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125/126

125.【番外】それは、鳥頭だったのです。

「おめでとうございます。10週目ですね」


 ……はぁ。


「佐多さん?」

「あ、はい!」

「大丈夫ですか? ぼーっとしてしまうこともあるかもしれませんが、妊娠初期の症状ですから、あまり心配なさらずに」

「はい」

「まぁ、初めてのことですから、色々と不安に思うこともあるかもしれませんが、あ、これガイドブックです。一通り目を通しておくとよいですよ」

「はい」


 なんか、実感がさっぱりなのですけれど。

 ……妊娠した、みたいなのです。


 最初にそうじゃないかと言ってくれたのは、職場の先輩でした。最近ちょっと眠いことが多くて困るのは、季節のせいですかね、なんて笑い話のつもりだったのに、……そうじゃないの? なんて指摘されてしまったのです。


「えー、でも、……んんー?」

「佐多さん、まさか避妊してるとかじゃないでしょ? 夫婦なんだし」


 確かに半年ぐらい前から、「もうそろそろいいだろ」なんて謎の言葉とともに、ゴムを使わなくなったと記憶していますが。

 え、じゃぁ、それまでは避妊してたのか、ですか?

 ほら、新入社員がいきなり産休とかいうのは、ちょっと……と思ったので、私の方からトキくんに頼んでいました。今はもう3年目でお仕事にも慣れましたし、後輩もできましたし、だから、私の方も「そろそろいいかな?」と思っていたのですけれど。


「えぇと、こういうときって、どうするんでしたっけ?」

「帰りにドラッグストアに寄って、検査薬買ってみなさいな。とりあえずはそこからよ」

「了解なのです……」


 先輩の助言に従って検査薬を買ってみたらば、見事な陽性の一本線が浮かびあがったのです。トイレの個室で変な声が出てしまいました。

 だって、妊娠なのですよ?

 子供が、まだ卵ちゃんですが、お腹にいるのですよ?

 不思議過ぎて変な声が出てしまうのも、仕方がないのですよね?


 検査薬の誤判定でないことを、会社を午前半休してしっかりと駅近くの産婦人科でも確認してもらったので、確定なのです。

 眠いばかりで、話に聞く悪阻つわりとかはないので、ほとんど実感が湧かないのが、困ったものなのです。


「お疲れ様ですー」


 どこかふわふわとした頭で出勤したのは、昼休みも半分ほど終わった時間でした。


「あ、佐多さん。午前中に電話1件来てたから、折り返しよろしくね」

「はーい」


 自分の机の前に置かれた電話メモを確認して、メールをざざっとチェックしたところで、私は慌てて先輩にこそっと申告することにしました。新人の頃からお世話になっている先輩で、検査薬のことも助言してくれた人なのです。


「先輩、うちの会社の産休とか育休ってどうなってるのでしょう?」

「あらら、確定? おめでとー。でも、あたしは取ったことないから、総務で確認してらっしゃい」

「あ、はい」


 そうでした。先輩は独身貴族さんでした。失敗なのです。うぅ、自覚はありませんが、浮かれてしまっているのでしょうか?


「それなら、今まで以上に2年目ちゃんをビシバシしごいて使い物になるようにしないとね」

「……先輩、2年目ちゃんていう呼称は」

「なぁに? 3年目ちゃん?」

「何でもないのです」


 頼れる姉御肌なのですが、色々と大雑把なことは否定しません。でも、その大雑把さは嫌いではないのです。


「旦那さん、何て言ってた?」


 先輩のセリフに、そういえば、と思い出しました。


「あの、まだ何も言ってないので……」

「はぁぁぁ?」

「せ、先輩、声が大きいのです!」


 フロアの注目を集めてしまったではないですか。なんでもないのですよー、そろそろお昼休みが終わるので、仕事に集中しましょう?


「ちょっと、どういうこと?」

「いえ、誤判定だったら、がっかりさせちゃうなと思って、何も言ってないのですよ」

「……それならいいけど、ちゃんと報告はしなさいよ? 佐多さんの旦那さん、こう言っちゃなんだけど、独占欲とか強そうだし、どうせ秘密にならないんだから、さっさと言っちゃいなさい」


 独占欲……というより、私が危なっかしく見えるみたいで、心配性なだけなのですけれど。


「そうですね。早めに報告します」


 お母さんとかにも早めに報告した方がいいのでしょうか。でも、ある程度目立つようになってからでも良い気がします。……だって、妙に浮かれてやらかさないとも限りませんし。

 あとは、初孫に浮かれそうな蛇2匹をどうしたらよいのでしょう。そこもトキくんに相談しておかないと。


 今日の夜にでもトキくんに相談しないとなぁ、と考えていたはずなのですが、この日の午後は何かと忙しく、帰宅する頃には、すこん、と抜けてしまったのでした。

 おかしいですね? 人生で5指に入るほどの大事件だと思うのですけれど。



 ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇



「ミオ?」

「……あ、はい、何かありましたか?」


 食事中についついぼんやりしてしまったところに、トキくんの声で慌てて戻ってきました。何でしょう。最近、こんなふうに魂が抜けるというか、心が身体を離れてふわふわすることが多いのです。


「アンタ、体調でも悪ぃのか?」

「少しぼーっとすることが多いだけなのですよ? それよりどうでしょう! 私はもやしが油を吸って良い感じだと思うのですけれど」


 本日のメニューは豚肉の野菜巻き炒めなのです。アスパラを巻いたものや、チーズを巻いたもの、エリンギを巻いたものなど各種取り揃えてみたのです。


「アンタ、単価だけで考えてねぇか?」

「そ、そんなことはないのですよ? 確かにもやしは安いかもしれませんが、油との相性は良いと思うのです。特にごま油との相性は奇跡のコラボと言っても過言ではないレベルだと思うのですよ?」

「……アンタの称賛のレベルが分かんねぇ」


 あれ、もっと美味しいもの食わせてやってるのに、とかブツブツ言い始めてしまいました。

 確かにお高いレストランとか料亭に連れて行ってもらったことはありますが、残念なことに私は貧乏舌なので、その良さは分からないのですよ。申し訳ないのです。

 あ、でも、今までで一番美味しいと思ったのは、おばあちゃんの糠漬けと番茶のセットですから。そこは譲りませんよ?


 と、至極いつも通りの夕食を終え、洗い物をしている横でトキくんが戸棚から同僚のお土産だという酒瓶を引っ張り出すのを眺めつつ、おつまみいるかなー、なんて考えていたら、何やら腰あたりに不埒な感触が……。


「トキくん?」

「んー……、酒にするか、こっちにするか」


 今日は金曜日なので、痛飲しても文句は言わないのですよ? ただ、そのお酒、中国の白酒、でしたっけ? なんだかアルコール度数がかなりあると聞いたので、ほどほどにしておいてくださいね?


「両方にするか。――――アンタも飲むか?」

「やめておきます。妊娠中の飲酒はよろしくないのですよ」

「……あぁ?」


 ん?

 私、変なこと言いましたっけ?

 なんだか、久々にトキくんの顔が怖いというか、ダッシュで逃げたくなるというか、これ……メンチ切られているのです?


「今、アンタ、なんつった?」

「エ、エェト、妊娠中ノ喫煙・飲酒ハ、オ控エクダサイ?」

「誰が」


 誰って、それはもちろん――――あれ? そういえば、私、トキくんに話しましたっけ?

 いち、に、さん、とゆっくり数えられるほどの時間凍り付いて、ぎぎぎ、と軋むようにトキくんを見上げます。


「その……すっかり報告するのを忘れていたのですが」

「あぁ」

「検査薬で陽性が出て、産婦人科で診てもらったら、十週目だって、その、火曜日に言われたのです」

「ア・ン・タ・は~~~!」

「い、いた、いたいのですっっ」


 こめかみをぐりぐりとされ、自然と悲鳴が上がります。本当に痛いのです。頭蓋骨がみしみし言ってしまいそうなのですよっ!


「阿呆」


 ようやく頭が解放されたと思ったら、むぎゅっと抱きしめられました。鼻がトキくんの胸元にごつんと当たって痛かったのです。


「あの、すみません。何か、すこんと抜けてしまって、報告が遅れたのです」

「阿呆。アンタはどうしてそういうところで抜けるんだ」

「申し訳ないのです……」


 そっと見上げれば、トキくんの顔は柔らかい表情に変わっていました。


「他には誰かに言ったのか?」

「えぇと、職場の先輩に相談しただけで、後は誰にも……」

「本当に忘れてたんだな、アンタ」

「面目ないのです」


 どうしてこんなことを忘れてしまったのか、と思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいなのですよ。


「あー、くそ、違う。こんなことを言いたいんじゃなくてだ」

「……はい」


 大事なことを忘れてしまった鳥頭な私は、どんなお説教でも聞く覚悟があるのです。さぁ、どうぞ!


「でかした」

「にゅゎい!」


 あ、変な声が出ました。


「アンタなぁ……、ちゃんと褒めさせろ」

「う、すみません。何か、びっくりしてしまったのです。その、お説教かな、と思ってしまっていて」


 あ、頭をわしわしされました。これは、もしかして、お咎めなしでOKなのでしょうか?


「仕置きはする」

「ゎぬっ!?」


 お酒の瓶を戸棚に戻したトキくんは、何故か酒瓶の代わりに私を持ち上げました。抱き上げ、ではなく、持ち上げなのです。

 うぅ、お腹の卵ちゃん。卵ちゃんがいても、私は手荷物扱いらしいのです……


 どさっ、と運ばれた先は、何故かトキくんのベッドで、あれよあれよという間に、トキくんの言う『仕置き』をされてしまったのでした。

 今度から、大事なことは忘れないようにしっかりとメモするのです……。くすん。




―――さわさわ、さわさわ


「ふむー……?」


 なんだか、撫でられているのです。頭でも胸でもお尻でもなく、……おなか?


「トキ、くん?」

「悪ぃ、起こしたか」


 トキくんの『仕置き』の最中に眠ってしまったのしょうか。まだ外は暗く、夜は明けていないぐらいの時間だと思うのです。


「ねむい、のれす……」

「あぁ、寝てろ」


 寝ていろと言う割には、お腹をさわさわするのは止めないのですね、トキくん……?


「あの、トキくん?」

「いいから、寝てろ」


 トキくんの声を無視して、もそもそごそごそと体勢を変えて、丁度向き合うような格好になります。横になっていれば、身長差なんて関係ないので、首が疲れることもありません。


「暗くて、あまり顔が見えないので、何とも言えないのですけど……」

「だから、寝てろって――――」

「もしかして、緩んでるのです?」

「っ!」


 わしっと顔を掴まれました。頭ではありません、顔です。アイアンクローなのです。


「悪ぃかよ。好きな女に自分の子どもができて、嬉しくないわけねぇだろうが」


 もしかして、照れていたのでしょうか? 明るいところだったら、トキくんが顔を赤くしているのが見れたりしたのでしょうか。なんだか、すごく勿体ないことをしている気がします。

 あぁ、でも、やっぱり眠いのです……。


「ふあぁ……ふ」


 ほら、大あくびが出てしまったのです。うん、夜は寝るのに限ります。寝るために暗い時間帯なのですから。


「トキくん、お言葉に甘えて寝るのでふ……」

「あぁ」


 こつん、と自分のおでこをトキくんの胸板にぶつけます。トキくんの手は私の背中に回っているので、何だか包まれている安心感で、余計に眠くなるのです。瞼もすっかり重くなりました。


「あ……、そうだ」

「なんだよ」

「そうやって……照れてるのを隠す、トキくんは、すごく……すごく可愛いと思うのですよ……」


 あぁ、もう駄目なのです。眠りの深淵から睡魔の手が、引きずり込んで……いえ、ホラーな話ではなく、ずるずると――――


「……阿呆」


 夢うつつで耳にしたトキくんの罵倒は、なんだかすごく甘い響きだったような気もするのです。



これにて、番外もひと段落です。

次回に入れ込みきれなかった小ネタを放出して完結とさせていただきます。


本編完結後、1年もお付き合いいただき、ありがとうございました<(_ _)>

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