56.それは、苦言だったのです。
「―――という感じだったのです。ドゥームさんには直接会っていませんが、前回のシチューも誉めていたようですし、和食の献立に不満がなければ、今後も作りに行こうかと思っているのですよ」
「で、あのガキは?」
「レイくんは、その、あざといと思って見れば、確かにあざといのですけど、でも―――」
「アンタまだほだされてんのか」
「ぐっ。えぇと、とりあえず、『単なるお姉ちゃん』路線で刷り込みをするつもりなのですよ」
「……へぇ、できんのかよ」
「やってみなければ、わからないのです!」
ぐっと拳を天井に向かって突き上げてみせると、トキくんは何だかとても疲れたように肩を落としました。
「で?」
「はい?」
「何作ったんだ?」
それをこのタイミングで晒せというのですか。
今、私とトキくんの前には、いつものように夕食のお弁当が広げられています。しかも、松茸ご飯サマサマなのです! 茶飯にスライスして乗っている松茸様。白身魚の粕漬けに添えられたインゲンの胡麻和えの緑がきれいなこときれいなこと。私の作った茶色っぽい献立の話などできるはずもありません。
「ミオ」
それなのに、トキくんは追及の手を緩める気はないようでした。
「……イカと大根の煮物と、ささみとキャベツのサラダ、きゅうりとしめじの酢の物と、お味噌汁、です」
「アンタ、普通に作れんだな」
「当たり前なのですよ。トキくんだって、私の作ったクッキー食べていたではありませんか」
「いや、女の製菓スキルと料理スキルは全く別物だって聞いてるからな」
う、それはある意味真理だと思うのです。料理はできないけど、お菓子は作れるという女子は意外と多いのですよ。
「……やっぱ、アンタとの契約変えるか」
「ふぁっ? ど、どうしてそんな話になるのですか? 契約変えるって、やっぱりお給料を減らすとか、天引きしている食費を増やすとか」
「違ぇ。アンタはもっと文脈考えろ」
文脈はちゃんと考えたのですけど。だって、お母さんのところに料理を作りに行くから、その分、トキくんと一緒にいる時間が短くなるから、お給料が減るのですよね? あと、昨今の様々な物価の値上げが響いているのですよね?
「あ、毎回迎えに来てもらっているから、送迎代を別途請求されるということなのですか? だったら、送迎をそもそも省いてもらって―――」
「あぁ、アンタに考えさせたのが間違いだった」
酷いのです!
なんだかすごく『アホの子』扱いされてしまった気がするのです。そりゃ、テストの点数ではトキくんに敵わないのは分かっていますけど、トキくんが知らない知識だってあるのですよ?
「やっぱ、アンタがメシ作れ」
「無理なのです」
「即答かよ」
あれ、どうしてトキくんの眉間に皺が寄っているのでしょう。でも、そもそもこうして美味しいお弁当が届くから、そもそも作る必要もないのですよね? それに、カフェのバイトの日は遅くなってしまうので、自然と夕飯も遅くなってしまうのは申し訳ないですし。
……という理由を必死に並べてみたら、何故かさらに機嫌が悪くなってしまったのです。
「……オレが食いたいんだよ、悪ぃか」
んん? おかしいのです。こんなステキなお弁当ではなく、私なんかの拙い家庭料理が食べたいなんて、どうしてそんなことを思うのでしょうか。
―――あ、れ? 待ってください。つい最近、似たようなこと、やりましたよね。私。お弁当を用意してくれるというのを断って、一人で袋ラーメンにもやし乗っけて食べましたよね。なるほど、理解できたのですよ、トキくん!
「了解なのですよ、トキくん! それじゃぁ、何が食べたいですか? ハンバーグ? しょうが焼き? それとも王道のカレーからいきますか?」
「は、なんでアンタ、急に乗り気に」
「やっぱり毎食毎食こういう上品な味付けのものだと、物足りないっていうことですよね。分かります! ケミカルだったりチープだったりジャンクだったり脂でコテコテだったりする味が恋しいのですよね。分かりますとも」
リクエストを聞こうとした私に、トキくんは何故か大きくため息をついて「……分かってねぇ」と呟いたのでした。
……どうしてでしょう?
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
「とりあえず、言っとくぞ」
「……はい」
食後、いつものように抱え込まれスタイルになってから、鋭い声で突き刺されました。油断させておいてから、そんなふうに尖るのは、よろしくないと思うのです。
「今後、何かやらかす時は、オレに一言相談しろ」
「……えぇと、トキくん。私はお子様ではないのですよ?」
「ガキの方がまだマシだ。アンタは放っとくと勝手に暴走する」
「ぼ、暴走なんてしてないのですよ!」
「あぁ? つい最近、ドゥームに平手打ちしたバカが何言ってやがる」
「いたい、いたいのです、トキくん!」
そんな力で掴まれたら、頭蓋骨がミシミシ言うのですよ!
「今回のことだって、十分暴走だろうが」
「違います! ちゃんと私なりに考えているのですよ」
「どうせアンタのことだ、思い立ったが吉日とか言いながら特攻してったんだろ」
ぐ、当たっているのです。でも、考え始めると、絶対に恐怖が勝って何もできなかったので、これはこれで良かったのですよ。
「……トキくんは、私の行動に文句をつけることが多いのです」
「アンタが危なっかしいのが悪ぃ」
「人は生まれながらにして自由なのですよ?」
アイワズボーンフリーなのですよ。って、別に野生のナントカじゃありませんが。
「本気でアンタの自由を奪うつもりなら、とっくにこの部屋に閉じ込めてる」
「え?」
思わず、ぐるんっと体勢を変えてトキくんの顔を見てしまいました。
「あ? 最初から言ってんだろ。オレのものになれって」
「え、っと、そうなのですけど」
「アンタが人の嫌がることはするなって言うから、囲い込んでるんじゃねぇか」
「私の嫌がることは、しない、ということなのですか?」
「最低限は、な」
おぉぅ! 何ということでしょう!
お母さん。私、ちゃんと狼のしつけに一部成功していたみたいなのです。もう2ヶ月も前の話なのに、まだちゃんと守られているのですよ!
で、思い出しました。そういえば、まだこの話をしていなかったのです。
「トキくん、つい最近、私の嫌がること、しませんでした?」
「あ?」
「クラスメイトの一人が、妙によそよそしくなってしまったのですよ」
「……」
「トキくんが、そのクラスメイトに何かを話していたという目撃情報があったので、ちょっと確認したいのですけど?」
じーっと首を後ろに向けながら、トキくんから目を離さないことにします。ちょっと首が痛いですけど、我慢です。
「……ちょっと牽制しただけだろ」
「やっぱり恩田くんを脅したのですね! ひどいのです! 私の数少ない友達を奪って嬉しいのですか」
「男だろ」
「男友達なのですよ!」
立ち上がって抗議しようとしたら、その直後にお腹に手を回されて再び腕の中に引っ張り込まれてしまいました。それどころか、頭の上に顎を乗せられて身動きが取れないのです!
「俺以外の男と話すなよ」
「無茶言わないで欲しいのです! そんなこと言ったら、先生ともお話できないではないですか!」
「じゃ、仲良くすんな」
「友達と仲良くすることの何が悪いのですか……って、痛いのですよ! 顎をぐりぐりしないで欲しいのです……っ!」
ぷにょんぷにょんの二重顎ならともかく、トキくんみたいなシャープな体格の人の顎は、本気で骨がダイレクトに当たるのですよ!
「アンタの母親が『恋愛不感症』っつった意味がよく分かった?」
「え? お母さんがそんなこと言ったのですか?」
「あぁ、徳益にそう言ったって聞いてるな」
「いつものセリフですよ。私がお母さんのことを『年中お花畑』って言うので、お母さんが私のことをそう言うのです」
「アンタら母子は……いや、いい。もうなんか、突っ込む気力もねぇ」
妙に疲れた声で、トキくんがずしっと私に体重をかけてきました。
「トキくん、重いのですよ?」
「……」
なんだか溜め息をつかれてしまいました。耳に生暖かい風が当たってぞわぞわするのでやめて欲しいのですけど。まぁ、これもアニマルテラピーの一環として甘受しなければならないのですよね。なんだかお疲れの様子ですし?
あ、いけません。話を逸らされたままでした。
「それで、恩田くんのことなのですけど」
「……気分悪ぃな」
「え! 体調が悪いのですか! だめです、今日は早く寝ないと!」
そんな状態を放置してしまったら、また登校率が悪くなってしまうのです。
「お風呂は溜めてありますから、もう入っちゃってください! あ、そうだ、生姜湯も作っておきますから、ね?」
立ち上がってトキくんを促せば、何故かこれみよがしに大きく息を吐きました。やっぱり、しんどいのでしょうか。
「―――ま、これも悪くねぇ」
気分が悪いのか悪くないのか、どっちなのですか、トキくん。
そんな疑問を飲み込んで、とりあえずお風呂場にトキくんを押し出すと、私は冷蔵庫の中と相談しながらナンチャッテ生姜湯を作りました。材料はチューブのおろししょうがとレモン汁と蜂蜜です。本当はちゃんと生姜とレモンは生で絞りたいのですけどね。こういう時のことを考えると、私が夕食を作るのもありかもしれません。少なくとも香り付け以外のちゃんとした食材が冷蔵庫に常備されるわけですし。
お風呂から上がったトキくんに、人肌程度に調節したそれを差し出すと、何故か妙な顔をされました。別に毒を入れたわけではありませんよ?
一口飲んで、さらに微妙な表情を浮かべます。あれ、味付けに問題ありました?
カップを受け取って、ちびり、と飲んでみますが、別にいつもの我が家の味なのです。まぁ、生の食材を使っていないので薄っぺらい味になってますけど、そこはご愛嬌です。
「えぇと、嫌いな味でしたか? でも、身体があたたまるのですよ?」
「……アンタにとって、こういうのが普通なんだな」
「え、やっぱり味覚に合いませんでした?」
おろおろとする私から、カップを奪うと、トキくんはそのまま全部飲み干してしまいました。
「ちょ、まずかったのでしたら、別に―――」
「言うほどまずくはねぇよ」
カップを置くと、トキくんは何故か私をひょい、と持ち上げました。というか、小脇に抱えるって何なのですか!
「ちょ、トキくん?」
「風邪の看病は枕元に座るのが定番、だろ?」
「……それは確かに、そうかもしれない、です?」
トキくんの部屋に入ると、なんだかドキドキするのです。あれですね、小動物が知らないテリトリーに入ってビクビクするあの感じなのですよ。
ごろりとベッドに横になったトキくんを見下ろす形で、私はイスをちょいちょいっと引き寄せて枕元に座ります。
「本当に体調が悪いのですか……」
「あぁ、気分が悪かったが、随分マシになった」
眼光鋭く言われても、あまり説得力がないのですけど、まぁ、羅刹ですし、目つきについてはもう何も言いません。
「それなら良かったのです。ゆっくり休んでくださいね」
「……アンタは」
「はい?」
「あの母親と暮らしていたときは、こんな感じだったのか?」
うーん、トキくん、もしかしてヨソの家庭が気になるお年頃というやつなのでしょうか? 普通、そういうのは幼稚園から小学校ぐらいで終わるものだと思うのですが。
……はっ、もしかして、この怖い顔つき&目つきのせいで子供の頃から恐れられていたとか? それは不憫過ぎるのです!
「小さい頃はおじいちゃんのところで一緒に暮らしてましたので、看病してくれたのはおばあちゃんでしたね。でも、おばあちゃんも、バイタリティ溢れるというか、アグレッシブというか、多趣味で忙しい人だったので、基本的には放置でしたよ?」
「母親と二人暮らししてからは、どうだったんだ?」
「んー……と、ですね、体調悪いときは心配かけちゃうんで内緒にしてました。バレるとすごく怒られましたけど」
何でもないフリをしてるのですけどね、そこはさすが母親という感じでしょうか。薬の残量をチェックしているはずもないのですが、バレてしまうのですよね。
「そういうもんか」
「そういうものなのですよ。……じゃ、トキくんも、もう寝てください。体調が悪いときはゆっくり寝て直すのが良いと、昔から決まっているのですよ」
薄い布団をトキくんの首元まで掛けると、上をぽんぽん、と叩きます。え、人に布団を掛けたら、ぽんぽんするまでがセットですよね?
「……ま、悪くねぇ」
「はい、横になった方が良いに決まっているのですよ」
「アンタは本当に鈍感だよな」
「トキくん? なんかひどいセリフなのですよ?」
「で、オレが寝るまでそこにいるのか?」
「そうですね。その方が良いのでしたら。あ、邪魔だったら出ていきますけど」
「いや、そこにいろ」
「はい」
目を閉じたトキくんは、ちょっとだけ可愛く見えたのです。やっぱり羅刹と言えど、体調が悪いときはその迫力も抑えられるのですよね。
―――なるほど、『鬼の霍乱』を体験するとこうなるのですか。『百聞は一見に如かず』という言葉と併せて実感しました。




