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52.それは、混乱だったのです。

 幸いにも(?)ドゥームさんはトキくんや、トキくんのお父さんにみたいな戦闘職ではありませんでした。

 バッチーン、といい音がしたのは間違いありません。私の右手もジンジンと言っていることですし、上手く平手打ちができたのでしょう。


「お母さんが、私やレイくんにとってのたった一人の母親だって分かってるなら、どうしてそのお腹の子にとってもたった一人の母親だって分からないのですかっ!」

「……まだ、自我もない、それこそ人のカタチすらしていないだろう?」

「それでも、お母さんは産みたいと言っているのですよ? ちゃんとその理由まで聞いているのですか?」

「……」


 やっぱりです。予想通りなのです。

 この人は、一方的に自分の決定をお母さんに押し付けていたのです。


「お母さん。産みたいのなら私は止めませんよ」

「ミオちゃん……」

「今ならこの人からいただいたお金もありますし、また親子二人で、いえ、なんでしたら、レイくんと三人で暮らしたって構いません。私も、これまで以上に働きますし―――」

「ちょ、ちょっと、ミオちゃぁん?」


 お母さんの慌てた声が聞こえます。目の前の人も、目を丸くしてこちらを見ていました。

 だって、仕方ないじゃないですか。今までお母さんに守って育ててもらったぶん、私が恩返しするチャンスなのですよ。そりゃ、金銭的に厳しいのは重々承知しています。でも、望まない堕胎をさせるぐらいだったら―――


 思考の海に潜り込んだ私は、手をぐい、と引かれました。気付けばお母さんが私をぎゅっと抱きしめています。


「ありがとう、ミオちゃん」


 ふわり、と頭を撫でられます。さっきドゥームさんに撫でられたときとは大違いの安心感でいっぱいになるのです。


「リコ……、君はワタシを捨てるのかい?」

「まさか、ダーリンを捨てるなんて考えられないわ。……でも、ねぇ、ダーリン? 子はかすがい、って言葉、知ってる?」

「カスガイ?」


 ベッドから身を起こしたお母さんが、私を離して立ち上がりました。


「かすがいってね、大工さんが使う釘の一つなの。ホチキスを大きく太くしたようなもので、木材同士を繋ぎとめる役割をするの」


 お母さんは、ドゥームさんの手を取ると、自分のお腹にそっと当てさせます。


「この子は、ダーリンともレイともミオちゃんともあたしとも血が繋がってるの。ここにいるみんなの『かすがい』になるのよ」

「リコ……。それでも、ワタシはリコがいないと」


 まだ!言うのですか!この人はっ!


「ドゥームさん! そりゃお母さんは三十代も終わりに近いですけどっ! 別に初産ってわけでもありませんし、そもそも、うちは安産の家系なんですっ!」


 だいたい、私のときなんて、三時間でつるんと産んでるんですよ。おばあちゃんが「うらやましい」なんて言いながら何度も話してくれたので知っているのです。


「だからっ、ドゥームさんがやるべきことは、お母さんを心配して子どもをおろす方向じゃないんですっ。万が一、万が一何かあったときに万全の体制で治療を受けられるような病院選びとか、そういう方向なんですよっ!」


 あ、なんか一気に怒鳴りすぎて、酸欠です。頭がくらくらしてきました。


「もちろん、色々と考えていることはあるんでしょうけど、夫婦は対等であるべきなんですから、もっとちゃんと話し合って―――え?」


 一瞬、言葉が全部ふっとびました。

 どうして、ドゥームさんの背後に羅刹が立っているのでしょう?


「あら、いらっしゃい、トキくん」

「……迎えに来ました」


 どうやら幻ではないみたいです。

 あ、レイくんが羅刹の後ろで半ベソかいてます。すみません、怒鳴っちゃって怖かった、ですよね。


「ミオちゃん。あたし、もう一度、ダーリンと話してみるわ」

「……はい」


 そのダーリンさんは、いつもの温和な雰囲気ではなく、無表情でこちらを見ているのですけどね。え、もしかして、私、とんでもなく怒らせてしまいました?


「何か、あったら、連絡欲しいのです」

「もちろんよ。ちゃんと話すわ。ミオちゃんはママの大事な娘なんだから」


 私はお母さんの手に押されるようにして、トキくんの方へと歩き出しました。


「ミオ、おねえちゃん、……その」

「うるさくしてごめんなさい、レイくん。私、帰りますね」

「う、うん。……あ、……えと」


 あれ、レイくんが涙目でもじもじしています。やっぱり怖がらせてしまいましたよね。うぅ、この天使に嫌われてしまうのはちょっと堪えます。


「ま、また、来てくれる?」

「もちろんなのですよ」


 うぅ! なんという天使なのでしょう! やっぱりかわいいのですよ!

 脅えさせてしまったというのに、レイくんはこんな私でも、ちゃんとお姉ちゃん扱いをしてくれる、本当に良い子なのです。


 私のカバンを持ったトキくんに促され、私はそのまま玄関を出ました。


「ミオ?」

「……迎えに来てくれて、ありがとう、ございます」


 トキくんもどこから見ていたのでしょうか。

 感情に任せて怒鳴り散らすなんて、恥ずかしいところを見せてしまったのです。


 そのまま、言葉少なにマンションに戻った私は、トキくんと夕食を食べ、そして……


「え、と、トキくん?」


 いつも通り、膝の間で抱え込まれています。もちろんウサ耳カチューシャ付なのです。


「大人しくでさせろ」

「……はい」


 とはいえ、首筋に鼻をおしつけられると吐息がくすぐったかったり、お腹に回った手がこそばゆかったりするのですけど。

 耐えろということですね。

 まぁ、これもアニマルセラピーなお仕事なのですよ。この先ドゥームさんの説得が上手くいくかは分かりませんし、万が一のことを考えたら、せっせと稼がないといけないので、こうしている時間は有益なのです。バイト代が出ますし。


「ミオ」

「はい」

「まだ、だめか?」

「何が、なのです?」


 あれ、どうして頭を撫でるのですか。そんなわしわしと力強く撫でられると、頭もげそうですよ?


「アンタ、自覚ねぇのか」

「ですから、何の話をしているのですか」

「震えてる」


 ……。

 あれ、今、気付きました。

 あぁ。だから、さっきの夕食も食べにくかったのですね。そりゃ手が震えてたらお箸からポロリもしちゃいますよね。


「震えて、る、みたいですね?」


 自分の手を見て、もう一度実感しました。確かに震えてます。


「やっぱり、あいつが怖かったのか?」


 怖い? あいつが?

 あぁ、ダメなのです。これを考えたらいけないやつです。

 何だかいろいろとしっちゃかめっちゃかで、何から考えたらいいのか分かりません。だからこそ、敢えて見ないフリをしていたというのに。


「言ってみろよ。聞き流してやっから」


 沈黙をどう解釈してくれたのか、トキくんの口からそんなセリフが落とされました。聞き流すって、優しいのか優しくないのか分からないですよ、トキくん。普通は「聞かなかったことにする」とかだと思います。


「……ものすごく、腹立たしいのです」


 そう、間違いなく、最初は『怒り』でした。


「ミオ?」


 だいったい、妊娠・出産にいやな記憶があるのなら、どうしてナマでヤッちまったのかって話なのですよ。日本製の避妊具は優秀なのですから、そこはきちっと装着して仲良しこよしすればいいと思うのです。しかも、お姉さんが? 産褥で? 亡くなった? それは確かにご愁傷様な話だとは思いますけど、古来から出産は命がけだったのですよ、そのおかげで産まれて来たのは自分も同じだというのに、何ですか、ぐちぐちと情けないにもほどがあるのですっ!


「……ミオ」


 まったく、お母さんもお母さんなのですよ。そりゃ、惚れた弱みとかもあるかもしれませんが、相手の言い分を飲んでも、それで泣いてれば世話ないのです。責任を取れるイイ年の大人が恥ずかしくないのですか!


「あー……、ちょっと落ち着け?」


 ぽふぽふと頭を軽く叩かれたことに気付きました。

 首を動かして振り返れば、何故か眉根にしわを寄せた羅刹の顔が。……ん?


「トキくん」

「あぁ」

「もしかして、私、声に出してました?」

「……あぁ」


 ちっ、ちっ、ちっ、こーん


「もにゃらぅきゅる~~~~っ!」


 文字通り脱兎のごとく逃げ出そうとした私を、トキくんの大きな腕が掴んで来ました。できる限りの力で暴れてみたのですが、腕は振りほどけませんし、なんだかあれよあれよと言う間に、私はトキくんの腕の中に戻されてしまいました。

 しかも、何故かトキくんの胸に額を押し付けるような体勢で。これなら逃げない方がマシでした。


「……忘れてください」

「ちょっと無理だな。アンタにしちゃ意外過ぎることばっかしゃべってたし」

「……その記憶、どこかに埋めて欲しいのですよ」

「あー……、善処はしてやらねぇこともない」


 また頭をぽむぽむと叩くように撫でられます。トキくんの手は身体といっしょで大きいので、なんだか頭を鷲掴みされている気分になります。


「落ち着いたか?」

「……たぶん」

「まぁ、アンタがすげぇ怒ってたのは伝わった」

「トキくん、は、どこから居たのですか?」


 恥ずかしくてとても顔を上げられないので、私の視線はトキくんのシャツの第三ボタンに釘付けのままです。


「あー、そうだな。あのガキに玄関開けさせて、中に入ったら―――アンタがドゥームに怒鳴りつけてる声が聞こえた」


 ぶるっ、と私の身体が震えてしまいました。

 どうしましょう。本当に、どうしたらいいのでしょう。


「トキくん……」

「なんだ?」

「私、……ドゥームさんを怒鳴りつけるだけではなく、思いっきり叩いてしまったのです」

「あー……」


 トキくんが呆れたような声を出しました。


「わ、悪いことはしてないと思うのですよ? 現に、そのお母さんを泣かせたのは事実ですしっ! ……ただ、その、やっぱり、……えぇと、仕返し、とかあります、よね?」

「まぁ、どうだろうな」


 う、やっぱりトキくんも否定はできないのですね。

 どうしましょう。でも、悪いことはしてないのです。……でも、ドゥームさんは怖いのです。


「心配すんな。何とかなんだろ」

「ご迷惑を、おかけしてしまうのです」

「今更だろ」

「すみません」

「謝んな。お互い様っつったろ」

「……はい」


 うぅ、トキくんが優しすぎるのです。

 こんなに優しいのに、いったい誰が「羅刹」なんてあだ名を付けたのでしょう。信じられないのです。


「それに、弱ったアンタも悪くない」

「……ハイ?」


 凝視していた第三ボタンから目を離し、私は思わず顔を上げてトキくんの顔を見ました。


「小動物がオレの腕ん中におさまるなら、大歓迎だ」


 ニヤリと悪い笑みを浮かべたトキくんの唇が、私の口に、口、にっ……。


 訂正します。

 やっぱり羅刹は羅刹です。


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