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115/126

115.【番外】それは、共倒れだったのです。

「……トキくん」

「……」


 私がじっとりと睨みつけると、トキくんはふてぶてしい顔で、それでも視線を逸らしました。

 大げさにため息をついて見せた私は、トキくんの横たわるベッドサイドの椅子に腰かけます。


 トキくんのマンションに住むようになってから、ひー、ふー、みー……四度目なのですよ。


「トキくん、今回の出張はそれほど危険ではないと言っていましたよね?」

「……言った」

「そ・れ・が! どうして3針も縫うケガになるのですか!」

「3針だけだろ」

「だけじゃありません! 針の時点でおかしいのだと気づいて欲しいのですよ!」


 さすがに出張からの入院というコンボも、4度目になれば慣れてくるのです。出張先の病院で一通りの手当てを終え、行きつけの病院で検査がてらの一泊入院、なんて流れも2度目になれば「はいはい」と対応できるレベルです。――――もちろん、ケガをして入院する、という連絡を徳益さんからもらうのは、一向に慣れませんが。


「やーい、怒られてやんの。トキ、だから言ったろ?」

「うるせぇ」


 茶化す徳益さんから出張の荷物(衣類一式)を受け取ると、自分のバッグを肩にかけました。いつまでもここでトキくんを叱っていても仕方がないのです。


「トキくん」

「おぅ」

「明日、献立のリクエストはありますか? 和食か洋食か中華か――――」

「アンタに決まってるだろ」

「それは2週間お預けなのです」


 予想できた流れに、スッパリと答えると、傍で聞いていた徳益さんが「ぶふっ!」と勢いよく吹き出しました。えぇ、笑ってくれて構いませんよ。笑う相手はトキくんなのですから。


「……」

「睨んだって聞きません。傷がよくなるまでお預けです」

「……和食。アサリの味噌汁」

「分かりました。おかずのリクエストは?」

「魚がいい。さっぱり系」

「はい。そうしますね」


 頭の中でメニューを組み立てながら、私は頷きました。ケガをしてしまったと言っても、せっかく出張から戻ってきたので、ちょっと奮発して鯛でも買って来ましょうか。さっぱり……蒸し料理? キャベツとレモンと白ワイン蒸し、なんていいかもしれませんね。


「それでは、また明日……帰るときは誰かの車なのですか?」

「いらねぇ、一人で帰る」


 太ももをざっくり縫ったケガ人が、ですか?

 ちらりと徳益さんを窺えば、当然という顔をしているので、職場では当たり前レベルなのかもしれません。まぁ、バイクを運転するわけでもありませんし、歩けるぐらいなら、公共交通機関を使って移動しても問題ないのでしょう。荷物の大半は私がこれから持って帰りますし。


「一応、帰る前にメールが欲しいのです。帰りに合わせて私もできるだけ動きますから」

「あぁ、悪ぃな」

「いえいえ」


 今度こそ病室を後にした私は、ガラガラとトキくんのキャスター付きのバッグを転がしながら病院前のバス停へと向かいました。


(とりあえず今日のうちに買い物はすませておくとして、……でも、この荷物でスーパーには寄りにくいのです。一度マンションに荷物を置いてからにするべきでしょうね。うぅ、面倒臭いのです)


 外へ出ると、何やらお外はぶ厚い雲が西の空から流れてきていて、このままだと雨も降ってしまいそうなのです。そういえば、今夜は雨になると天気予報で言っていましたっけ。明日の昼前には晴れ間が出るという話でしたけど……。

 バッグに入ってるであろう大量の洗濯物を考えると、とにかく明日は早く晴れてくれるように祈るばかりなのです。



 ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇



「天は私を見放したのです……」


 一度マンションに戻った私は、予定通り、すぐに近所のスーパーへと向かいました。灰色の雲が迫ってきていましたが、自転車でちゃちゃっと行って帰ってくるだけですし、傘は荷物になって邪魔になりますし……と油断したのがいけませんでした。スーパーを出る頃にゴロゴロと雷が鳴り、急いで帰る途中でバケツをひっくり返したような雨が降り注いだのです。


「はぁ、びしょびしょなのです」


 水を含んで肌に張り付くカットソーを脱ぐと、誰もいないのをいいことに、ほぼ下着姿で冷蔵庫に買ったものを入れていきます。冷蔵庫からの冷気が濡れた肌をさらに冷やしますが、生ものもありますし、トキくんが好きなアイスも見かけてしまったので冷凍庫にも用があったのです。

 べ、別にトキくんを甘やかそうというつもりはないのですよ? そもそも食費を出しているのはトキくんですし、出張から帰って来たときぐらい、好きなものを食べたいだろうと考えるのは自然な流れだと思うのです。


「……っくしゅっ!」


 うぅ、ぞくぞくっと来たのです。とっとと片付けてシャワーで温まりましょう。明日のゼミは休めませんし。……ん? そういえば、明日は朝イチで洗濯物を干して、昼間は大学のゼミ、帰ったらちょっと豪華な夕飯を、と盛りだくさんなのです。洗濯機もタイマー仕掛けたら、適当な夕飯にしてすぐに寝てしまいましょう。



――――神様は、きっと私のことが嫌いなのです。

 そんな風に朝から考えてしまったのは、仕方がないと思います。朝からちょっとだるいな、とは思っていたのですが、昨日は早めに雨雲がきたおかげかすっきり晴れた青空の下に洗濯物をババンと干した後、妙にくらくらするなぁと体温計を取り出してみたのですが……。

 いえ、私は何も見ていないのです。左から二桁目が「7」だなんて見ていないのですよ! たとえ体調が悪かったとしても、家事には手抜きはあれど、休みはないのですから!


「なんて、やせ我慢をしても、意味がないのですよね」


 電気ケトルをセットして、冷蔵庫から密閉容器を取り出します。お婆ちゃん直伝のレモンと生姜の蜂蜜漬けなのです。

 え、なんでそんなものがあるか、ですか?

 このマンションは、全館空調なのです。部屋ごとの空調温度はもちろん変更できますが、トキくんの適正温度と私の適正温度にはズレがあるのです。……えぇ、無言の攻防があるのです。

 もちろん、経済的にも肉体的にも弱い私が勝てるわけもありません。そうして冷えと戦っていた私が思い出したのが、お婆ちゃんがよく作っていたコレです。1週間も漬けておけば、生姜エキスが染みだしてよい味になるのです。あとはお湯割りでもサイダー割りでも、好きなように飲めば体もポカポカです。


「うぅ、染みるのです……っ」


 喉を通ったお湯割りが、じんわりと胃の方に染みわたります。ちょっと時間をおけば、体全体がポカポカになるというすぐれもの! 市販物ではないので、早めに使い切る必要がありますが、少な目に作っておけば特に困りません。


 私はマグカップをざっと洗うと、よし、と気合を入れて大学に行く準備を始めました。風邪の引き始めぐらいなら、これで何とか乗り越えられるのです。



 ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇



 結論から言いましょう。


 ……神様は私のことが嫌いなのでしょうか?


 なんてお空を睨みつけても仕方がありません。風邪を引いたところで、時間は止められません。体調不良のことはスッパリと意識の彼方に押しやって、家事を片付けるのです!


 ゼミについては、問題なくやり遂げました。まぁ、毎週のことですし、それほど変り映えもしません。発表はまだまだ先ですから。

 他のゼミ生にも何も言われなかったので、いつも通りの私だったと思うのです。

 あとは、トキくんにも気取られなければ、このまま今夜ゆっくり眠って風邪とさよならなのです。


 とにかく無心で洗濯物を畳んで片付けたり、夕食の下拵えをしていると、トキくんが病院から帰ってきました。もっと早く戻ってくると思っていたのですが、……まさか、職場に寄ったとかではないですよね?


「お帰りなさい、トキくん」

「おう」


 どうして松葉杖の一つもついていないのか、なんて聞いたところで、トキくんが聞くはずもありません。歩くのに支障がない場所の傷だった、ということで納得しておくことにしましょう。


「ご飯は一時間後ぐらいでよいですか? あと、お風呂はどうするのです?」

「メシはそのぐらいでいい。風呂は……入りてぇな」

「少し口ごもるのは、やっぱりお医者様から止められているからですか?」

「……くそ、分かってんなら聞くな」


 そうですね、うっかりしていたのです。やっぱり傷があるから……


「止められてんのは今日だけだ。一応テープも貼ってるし、水に濡れんのは問題ないってよ。ただ、今日やられた注射の関係だ」

「……分かりました。シャワーは大丈夫なのですか?」

「あぁ」


 それなら、好きな時間に入ってもらえばよいのです。私はお風呂でゆっくり温まりたいところですが、今日はトキくんに付き合ってシャワーにしましょう。お風呂に浸かれないトキくんを差し置いて私がのびのび浸かるのも、なんだか悪いですし。


「……アンタ」

「はい?」

「いや、気のせいか」

「??」


 なんでしょう。トキくんが妙に歯切れが悪いのです。出張先で変なものでも食べたのでしょうか。


「そういえば、今回の出張はどうだったのですか? あ、お仕事内容ではなくて、えぇと……」

「いつも通りだ。強いて言えば、ケンスケの使いどころが分かったぐらいだな」

「え?」


 ケンスケさんと言えば、あのトイプーですよね?

 バイク飛ばして、ケンカするだけの仕事があればいいとか言っていたケンスケさんですよね?


「本人は嫌がってるが、人あしらいは上手いんだ」

「そういえば、ホストをやっていた、と話していました」


 確か人気もあると言っていたような気がします。あまりやる気のない仕事ぶりでそれなら、本腰を入れれば一財産築けたのではないでしょうか。


「顔も悪くない。ちゃんとしてれば、人を油断させる顔だからな。オッサンどもとは大違いだ」

「トキくん、職場の先輩をそう言うのはよくないと思うのですよ」

「あぁ? アンタも見たことあんだろ、オッサンども」


 確かに、ちょっといきなりフレンドリーに話しかけるには勇気を必要とする……いわゆる強面な方々ばかりでしたけど、それが『オッサン』呼ばわりしてよい理由ではないのですよ?


「ケンスケさんは無事になじめたようで何よりです」


 いつぞやのように、私にちょっかい出されたりしても困りますから。


「あぁ、どんだけボコボコにしてもオッサンどもに食らいついていくから、みんなが面白がってな。いつの間にか使えるレベルに仕上がってた」


 ここは頷きを返してよいところではない気がします。

 もちろん、職場ごとに色々な教育方法があるとは思うのですよ? でも、これは違うと思うのです。面白いからちょっかい出しまくってたら、なんか育った……なんて、新人教育ではないですよね?


「と、とにかく、ケンカしたい気持ちを持て余してトキくんに迷惑をかけていないようで、何よりなのです」


 そういう感想に留めさせてください。



――――リクエスト通りの夕食に舌鼓を打っているトキくんの向かいで、私も同じ料理に箸をつけました。アサリはしっかり砂を吐かせましたし、鯛のワイン蒸しもなかなかよくできたと思います。

 それなのに、どうしてトキくんの目つきが悪いのでしょう。


「……ごちそうさまでした」


 ぱむ、と手を合わせると、先に食べ終わっていたトキくんが、私の分のお皿まで片付け始めました。


「あの、トキくん。私が片付けますので、今日はゆっくり――――」

「……ミオ」


 鋭い眼光が私を射下ろします。重ねたお皿を奪おうとした私の手が止まってしまいました。


「えぇと、なんでしたっけ、そう、私が片付けますから、ケガ人のトキくんはゆっくりと休んで欲しいのですよ」

「オレがやっとく。アンタはとっとと風呂に入れ」

「いやいやいや、出張帰りで疲れている上に、病院帰りのトキくんにそんなことをさせるわけには――――」

「ミオ」


 あ、これ、まずいです。どうしてかは分かりませんが、体調不良がバレているような気がするのです。


「……えぇと、そこまで言うのなら、甘えます。お皿は軽く水で流して食洗器に入れて置いてください」

「分かってる。アンタもとっとと行け」


 はぁい、と気の抜けた返事をしたら、ぎろりと睨まれてしまいました。うん、やっぱりバレてる気がします。


 おかしいのです。どこでバレてしまったのでしょう。うまく取り繕えていたと思いましたのに。


 軽くシャワーを浴びてさっぱりしたところでキッチンに戻ると、そこにはもうトキくんの姿はありませんでした。やっぱりトキくんも疲れているのでしょう。お湯を沸かして、朝と同じようにレモンと生姜の蜂蜜漬けをお湯割りにして飲んだら、私も寝ることにしましょう。幸い咳や鼻水などの症状はありませんが、ちょっと頭が重い気がしますし、寒気もします。……認めたくありませんが、風邪、ですよね。

 身体の内側からぽかぽかと温まりますが、頭の重さは変わりませんでした。当たり前なのです。やっぱり今日はもう寝ることにして、明日のことは明日考えることにしましょう。トキくんのお昼をどうするか、とか、講義の準備、とか。


「……れれれ?」


 おじさんではありません。

 居間のリクライニングソファに寝そべっていたのは、狼……じゃなかったトキくんです。とっくに自室に戻ったと思っていましたが、まだ起きていたのですね。


「ようやく来たか、寝るぞ」

「え? えぇぇぇ?」


 ちょ、足をケガしているのではないのですか! 小脇に抱えるのは、ちょっと、トキくーん!


「いやいやいや、お互いの部屋で寝るのですよね?」

「阿呆。オレのところで寝るに決まってんだろ」

「えぇと、ケガ人と一緒に寝るのは、ちょっと危険な気がするのですよ? 寝ぼけて傷口を蹴ってしまったらどうするのですか」

「心配すんな。そんなにヤワじゃねぇ」

「ヤワとかそういう問題ではなくて、痛いではないですか」

「痛いのはオレだろ。そんぐらい別に気になんねぇよ」

「私は気にします!」


 トキくんの傷を思えば、あまり抵抗らしい抵抗もできず、私は為す術もなくトキくんのベッドに転がされてしまいました。


「調子悪いアンタに何かする気はねぇよ」

「……えぇと、やっぱり気づいてました?」

「当たり前だ。アンタ、自分の顔色見てねぇだろ」


 あー……さすがに顔色は演技でカバーはできませんね。納得なのです。


「えぇと、そんなに悪かったのですか?」

「白い」


 あー、青白くはなかったんですね、よかったのです。……いえ、よくないのです。


「別に、大学では何も言われませんでしたよ?」

「アンタの周囲のヤツらは節穴か?」

「節穴とは失礼なのです! みんな仲が良いのですよ?」

「そんなことは聞いてねぇ」


 問答無用で布団を上からかけられ、隣に滑り込んだトキくんが、私の頭の下に腕を滑り込ませてきます。


「体温分けてやるから、とっとと寝ろ、この抱き枕」

「……一応、意思のある人間なので、抱き枕扱いは勘弁していただきたいのです」

「意思のある人間相手らしく、あちこち撫でてやろうか?」

「慎んで抱き枕になります」


 トキくんが不埒な撫で方になるのは、明らかなのです。今日、料理に使った白ワイン1本をかけてもよいのです! まぁ、ペットボトル入りの量産品なので3桁なお値段ですけれど。

 それにしても、トキくんの身体はいつも温かいのはどうしてなのでしょうか。やっぱり、筋肉が多いと基礎代謝が……その結果、体温が……ということなのでしょうね。その考え方でいけば、私も筋肉をたくさんつければ、トキくんと似たような体感温度を……空調の温度設定の戦いもしなくて済んで……大団円……に。


「ぐだぐだ考えてねぇで、とっとと寝ろよ」

「ふぁ……、口に出てました……?」

「だだ洩れだ。――――ったく、無防備な顔見せやがって」


 無防備。いえいえ、防備は完璧です。ミサイル迎撃用のPAC-3はきちんと配備しているのですよー……?


「だから、寝ろよ」

「……ん、寝て、ますよ」


 しょぼしょぼとした目をトキくんの顔に向ければ、何故か「凶悪なツラしやがって」と舌打ちされてしまいました。トキくんに言われたくはないのですよ……。


「トキくん、には、負けるのです……よ」

「……あぁ、くそ!」


 トキくんが自分のこめかみのあたりを、ガシガシッと掻いたかと思うと、私の呼吸が阻害されました。……えぇと、口が塞がれました。ついでに、ぬるぬる生温かい湿ったものが侵入して……?


「んむ、……んむむぅっ」


 呼吸がしたいのだとぺしぺしと胸のあたりを叩いても、やめてくれません。ようやく解放してもらえたときには、酸欠で何だかくらくらしてしまいました。


「今日はこれで我慢してやるから、寝ろ」

「ふ……? おやすみなさい?」

「あぁ」


 今日はこれで我慢、……なんて言ったところで、ちゃんと二週間は節制なのですからね、トキくん。

 ふわふわした頭でそんなことを考えながら、私はことんと意識を落としました。


――――翌朝、あったかい人間湯たんぽのおかげかスッキリと目覚めた私が、逆に悶々としていたらしいトキくんに睨まれたのは、まぁ、予想通りだったのです。

 えぇと、お手数をおかけしました、トキくん?



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