94.【番外】それは、七夕だったのです。
せっかくの七夕なので。
「ということで、明日までは七夕フェアで、来店のお客様に短冊を書いていただけるサービスを実施しているのです」
「七夕? あぁ、そんな時期か」
隣でコーヒーを飲んでいるトキくんが、つまんなさそうに相槌を打ってきます。やっぱり、トキくんはこういうイベント興味ないですよね……。
そういえば、こんな時間にコーヒーを飲んでしまって大丈夫なのでしょうか。夜の10時を回った頃なのですけれど。
「ミオ」
「はい」
「問3の和訳問題、ミスってるぞ」
「ふぁい?」
そうなのです。私、トキくんに英語を教わっている最中なのです。どうにも英語の成績が伸びないので、恥を忍んで頼んでみたのですが、なぜか喜々として教えてくれています。トキくん、教えるのが好きなのでしょうか?
……って、そこではありませんでした。問3ですね。問3。
「関係代名詞の先行詞の取り方が違う」
「ふぇぇ……」
うぅ、もう一度考え直してみるのです。
関係代名詞は、単品ならそこまで嫌いではないのですけれど、長文読解の中に放り込まれると、代名詞とかも乱れ飛んでよく分からなくなってしまうのですよ……。
落ち着こうと自分に言い聞かせて、コーヒーに口をつけます。苦味が広がって、否が応にでも覚醒が促されるのです。さぁ、めいっぱい回転するのですよ、私の灰色の脳細胞! 文構造を読み解いて、先行詞を特定するのです!
「で?」
「はい?」
「アンタは短冊に何書いたんだ?」
トキくん、私の宿題を終わらせる気がなかったりするのでしょうか。まぁ、私自身も集中力が途切れつつあるのは否定しません。
「キャストは、自分の役柄に沿った内容になるので、私はオペレーターのモモ風に『ゾンダーリングが平和になりますように』って書いたのです」
「なんだ、つまんねぇ」
「私はおもてなしをする側なので、仕方がないのです。あ、でも、色々なお客様の願いごとを盗み見できる特権はあるのですよ?」
「へぇ?」
最近では、スーパーにも笹が飾られて、お客さんが自由に書けるように短冊が用意されていたりもします。ほら、あれですよ。神社とかで他の人が書いた絵馬に、ついつい視線が引き寄せられることありませんか?
あ、でも、トキくんはそういうことしない人種かもしれません。話していても、「七夕なんて軟弱なイベントには興味ねぇぜ!」オーラが伝わってきますから。
「たとえば、『ダイエットが成功しますように』とか」
「そんなの、本気出せば何とかなんだろ」
「えぇと、『給料が上がりますように』とか」
「正当な評価もらえねぇなら転職しろ」
「んー、『宝くじが当たりますように』というのもありました」
「短冊に書くレベルか?」
「もう! トキくんは夢がないのですよ!」
「そもそも、七夕は芸事の上達を願うもんだろ。何でもかんでも願いを書くってシステムにしたのは誰だよ」
「ぐ、ぐぐ、それは、発祥とかはそうなのかもしれませんけど、こういうのはお遊びの一環なのですから、好きなこと書いたっていいではないですか!」
いろんなイベントの謂れを考えてしまったら、バレンタインだってクリスマスだって、楽しめなくなってしまうのですよ! 宗教的には無節操極まりないこの国に生まれたからには、由来なんて気にせず楽しむのが一番なのです!
「じゃぁ、アンタだったら?」
「え?」
「アンタだったら、何書くんだ?」
「それは―――」
言われて、うむむ、と考えこんでしまいました。
去年までだったら、『あの蛇が二度と姿を現しませんように』という願い一択だったのですけれど。いや、『あの蛇が人から指差されて笑われるような不幸な目に遭いますように』と書いたような記憶もあります。
あれ、なんだか、毎年蛇について書いていたことに気づきました。あの蛇が駆逐された今、私の願い事って何なのでしょうか。
「ミオ?」
「すみません。毎年蛇の排除を願っていたので、ちょっと思いつかなくて……」
「あぁ、なるほどな……」
お母さんも、もうドゥームさんという頼もしい……うん、頼もしい旦那サマがいるので、あまり心配していません。おじいちゃんは少し心配ですが、下手に心配を口にすると、かえって怒られてしまいますしねぇ。
「やっぱりオーソドックスに無病息災あたりでしょうか? 人間、体が資本ですし」
「アンタ、本当に言葉選びとか考え方がジジ臭ぇよな」
「ひ、ひどいのです!」
「欲しいものとか、したいことのひとつぐらいあんだろ」
「そんな、子供みたく仮面ライダーのおもちゃが欲しいとか、来世はドラえもんになりたいとか、来世はガンダムに乗りたいとか、そんなこと考えませんよ?」
あれ、どうしてトキくんが大きくため息をつくのでしょう?
「あー、くそ、マジで分かんね」
「え?」
「アンタ、誕生日に何欲しいんだ?」
誕生日? あれ、七夕の話でしたよね?
「誕生日近ぇんだろ? 欲しいモンねぇのかよ」
「……私、トキくんに誕生日教えましたっけ?」
「ハヤトから聞いた。ついでに、女は記念日のプレゼントに弱いもんなんだろ?」
「お母さんは、誕生日に男の人がプレゼントを渡して来るのは、義理か、下心があるのかどっちかだって言ってました」
「……あぁ?」
「あと、ちゃんとプレゼントした、っていう自己満足とか自慰行動に近いものだって」
そんな母親に育てられた私は、残念ながら男の人からプレゼントをもらうなんてこと、考えたこともなかったのですけど。
「えぇと、トキくんが私のことを考えて贈ってくれたプレゼントなら、プライスレスなのです……?」
「どうして疑問形なんだ」
さすがにお母さん直伝のセリフだから、とは言えません。でも、目をすすっと逸らした私を見て、察してもらえたようです。あぁ、顔が怖いのですよ、トキくん。
「えぇと、ほら、……あぁ、もうこんな時間なのですよ! もう集中力がきれてしまったので、宿題の残りは学校でやります。お手数をおかけしたのですよ、トキくん!」
バタバタと問題集とノートをしまうと、私は空になったカップを回収―――
「なら、ちょうどいい。このままじっくりとっくり聞かせてもらおうじゃねぇか。アンタが欲しいものをな」
「ちょ、ちょちょちょ、顔! 顔がコワ……近いのです!」
「そろそろ慣れろ」
思わずぎゅっと目をつぶったら、ちゅってされてしまったのです。この感覚、慣れろと言われても、困ります。
「トキくん……」
「なんだ、思いついたか? 少しぐらい値が張るものでも―――」
「プレゼントはいらないのです!」
「あぁ?」
「私の誕生日はその昔、浅間山が大きくドッカンした日なので、そんな日に祝い事なんてやるのは不謹慎なのです!」
そう言われて誕生日をスルーされた年もありました。まぁ、今考えてみれば、たぶん、台所事情の問題だったのでしょう。
「ということで、私の誕生日はなかったことに……いひゃい、いひゃいのでふ」
そんなに引っ張られても、ミオさんの頬肉は、餅のように伸びません。
「欲しいモンが何もねぇなら、ハヤトが言ったように『素敵な初体験』とやらを演出してやってもいいんだぞ?」
「ちょ、不埒なプレゼント反対! ハヤトさんは何を提案しているのですかっ!」
「誰も『初体験』の内容は限定してねぇぞ?」
え、だって、普通、初体験……って、言ったら、え? アレですよね?
「飛行機もこないだまで乗ったことねぇなら、ヘリやセスナで遊覧て考えてたんだがなぁ……」
ニヤニヤ笑うトキくんは、さっきまでの羅刹顔はどこへ行ったのか、上機嫌に私を見ています。えぇ、ハメましたね。わざと誘導したのですね。
うぅ、なんだか顔が火照っているのです。
「初体験て言われてソレが出るなら、アンタも期待してると思っていいか?」
「よ、よくないのです! 全然よくないのです?」
「本当か? オレはいつでも―――」
「ストップ! ストップなのです! 今すぐに不埒な言動とか想像とかやめていただきたいのです!」
意地悪をするトキくんを何とか説得し、最終的には、ちょっとしたプレゼントをお願いする方向へと持っていけたのです。
後日、よく切れる包丁をお願いしただけのはずが、ペティナイフやら何やら4本セットにナイフブロック、ついでにキッチンはさみまでついたセットを贈られて、びっくりするどころの話ではなかったのですけれど。しかも、調べてみたら、ヘンケルスさんという、ブランド品みたいなのです。
……これ、トキくんの誕生日に同じぐらいのものを用意できる財力がないのですけれど、どうしたらよいのでしょう?
 




