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39.それは、一騎討ちだったのです。

「徳益。ごくろうだったね」

「……隊長、これっきりで勘弁してくださいよ」

「残念だけど、それは状況によるね」


 二人の会話に、私は騙されたのだと今更ながら理解しました。


「徳益さん、佐多くんはどこなのです? こっちにいるのですよね?」

「あー……、トキはいない。『佐多』姓の人間なら、ほら、そこに」


 電話のときの違和感が、ようやく分かったのです。今分かっても遅いのですけど。

 佐多くんがいるかと尋ねた私に、いる、としか答えなかったのは徳益さんです。普段なら「トキならいるよ」ときちんと答えてくれる筈ですのに。


「それじゃ、ミオさん。そちらに座ってもらえるかな」


 にこやかに手を差し伸べるお父さんの姿に、ぞぞぞっと鳥肌が立ちます。

 だめです。やっぱりこの人は蛇なのです。ずるずると足元をい寄って近づき、鎌首をもたげて一気に襲い掛かる毒蛇なのです。


「お話の内容と、それにかかる時間を先に教えてもらえますか?」


 ぐっと鞄を持つ手に力を込めて見返すと、なぜかお父さんはくつくつと笑いました。


「確認する方向が、高校生とは思えないね。トキトが惚れ込むのも分かる気がするよ」

「……えぇと、質問には答えていただけないのでしょうか」


 バクバクと主張する心臓の音が、やけに大きく響きます。私がビビっているのを分かっているのでしょう、お父さんがより笑みを深めた気がしました。


「こちらの確認がスムーズに進めば三十分とかからないよ。ミオさん自身のことと、トキトのことについて話をしたくてね」


 向かいに座るよう促され、これ以上の抵抗は無意味だと考えて大人しく腰を落とすと、お尻がずずっと沈みました。それでも背もたれに身体を預けるようなことはしません。浅く座って、いつでも立てる姿勢をキープするのです。


「コーヒーとお茶、どちらがいいかな。……あぁ、警戒心が強いみたいだから、ペットボトルの方がいいね」

「いえ、お構いなく」


 カップで出されようが、ペットボトルで出されようが、信頼できない蛇からの飲食物は完全シャットアウトなのです。未開封のペットボトルだって信用できるわけがないじゃないですか。針で穴を開けられていたらそれで終わりです。


「バイトもありますので、手短にお願いします」

「あれ、今日はカフェでバイトの日だったかな?」

「いいえ、今日は狼のお世話の方です」


 ぷふっ、という音に、ちらりと扉前に立ったままの徳益さんをうかがえば、微妙に口元がゆがんでいました。雇用条件を詰める時に、そんな内容の書類を持ち出してきたのは、徳益さんじゃないですか。


「あぁ、それなら大丈夫だね。狼は早くても十九時にならないと戻らないだろうし」

「そうなのですか。それなら、その前に明日の予習を済ませなければなりませんので、やっぱり手短にお願いします」


 こっちは学生なのです、と主張してみれば、やれやれ、と肩を竦められてしまいました。


「じゃぁ、まずはトキトの話からしようか。―――これを見てもらえるかな」


 差し出されたA4用紙は、日付がずらりと並ぶ表のようでした。「勤務時間申請書式」なんて書かれていますが、とある週末にだけ×印がついています。申請者は……佐多くん、みたいですね。


「普段は全て空欄で出す部下が、突然こんな申請を出したものだから、驚いてしまってね。この日付に、何か心当たりはあるかな?」


 ……めちゃくちゃあります。だって、それ、文化祭の日じゃないですか。


「えぇと、どうして本人に確認しないのですか?」

「あぁ、『私用だ』としか言ってくれなくてね。困ったもんだよ」


 私用、ですか。そうですか。

 佐多くんも詳しく説明したくはなかったのでしょう。お父さんのこと嫌ってますもんね。

 それなら、私もできるだけすっとぼけることにしましょう。


「心当たり、になるかは分かりませんが、その日は高校の文化祭です。保護者の方には、通知が渡っていると思うのですが……」

「徳益、知ってたかい?」

「知ってましたけど。隊長、トキがそんなもんに出ると思うんですか?」


 この様子だと、徳益さんも知らないのでしょうか。何となく、佐多くんのことは全部把握しているような雰囲気があったので、ちょっと意外です。


「他には何か思い当たることはないかな」

「いえ、残念ながら……」

「ミオさんは文化祭に参加するの?」

「はい。その予定です。今日もクラスメイトと準備を進めていましたし」

「ちなみに、クラスの出し物は何をやるのかな」

「喫茶店です」

「当日は貴女も給仕するんだね?」

「いえ、私は前準備をする班ですので」

「……ふぅん」


 ぞくり、と肌が粟立ちました。

 私、何かマズいことを口にしてしまったのでしょうか?

 いやいや、これもお父さんのハッタリかもしれません。意味ありげに頷くことで私の反応を見ようとしているのではないですか? 気を抜かないようにしましょう。何しろ、相手は一しか言わないのに十を悟る人だって知っているじゃないですか。


「答えてくれてありがとう。これはまた、トキト本人に聞いてみることにするよ」

「……はぁ」


 とりあえず、一山は越えたと肩の力が少し抜けました。


「それで、もう一点なんだけどね」


 中指で眼鏡を押し上げたお父さんが、私を真っ直ぐに見つめてきます。

 怖い。怖いです!

 今だれかがこの場から助け出してくれたら、オータムキャンペーンということでポイント5倍付けたいぐらいです。

 ……佐多くんの行動が相手方に把握されている時点で、助けは見込めないのが哀しいのですけど。


「ミオさん。貴女の母親が再婚されたそうですね」

「……はぁ」


 何だ、そんなことかと私は息をつきました。


「その相手が、ジェフリー・ドゥーム氏だというのは確かなのかな?」


 そんなことを、わざわざ確認する必要があるのでしょうか。

 そもそも、お母さんに婚姻届の署名をさせた時点で、徳益さんはある程度は把握しているはずなのですが。

 徳益さんの得た情報は、上司であるお父さんも把握しているはずですよね?


『いーい? ミオちゃん? もし、相手が信用の置けない人なら、その人を相手に絶対に言質を取られるような発言をしちゃだめよ? どこにアレが潜んでいるか分からないんだからね?』


 お母さんの言葉が、頭の中に反響します。目の前の人が、私からいったい何を引き出したいのか分からないなら、……私はできるだけ情報を渡さないようにしないといけないのですよね。

 ……まぁ、目の前の人は、宮地さんと敵対しているみたいなので、お母さんの言う『アレ』関連ではないのでしょうけど、この人も蛇です。


 つくづくこの会社は蛇がたくさんいるのだと、深いため息をついてしまいそうになりました。


「佐多さん。何だかとてもプライベートな話題になってしまって、非常に答えにくい質問だと思うのですけど」

「それは、未来のお嫁さんの親のことだからね。将来、親戚となるからには確認しておきたいこともあるんだよ」

「……私は、佐多くんと結婚する予定はありません」

「おや? 徳益が貴女の母親に婚姻届の署名をもらったと聞いたけどね」

「徳益さんの早とちりです。少なくとも私は、佐多くんからプロポーズされた覚えはありません」


 えーと、ないですよね? ……うん、ないはずです。


 記憶を確かめていると、ブフォッと扉の方から吹き出す声が聞こえました。えぇ、これは確かめなくても分かります。徳益さんです。


「それなら、息子のお付き合いしている人の家族構成が気になって……ということでどうかな、ミオさん?」

「……私、いつから佐多くんとお付き合いしていることになったのでしょうか?」


 ゲホッ、ゲーッホゲホッゲホッ、と苦しそうな咳が会議室に響きます。徳益さん、気管に何か入ったのでしょうか?


「徳益、うるさいよ?」

「す、すみま、ゲホッ」


 えっと、徳益さん、落ち着くために水でも飲んで来た方がいいんじゃないでしょうか? なんて声を掛けようかと思いましたが、そうされてしまうと、この会議室内に私とお父さんが二人きりと心臓に悪いことになってしまうので、慌てて言葉を飲み込みました。

 宮地さんじゃなくても、蛇と二人きりとか、ありえませんから。


「うーん。どうやら根本的なところで認識の相違があるようなんけど、ミオさんはトキトとどういう関係だと思っているのかな」


 改めて質問されると、答えにくいものだと思います。

 学校では、羅刹対応窓口になっていますし、狼の世話をするというバイトという契約ですし、そうかと思えばアニマルコンパニオン扱いだったりもします。


「関係、と言われると、何だか難しいのですけど……」


 とりあえず、下手なことを言わずに、相手も持っている情報だけでまとめてみますか。


「クラスメイト、かつ、バイトとお客様、でしょうか」

「そんな関係にある人間が、一緒に暮らすのはおかしくないかな」

「非常におかしいと思います」


 思わず、全力で肯定してしまいました。

 だって、ようやく現状をおかしいと言ってくれる人がいたのですよ? たとえ蛇な人だったとしても、つい頷いてしまうのも仕方ないですよね?


「……っくく、ミオさん。貴女は本当に今の状況がおかしいと理解しているんだね」


 私は目を丸くしてしまいました。

 だって、どこか含みのある笑みしか見せなかったお父さんが、素で笑っているのですよ。逆に怖いです。


「それなら、なぜあのマンションに住んでいるのかな?」

「防犯上問題のあるアパートの一階に一人暮らしという状況に、雇用主さんが厚意を示していただいたことと、狼のお世話という仕事の性質上、その方が仕事をしやすいから、でしょうか」


 常識的な理由付けをするにはこれぐらいでしょう。そこに至る「オレのにするから」とか「ここでオレに飼われるか、オレのになるか、選べよ」とかいう発言は、この際スルーしましょう。言っても仕方のないことです。


「貴女の母親が本当にドゥーム氏と再婚したのであれば、そちらに同居すれば良いことだと思うのだけどね。あの人なら、義理とはいえ娘をみすみす危険に晒すような真似はしないだろうし」


 目の前の人の意図が読めません。

 まぁ、元々、私も頭の回転は良い方ではないので、太刀打ちできるとは考えていません。とりあえず、この状況からのらりくらりと逃げる方法を考えてはいるのですが、残念ながら良いアイデアが浮かばないのです。

 とりあえず、『言質は取らせない』ことだけ頭の芯に据えます。でないとうっかりダーリンさんとお母さんのことを肯定してしまいそうです。何しろお父さんは、再婚相手がドゥームさんと確定した話の持って行き方をしているのですから。


「再婚相手がどんな人であっても、思春期の只中にある娘が『はいそうですか』なんて同居し始めるのは稀有なケースだと思います」

「……本当にミオさんは、イイ子だね。トキトには勿体無い。あの宮地に絡まれ続けていたせいか、実地で大事なことが身についている」


 こちらが気付いて明言を回避していることに、あっさり気付かれてしまったようです。

 ……なんだか気が遠くなりそうです。どうやってここから逃れれば良いのか分かりません。この調子では、明日の英文法の予習は無理かもしれません。当たらないことを願うばかりです。

 ……。

 ………。

 そうです、予習です!


「あの、お話が終わりなら帰っても良いでしょうか? 明日の英語の予習を済ませておきたいので―――」

「ミオさん」

「は、はい」


 い、今、遮られましたよね。

 錦の御旗『学生の本分、すなわち勉強』を掲げさせてもくれないとは、どういうことなのですか!


「わたしの家に住まないか」

「……はぁ?」

「暴走しがちな十代の男女が同じマンションで暮らすのは、色々と問題があるし、貴女が来ればトキトも付いて来るだろう。それでどうかな」

「どうかな、って、え、えぇぇぇ?」


 思考ルートが五里霧中なのです!

 頭の中が「ドウシテコウナッター」とわっしょいわっしょいお祭状態です。

 何がどうして「いいこと思いついた」みたいな表情でそんなことを提案できるのですか!


 そんな混乱しきった私を救ってくれたのは、無機質なアラートの音でした。

 ピピピピピ、と鳴ったのは、徳益さんのスマホです。


「隊長。警戒対象Dが動きました」

「……ここまでか。それではミオさん、引き止めて悪かったね。帰りは徳益に送らせるから安心していいよ」

「はぁ……」


 警戒対象って、Dって、何なのですかっ!

 もちろん、尋ねても答えてもらえるわけもないので、口にしませんけれど。


「あぁ、ミオさん。貴女には本当に感謝しているんだよ。今までなら、しばしば不貞腐れて訓練途中で飛び出してたトキトが、なかなか踏ん張るようになってね。どうも、健気に頑張る貴女を見て、思うところがあったらしい」


 おかげでついつい、いつも以上にいじめてしまったけどね、と付け加えられた最後のセリフがなければ、とても良かったのですけど。

 先日、お月見のときに元気がなかったのは、もしかしてそういうことなのでしょうか。佐多くん。分かってはいましたが、こんな人が父親だなんて不憫なのです。


「それでは、また時間を見つけて話せるといいな」


 お断りします、という拒否の言葉を飲み込み、私は曖昧に微笑んで会議室を後にしました。

 ふ、ふふふ、もういっぱいいっぱいなのですよ。

 本日のミオさん営業時間終了のお知らせです。


「あー、ミオちゃん。なんだか表情が怖いけど大丈夫かなー?」

「ここに私を連れて来た徳益さんに言われたくないのです」

「いや、平な社員の身としては、上司の意向には逆らえないんだよね」

「はぁ、それは、どうもオツカレサマデス」


 運転手の犬飼さんの待つ駐車場へ到着するまで、弁解する徳益さんに思わず平坦な返事を投げつけ続けたのは、……私は悪くないと思いたいのです。


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