109.【番外】それは、火に油だったのです。
あなたは4RTされたら「そんな顔されたら、逆に滾るんだが?」の台詞を使ってトキを描(書)きましょう。
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(診断メーカーさんより)
「ふぬぅ~……」
人間、悩むと変な声が出てしまいますよね。今、まさに、私がそんな状況なのです。
「ふむむむむむ……」
日本の大学は、アメリカなどと違って、入るのは難しいけれど卒業は楽だと言うではないですか。あれ、嘘っぱちなのですよ。だって、こんなに苦しんでいますから!
受験に数ⅢCがなかったので、もう数学とはおさらばしても大丈夫だと思っていたのですけれど、そんなことはありませんでした。いま、目の前にある危機、それが『行列』なのです。
単位行列、逆行列、対称行列、直交行列……呪文ではありませんよ? これを計算するのです。クラメルの公式という、キャラメルの親戚かと思ったら全然違うヤツも使ったりするのです!
「ほみょぉ………」
だめなのです。これは明日大学で竹水さんと那珂さんに声を掛けましょう。この宿題は、たぶん二人も苦労しているはず……
私はノートをパタンと閉じると、よっこいせっと立ち上がりました。後で、ノートを読み返して、行列の計算方法を復習しないとなのです。今は気分転換のためにクイックルなワイパーさんでリビングの掃除でもしましょう。
半分自棄な感じでガチャリと自分の部屋から出ると、リビングのリクライニングソファで狼さんがうたた寝しているのが視界に入りました。やっぱり大学生活と会社勤めの二足のわらじはつらいのでしょう。高校の頃は何かと休んでいましたが、私の知る限り、大学は結構な割合で出席しています。一度だけ会った、あのお友達にノートなんかを頼んでいると思いますが、それでも大変なことに変わりはありません。それに、お仕事は、かなりの割合で肉体労働っぽいですし。
でも、空調が効いてると言っても、そのままだと風邪を引いてしまうのではないでしょうか? さすがにTシャツ一枚では……と、自分の部屋から膝掛けを持ってくると、起こさないようにそっとリクライニングソファに近づきます。
白状してしまうと、この時はすっかり忘れていたのです。
トキくんが(色々な意味で)戦闘職であることを。
以前も、足音を忍ばせたことで不審者扱いされたことがあったことを。
「ふぎゃっ!?」
膝掛けをそっと上にかけようとしたタイミングで、私の視界は天地が逆転しました。
「……なんだ、アンタか」
何が起きたのでしょう。
さっきまでトキくんが寝そべっていたリクライニングソファには、私が仰向けで転がっていました。両手は頭の上で、感触からすると手首を膝掛けで押さえつけられている模様です。手で直接拘束されるより痛くはありませんが、抜けられない感はこちらの方が上な気がします。
「すみません。起こしてしまったの、ですよね?」
「あぁ? ……あぁ、寝てたのか、オレ」
「きっと疲れているのですよ。そういうときは、無理せずベッドで寝た方がいいと思います」
できるだけ淡々と会話しようと努めていますが、心臓はばくばくと騒いでいるのです。突然、引き倒されるとか、びっくりしないわけがないのです!
「……それで」
「?」
「その、そろそろ上から降りてくれると嬉しいのですけれど」
「あぁ……」
あぁ、と答えたわりには、トキくんは私を押さえつけたまま、動こうとはしません。何故か私をじっと見下ろしています。
「トキくん?」
「……このまま食っちまいてぇ」
もしかして、リアル生命の危機なのでしょうか? 狼なトキくんに捕食されるのは自然の摂理で仕方ないのでしょうけど……って、違いますね。貞操の方がピンチなのですよね?
「えぇと、冗談なのですよね?」
「あんまり冗談にしたくねぇな」
な、なんだか背筋がぞわぞわします。もしかして、本気……だったりしますか?
た、たたたた、確かに、『男子高校生は穴があったら突っ込みたいお年頃』だなんてお母さんも言っていましたけど、男子大学生になったらどうなのでしょう? やっぱり高校生と変わらないのでしょうかっ?
「おおおおお落ち着きましょう、トキくん! そうです、とりあえず素数を数えるとよいらしいのですよ!」
「阿呆」
私の提案をばっさり切り捨てたトキくんの顔がゆっくりと下りてきます。ピシッと固まってしまった私の首筋に顔を埋めると、まるで獲物にそうするようにカプリと噛みつきました。そして、ぺろり、と舐めてきます。
頸動脈って知っていますか? 切られたら血がどばーって出る人体の急所なのですよ。……その急所に歯を立てられたら、背筋も凍りますよね?
「と、トキくん、とりあえず、髪がくすぐったくて、ですね、その、……ひゃっ!」
鎖骨! トキくんが鎖骨に口づけてきたのです! 鎖骨って触られるとぞわぞわしますよね? 私だけではないのですよね?
思考回路がピンチです。
いえ、違います、ピンチなのは貞操です。
「ま、待って欲しいのです! トキくん、無理強いはしないって、言ったではないのですか!」
私は何とか拘束から逃れようと体を大きく揺すります。手首に絡みついた膝掛けさえ何とかすれば、きっとこの体勢から逃れられるはずなのです!
「……なぁ、アンタ、もしかして誘ってんのか?」
「そ、そんなわけないのですよ! わ、私、は……っ」
「抵抗はいいけどよ、そんなに体揺らしたら、胸がめっちゃ揺れるって気づいてるか?」
「ふにゃぅっ!」
うぐぐ、この無駄に脂肪を集めてしまった自分のぜい肉が憎いのです。そもそも、この胸さえなければ……うぅ、恥ずかしくて顔が熱くなってしまいました。
「そこまで顔赤くして、涙潤ませて―――――そんな顔されたら、逆に滾るんだが?」
「た、たたた滾るのは保留、いえ、巻き戻して欲しいのです! 何事もなかった状態に戻ってくだしゃいっ!」
あ、とうとう噛んでしまいました。でも、そのぐらい切羽詰まっていたのです。だって、トキくんの顔が、何というか、真剣? いえもっと不穏な感じで……
と思っていたら、トキくんが突然吹き出しました。
私の慌てた様子がツボに入ったのでしょうか。私に唾を飛ばす勢いで笑っているのですけれど、――――もしかして、からかわれました?
「トキくん?」
「阿呆、そんな目で睨むな、余計……ぶっ」
「トキくんっ!」
「あそこまで、盛大に、噛むなんて、な……っ」
「そこまで、笑うこと、ないじゃないですかっ!」
「悪ぃな、アンタがあまりにもクソかわいいから」
「クソ……って、それ、褒め言葉なのです?」
「十分な褒め言葉だろ」
トキくんの顔がゆっくりと下りてきて、私の額に口づけます。もう、怖い雰囲気は漂っていなくて、いつものトキくんです。
でも、でもなのですよ?
私、もしかして、とんでもなくトキくんに我慢をさせたりしていますか? やっぱり健全な男子大学生は、そういうことをしたくてたまらない年頃だったりするのでしょうか?
上からそっとどいてくれたトキくんを見上げながら、私は、明日、竹水さんと那珂さんに宿題と一緒に相談することに決めたのでした。
―――え、お母さんですか? あの人は絶対に茶化すから相談なんてできるはずもないのです。
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
「あれ、ミオっちの彼氏ってワンコ系だった?」
「ワンコ……ですか?」
犬、というのとは違いますが、狼も犬の一種ですよね。とりあえず、頷いておくことにします。
「なんか話聞いてたら、健気な番犬が目に浮かんじゃったわ」
「竹水さんまでそんなことを……。ということは、やっぱり客観的に見て無理をさせてしまっているのでしょうか?」
学校のカフェの片隅で、こそこそと宿題相談のついでに恋愛相談をさせてもらっているのですが、私の前に座る那珂さんと竹水さんの視線が、なんだか痛いのです。
「こういうのは人それぞれだから、何が正解ってことはないと思うけど、ほら、ワンコってさ、『待て』を躾けるのも大事かもしれないけど『よし』だって言ってあげないとさ」
「ねぇ、そもそも本当にワンコ系? まだミオの彼氏って見たことないんだけど」
「……えぇ、と、すみません。忙しい人なのです」
というか、トキくんに付き合わせるのが申し訳なくて、なんとなく那珂さんや竹水さんに会ってはいないのです。休日もトキくんは出勤してたりしますし。
「まぁまぁ、でも、もしかしたらミオっちって意外と独占欲が強くてあたしらに見せたくないだけかも、なんて思うぐらいは許してよね」
「あ、それね。なるほど!」
「どくっ……!」
独占欲、なんて、私がトキくんを独り占めとか考えたこともありませんでした。だって、トキくんは徳益さんと仕事で仲良くしていますし、カズイさんみたいな舎弟もいますし、この間会った大学の友達だっているのです! とても独占できるような状況ではありません!
「独占、なんて、そんなこと……」
なのに、どうしてでしょう。なんだか顔が熱いのです。
「やだ、ミオっち真っ赤! かわいい!」
「ほんとだ! かわいいから、プリンお供えしたくなっちゃう!」
那珂さんの手が、私の頭を撫でてきます。うぅ、トキくん以外からも撫でられるなんて、私、本気で愛玩動物化してきているのでしょうか。
「ま、どっちにしても、ミオ次第よ。個人的には、相手が爆発しないうちに、っていうのがオススメ」
「そーね。なんか、話聞いてると、めっちゃ我慢する人みたいだし」
「……ですよね」
やっぱりトキくんには色々と我慢させてしまっている気がします。でも、ここまで引っ張ってしまったものを、どうやって今更……。何をきっかけにしたらよいのでしょうか
「もしかして、心配? ワンコって体力ありそうな感じ?」
「ぐ、そっちは考えていませんでしたが、否定はできません」
なんてったって、肉体労働者ですから(たぶん)! どうしましょう。もしかしたら、歯止めが効かずにとんでもないことになってしまうのではないでしょうか。耳年魔なだけなので、具体的にどうなるかは予測もつかないのですけど。
「それなら、あたしが知恵を授けてしんぜよーう!」
竹水さんがにっこりと笑って、私に耳打ちをしてきました。
「……えと、それでよいのですか?」
「だって、そしたら主導権握れるじゃない」
「なるほど、その考えはなかったわ」
私と那珂さんは顔を見合わせて、うんうんと頷いてしまいました。それほどまでに、竹水さんの案は目から鱗だったのです。
「普通逆じゃない?って思ったんだけど、歯止めかぁ……」
「なに? ナカっちもやってみる?」
「残念ながら、相手がいないわー」
「うん、知ってたー♪」
「このぉ!」
なんだかじゃれあい始めた二人を見ながら、私は頭をフル回転させて策を練っていました。
そういうことならば、決行日はだいたい絞られてくるのです。一番近いのは……やっぱり誕生日、ですね。ちょうど節目の年ですし、踏ん切りも付けやすいのです。
「よし! 首洗って待たせてやるのです!」
私はぐっと両拳を握って自分を奮い立たせました。
「……ミオっち、ちょっとそれ違うかも」
「張り切る方向が斜め上なのは、ミオらしいわね」
あれ、二人とも、私の評価、ひどくないですか……?




