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04.それは、不可解だったのです。

「あの、ゾンダーリングから派遣されたエリです」


 夏休みまであと一週間という日、店長に言われてやって来たバイトの面接場所は駅にほど近いマンションでした。セキュリティがしっかりしているのか、オートロックで住人の許可がないと中に入れないタイプです。

 私のアパートとは雲泥の差ですね。きっとお家賃も雲泥の差なのでしょう。


「あぁ、エリさんね。鍵は開けたから、十八階まで上がって来て」


 インターホン越しに、随分とくだけた声が耳に届きました。この人が雇用主さんでしょうか。店長さんみたいに優しい人だと良いのですが、どうなのでしょう。

 私はエレベーターに乗り込みながら、ぼんやりと考えました。

 エレベーターは急上昇して、随分と眺めの良い高さまで私を連れて行ってくれます。

 というか、眼下に見える駅のホームがやたらとちっちゃいです。アニマルセラピーを受ける人が、高所恐怖症だったらどうするのでしょうか。それとも、ここは仕事場ではないのでしょうか。


 ポーン、という音と共に、十八階に到着しました。

 あれ、目の前に「1801」って書いてあるということは、ここが面接場所ってことですね。

 ただ気になるのは、お隣さんのドアが見当たらないということです。1フロアぶち抜いてオフィスにしているのでしょうか?


ピンポーン


 インターホンを押して一秒もしないうちに、玄関のドアが開きました。

 出迎えてくれたのは、黒スーツに水色フレームのカジュアルな眼鏡をかけた男性です。


「初めまして……じゃないよね、エリさん」


 あ、エリさんというのは、店長が考えてくれた偽名です。まんま今の役どころの「エリムー」から取ったのですけどね。

 いや、問題はそこではないですね。

 目の前の人と初対面ではないことの方が問題ですね。

 でも、残念ながら思い出せません。もしかして、お店のお客さんなのでしょうか。


「あの……?」

「あ、スマンね。仕事の説明するからこっちに来て」


 案内されるまま、私は突き当たりの一室に足を踏み入れました。窓も大きく、眺めもよく、ついでに部屋も広いです。促されるままにソファに腰をかけたら、ふわりと沈み込みました。

 こんな所に慣れてしまったら、自分の部屋に帰るたび切なくなってしまうかもしれません。それぐらいに高級感漂うお部屋です。


「武蔵塚から仕事内容は聞いているかな」

「はい、アニマルセラピーのお手伝いをすると聞いています」

「そう。早速なんだけど、今日からお試しってことで働いてみて欲しいんだ。相性とか測る意味もあるから、とりあえず二時間だけ」


 今から二時間、ということは六時まで、ということですね。今日はカフェの仕事はないので大丈夫です。

 私は、こくり、と頷きました。

 そして、一番気になっていたことを尋ねます。


「あの、その動物って、やっぱり小動物なのですか?」

「あぁ、その種類にしては小さいね。かわいいよ。ちょっと毛並みがパサついている気がするけど、ブラッシングすればツヤツヤになるかもしれない」


 毛並みですか。爬虫類や両生類ではなさそうで、ホッとしました。猫だったらシンガプーラ、犬だったらチワワあたりでしょうか。ウサギとかフェレットとかモルモットの可能性も捨てきれません。ちょっとワクワクします。


「服が汚れると大変だから、制服とエプロンは支給するよ。そっちの部屋で着替えて。鍵つきのロッカーもあるから」

「はい」


 私はまだ見ぬ小動物にわくわくしながら着替えに入りました。

 制服は黒地のワンピースに白いエプロンです。エプロンがちょっとフリフリなのが気になりますが、スカートも膝丈ですし、いかがわしいメイドさんのような格好にはなりません。

 うん、変なバイトじゃないみたいで、良かったです。いや、店長を一応信頼してましたよ? でも、万が一、ということがあるじゃないですか。

 畳んだ服の間に、サイフとスマホを挟んでロッカーに入れると、鍵をエプロンのポケットに入れました。


 先ほどの部屋に戻ると、スーツ姿の雇用主さん……あ、名前聞いてなかったです。その人が銀色のトレイにお茶のセットを乗せて待っていました。


「お客様にお出しするのですか?」


 名前のことをスコンと忘れた私が尋ねると、「あの店で働いているなら手順は大丈夫だよね」と言われました。

 あぁ、やっぱりこの雇用主さんは、お店で会ったことのある人なのでしょう。「エリムーの愛情たっぷり☆甘ぁいミルクティー」というメニューを知っているのでしょうね。

 目の前でミルクティーを作るだけのメニューですよ? お湯を入れて、蒸らしている間にお茶の薀蓄うんちくを披露して、砂糖とミルクを入れて、「エリムーの美味しいお茶を飲んで元気になるムー!」なんておまじないをするだけのメニューです。私の精神が削れるのでオススメしたくないメニューではありますが。


「あっちの部屋にいるから、行こうか」

「え、お客様がいるのですか? というかここがセラピーする場所なのですか? というか、研修は一切ないのですか?」


 驚いて目を丸くしてしまった私を、面白いものでも見るように眺めた雇用主さんは、「大丈夫、一緒に行くから」なんて言いながら、さっさと歩き始めてしまいました。

 え、大丈夫なのですか? 仕事内容ほとんど説明されていないのですけど?


「あ、エリさん。言い忘れてたけど、今日の帰りに日給ってことで五千円渡すから」


 はい、頑張ります!!


 私は親鳥に付いていく雛のような従順さで、トレイを持って彼の後ろに付いて行きました。

 トレイに乗っている焼き菓子が多すぎないかな、とか、どうしてカップが二客あるのかなんて、些細な疑問は吹っ飛びました。

 そろそろたんぱく質が恋しいのです。

 塩むすびと野菜(見切り品)の塩もみだけでは、生きていく活力が足りないのです。

 賞味期限ぎりぎりの半額シール付きの豆腐ではなくて、動物性のたんぱくが食べたいのです。


 私の頭が食欲に支配された瞬間でした。


「トキ、入るぞ」


 ちょっと乱暴なノックの後で、返事も待たずにドアを開けると、とても寝心地の良さそうなリクライニングソファに横になっている人が見えました。

 あの人がお客さんなのですね。

 あれ、でも動物はどこにいるのでしょう。

 アニマルコンパニオンさーん。出て来てくださーい。パサパサの毛並みをつやっつやにブラッシングしてあげますよー。


 ソファから少し離れたテーブルにトレイを置いていると、寝転がったままのお客さんに近づいた雇用主さんが、ゆさゆさと揺り動かしていました。お客さん相手に乱暴過ぎやしませんか?


「……るせぇ。寝かせろ」

「寝てねークセに何言ってんだこのバカ」


 少し長めの黒髪をがしがしと掻きながら上半身を起こしたお客さんは、私の方をちらり、……いいえ、ぎろりと睨みました。ちらりなんて可愛いもんじゃありません。というか、小動物を拝まないと私が恐怖で死にそうです。むしろアニマルセラピーが必要なのは私ですか?


「……誰」

「トキが喜ぶと思って雇ったんだよ。名前はエリさん」


 慌ててぺこりと頭を下げましたが、私、めちゃくちゃ混乱してました。

 えぇと、このお客様、とても見覚えのある人です。

 あの、目つきが鋭いのも、顔が怖いのも、とても記憶に新しいというか何というか、ですね。


 羅刹です。

 羅刹が、バイト先に寝転がってました。

 私の中で「アニマルセラピー」と「羅刹」がリンクしないのですが、助けてください。


「見つけたのか」

「お前が本気にしていたからね。――エリさん。トキに紅茶入れてやって。あと、キミの分も一緒に入れて」

「あ、は、はい」


 私は慌ててティーポットにお湯を入れて、砂時計をひっくり返します。

 その間に起き上がった羅刹、いえ、佐多くんは、まるでトラかライオンのように、のっすのっすと歩いて来て、革張りのソファにどかっと座りました。

 近い上に、なんだか凝視されてます。

 早く砂時計の砂落ちてー!

 ちらりと雇用主さんをうかがえば、機嫌が良さそうにこちらを眺めています。助けてくれる気配はゼロです。


「エリ?」

「はい、エリといいます」


 うあぅ。気付きませんでしたが、佐多くんは、すごい重低音の持ち主なのですね。筋骨隆々ムッキムキのハリウッド男優の吹き替えとかしたら似合いそうです。

 とか何とか現実逃避をしている間に、無事、砂が落ち切ってくれました。

 とぽとぽと綺麗に発色したお茶をティーカップに注ぎ入れて、佐多くんの目の前に差し出します。ここまでは良いのです。カフェのバイトで何度もやった手順ですから。

 もう一客のカップにお茶を注いでから、途方に暮れてしまいました。私、この人の向かいに座るのですか? 視線で殺されそうなのですけど。プリティーなアニマルでガードしたいのですが、もふもふしたものはどこに居るのでしょうか?

 助けを求めるように雇用主さんに視線を向けると、微笑みを返すばかりで、何もしてくれません。何だか、今日の日当五千円のために頑張れと丸投げされているような気がします。


「ハヤト、もう出てけ。気が散る」

「はいよ。――エリさん。こいつに変なことされたら大声出せばいいよ。隣の部屋にいるし」


 え、何ですか、それ。


「あ、あの、小動物って―――」

「あぁ、アニマルセラピーの話? いるじゃん、ここに」


 指差す先は羅刹……ではなくて、私?

 私、小動物認定されていましたか?


 呆然とする私を置いて、雇用主さんは去って行ってしまいました。

 そして、ようやく思い出しました。一ヶ月ほど前、佐多くんを迎えに来た人ですね。あの雇用主さんは。


「おい、ここ座れ」


 羅刹、じゃなかった佐多くんは、自分の隣のスペースをぼすぼすと叩きました。

 いつの間にか私の分のティーカップもトレイからそこに移動しちゃってます。手が早いですね、佐多くん?


 正直なところ、逃げたいです。

 でも、あと一時間ちょっと我慢すれば、五千円です。

 動物性たんぱくが私を待っているのです。


 これは仕事、これは仕事、と唱えながら、私は佐多くんの隣に腰を下ろしました。


「久しぶり」

「あ、はい。久しぶりです」


 隣の羅刹……いえ、肉食獣が怖い目でこちらを見ています。どちらかというと草食系の私は尻尾をぴるぴる震わせるしかできません。それが自然の摂理なのです。


「なんでここに来たわけ?」

「えぇと、今のバイト先から、出張バイトをお願いされまして。……アニマルセラピーというお話だったのですが」

「アンタ、騙されやすいって言われるだろ」

「それは初めて言われました。クラスメイトから、即断即決でブレないところが男前と言われたことはあるのですが」

「……学生? 専門学校か、短大?」

「ゴ想像ニ、オマカセシマス」


 うん、気付いていないみたいですね、佐多くん。

 まぁ、化粧でオンナは変わると言いますし。顔どころか髪や目の色まで違いますからね。鉄人…ではなく、別人二十八号です。


「ハヤトがアニマルセラピーって言ったのか。それで、動物は?」

「えぇと、私が小動物、らしいです」


 その言葉に、まじまじと見られました。

 いや、いっそのこと笑ってくれればいいのですけど。そうしたら私もドカンと笑い飛ばせるのですが?


「お茶」

「はい?」

「お茶、飲めば?」

「あ、はい、いただきます」


 促されるままにティーカップを持ち上げました。あの、猫舌なのでふうふう冷ますところとか、おそるおそる口を付けるところとかガン見されると落ち着かないです。


「で、小動物はどうやって癒してくれるんだ?」

「……」


 え、これ、笑うところですか? 怒るところですか?


 反応に困っていると、お皿に盛られたクッキーを摘まんだ佐多くんが、私の口元に差し出して来た。

 もしかして、餌付け、ですか?


「あの……」

「……」


 怖い怖い! 単に真剣な顔をしているだけかもしれませんけど、その顔怖いですから! 目も怖いですから!


「えーと……」

「……」


 微動だにしません。

 これは、私が折れるしかないのでしょうか。

 まぁ、あれです。「エリムーの餌付けドーナツ」と同じと思えばいいのです。ドーナツがクッキーになっただけです!


ぱく。サクサクサク。


 バター多めでサクサクしてておいしいです。アーモンドの粉とかも入っている感じがしますね。久しぶりの甘味に口元が自然とほころびます。


 え、どうして今度はパウンドケーキを持ってスタンバイしているのですか? というか、目つきがさっきよりも凶悪になっていませんか? 睨むぐらいにイヤなら、「あーん」なんてしないでくださいよ。

 少し無視して紅茶に口をつけますが、変わらずパウンドケーキが私の口の高さでスタンバイフォーアクションしてます。

 諦めろってことですね。はい。諦めます。


ぱくり。もっきゅもっきゅもっきゅ。


 うま!

 ふんわりしっとりで、甘さもしつこくなくて、美味です! 何これ!

 もきゅもきゅとよく噛んで味わった後で、惜しむように飲み込みました。もう一度紅茶で喉を潤します。

 この摂取カロリーだけで、私、まだまだ頑張れますよー。


「おいしかったのか」

「はい、とても」


 佐多くんは、クッキーをつまんで自分の口に放り込むと、ザクザクごくんと飲み込みました。味わってないです。もしかして、甘いものが苦手とかあるのでしょうか。


「ん、寝る」

「あ、はい」


 リクライニングソファの方に行くのですねー、と思っていたら、何故かぼすんと倒れこんで来ました。

 ……私の太ももに、羅刹の頭が乗っかってます。


「ちょ……っ?」

「寝る」


 アニマルセラピーに膝枕のオプションは付きますか?

―――いいえ、付きません。


 羅刹をこのまま寝かせますか?

―――寝てもらった方が、精神的に安全だと思います。


 うん、餌付けされるよりは、まだマシ……と思っておいた方が良いと思います。約束の時間が来たら起こせば良いだけですし。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、佐多くんは数分もしないうちに、穏やかな寝息を立てていました。

 じーちゃんとこの黒ラブの鬼平も、よく人の座っているところに顎を乗せて来たなぁ、なんて、思い出します。


 そんなことを考えていたら、ほとんど無意識の動作で、寝ている佐多くんの髪を撫でていました。

 まずいと思う間もなく、うっすら佐多くんがまぶたを持ち上げます。これは怖いです。私、ここで殺されるかもしれません。だって、羅刹の頭を撫でてしまったのですから。


「……もっと」


 再び瞼が閉じられました。

 ついでに、私の耳が信じられない言葉を拾ってしまったようです。


 もっと?

 もっと撫でろと?

 黒ラブの平蔵にしたみたいに、わしわしっと撫でろというのですか? あぁ、そこまで言っていませんか。


なでり、なでり。


 さらさらした黒髪をくように、優しく撫でることにしました。万が一、変なスイッチを押してしまったら大変ですので、優しく、優しく撫でるのです。


 結局、そのまま謎の出張バイトは終わりました。

 時間になって覗きに来た雇用主さん(徳益さんという名前でした)が指差して笑い、その声に起きた佐多くんが怒りの鉄拳をぶん回し、なんだかんだと面接は合格ということになって、私は五千円を手にほくほくと帰ることになりました。


 あれ?

 合格ということは、またこのバイトをするということですか?


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