104.【番外】それは、コンパだったのです。
「それじゃ、推理文学研究会の新入生を歓迎して、かんぱーい!」
カン、カラン、コロン、と音を立ててグラスが打ち鳴らされます。私や私の隣に座っている那珂さんはもちろん、ウーロン茶なのですが、先輩方の前にはビールや色とりどりのカクテルが並んでいます。あ、とっくり発見。あの先輩は、日本酒党なのですね。お母さんが言うには、最初はビールから始めて、その後に好きなお酒に流れる人が多いという話だったのですけど、どうやら一杯目から好きなものを呑む人もいるようなのです。
「飲んだり食い始めたりしててもいいけど、ちょっと注目ー!」
先ほど乾杯の音頭をとった会長さんが、声を張り上げました。那珂さんと一緒に焼き鳥を串から外していたところだったので、まだ食べてはいません。
「自己紹介と一緒に、好きな推理小説ね。あ、じゃ、あたしからね。会長の南雲カナ。好きなのは、メジャーどころだと、アガサ・クリスティーのミス・マープルのシリーズでっす! 新入生の中に同志がいたら仲良くしよう! はい、時計回りでこっちから」
あぁ、よかった。ちゃんと私でも聞いたことのある作家です。なんだか聞いたことのない作家の作品ばかりだと、場違い感でいたたまれないので、ホッとしました。
「あの、那珂さん」
「んー?」
「私、推理小説とかあまり読んだことないので」
「んー? あ、そっか。でも、大丈夫じゃない? ……って言えば、さ」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。こういうところに所属する人って、誰かから良作を教えて欲しいのと同じくらい、自分の好きな作品を布教したいもんだし」
那珂さんのことを信頼していないわけではありませんが、そういうものなのでしょうか? 正直、今まであまり本とかは読んでいなかったので、よく分かりません。
って、悩んでる間に、私の順番が回ってきてしまったのです。
私は慌てて狭い席ながら、立ち上がりました。
「1年の、須屋ミオです。すいません、実はあまり推理小説というか、小説全般を読んだことがないので、面白いものを教えてもらったら嬉しいです。よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げて座ります。うぅ、無駄に緊張してしまったのです。ちょっと顔が熱いのです。あ、那珂さんもちょっと緊張しているみたいですね。声がちょっと違いますから。
「ふー、ね、言った通りでしょ? これでミオっちも、モテモテ確定よ」
「え、それは別にいらないんですけど」
「あ、そか、彼氏いるんだっけ。ゴメンゴメン」
那珂さんの指が、私の手首にさげられたブレスレットに触れました。うぅ、問いつめられたあのときのことは、もう、忘れたいのです。
どうして、女性ってこう友人の恋愛話に食いつくのでしょうか。その姿こそ、まさにハイエナなのです。
「そういえば、彼氏は心配してなかった?」
「ちょっと不機嫌そうでしたけど、大丈夫だと思うのです」
そうなのです。今日、サークルの新入生歓迎コンパがあるというので、夕飯が作れないという話をしたら、とても機嫌が急降下してしまったのですよ。
一応、外で食べたくないならと、冷凍ご飯の在処と、レトルトの牛丼の場所と、って指示をしたのですけれど、やっぱり不機嫌なままで……。
「そうよねー。やっぱり彼氏は心配よね」
「え、その、心配って」
「ほら、サークルって男女混合じゃない? だから、他の男に目移りしないか、とか手を出されないか、とか。こーんな可愛い彼女がいるんだから、心配に決まってるじゃん」
「か、かわいいとか言わないで欲しいのです。那珂さんだって、かわいいではないですか」
「んー、その謙虚な態度、分かってるわね。さすが、彼氏持ちのミオっちは天然であざとさを身につけてるのか」
「那珂さん?」
なんだか、那珂さんが妙に遠い目をしてしまったのです。
「那珂さん、とりあえず焼き鳥食べましょう。あとサラダも!」
「あぁ、ん、そうね」
なんて、ちょっとアクシデントはありましたが、和やかに飲み会は続きました。途中から、先輩方があちこち席移動するものですから、いつの間にか那珂さんも遠くの席に押し出しで飛ばされてしまったのです。
「須屋チャン、飲んでるぅ?」
「えぇと、お酒は飲んでませんよ、先輩」
「んふー、須屋チャンてさぁ、彼氏いるでしょー」
「ふぉ!?」
「あーやっぱりやっぱり。毎日つけてるブレスレットもさぁ、やっぱ彼氏チャンからのプレゼントとか?」
どうしましょう。腹筋がプルプル震えてしまいそうになりました。主に笑い的な意味なのです。トキくんに『彼氏チャン』という代名詞が似合わな過ぎるのですよ!
「えと、その、分かるものなのですか?」
「あー、分かる分かる。須屋ちゃんみたいに、ガツガツせずに、妙に安定してるのって、彼氏持ちの証拠だもんよ。フリーだったり相手と上手くいってないのって、独特の不安定感あるし?」
「不安定、なのですか」
「そーそー。それに須屋チャンかわいいから、納得っていうか、あー……ちょっとぉ、誰か飲み物注文ー!」
隣に座った会長さんは、いったい何杯目なのでしょうか。それなりにアルコール回ってますよね、これ。
「ということでぇ、須屋ちゃん、今度貸すからさぁ、まずはミス・マープルシリーズ全部読も?」
「ふぇ?」
「古典的名作を網羅してさ、そこから新しい方へいくと、オマージュとかもよく分かるし」
「ちなみに、そのシリーズって何作ぐらいあるのでしょうか?」
「えぇ? いくつだったかなぁ? あれぇ? ねぇ、ユキヤぁ、あれ何冊?」
「……ごめん、須屋さん。会長が本当にごめん」
「いえ、よいのですけど。……あのぉ、会長さん。そのミス・マープルシリーズの中でも、最初に読むべき1冊からでお願いします。私、あまり読むの早くありませんので」
「りょーかいりょーかい! 今度、用意しとくー」
ユキヤさんに会長さんはドナドナ……回収されていきました。同学年ですし、仲が良さそうなのです。ちょっと会長さんが貸してくれる本も楽しみです。
「須屋さん、ここいい?」
「あ、はい、大丈夫なのです。そこのグラスは会長さんのですけど」
今度、隣に座ってきたのは3年生の先輩です。えぇと、名前は何でしたっけ。
「会長さんと同じく、押しの推理小説があったりするんですか?」
「え? あぁ、会長はあれが通常運行だよ。素面でも酔っぱらいでも、とりあえず自分の読んだ本をガンガン勧めてくるんだ。須屋さんは何を言われた?」
「自己紹介の時に言っていたミス・マープルのシリーズでした」
「あー、入門編ってことかな。会長、あれで月に最低でも10冊は読んでるからさ、ノった時は1日1冊って言ってたし」
「すごいのです。さすが会長さんなのですね」
「須屋さんは、あまり本とか読まない人なんだ?」
あれ、この先輩。なんだか近くありませんか? さっきの会長さんは同性だったので、あまり意識していませんでしたが、それでも会長さんよりも近いってどういうことなのです?
「えぇと、本を読む習慣がなかったのです。高校もバイトで忙しかったので」
「へぇ、どんなバイト?」
「カフェのホールスタッフと、……動物さんのお世話のバイトを掛け持ちしてました」
「へぇ? 動物好きなの? 何の動物? 猫とか?」
「えぇと、犬寄りの動物でしたけど、詳しいことは内緒でお願いします」
まさか、同級生のことを狼扱いしていたとか言えませんから。
「へー。なんか、面白そう。―――あ、こっちです」
先輩はオレンジジュースとウーロン茶を受け取ると、ウーロン茶の方を私の前に置きました。
「はい、須屋さん。ウーロンでよかったよね」
「あ、ありがとうございます……」
確かに私の手元にあるグラスは、あと1センチほどしか残っていないのですが、これが気配りというやつなのでしょうか。
……何となく、イヤな予感がします。
この先輩、ちょっと雰囲気がイヤです。ほら、また距離を詰めてきた!
うーん、これ、本当にウーロン茶なのでしょうか。
お母さんからは、ウーロン茶に見せかけたウーロンハイと、オレンジジュースに見せかけたスクリュードライバーに注意するよう言われているのです。どちらも、飲んでみなければ分からないという話ではありますが。
こういうときのミオさんの行動ですか?
残念ながら、お母さんのようにイイ気に酔わせて潰してポイなんて技は持っていませんから、三十六計逃げるにしかず、というヤツなのですよ。
「すみません、先輩。ちょっとお手洗いに行ってきますね」
丁寧に断って、そそくさと逃げるのです。お手洗いから戻ったら、那珂さんのいるテーブルにでも避難しましょう。そうしましょう。
ミオさんのような身を守る術を持たない小動物は、危険に敏感なのですよ。
◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇ ~ ◆ ~ ◇
「はい、それじゃ、おつかれー」
「二次会行く人ー!」
「帰宅組はこっちー!」
おぉ、結構二つに分かれるのですね。てっきり先輩方はみんな二次会に流れるのかと思っていたのですが、そうでもないようです。
「那珂さんはどうしますか?」
「うーん、せっかくだし二次会行ってみようかなって。ミオっちは?」
「私は帰りますね」
「あ、そうなの? んー、ま、仕方ないか」
那珂さんと手を振り合って、私は駅の方へ向かう帰宅組に合流しようとしました。
「あれ、須屋さん、帰るの?」
「はい、あまり遅くなっても心配しますから」
「もう大学生なんだから、そこまで、気にしなくても大丈夫なんじゃない?」
もしかして、私、目をつけられてます?
私の腕を掴んでいるのは、妙に近くに座って来た3年の先輩です。うん、やっぱり目がイヤらしい気がします。あのウーロン茶(疑惑)も、手をつけなくて正解でしたよね。
「あ、そうだ。よければさ、二人でちょっと飲みに行かない? おいしいデザートが出る店知ってるんだ。身分証明も見せなくて大丈夫なトコ」
はいアウトなのです。
未成年に対して飲酒を勧誘するのはダメなのです。私の中でダダ下がりだったこの先輩への評価が、大暴落でストップ安なのですよ。
「すみません、未成年ですし、私帰りますね」
「ちょ、一杯ぐらい大丈夫だって、な?」
むー、面倒なほどにつきまとってくるのです。これはツーアウトですね。
さて、どうやって引きはがしたものでしょうか。見れば、いつの間にか駅へ帰宅組が出発してしまっています。早く合流しないといけません。
「そんなに引き止める気はないし、遅くならないからさ」
その言葉にどれほどの信用度があるというのですか。うぅ、面倒な先輩に捕まってしまったのです。これなら、那珂さんと一緒に二次会へ流れた方が安全だったかも?
「すみません、失礼しますね」
「おい、ちょっと」
先輩ののばした手が、今度は私の肩にかかります。ちょ、酔っているせいか、力の加減ができていないのですよ、これはアウト! スリーアウトでチェンジなのです!
「本当にもういい加減にして―――」
「ミオ、そいつ誰だ?」
おぉ? おぉぉ?
私の後方からにゅっと出てきた太い腕が、先輩の手首を掴んでいます。
「トキくん!」
「大丈夫とか言ってたのは誰だ。全然じゃねぇか」
「いえいえ、もう帰るところなので、本当に大丈夫なのですよ。―――それでは、先輩、失礼しますね」
「……え、えぇ?」
あぁ、分かります。トキくんの顔、怖いですもんね。初めて見ると、そいういう反応になるの、分かります。
呆然とする先輩を置いて、私はトキくんの腕を掴み、そそくさと駅の方へと歩き出しました。
「迎えに来てくれたのですか?」
「……ついでに寄っただけだ。バイクこっちに止めてある」
「ふふ、ありがとうございます」
あの先輩から、他のサークル会員にトキくんのことが広まれば、きっと今後は煩わしい思いをすることもないのです。トキくんさまさまなのですよ。
「アンタ、何考えてんだよ」
「え?」
「妙に楽しそうなツラしやがって」
「トキくんが迎えに来てくれて、良かったなぁって思っているのですよ」
「……」
「あ、トキくん。もしかして、照れました?」
「照れてねぇ」
うぅ、頭を鷲掴みにされてしまっては、表情を窺うことができないのです。残念。
「あの先輩から、トキくんの話が広まるといいなぁと思ってました」
「あぁ?」
「妙にしつこかったので、私が彼氏持ちだと知れば、もうつきまとったりは……ぷふっ」
思わず吹き出してしまいました。それもこれも、会長さんの言っていた『彼氏チャン』のせいです。
「ミオ?」
「な、なんでもないのです! ちょっとした思い出し笑いなので、気にしないでくださ、……んむっ」
こここ、公衆の面前! 往来でキスするなんて、破廉恥なのです!
「アンタさ、やっぱ無防備過ぎるだろ。心配だ」
「ご心配なく! 今日だって、ウーロン茶に偽装されたウーロンハイ(かもしれないもの)をちゃんと飲まなかったのですよ!」
えっへん、と胸を張ります。あ、違います。トキくん。別に揺らしたわけではなくてですね、ちょっと顔が怖いのですよ?
「まぁ、危機管理能力については信用してるけどな。宮地と長年渡り合ってきたわけだし」
「……えぇと、本当にあの人はもう大丈夫、なのですよね?」
「ドゥームのすることだ。信用しろ。ついでにあのおっさんもまだ監視の目は緩めてねぇ」
「蛇二匹なら安心なのです」
良かったのです。あの蛇がまた来たらと思うと、ちょっと平和ボケ(?)してしまったミオさんでは、もう渡り合える気がしませんから。いえ、元々渡り合ってなんていませんでしたけど。逃げるのがせいぜいでしたからね。
「トキくん」
「……んだよ」
「私、浮気とかしてませんから。安心してくださいね?」
「どんなセリフだよ。アンタに関しちゃ、浮気は心配してねぇ。むしろ、襲われそうで心配なだけだ。……まぁ、母親が母親だから、大丈夫と思っていいの、か?」
「お母さんからは、いろいろ聞いてますから。今日も、偽装ウーロン茶に気づいたのは、お母さんの助言あってこそなのですよ?」
「……まぁ、それならいいか」
トキくんのバイクの後ろに乗っけてもらい、私は無事にマンションへ到着しました。
それにしても、飲み会に駆けつけるなんて、トキくんはちょっと過保護なのではないでしょうか。いつかそれが行き過ぎないかと、そっちの方が心配なのです。
ハヤト「トキ、フロアの端っこでうろうろしてないで、ミオちゃん迎えに行けば? 心配なんだろ?」
トキ「……」
ハヤト「で、ついでにミオちゃんに気のありそうなヤローども、睨みつけてくれば安心じゃん?」
トキ「そうか、その手があったか」
なんて遣り取りがあったりなかったり。




