎてそうだしな、そこはまだ、年齢のアドバンテージがあるんだろうな。
あんなカフェでも愛着があるようで、ああいった場の心得を滔々と説く『エリ』さんを見ながら、残念ながら俺には理解できない世界だな、とちょっぴり遠い目になる。
「アンタ、あんなカッコで、あんな口調で恥ずかしくないのか?」
あ、ダメだ。トキ。それは言っちゃダメなセリフだ。やっぱり迂闊にそういう点を突いちまうあたり、まだまだ交渉役は任せらんないよな。
あーほら、怒られてやんの。バッカでぇ。
「そこらへんでストップ。エリさんもそこで止めてやって」
さすがにこれ以上拗らせるのはまずい。俺は傍観体制を解くことにした。
「とりあえず今日のことについては、武蔵塚んトコにも、エリさんにも迷惑料を払うよ」
「それは……っ」
「分かってる。二度とこんなことがないよう、トキにもしっかり言いつけるさ。――今日は、このぐらいで勘弁してやって?」
俺の言葉に、ようやく落ち着いてくれた『エリ』さんは、ようやくトキの様子に気づいたみたいだ。やっべ、まんま尻尾垂らした犬にしか見えねぇ。これ、ウケるんだけど!
「えと、私もちょっと言い過ぎました……?」
しょげた犬の頭を撫でた彼女が、あっさり手のひらを返した狼に抱きしめられるのを見て、どうやらこれで一段落したようだと息をつく。後で武蔵塚のトコに謝りに行かないとな。めんどくせー。
まぁ、その後、『エリ』さんがケモミミな『エリムー』だったとか、ちょっと衝撃的な話もあったが、後は『エリ』さんを家に帰らせて、ついでに今度こそ住所から何から洗っておかないと。
「とりあえず、私はもう帰宅しても良いですか?」
「もちろん。悪かったね。――トキ、明日があんだろ」
いつまでも彼女を抱え込んで離そうとしないトキに低い声を投げつければ、渋々彼女を解放した。まったく、ライナスの毛布かよ。気に入られた『エリ』さんには悪いけど―――
「ありがとうございます。相容れないところはあるでしょうけど、佐多くんも、あのお店について少しでも理解してもらえると嬉しいで……すっ?」
俺が目配せする必要もなく、トキも気づいたみたいだ。まぁ、気づかない間抜けっぷりを晒すなら、後で特訓だったけどな。
俺もトキも、自分の素性をバラすような間抜けじゃねぇ。それなのに、この女は今、トキの苗字を口にしやがった。残念ながら、色々な機密情報を扱う職であるがゆえに、ハニートラップなんてものも珍しくない。まさか、この女がそうだとは思わなかったが……。
「アンタ、今なんつった?」
「え?」
トキに詰問されてきょとん、とした様子の彼女は、困ったような表情を浮かべてこちらを見る。
「エリさん、悪いけど、キミをこのまま帰すわけにいかなくなったよ」
「あの、どういう意味なのでしょうか?」
困惑した表情を見せる『エリ』は、どこまでも自然な口調にしか見えない。まだ自分のやらかしたことに気づいていないのか、それともすっとぼけがプロ級か。
―――結局、本当に偶然、トキのクラスメイトだったってだけで、俺らの早とちりだったわけだが、トキに筆記用具を貸したクラスメイトだと知って「同い年かよ!」と心の中でツッコんだことだけは秘密にしておく。いや、常識的に考えて、トキと普通にやり取りできる女が高校生にいるとは思わなかったんだ。本人にバレると怖いから、決して口にしないようにしよう。
どちらにしても、トキのクラスメイトの情報なんて新人研修代わりに部下に住所・家族構成なんかの基本情報だけは洗わせておいたから、すぐにミオちゃんの情報は手にできた。
結局、この一件があって、俺は無事に彼女の素性を洗うことができたし、トキもミオちゃんをマンションに囲い込むことができたし、ミオちゃんの金銭事情も解消できたし、Win-Winの結果になったと思う。……まぁ、囲うついでに、と婚姻届を用意した先で、あの人と会うことになるとは思わなかったけど。アレだけは予想外だった。あの点だけは、情報収集の甘い新人を怒鳴り倒したくなったね。まさか母親の再婚相手がドゥーム氏とか、何の冗談だよ。
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
ミオちゃんとトキが同居するようになってから、目に見えてトキが精神的に強くなった。面白い。オンナ一人でこれだけ男は変わるのか、と揶揄する周囲を軽く鼻であしらうほどだ。
もちろん、ここに至るまでに、眠姦未遂やらなにやら山はあったが、それでも完全にトキを見捨てるようなことをしないミオちゃんに、五体投地で感謝しても足りないレベルだと思う。
この頃には、ミオちゃんのことは、その強さに至る過程や、抱えている爆弾についてもすっかり調べきっていた。手伝わせた同僚に「ストーカーって怖いな」「あぁ」なんて遠い目をして語り合ったもんだ。
そんな諸々を含めて佐多隊長に報告を上げたから、まぁ、あの人が興味を持たないわけがなかった。有能だが、どこかスレてしまった息子を思ってのことなのか、それとも純粋に面白いと思ったからなのか、そこは俺には分からない。ただ、とんでもない指令が下りた。
いや、ほらさ、獅子は子供を千尋の谷に落とすとか言うよ? でも、現代にそんなことしようもんなら、嫌われるの確実だと思う。まぁ、とっくに嫌われてるからどうでもいいのかもしれないけどさ。
「隊長、本気でやるんですか」
「もちろん本気だよ? その須屋ミオさんという子を、ちゃんと見定めておかないといけないだろう?」
あぁ、うち、一般的な家庭に生まれてよかったわ。ちょっとだけ神様とやらに感謝したくなった。
隊長の提案したプランは、簡単に言うと、新人隊員にトキを(ミオちゃんの悪口を言って)煽らせて、それをミオちゃんに収めてもらおうってヤツだ。
新人には肝試しのように、トキが激昂する内容の煽り文句を教えておく。周囲の迷惑にならないよう、訓練を装い、大幅改装予定のビルの1フロアを使う。ついでにその様子を隊長がチェックできるようにカメラ・マイクはしっかり仕込んでおく。こんなことをやってると、俺って何屋なんだろう、とか考えるが、まぁ、これも仕事だ。仕事。トキとミオちゃんには悪いが、頑張ってもらうしかない。
それにしても、隊長の考えることはあまりに人非人過ぎて、いや、合理的過ぎて、そんなことを思いつく頭がどうなってるのか意味不明過ぎる。
この1件で、新人の近接対人戦闘能力を測り、トキのミオちゃんに対する暴言への煽り耐性を見て、鉄錆臭い現場に到着したミオちゃんの反応を確認して、さらに直々に隊長が会話することでミオちゃんの人となりを調べるとか。一石二鳥どころの話じゃない。
(……だからって、俺の仕事多すぎるよな)
特別手当が欲しい。切実に思う。
「トキさんの同棲相手って、誰にでも股を開くアバズレ女の娘なんでしょう? やっぱり、母親からそういうの引き継いでるんスよね?」
「そうそう、母親譲りの淫乱さを武器に、トキさんに取り入ったんだったら、オレらにだってイイ思いさせてくれますよね。今度会わせてくださいよ」
誰だ。ここまで言えって言ったのは。
俺の脳裏には、こういうバカ騒ぎが大好きなオッサンの顔がいくつも浮かぶ。ただでさえ戦略事業部は個性派揃いなのに、どうして揃いも揃って悪ノリが大好きなんだ。現場にいる俺の身にもなって欲しい。
「……おぅ、テメェら、そこ並べ」
いつになく低い声を出したトキから、俺は十分過ぎるほどに距離をとった。とりあえず、今のうちに武蔵塚に電話しとこう。ついでにカズイに頼んでアシになってもらわないとな。電話してる間ぐらいは、こいつらでも時間稼ぎはできんだろ。到着するまでは立ってらんねぇだろうけど。
今回のお祭り騒ぎに参加した新人は15名。その中には、年下だってだけでトキのことを気に入らないオーラを出してるヤツもいるから、こればかりは自業自得と諦めてもらいたい。うまく怒らせたトキを沈められたら、その時に立っていられたヤツ全員にボーナスとか言い放った隊長も、そんなことできるヤツはこの中にいないって分かってるんだろうに。
たぶん、オッサンらにボコられてるトキを見てるから、数があればできるとか思ってんだろうな。隊長直属のオッサンとか、マジで強いからな。新人の相手なんかさせたら、それこそ新人がゼロになるぐらいにな。
重いため息をつきながら電話を終えると、―――俺は慌ててトキを羽交い絞めにした。
「やめろ! お前だって、ヤバいラインぐらい分かってんだろ!」
「あぁ? こんぐらいの覚悟ぐらいしてんだろ?」
なんとも言えないイイ笑顔で新人Aの手を踏みつけているトキは、久々に怖かった。
「そんな間抜け野郎でも、一応ウチの新人だっつーの! 育ててる最中だってのに、壊してどうするよ!」
「いい教訓になんだろ。他人のモンにケチつけるって行為が、どんだけ危険かってことを、一辺、身体に叩き込まねぇとなぁ!」
ちょ、待て! 蹴りを出すな! 内臓破裂とかになったら、本気でシャレんなんないんだぞ!
「いい加減に落ち着けってんだろ!」
「うっせぇ、離せ」
くっそ、新人ももう少し時間もたせろよ! ミオちゃん早めに呼んだのに、全然間に合わねー! 近接格闘の特訓追加だな、これ!
「再起不能になるまで痛めつけてイイよな? それ覚悟で暴言吐いたんだろ?」
「だーかーらー、落ち着けって!」
勘弁してくれー! 俺一人でトキを押さえようとしたら、絶対無傷じゃすまねーよ! そんなことになったら、誰があの山のような面倒な仕事振るんだよ! 俺もだけどトキも病院送りになったら、書類仕事がマジで詰むぞ!
「……あぁ、それじゃ足らねぇな。殺すか」
「トキっ!」
殺人沙汰になったら、もみ消すのにどんだけ手間がかかると思ってんだ! ここは法治国家だぞ!
さすがに本気で殺すとは思えないが、今のトキが上手に加減できるとも思えない。これは本気でトキを沈めるしかないか、と最悪の選択肢を視野に入れたところで、小さくカチャリと音がして扉が開いた。
(救世主―――!)
視界の端に映ったのは、バイト通勤仕様ではなく、素のままのミオちゃんだった。頼むから、この地獄絵図を見ても逃げないでくれ、と願いながらも、必死でトキを押さえこむ。
「さ、佐多くん!」
震える声は、予想以上にフロアに響き、トキの動きが止まった。まるで壊れて軋んだおもちゃのように、ゆっくりとした動作で顔を動かすと、入り口に立つミオちゃんを見つけた。
そうかと思えば、視線をあちこちに向けてパニクりだした。あー、なるほどな。こういうところは見せたくなかったってわけだ。トキはトキなりに、ミオちゃんに暴力沙汰を見せないように頑張ってたんだな。すまん。恨むなら隊長を恨んでくれ。
「佐多くん。こっちまで来てもらえませんか?」
入口近くでドアに取り縋るように立っているミオちゃんの声が聞こえてるんだろうに、トキは動こうとしない。いいから行けよ。ミオちゃんに、この呻いて転がる野郎どもが広がるフロアを歩かせるのか?
荒事とは無縁の生活をしている女の子が、そんなことできるわけないだろ、とトキの背中を物理的に押そうとしたら、何と、ミオちゃんは新人どもを踏まないように注意しながら、ゆっくりとフロアに踏み入ってきた。予想以上の肝の太さに、他でもない俺がびっくりした。
時々、小さな悲鳴を上げながらやってくる彼女を見ると、これからの計画に思わず謝り倒したくなる。あとで美味しいスイーツでも差し入れとこう。
「えと、佐多くん?」
たった十歩程度の距離を、息を弾ませて到着したミオちゃんを、トキは眉根にしわを寄せて見下ろしていた。あ、これ、不機嫌じゃなくて、照れてる。付き合いの長い俺にはわかる。
「ケガは、ありませんか?」
「……ねぇよ」
「えぇと、それなら、早く帰って着替えましょう。血の染みって落ちにくいので、できれば乾く前に洗濯を」
ミオちゃん、ここまで来てこの死屍累々な状況に何も思うことはないんだろうか? それとも意図的に避けてるとか? 後者だとしたら、とんでもなく優しい子だな。トキにはもったいないぐらいに。
「アンタ、怖くねぇのかよ」
「怖いですよ。怖いに決まってます。ですから、早くここから帰りたいのですよ!」
「違う、オレのことが」
「何を言っているのですか? 佐多くんが私をぶん殴る理由でもあるのですか? それとも、イラついている時は誰彼構わず殴る人だったのですか?」
おぉ、ミオちゃんが真理をついている。ホントにトキにはもったいないな。顔はかわいいし、胸もおっきいし、周囲や状況に流されずにちゃんと人のことを見てる。もったいないと思うけど、トキとくっつくことで、俺の仕事が楽になるなら、そのまま囲い込まれて欲しい。
「いや、それは―――」
「でしょう? 一緒にいるのですから、そのくらい分かります。佐多くんはこういうの慣れているかもしれませんが、私は怖くて膝に力を入れて立っているので精一杯なのですよ。だから、早く帰りましょう?」
恋人というよりは、残念ながら暴力沙汰をやらかした息子と迎えに来たお母さんみたいな構図になっているけど、どうやらトキも落ち着いたみたいだ。俺はそっと二人から離れることにした。
「俺、車回してくるな。十分ぐらいしたら降りて来いよ」
その十分で、隊長がミオちゃんのこと見に来るから。
「あ、はい。……倒れている方々はどうするのでしょう?」
「そっちは大丈夫。気にしなくていいから」
後で別のヤツらが回収する手はずになってるし。隊長と一緒に一部始終を見ているオッサン達が、だらしない新人に活を入れてから……ってことになってたけど、病院かウチの救護室送りだな。ま、これも経験だろ。
俺はほんの少しばかりの罪悪感を抱え、声には出さずにミオちゃんにエールを送りながらフロアを背にした。
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
「あ、そろそろトキの誕生日だな」
俺は犬飼に声をかける。
「このままだと、ハヤトさんの一人勝ちですね。……トキさんに期待していたんですけど」
「トキよりもミオちゃんを見るべきだったかな」
勝ち誇った俺は、犬飼の肩を軽く叩いた。
トキが新人相手にうっかり殺人未遂をやらかした一件の直後、ウチの部で一つの賭けが始まった。元々、ギャンブルが好きな連中が集まっているからか、隊員のプライベートなんかを肴にして、一口千円程度の賭けが横行している。
「遅くとも、法定年齢までにもぎ取って来ると思ってたんだけどなぁ」
脇で聞いていた添田が口を挟む。確か、この人は「3か月以内」に賭けたんだったか。
今回の賭けの内容は、「ミオちゃんの署名入り婚姻届けがいつ完成するか」だった。一番早いので3か月以内、その他に半年以内だの一年以内だのと続き、高校卒業後以降に賭けた俺は、いろんなヤツからバカにされたが、このままいけば一人勝ちになりそうだ。
さて、ちょっとした臨時収入を何に使ったもんかな。二万ちょいだから、ちょっと高めの食事に使えばあっという間に終わるだろ。これにも満たない額で1月の生活を賄っていたかつてのミオちゃんは、いったいどういう遣り繰りをしていたんだか。見習う予定はないが、知りたいところではあるな。
……うん、総取りの暁には、ささやかな甘いスイーツを賄賂に聞き出してみるのも悪くないかもしれない。前にトキが誕生日プレゼントで散々悩んでいたけど、ほんとにちょっとしたもので幸せを感じられる子なんだって、どうして学習しないのかね。誰も、トキに女心の何たるかなんて教えなかったのかもな。
―――その後、俺の一人勝ちを知ったトキに、ぐちぐちと文句を垂れ流されたのは、また、別の話だ。




