92.【番外】それは、異邦人だったのです。
『Excuse me. Is this SUNOHARA high school’s costume?』
突然、声を掛けられたのです。しかも、英語で!
校門から3歩と離れていない場所なのに、どうして狙ったかのように私に話し掛けるのでしょうか。私、今日は運勢が悪い日だったのでしょうか……。
「あー、イエス?」
とりあえず、春原高校の制服かどうかを聞かれたみたいなので、頷いておきます。
そこでようやく、私は相手をまじまじと見てしまいました。
えぇ、見る限り金髪碧眼の異邦人です。
トキくんはお仕事でいない日ですし、私は早くドゥームさんのマンションに行って、お母さんのお手伝いをしたいのです。誰かこの異邦人さんを引き取ってくれないかなぁ、と同じように下校する生徒を見てみたのですが……そうですよね。誰もいないですよね。
「Oh! You’re Mio Doom, aren’t you?」
あれ? 今、この人、「ミオ・ドゥーム」って言いましたよね? 聞き間違いではないですよね?
ふふふ、ここは私の英語力が試されるところなのです。今のところヒアリングは失敗していないようですし、さぁ、唸るのです、私の英作文力!
「ノー、イッツテイキング」(No, it’s taking:人違いです)
そして、そのまま異邦人さんの横をするりと通り抜けます。さぁ、近くの本屋の前で、何故かまだ護衛認定されているカズイさんが待っているはずなのです。とっとと向かうのですよ。
「Wait!」
はいはい、聞こえません聞こえません。人違いですからねー。いきなり見知らぬ人に名指しで呼ばれるなんて、ロクなものではありません。とっととスルーするに限るのです!
ちょっと速足で、私は落ち合う予定の書店に急ぎます。
(あれれ?)
おかしいのです。いつもなら、この時間にはカズイさんのバイクが止まっているはずなのですが、残念ながらそれが見当たりません。あんな改造しまくったバイクを見落とすはずがないのですが。何かトラブルでもあったのでしょうか?
こんな時に限って……なんて言ってはいけません。書店の中で少し立ち読みでもして待っておくべきでしょうね。一人で帰ったことがバレると、カズイさんだけでなく私も怒られますから。蛇の脅威がなくなったので、もう護衛とかいらないと思うのですけど、何故かトキくんは首を縦に振ってくれないのです。
「うーん、大丈夫でしょうか」
ちらりと後ろに目を向けると、えぇ、例の異邦人さんがついてきているのですよ。本当に勘弁していただきたいのです。
「―――何が大丈夫なんだ?」
「なんだか、妙な異邦人さんに尾けられているのです」
「へぇ?」
あれ、私、何を誰と―――?
ハッとした時には、ひょい、っと小脇に抱えられてしまってました。
「トキくん?」
「仕事が早めに終わったから、カズイは帰らせた」
「バイクですか?」
「いや、犬飼に送らせたが……アレか?」
「アレなのです」
うぅ、こっちを窺っているのです。カズイさんのバイクで振り切れないなら、とにかく早くこの場を―――って、どうして私を抱えたままそっちに行くのですか、トキくん! 危険やトラブルは回避するものであって、叩き潰すものではないのですよ!
「アンタ、何か用か?」
「I’m looking for a person as “Mio Doom”, isn’t it she?」
「I don’t know. Ask other people.」
「Wait! I’m her uncle! My name is “Leonard Doom”. Her father’s brother!」
どうしましょう。相手が気を遣ってゆっくりと喋っているせいか、内容が聞き取れてしまったのです。せっかく、トキくんもスッパリ「知らない」と切り捨ててくれたのに、何だかコノ人はドゥームさんの兄弟だと言っている気がします。
トキくんが、ちらりと私を見ました。何となく「知ってるか?」と聞かれたような気がするので、ふるふると首を横に振ります。だって、ドゥームさんの家族なんてこれっぽっちも興味ありませんでしたから。
「やっぱり無関係みたいだな。帰るか」
「あ、今日はお母さんのところに行きたいのです。お手伝いをする約束をしてしまったので……」
「ち、仕方ねぇな」
私を抱えたまま、「犬飼呼び戻すか」と反対の手でスマホを操作し始めたトキくんでしたが、私のカバンの中でスマホがけたたましく鳴り始めたので、渋々下ろしてくれました。
え、異邦人さんですか? まだ私達の近くにいます。正直怖いのです。
っと、そんなことよりも着信なのです。非情に不本意なのですが、店内の通話失礼します。
「もしもし、お母さんですか? 今、学校を出たところですので、途中で何か買い物が必要なら」
『ミオちゃん?』
びしり、と私は石化しました。
お母さんの携帯番号からだったので、非情に油断をしていました。えぇ、同じ屋根の下ですから、その伴侶がこうやって電話をかけて来ることもあるかもしれないですよね? そうなんですよね?
「どうした?」
トキくんの質問に答えたいのは山々なのですが、見知らぬ異邦人さんが近くにいるので、固有名詞は使えないのです。
『あ、ちゃんとリコの許可もらってかけているよ。リコは授乳中で手が放せなくて。それで、ワタシの弟が、ベイビーを見に来日しているんだけど、もしかしてそっちに行ってないかな?』
「……その通り、なのです」
はぁぁぁぁ、と肺から空気が搾り出されました。どうやら、本物の『叔父』らしいのです。
警戒心MAX状態が解除されて、へたり込みそうになった私の手から、スマホが奪われました。
「―――オレだ」
ちょ、トキくん。勝手に人のスマホを!
「あぁ、なるほど。……そういうこと、でしたか。はい、そう名乗りました。写真があれば送ってもらえませんか? 了解しました。確認がとれ次第、こちらの車に同乗してもらって向かいます」
おぉ、さすがトキくん。受け答えにそれと分かるような名詞がこれっぽっちもないのです。やはり踏んでいる場数が違うということなのでしょうか。私にも、そういうスキルがあれば良いのですけれど、残念ながら、気張るとどこか抜けてしまうのですよね。
通話を終えると、トキくんが「聞いた通りだ」と私にスマホを返してくれました。でも、聞いた通りと言われても、ですね。
「私のスマホに写真が届くのですか?」
「いや、オレの方に来る。アンタへの初メールをこんなことに使いたくないんだと」
「……今の、聞かなかったことにしてもよいですか?」
「あー……、そうだな。忘れとけ」
わしわしっと頭を荒く撫でられました。あの、手加減をしてもらわないと記憶飛ばすどころか、首がぐきっていきそうなのですが。
「っと、来たな」
「本当ですか?」
トキくんのスマホを覗き込むと……えぇ、ドゥームさんと並んで写っている青年さんが弟さんなのでしょう。ドゥームさんと同じ金髪碧眼で、背はドゥームさんの方が高いでしょうか? 特徴的なところがあるとすれば、えぇと、割れた顎、でしょうか。
私は、相変わらずこちらを窺っている異邦人さんに目を向けます。諦めの悪いところは、ドゥームさんそっくりと思ってよいのでしょうね。……確かに、写真の人、みたいなのです。
「……トキくん、やっぱり無視したらだめでしょうか?」
「ん?」
「何というか、とても似ているものを感じるのです。こう、蛇―!みたいな」
「アンタ、ほんとにそれダメだな」
「やっぱり苦手なものは苦手なのですよ」
「それなら、今無視した方がもっと面倒臭ぇことになんのは、分かってんだろ?」
「……はい」
そうですよね。今はよくても、後でねちっこい仕返しとかされそうなのです。ここはぐっと我慢して、同行願うとしましょうか。
―――あ、でも、会話はトキくんにお願いしてもよいですか?
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
「ふふ、さすがミオちゃんね! 偉いわぁ♪」
あの、お母さん。義理とはいえ叔父を無視したのに、どうして手放しで褒めているのですか?
「そうだね。ミオちゃんの対応は無理もないよ。完全に怪しい人じゃないか、レオ」
ドゥームさんも、どうしてそんなにこやかなのでしょう。実の弟のことなのですよ?
「日本人は危機意識が薄いと思ってたけど、こんな姪で安心したよ」
そして、あなたはどうして流暢な日本語を喋っているんですか?
「……やっぱり兄弟ってことか」
そして、私のすぐ後ろで溜め息をついているトキくん。初対面の人の前だというのに、どうしていつもの抱え込み体勢なのですか! 恥ずかしいにも程があるのですよ―――っ!
「トキくん。そろそろ下ろして欲しいのです。夕飯の支度をしに行きたいので」
「あ、ダイジョーブダイジョーブ。ケータリング頼んでおいたから」
「レオ、また勝手なことを……」
「いいじゃないか。せっかく家族が一堂に会したんだから、ワタシも新しい義姉さんや姪ともっと話したい」
え、それは、何というか、その……。ここで、このメンツで夕食を囲めということなのでしょうか?
に、逃げたいのですけれど。何て言っても蛇が2匹。私の脳内はさっきから警報が鳴りまくりなのですよ。
ちらり、とお母さんの顔を窺います。すると、私の言いたいことが分かってくれたのでしょう。仕方ないわね、と頷いてくれました。隣のドゥームさんも視線に気付いてくれたみたいです。こっちはちょっと難色を示してますね。……そして後ろのトキくんは。
「ズラかるか」
小さく囁いてきました。気持ちは同じみたいなのです。
「申し訳ないのですが、私たちはそろそろお暇しますね」
「えぇ?」
「元々、ここへは夕食の手伝いで来ていますし、そちらが大丈夫なのであれば、家に帰ります」
「ええぇ? だってミオちゃんは、ここの娘でしょ? どこに帰るって」
「環境を変えたくなかったものですから、学業を優先してお母さんの再婚後も同居していないのです。ちょっと期限の近い食材がありますので、せっかくのお誘い申し訳ありませんが、失礼させていただきますね?」
お母さんから仕込まれた丁寧な動作で頭を下げると、私は「よっ」と立ち上がります。
「ミオちゃん、またねぇ♪」
「はい、また何かあれば呼んでください」
そして、援護射撃をありがとうございます。お母さん。お母さんが同意してくれれば、ドゥームさんを味方に引き込めたも同じなのです。
「それじゃ、レイくんも、お休みなさい」
「……うん、お休みなさい」
ちょっと寂しげなレイくんに後ろ髪引かれまくりなのですが、レイくんもそもそもの原因は分かっているようなので、ちょっと異邦人あらためレオさんを睨んでいました。うぅ、本当に申し訳ないのです。せめて蛇属性でない親戚なら我慢できたのですけれど……!
「えぇ? だって、叔父さんとの初対面だよ? もっと友好的に……」
「レオはそろそろ他人の視線の意味を、ちゃんと見分けることを覚えようね」
あ、ドゥームさんにぴしゃりとされました。あ、ちょっと凹んでいるのです。よし、この隙に撤退!
「アンタ、苦手なものを呼び寄せる体質か?」
帰りの車中でトキくんに指摘され、思わず涙してしまいました。
その通りなら、今後も蛇に巡り合うということではないですか……。親戚の蛇が増えましたが、もうドゥームさん側の親戚は親戚とカウントしない方式で構いませんか?
ちなみに、後日、改めてスケジュールを調整して、会食の運びとなりました。色々と唐突過ぎる訪問とか諸々を謝罪されましたが、とりあえずトキくんに教わった大人の対応でやり過ごしました。
なんでも「許す」とか「もういいです」とか「構いません」という言葉を迂闊に言ってはいけないらしいのです。トキくんふうに言えば「許すつもりはないから、二度とそのツラ見せんな、タコ」ってことらしいです。
確かに、あまり顔を合わせたくない人なので、アドバイス通りにしました。ただ、レオさんの帰国後に、お母さんの口から「頼もしい姪ができたって喜んでたわよ♪」なんて聞かされた時には、ちょっと泣きそうになったのは、内緒です。本当に、どうしたらああいった人から厭われるようになるのでしょう。
その後の兄弟の会話
弟「はー、あの姪っ子ちゃん可愛かったなぁ」
兄「売約済だから手は出さないように」
弟「やっぱアレそうかー。せめてもっと早く会えてたらな」
兄「レオ、あれだけ明らかに避けられてたのにそれを言うのかな?」
弟「だって、あそこまで警戒されると余計欲しくなるじゃんよー」
兄「もうキミ、Japanに来なくていいから」
弟「えー?」
兄「ワタシみたいにbetter halfを見つけたら来日許可を出してあげるよ。ワタシは優しい兄だからね」
弟「ちょ、それキツ過ぎねぇ?」
兄「せっかくのミオちゃんの手料理を1度逃した罰だよ。リコとミオちゃんが並んでkitchenに立つのを見るのが好きなのに」
弟「……なぁ、それ、オレが」
兄「却下。ミオちゃんはもうトキトくんのものだよ。あれはもうどうあっても離さないだろうし」
弟「別に、高校生のガキぐらい―――」
兄「トキトくんはウチの社員だよ。戦略事業部のね」
弟「パラミリ……? え゛……?」
兄「命が惜しければ強引な手段はやめるんだね。まぁ、それ以前にワタシが許さないけど」
弟「(絶句)」
兄「だから、もっと空気を読むように言ってるだろう?」
弟「(沈黙)」




